「なにこれ!日米地位協定とは」3回目

   
 

講師  稲 正樹さん

 

             

渡辺治・福祉国家研究会(編)『シリーズ新福祉国家構想 第5巻・⽇⽶安保と戦争法に代わる選択肢−憲法を実現する平和の構想』(⼤⽉書店・2016年)所収の「第7章 安保と戦争法に代わる⽇本の選択肢―安保条約、⾃衛隊、憲法の今後をめぐる対話(渡辺治)」の紹介と検討


1  戦争法案反対運動からみえてきたもの  

戦争法が提起した日本の安全保障をめぐる二つの道
⽇本の安全保障をめぐる⼆つの⽅向・路線の対⽴。
 第⼀の⽅向は、戦争法案を推進した安倍政権を先頭に、現与党が主張・推進する路線。⽇⽶同盟を深化させ、⽶軍のグローバルな戦争・介⼊により積極的に加担し⽇⽶共同作戦を具体化することで抑⽌⼒を⾼め、強⼤化する中国の軍事的脅威や北朝鮮の挑発に対抗して⽇本の安全を確保するという路線。
 それに対して、戦争法による⽇⽶同盟の深化、⾃衛隊の戦争加担の⽅向は決してアジアの平和を促進し⽇本の安全を確保しない、と主張する路線。むしろ⽇本の平和と安全は、⽇本が、海外での武⼒⾏使やアメリカの戦争と⼀体となった加担をしないことで保持され、そうした⽴場を堅持することでアジアの平和構築に対しても発⾔⼒をもてるという⽴場。

  コメント:後者の路線への国民的な賛同・強化を、単なる願望ではなく、実現化する道(=日本国憲法の立場)をどうやって可能にするのか、これを共同討議し構想することが、最大の課題と考える。
 


戦争法反対の⼆つの潮流

第⼀は、政府が推進してきた⽇⽶安保体制そのものに真っ向から反対し、憲法9条の「武⼒によらない平和」の⽅向を⽀持し、安保条約を廃棄して⽶軍基地を撤去し、⾃衛隊を縮⼩・解散して、 9条の理念により⽇本の平和を実現することをめざす潮流(=安保廃棄派)。この潮流は、戦争法の制定を、⽇⽶安保体制がもっている本質の徹底であるという側⾯と、にもかかわらず国⺠の運動によって政府解釈というかたちで⾃衛隊の活動に課されていた制約をはずし⾃衛隊を海外での武⼒⾏使に踏み込ませる転換である、という側⾯の両⽅からその危険性をとらえている。

 第⼆は、安保条約と⾃衛隊による安全保障のあり⽅を基本的に容認しながら、その安保と⾃衛隊は、あくまで憲法9条にかかわる政府解釈により合憲と認められる制約の範囲内にとどまるべきあり、集団的⾃衛権⾏使、後⽅⽀援拡⼤によるアメリカの戦争への加担―⽇⽶同盟深化の⽅向は⽇本の安全に寄与しないという視点から戦争法に反対する⽴場。この潮流(=「リベラル」派)は集団的自衛権や戦争法は日米安保体制からの転換、逸脱であるととらえる。

  コメント:二つの潮流のうち、後者の潮流が今日の憲法学会と現実政治に於いてすでに多数派になっているのではないかを恐れる。前者の潮流をどのように大きくし、また実現していくのかを考えることが大切である。  


法改悪反対運動における⼆つの潮流
  1.  じつは、戦争法反対運動でできたこうした合流の構図は、すでに、改憲に反対する九条の会の運動などで先駆的に形成されていた。90年代に⾄るまで改憲反対運動を担ってきた社会党、共産党などの⾰新政党、労働組合、知識⼈、市⺠運動は、すべてが、安保条約や⾃衛隊を違憲とみなして反対してきた⼈々であった。これが改憲反対運動においても第⼀潮流であった。
     それに対し、90年代に⼊り、⾃衛隊の合・違憲でなく⾃衛隊の海外派兵の是⾮が争点となり、また社会党が村⼭政権の成⽴を機に、安保・⾃衛隊合憲論に転じたことも相俟って、2000年代の改憲反対運動、その典型としての九条の会の運動では、第⼀潮流の勢⼒にくわえて、安保条約も
    ⾃衛隊も合憲だがその海外派兵を容認させるような改憲は許さないという第⼆潮流がくわわった。九条の会に代表される改憲反対運動は、こうした第⼀潮流と第⼆潮流の合流によって⼤きな流れを形成した。

法改悪反対運動における⼆つの潮流

⼀つは、安保条約による⽶軍の駐留と基地そのものに反対し、⽶軍撤退と基地の撤去を求める
⽴場から辺野古新基地反対、普天間基地撤去を求める潮流。「基地反対派」。
 それに対して、第⼆の潮流は、安保・⽇⽶同盟には賛成であり⽶軍基地も必要だが、それが沖縄に集中していることは許せない、沖縄にこれ以上新基地建設は許さないという、沖縄「差別反対派」の⽴場。それにくわえて、第⼆潮流のなかには、安保条約と⽶軍基地の存在は⽇本の安全には必要としながら、海兵隊の沖縄常駐はもはや必要なく辺野古新基地建設はアメリカの戦略からいっても軍事的合理性がなく、いらないという⽴場からの反対論者も含まれている。

⽇本とアジアの平和構築をめぐる⼆つの潮流の違い

 第⼆の潮流の構想に関しては、その内容は論者によってもかなりの違いがあり、そもそも正⾯から検討されたことは少ない。

本章の課題

多くの国⺠の⽴ち位置=⽇本が海外で戦争する国になることには反対しているが、同時に、中国の脅威や北朝鮮のミサイル開発さらにはテロの危険性などに対して、どうすれば⽇本の安全は確保できるのかという点についての不安と関⼼を強くもっている。
 政府の推進する戦争法と⽇⽶同盟強化に代わる選択肢を⽰すことは、戦争法反対論の緊急の責務。本章では、安倍政権の推進する戦争法と⽇⽶同盟強化の⽅向に対抗し、それに代わる平和の構想を、安保廃棄派の⽴場から「リベラル」派の構想との対話をつうじて明らかにしたい。

  コメント:本章は、安保破棄派の原則的な立場と構想を2016年秋の段階で、再度全面的に展開し、国民的討議を願って書かれている。その平和の構想は以下の諸節において、多面的かつ全面的に展開されている。問題はそれが多くの国民の中で、リアリティをもつことができるかどうかである。
 


2 「リベラル」派は安保条約や日米同盟、自衛隊をどうしようとしているのか

  1. 孫崎亨―安保と対⽶従属を最も強く批判 
  2. 寺島実郎―⽇⽶安保体制の「再設計」
  3. 柳澤協⼆―⾃衛隊の専守防衛への改組

3 安保条約と米軍をそのままにして平和は実現するのか


 これら論者の議論への最も⼤きい違和感は、認識の的確性にもかかわらず、安保条約の廃棄や⾃衛隊の縮⼩・解散、とくに安保条約、⽇⽶同盟の解消という展望を頭から否定している点である。
1)アメリカの⽇本に対する⼀貫した志向の過⼩評価

戦争法は安保マフィアの妄想か?

第⼀の疑問は、これら論者の構想の背後にある情勢認識、アメリカの戦略について。

冷戦後アメリカの世界戦略と⽇本の⽐重

「リベラル」派のアメリカ対⽇政策の過⼩評価は、じつはそれにとどまらず、アメリカの世界戦略全体をつらぬく攻撃性の過⼩評価と結びついている。 「リベラル」派の議論の最⼤の問題点は、戦争法を廃⽌したり沖縄基地の撤去をめざすにはアメリカの世界戦略を批判し、それとの正⾯切った厳しい闘いが不可避であるという、運動の重要性をあいまいにする点にある。

  コメント:私自身も、アメリカの世界戦略に対する正面切った厳しい闘いの不可避性について、認識が十分でなかった。フィリピンの米軍基地撤去に対するアメリカの恫喝に対しても、リアルな認識が必要である。フィリピン以上に日本の場合は厳しいものがあると思 う。フィリピンの場合、韓国の場合と対比した上で日本の場合をシビアに 考えておく必要がある。  

 

(2)安保条約のもとで、日米同盟の相対化、非軍事化は可能か?

「リベラル」派が共通して主張する処方箋は、「日米同盟の相対化」あるいは「日米同盟の見直し」論である。
第二の疑問として、彼らは、日同盟の根幹にある安保条約の見直しあるいは廃 棄については口をつくむ。そして、なぜか、抑止力論の本体である日米同盟の存続を強調する。

  コメント:「リベラル」派は、安保条約の見直しや廃棄を提唱しないのか。日米同盟の存続という規制の現実以外に、変わりうる選択肢はないと思い込んでいるからだろう。このような思考停止は、実は多くの国民の固定概念と共通しているのではないか。  


⽇⽶同盟・安保条約の⾃明視 ─安保条約の60年段階への「引き戻し」論

 ⼀つは、60年安保条約は、⽇本全⼟にわたる⾃由な⽶軍基地の設置を容認し、「極東における国際の平和と安全の維持」を名⽬とすれば⽶軍の⾃由な基地使⽤を保障するという点で、不平等な⽇⽶関係の根幹をなしていることである。したがって、たとえ⽇⽶同盟を60年安保条約時に戻したところで沖縄基地をはじめとして⽇本全⼟に展開する⽶軍基地の状態も、またアメリカの世界戦略にしたがった⽶軍の活動も制限することはできない。
 また条約6条は⽶軍の「極東における国際の平和と安全の維持」のための活動を認めているが、これは⽶軍の⾏動が「極東」に限られることを意味したものではなかった。
 ⼆つ⽬は、60年安保条約から冷戦後におけるその改変・強化を推進してきたのはいうまでもなくアメリカであり、それに追随してきた⽇本政府であったことだ。その到達点が15年ガイドラインであり、戦争法である。安保条約からの「逸脱」は決してアメリカの⼀部や安倍の思いつきではなくアメリカとそれに追随した⽇本政府の⼀貫した意思に基づく⽅針であった。だから、⽇⽶同盟を60年安保の時点に戻す、すなわち、⾃衛隊の海外での⽶軍⽀援をすべてやめ⽶軍の活動をいまより狭く限定させるには、⽇本政府のみならずアメリカ政府との厳しい対決をへなければならない。60年安保に戻すということ⾃体、国⺠的運動がなければできない。

日米同盟の「相対化」とは何か

 「リベラル」派の⽇⽶同盟⾒直し論の最⼤の問題点は、安保条約に⼿をつけない「⽇⽶同盟の相対化」とは何かがまったくわからないことである。
(3)安保条約をそのままに、沖縄基地の削減・撤去は可能か?

 「リベラル」派の構想に対する第三の疑問は、安保条約や⽇⽶地位協定をそのままにして、沖縄における⽶軍基地問題の抜本的解決、いやそれどころか普天間基地の撤去ですらできる

  コメント:そうだとすると、翁長知事をはじめとする「沖縄差別反対派」と日本政府とアメリカ政府を相手にした、孫子の代までの闘いは勝利することはできない。沖縄基地問題の抜本的解決は、安保条約と日米地位協定の見直し・廃止というところに踏み込まなければならない。  

(4)安保条約を前提にして、⾃衛隊を「専守防衛」に引き戻すことはできるのか?
第四の疑問は、柳澤のいう、⾃衛隊の「専守防衛」への改組論に対する疑問である。

専守防衛論の原型「基盤的防衛力」論
第⼆に、⾃衛隊を真の敵の脅威とならない「専守防衛」の軍隊に変えるには、⽇⽶同盟を解消してはじめて可能となると思われる。
第⼀に、この「専守防衛」論は、相⼿国に脅威を与えない、勝⼿なことをさせない、相⼿国の武⼒攻撃を阻⽌しうる⼒というのであるが、これは、アメリカの強⼤な「報復的抑⽌⼒」を前提とし、それとセットになっているのではないかという疑念である。
 そもそも、「専守防衛」論あるいは「拒否的抑⽌⼒」論は、1976年の「防衛計画の⼤綱」で規定された「基盤的防衛⼒」論にその原型を求めることができる。
 もし「専守防衛」論が安保体制の抑⽌⼒を前提にしたものだとすれば、⽇本がいくら⾃衛隊の専守防衛を叫んでも、「敵」からみれば、ちっとも「専守防衛」とはみなされない。⾃衛隊はつねに⽶軍と⼀体の軍とみなされてきたし、現在もそうである。

安保をそのままに「専守防衛」と言えるのか?

 第⼆に、⾃衛隊を真の敵の脅威とならない「専守防衛」の軍隊に変えるには、⽇⽶同盟を解消してはじめて可能となると思われる。

  コメント:集団的自衛権の行使に関する政府の憲法解釈違憲論+個別的自衛権に基づく自衛隊合憲論の誤り。  
    

専鳩山政権の苦闘と挫折の教訓は何か?

安保や地位協定に⼿をつけずには、基地問題のほんの少しの解決もできないこと。

  コメント:安保条約と米軍をそのままにして、日本の平和は実現しないということを主張するとき、その日本の平和の中心としてどのようなものを構想しているのかを、一層明確にしなければならないと思った。そのような立場に対する共感と支持を広げていくためにも。
 


4 安保のない日本の構造

(1)安保条約・⽇⽶同盟は、⽇本とアジアの平和の確保に役⽴たない
 敗戦時における⽶軍の単独占領以来の、戦後⽇本の特異な、根深い対⽶従属の経験。対⽶従属の歴史はきわめて⻑く、戦後の安全保障をアメリカ抜きに構想したことは⼀度もなかった。

冷戦期の「戦争しない国」は何によって守られたか

安保肯定派は、戦後⽇本の繁栄は、安保条約があってこそであり、憲法9条などは何の役にも⽴たなかったと主張するが、これは誤り。むしろ、憲法とそれを擁護する国⺠の声、運動の⼒で安保条約がアメリカの求めたような⼗全の軍事同盟条約=攻守同盟条約になれなかったことが、戦後⽇本の平和が維持された⼤きな要因である。

 安保条約があるから平和が守られたのではなく、安保条約が⼗全の発動ができなかったから平守られたのではなく、安保条約が⼗全の発動ができなかったから平和が守られたのである。

冷戦後の安保条約・日米同盟守

中国の軍事拡⼤を抑制するために⽇本がとるべき⽅法は、⽇⽶同盟の強化ではなく、平和国家としての旗幟を鮮明にしたうえで、アメリカ、中国、ロシアを含めて、紛争の武⼒によらない解決、軍備の縮⼩の機構を北東アジアレベルで確⽴することであり、そのイニシャティブをとる以外にない。

コメント:安保条約、日米道目の当然視という現在の日本のおける支配的な見解に対して。安保条約・日米同盟は、日本のみならずアジアの平和の
確保には役立たないということを、どのようにして理解してもらうのか、それは本当に困難な課題であるが、必ず成し遂げなければならない。

(2) 安保条約の廃棄によるアジアと⽇本の平和保障への前進
⽇本がめざすべき平和構想の基本⾻格。

安保と基地のない⽇本

第⼀は、安保条約の廃棄と⽶軍基地の撤去である。安保条約の廃棄は、1960年の改訂安保条約10条に基づく、適法的な⾏為である。
さらに、安保条約を廃棄することは、⾃衛隊が⽶軍の補完部隊である現状を改⾰する梃⼦となる。⾃衛隊の改⾰の第⼀段階は、安保破棄により⾃衛隊と⽶軍との⼀体化した状態を抜本的に改
⾰することからはじまる。

北東アジア非核、平和保障機構の形成

安保条約を廃棄し、⽶軍基地を撤去することは、⽇本が、名実ともに、憲法9条の掲げる「武⼒によらない平和」を実現する⼤きな⼀歩になる。安保廃棄は、⽇本が中国の軍事主義に対して対抗軸となる最も強いメッセージであり、⾃主的平和外交を展開する⼤きな⼒になる。
 安保廃棄、⽶軍の撤退は、中国の軍事⼤国化の抑制や北朝鮮の核開発の停⽌、北東アジアの平和保障の制度構築と同時に実現しなければならない。
 まず確⽴しなければならないのは、アメリカ、ロシアを含めた北東アジアの⾮核と紛争の⾮軍事的解決を約束する条約の締結とそれを実⾏に移す平和保障機構の創設である。
 この条約・機構においては以下のことが確認されねばならない。
 第⼀は、紛争の⾮軍事的解決の原則の確認である。領⼟にかかわる、またはその他の紛争についての北東アジアレベルの紛争解決機構の設置も必要である。
 第⼆は、核の先制不使⽤原則の承認と、朝鮮半島、⽇本に対する核不使⽤保障である。
 第三は、加盟国間での核運搬設備を含む核装備の削減と査察体制の整備の合意である。
 第四は、通常軍備の軍縮である。

  コメント:対アメリカとの関係に対しては、安保条約の破棄と米軍基地の撤去、北東アジア地域では、対アメリカ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮に対して、北東アジア非核兵器地帯条約の締結、紛争の非軍事的解決についての条約の締結と、さらに平和保障機構の創設を提言している。後者に関して、梅林宏道『非核兵器地帯─閣内世界への道筋』(岩波書店2011年)は、「北東アジア非核地帯条約」が成立する過程が、すなわち北朝鮮が核兵器を放棄する過程になる、また日本も核の傘から脱却する過程になる、問題をその順序で考えるべきだと述べている。著者のいう日本の目指すべき平和構想の基本骨格はクリアーであるが、それを実現する国民的力量、強力な国際的な運動と力をどのように生み出していくのかがここでの課題である。同時に平和保障機構の創設はまだ抽象的な言及にとどまっており、具体的提案に踏み込む必要がある。  


5 自衛隊をどうするか?

 ⾃衛隊については、安保条約の廃棄、アジア、世界レベルでの平和保障機構の創設、強化と相俟って、縮⼩・解散がはかられるべきである。

  1. ⾃衛隊の縮⼩・解散の⼆つの段階

 第⼀段階は、安保条約を廃棄したのち⾃衛隊の最も⼤きな⽋陥である対⽶従属性を断ち切り、政府が⾃衛隊の合憲の条件として掲げた「⾃衛のための必要最⼩限度の実⼒」、あるいは「リベラル」派のいう「専守防衛的」⾃衛隊を実現する過程である。この改⾰により、⾃衛隊の海外派兵、アメリカの戦争への加担の危険性をさしあたり防ぐことが可能となる。
 続く第⼆段階において、北東アジアと世界レベルの軍縮、平和保障機構の形成と平⾏しつつ、国⺠の合意を得て、⾃衛隊を解散し、「憲法適合的でかつ有益な⾮軍事組織に転換する」。

  1. ⾃衛隊の縮⼩・解散の第⼀段階―⾃衛隊の対⽶従属性打破、真の「専守防衛⼒」へ改⾰の主要点は以下のとおりである。

⾃衛隊の対⽶従属性、⽶軍の補完部隊としての性格の打破  真に「専守防衛」にするための⾃衛隊の装備、編成の改変  災害派遣をはじめ、憲法の平和主義から評価される活動、装備の充実

  1. ⾃衛隊の縮⼩・解散の第⼆段階

 第⼆段階に⼊るにはいくつかの条件を成熟させることが不可⽋である。

  1. 北東アジアレベルの軍縮、平和保障機構の成熟のみならず、アジアレベル、世界レベルでの軍縮と平和保障の前進。この条件の構築に⽇本が主導的役割を果たすことが不可⽋である。
  2. 軍隊の廃⽌、9条の実現についての国⺠の確固たる⽀持が表明されることである。
  3. 新たな福祉国家型の政治が前進し、国内的には、新⾃由主義改⾰を停⽌し、社会保障と地域の産業の再建が進んでいること。それと並⾏して、グローバル企業の活動に対する多国間の共同の規制が進展し、世界、アジアでの格差が縮⼩し、軍事的抗争に発展しかねないテロや紛争が減少していることである。

 こうした条件を整備したうえで、⾃衛隊を解散する。その⼤まかな輪郭。

    1. ⾃衛隊の本体として残った国⼟防衛的機能は、国境警備の警察的活動として海上保安庁と統合して国⼟交通省に移管する。
    2. 災害復旧的業務は、軍事的性格をぬきにして他の諸組織と統合し国際災害救援隊、国内緊急災害救援隊として再編成する。

 いずれにせよ、こうした⼆段階の過程は、安保条約の廃棄とならんで、国⺠の強い合意と現実の国際的平和構築の推進と並⾏して⾏わねばならないので、きわめて⻑期にわたる過程となるであろう。

  コメント:このように二つの段階に分けて自衛隊の縮小・解散を構想していくことは賛同できるが、著者が、「第一段階から第二段階への移行はかなり長い過程と経験を積む必要がある。その詳細を今から具体的に検討することはあまり現実的でもない」と述べるにとどまっていることは問題だと思う。時間的タイムテーブルの提示と自衛隊の「改変」についての、より詳細な具体化(憲法政策の考究)が必要ではないか。第一段階をクリアするためには、当事者たる自衛隊をはじめとして、文字通りの国民的議論が必要である。
 



6 多国籍企業の規制による経済構造の改革と市場規制

1) 平和国家と福祉国家の連結

平和国家と他国的企業経済の規制、改革の必要性
第⼀、⽇本が平和国家への道に踏み出すには、⽇本の対⽶従属下の軍事⼤国化、⽇⽶同盟強化を求めているアメリカに対決するだけでなく、それを⽀持している財界、⽇本の多国籍企業の活動に対しても、進出先の国や地域に「⾃由に」進出しその地域や国家の地場産業や経済、環境などを破壊するのを規制する措置をとらねばならない。
 第⼆、しかも、こうした多国籍企業の活動は、進出先の国⺠経済を変質させ、従属的な構造に変えてしまう。世界の平和が基本的には、各国のバランスのとれた国⺠経済の再建により実現の基礎を得るという点からも、多国籍企業の規制は不可⽋である。
 第三、そのうえで、平和国家の形成のためには、多国籍企業本位の政治を転換し、新⾃由主義改⾰を停⽌し福祉国家型の経済構造を作りあげねばならない。

平和国家と新たな福祉国家

以上の理由から、平和国家は、新たな福祉国家と不可分であり、新たな福祉国家の重要な環である。多国籍企業本位の政治の転換をめざす新たな福祉国家は、同時に平和国家をめざさねばならない。

先駆的試みとしての都留重⼈の経済構造改⾰論

独占体の規制による「福祉国家」型経済への転換。
(2) 新たな福祉国家による新⾃由主義改⾰の停⽌と多国籍企業規制
新⾃由主義改⾰の停⽌と福祉国家の建設
 第⼀は、現在推進されている新⾃由主義的改⾰、「規制緩和」を根本的に再検討し、多国籍企業の要望する国際分業の⾒地から切り捨てられる農業や地場産業など弱⼩産業の保護と育成をはかることである。また同じく新⾃由主義的改⾰で改変された雇⽤、医療をはじめとした社会保障制度、教育制度などについては拡充する。そのために財政も抜本的に福祉国家型に転換しなければならない。
 他国を侵害しない相対的に⾃⽴した国⺠経済を再建しなければならない。
多国籍企業の活動規制と⾃由市場ルールの⾒直し
第⼆は、多国籍企業の進出先の活動に対して環境や労働条件、他国の国⺠経済への影響などの⾒地から規制を⾏うことである。新⾃由主義的改⾰と多国籍企業に対する「社会運動の⾼度な国際的連帯」と「福祉国家連合」の結成が不可⽋となる。

  コメント:多国籍企業の「規制、新自由主義改革の停止、国民経済の再生、社会運動の高度な国際的連携、新たな福祉国家創出という問題提起を受け止めた、宇沢弘文の「社会的共通資本」論などを手がかりにさらに考察を深めたい。  

 

7 安保破棄へ至る道

 ⻑い道のりを要する国⺠的⼤事業。
 安保のない⽇本づくりの第⼀歩は、保守政権のもとで進められ安倍政権によって強⾏された⽇
⽶同盟強化、アメリカの戦争への加担、憲法破壊の策動を阻む闘いからはじまる。
(1) 戦争法廃⽌の連合政府
国⺠的事業となる戦争法廃⽌
 戦争法を廃⽌して⽇⽶同盟と⾃衛隊を以前の状態に戻すだけでも、廃⽌で⼀致した勢⼒による連合政府の樹⽴は必要不可⽋である。
連合政府の必要性―戦争法廃⽌⾃体が⼤事業
 戦争法の廃⽌とは、冷戦後の90年代にアメリカ主導で進められてきた⽇⽶同盟強化の流れを⽌め逆転させる、かつてない事業である。
 戦争法廃⽌を掲げるすべての政党が連合して政権を握り、とくに、外務省、防衛省を掌握して、その抵抗を押し切って実⾏することが不可⽋である。いずれにせよ強⼒な政権でなければ、内外の抵抗を押し切ってこれを実⾏することは不可能である。
連合政府を実現するうえでの課題
 まず、戦争法を廃⽌してどんなかたちで⽇本の安全を守るかについては、まだ共同の勢⼒内では
⼀致をみていないため、この点での合意をつくることが不可⽋である。
 合意をつくることは容易でないが、条件はある。戦争法廃⽌の合意が成⽴した背後には、⾃衛隊が海外でアメリカの戦争に加担して戦争をすることはさせない、辺野古に基地はつくらせな
い、普天間をはじめ沖縄の基地はなんとかしたいという切実な要望に応えようという共通の意欲があるからだ。
 連合政権づくりの合意は、以下の諸点で、⾏うべきではないか。

  1. ⾃衛隊の海外での戦争荷担、武⼒⾏使はしない。後⽅⽀援の名⽬でも周辺事態法による現状を拡⼤しない。国連PKOは現状維持、海外での貢献は⾮軍事分野で⾏う。この原則に基づき、⾃衛隊と安保の運⽤の現状を広く点検する。
  2. 安倍政権による憲法改正に反対する。憲法9条の改正、それと⼀体になって戦争する国づくりに不可⽋の緊急権規定条項の創設には反対する。
  3. 紛争を武⼒で解決しない、武⼒によらない紛争解決ルールづくりのイニシャティブを発揮する、紛争の軍事化に資するような⾃衛隊の軍事能⼒、権限拡⼤はしない。
  4. 沖縄については、辺野古新基地建設は撤回、普天間基地は撤去、それに必要な⽇⽶地位協定の⾒直しをめざす。
  5. 共同の場における、共産党と⺠進党(現在、⽴憲⺠主党)の振る舞い⽅。

戦争法廃⽌の連合政府の課題
 戦争法廃⽌の連合政府は、戦争法の廃⽌、辺野古新基地建設反対を⼀致点とした過渡的な政権になる。
海外で戦争する体制の転換
連合政府の第⼀の課題は、戦争法の廃⽌と戦争法制定にともなって進んでいる共同作戦体制をもとに戻すことである。廃⽌と平⾏して、すでに進められている⽇⽶共同司令部の⾒直し、さらに戦争法の実⾏のための⾃衛隊の編成、装備の変更をもとに戻すことを不可避とする。⾃衛隊の海外侵攻軍化を推進することを決定した2013年防衛計画の⼤綱の⾒直しが不可避である。
 それと同時に、新政権は、戦争法を⽣み出すもととなった15年ガイドラインの⾒直し協議をアメリカ側に対して求めなければならない。
 そのうえで、新政権は、先の合意にもとづき、⽇⽶同盟と⾃衛隊のあり⽅につき、以下の諸点で広範な⾒直しと点検を⾏なう必要がある。

  1. 思いやり予算の縮⼩・廃⽌が検討されねばならない。
  2. 特定秘密保護法は廃⽌を検討する。国家安全保障会議(NSC)―国家安全保障局も、廃⽌を含めた⾒直しをすべきである。
  3. 周辺事態法、有事法制の廃⽌を含めた⾒直しを⾏う。

辺野古と沖縄基地解決へ向けて―⽇⽶地位協定の改定
連合政府の第⼆の課題は、辺野古新基地建設の中⽌と普天間問題解決である。
 沖縄の基地撤去は沖縄県ではなく⽇本政府が解決する責任をもっている。
 連合政府段階においてなすべき地位協定改定の検討。
安保条約と地位協定における全⼟基地⽅式
地位協定2条の改定による基地返還要求の明記
 連合政府は、地位協定の⾒直しにより、安保条約のもとでも普天間基地撤去をはじめとした基地問題解決へ前進しなければならない。

憲法堅持と9条外交
連合政府が取り組むべき第三の課題は、憲法擁護の原則を打ち出し、⽇本外交の原則として、諸外国にあらためて憲法9条の堅持とこれを⽇本外交の⽅針とすることを宣⾔することである。9 条の改変には反対するという点での合意は可能ではないか。
 それをふまえ、連合政府は、むしろ9条にもとづく外交の第⼀歩を踏み出すことが求められる。
安保条約の廃棄の成否は、この外交により北東アジアの平和を現実的に構築できるか否かにかかっている。
侵略戦争の責任と謝罪
連合政府の外交の第⼀は、歴史問題にはっきりと決着をつけることである。まず、歴代政府があいまいにしてきた⽇本による植⺠地⽀配と侵略戦争を含め、⽇本の⾏動について、国⺠的議論を起こし、あらためてアジア諸国に対する謝罪と被害者に対する個⼈賠償の検討を開始しなければならない。
北東アジアにおける軍事的緊張の緩和と⾮核・平和保障機構づくり
連合政府の外交の第⼆としてとりくむべき課題は、北東アジアの緊張緩和と平和保障の制度づくりである。そのために、⽇本は、憲法9条が謳う「武⼒によらない平和」の理念を⾃国の外交原則とすることを宣⾔し、それに基づく既存の外交政策の根本的転換を⾏なう。

  1. まず⽇本は、北東アジアに対し改めて⾮核三原則を宣明し、とりわけアメリカに対して第三原則の実⾏の確約を求める。武器輸出を禁⽌した武器輸出三原則を復活させ、国連安保理の常任理事国五カ国をはじめ、武器輸出⼤国にこの実⾏を働きかける。
  2. 北朝鮮に対しては、従来政府がとってきた北朝鮮に対する威嚇政策を再検討し、拉致問題の解決と⽇朝平壌宣⾔の履⾏をあらためて宣⾔する。
  3. 中国に対しては、歴史問題での原則と9条の原則を宣⾔したうえで、中国の覇権主義を是正し緊張緩和を促進する措置を強⼒に推進する。六カ国協議を再開しその機構の強化を推進するとともに、中国政府のとっている南シナ海、東シナ海における覇権主義的態度を改めるよう、紛争の⾮軍事的解決、領⼟紛争の北東アジアレベルの機構による解決⽅式を⼆国間協議で推進する。  4 北朝鮮の核問題の解決をめざしてつくられた六カ国協議を再開、拡充し、これを北東アジアの⾮核と紛争解決の機構に強化することを提案すべきである。連合政府は、北朝鮮の核開発の抑⽌の問題をより包括的な北東アジアの⾮核構想のなかで検討解決することを提案する。北東アジアで、朝鮮半島と⽇本を⾮核武装地域として、六カ国が合意することで北朝鮮に核開発放棄を認めさせる。
  4. 北東アジアにおける、核の先制不使⽤協定、核軍備の削減、査察の協定締結のイニシャティブを連合政府段階からはじめなければならない。また「核兵器禁⽌条約」の締結など国連が主導する核兵器の禁⽌・廃絶に関する取り組みと連携することが不可⽋である。
  5. さらに進めて、紛争の軍事的解決の禁⽌を協定すべきである。このさいには、ASEANでつくられた「⾏動規範」を参考にして、ASEANに先んじて、より実効性のある北東アジア版の「⾏動規範」の策定を⽇本がイニシャティブをとって⾏うことが求められる。

国連外交

連合政府がとりくむべき外交の第三は、国連を舞台にした平和・軍縮外交の展開である。

  コメント:戦争法廃止の連合政府の「三つの課題(戦争法の廃止と共同作戦体制を元に戻すこと、辺野古と沖縄基地の解決、9条外交の推進)のうち、三番目の「憲法堅持と9条外交」について、安倍政権の軍事大国化を主導しているのは、外務官僚を中核とする新たな日米同盟派・戦略派であるという指摘(渡辺治「安倍政権とは何か」渡辺治・岡田和弘・後藤通夫・二宮厚美 『大国への執念─安倍政権と日本の危機』大月書店2014年所収)を元にして改めて考えてみると、これは実に困難な課題と思われる。とともにここで指摘されていることをさらに進めて、連合政府をどのようにして実現していくのかについての方法論、戦略、そのための市民社会による支援のあり方、新政治勢力の結集の展望などを提示していく必要性を感じた。  

   

2) 安保廃棄への国⺠的合意づくりと安保廃棄の連合政府
 戦争法廃⽌の連合政府のもとでの政治を経験するなかで、⽇本とアジアの実効性のある平和構築を前進させ、そのさらなる強化のために、安保条約廃 棄、安保体制の打破に向かわねばならない。戦争法廃⽌の政府を、その経験と合意をふまえて安保廃棄をめざす連合政府に発展させねばならない。

安保破棄の国民的合意

安保条約をめぐる国⺠意識 そのためには、戦争法廃⽌の政府の経験を積むなかで安保条約廃棄の国⺠的合意を獲得する必要がある。 
安保廃棄への合意形成  安保条約に対する意識をみると、国⺠の多くは、安保条約による⽶軍の存在と憲法のもとでの⾃衛隊の海外での戦争の禁⽌によって⽇本の平和が守られてきたと考えていると推測できる。そして、安保に対する期待と依存の⾼まりは、⽇本をめぐる「脅威」の増⼤に⽐例していると考えられる。
 こうした国⺠意識を変えるには、戦争法廃⽌の連合政府が、その外交により、アジアにおける平和保障の体制を構築することにより、国⺠が、武⼒によらない平和保障の有効性についての確信を強める以外にない。
アジアレベルの平和秩序の推進と⾃衛隊の縮⼩・解散
 安保条約廃棄による基地撤去とアジアレベルの平和保障体制の強化を実現するなかではじめて、⽇本は⾃衛隊の縮⼩・解散の⽅向の合意を獲得し、名実ともに憲法による平和保障の体制に進むことができる。
 現代⽇本の国⺠意識においては、⾃衛隊を容認する意識はきわめて⾼い。
 しかし、この中味については、⼆つの点を指摘しておく必要がある。
 ⼀つは、⾃衛隊に対する好感は、⾃衛隊の増強や軍事⼤国を求める意識ではなかったことである。近年の⾃衛隊の増強論は明らかに、中国に対する脅威論と並⾏しているのである。
 ⼆つ⽬に指摘しておきたいのは、国⺠の⾃衛隊に対する親近感や⽀持は、⾃衛隊の災害派遣における活動によるものが⼤きいという点である。
 こうした国⺠意識は、安保条約を廃棄して、アジアと⽇本の平和の体制が⾰新される段階では、⾃衛隊を、災害派遣と⾮武装の国際的な⽀援活動に専念する組織へと国⺠的合意を得つつ改組することを展望できる。

  コメント:「安保+自衛隊」という一見すると強固に見える国民世論を展開していく展望は、「武力によらない平和」に拠って立つ日本国憲法の将来構想と憲法政策の優位性を明確に示すことにあるのではないかと思った。とともに、アメリカ一辺倒からアジアの中での平和的共存と、アジア諸国との共生を目指す立場の力強い復興が今こそ必要であるという感想を持った。李京柱講演によって教示された、雨宮芳洲(1668〜1755)の「誠信之交」(『交隣堤醒』)を参考にして、さらに考えたい。  

 

8 戦争法廃止から安保のない日本へ

 現在のような軍事的対決の激化する時代において、アジアと⽇本の平和を実現するには、憲法の「武⼒によらない平和」の理念を実現する道をおいてない。 しかも憲法を実現する道は決して⽇本⼀国だけでは開けない。憲法の構想を世界的秩序として具体化する努⼒によってのみそれが可能である。
 この道はきわめて理想主義的にみえるが、決してそうではない。戦争法廃⽌の連合こそ、安保のない⽇本を追求するうえで唯⼀の道である。

 私たちは、戦争法反対運動が切り拓いた、この展望を⼿がかりに、安保のない⽇本への道を切 り開いていかねばならない。

  コメント:私たちは今こそ、「武力に拠らない平和」の理念を実現する道を相互の交流の中で、さまざまな見地から豊かに論じいくべきではないか。  

 



 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 









 

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 

 

 

 

 

 







 

 

今年ネットで最も検索された言葉

  「忖度」です。「忖度」は流行語大賞にも選ばれました。最近はコンビニなどでも「忖度御前」というものが売られてようです。大阪には「忖度まんじゅう」、それから「のり弁」ですね。
 実は私がいたNHKで10年前に「忖度」という言葉が流行ったのです。2001年に、私が編集長をしていたETV2001で、「問われる日本軍性暴力」という日本軍の慰安婦として連れて行かれた女性たちを扱った番組に対して、番組改変が行われました。放送の前日でしたけれども、安倍さんと面会をしたNHKのナンバー3が安倍さんに言われたことを持ち帰ってきて、あれを直せ、これを直せという指示を出して番組をぐちゃぐちゃにしてしまったのです。この時に番組に協力してくれた人達が、NHKを「約束違反だ。不法行為だ」として訴えました。この裁判過程の中で、一審の東東京地裁ではNHKが勝ち、二審は東京高裁ですが、我々が証言したことによってNHKが負け、最後の最高裁でNHKが勝ちました。この二審の時に「忖度」という言葉が使われたのです。「NHKの予算の国会審議に当たって、NHKの幹部が予算説明のために接触した政治家の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度して、できるだけ当たりさわりのない番組にするために修正を繰り返した」と事実認定をしました。私は100歩譲って、東京高裁がそういう言葉を選んだに過ぎないと思っているのです。本当はいろいろな圧力があった、弾圧があったのだが、それに対して口を割らないから、「言ってもいないのに、おもんばかって忖度した」ということにして、事実認定をしたということなのだと思うのです。


「三ない答弁}

 「目を背けることはできません」「はっきりと申し上げておきたい」「明確にしておきたい」。全部これ違うということです。「認めない」「調べない」「謝らない」。マクベスに「きれいは汚い」「汚いはきれい」という言葉が出てきますが、それと同じです。彼が「謙虚と丁寧」と言うときは「傲慢とぞんざい」と転換して聞かなければいけないと言うことです。彼一人だけならまだいいのですが、援軍が現れるからやっかいなのです。今国会で言えば、足立康史という大阪出身の維新の会選出の議員がこう言いましたね。「朝日新聞 死ね」と。彼は朝日新聞のニュースは「ねつ造・誤報・偏向報道」と批判し続けています。真実を伝えることが政権にとって都合の悪い時に、フェイクニュースという言葉で攻撃します。これはアメリカの大統領も同じですよね。


望月衣塑子記者

 菅官房長官は加計学園の一連の文科省の文書が出てきた時、「怪文書みたいなものではないでしょうか」と言いましたね。彼は獣医学部新設の過程に「一点の曇りもない」と記者会見で話していました。その菅さんを追い詰めて、彼の「ボロ」が出てくることになるきっかけをつくったのは、望月衣塑子さんです。東京新聞社会部記者です。練馬の方です。お父さんは業界紙の新聞記者で白子川の源流の保存の運動をされていました。お母さんは亡くなりましたが、黒テントの女優さんだったと思いますが、朝霞のキャンプなどの反戦・反基地運動をされていた方で、練馬では望月記者のファンがとても多いと聞いています。最近「新聞記者」という本を出されましたね。『週間読書人』という新聞に、望月さんと私の対談をさせていただいたのですが、「誰も聞かないなら私一人でも聞く」と彼女は言っています。
 首相官邸、総理大臣や官房長官が隠していたことはいろいろあるのですが、そういうものに対して「記者は質問をぶつけていく」という当たり前のことを当たり前としてやった人です。
 こんなことがありました。1972年、沖縄返還の記者会見で、安倍さんの大叔父に当たる佐藤栄作が、新聞から厳しい批判を受けて、「新聞記者は出ていけ!私は直接国民に語りかけたいのだ」と言いました。この時、新聞記者やテレビの放送記者は、罵倒され侮蔑されたわけですから全員出て行ったのです。こういう異常な中で記者会見が行われたのです。当時、70年代の記者たちはこれくらいの気骨はあったのですね。


前川喜平氏の反乱

 この間、読売新聞に「加計学園半世紀ぶりに獣医学部新設」という全面広告が載りました。この加計ありきという不透明な動きに対して、一人で告発した人がいます。ご存じのように前川喜平前文科省事務次官です。私は夜間中学校の取材をしていましたので、前川さんがどれほど夜間中学あるいは自主夜間中学の応援団であったかということは聞いていましたが、こんなにすごい人だったのだということをはじめて知りました。今年の5月ですが、これは朝日新聞だと思いますが、「新学部
総理の意向」という文字が紙面を飾ります。つまり「総理の意向を忖度して」ということです。これも本当に忖度かどうかはわからないのです。総理が言ってもいないのに忖度したのか、あるいは裏でもう決まっていたのではないかということは次の国会でも追及されるべきでしょう。前川さんは、官僚のトップの矜持をもって一人でも戦うということをやるわけです。この前川さんの反乱を止めさせようとするメディアがあります。読売新聞です。安倍政権を追及する新聞は、朝日・東京・毎日、テレビではTBS・テレビ朝日。安倍政権にすり寄る新聞は、読売・産経、テレビではNHK・フジテレビです。どちらにも転ぶのが週刊文春・週刊新潮というところです。すり寄る側というのは政権への忖度をする、あるいは政権が政治を私物化することを許す側に立っているということでしょうか。
 実は前川さんがこの一連の告発に動くに当たって、一緒にメディアとして食い込んでいたのは朝日新聞ではありませんでした。NHKなのです。ある社会部の10年に満たない記者が、最初に前川さんのインタビューを撮りました。それだけではなく、現役の文部官僚からの「裏取り」も複数していたのです。で、いざ放送というときに、政治部の局長の意向でそのニュースは「お蔵入り」ということになったのです。同じ時期、読売新聞は前川さんが出会い系バーに通っている怪しい官僚なのだということをことさら強調する記事を載せました。全国紙ですからどの地方版もみんな同じ扱いで、そこの場所だけ空けて置いて同じものを差し込むということをしています。トップが強引に押しこんで、無理やり記事にさせたということが推測できます。


「官邸の意向」文書

 私のところにも加計学園の関連の文章が回ってきました。読んでみるといろいろなことがわかるのですが、「最短スケジュールでやることは、官邸の最高レベルが言っている」とはっきり書いてあるのです。一つわかったことはヤンキー先生と呼ばれていた義家弘介さん(文部科学副大臣)が、実は理解力が足りなかったのです。そこで彼にわかるように文書として書いたものが残ったのです。もし義家さんがもっと頭が良かったら、「総理の意向」みたいな感じに書いたらそれで足が付くということは想定できますから、そこまで書かなくても良かったのだけれども、彼にわからせるために書いたのだと私は思います。「どう言えばいいかシナリオをくれ」と彼は言っていたのです。だから「こうしなさいよ」と指南してあげたものなのです。
 財務省は反対していましたから、結局獣医学部を一校だけ認めるというのは政治的判断ということになっていくのです。このNHKがお蔵入りにしたとか、不透明な部分について聞こえてきた後、私は「ひどいことが今起きているよ」ということを世の中に伝えようと思ってフェイスブックを使って発信をしました。結果的には毎日新聞と東京新聞が書いてくれて、日刊現代という過激な新聞にも載りました。「NHKよ!国民の方を向いてくれ」という一連の大きな記事です。
 今回加計学園問題ではいろいろな人の名前が挙がっていますが、この人の名前だけは覚えておかなければいけないと思います。萩生田孝一という人です。丁度今から三年前のことです。TBSに安倍総理が生出演して、当時まだ元気だった岸井成格さんが「街頭インタビューで安倍のミックスは全然効果が上がっていない」という町の声を紹介したのですけれど、安倍さんが切れて「意図的に安倍政権に批判的なものばかりを集めているのではないですか」というようなことを言ったことがありました。この騒ぎの後、萩生田はテレビ各局のデスクに、直に「公正な報道をしてくれ」という要請書を渡すのです。そのことでそれぞれのニュースデスクは安倍政権が不利になるような厳しい報道はしないというふうに舵を切っていくようになります。今回はさすがに加計学園問題で萩生田さん自身の名前が出ていましたから、これ以上弾圧すると損だというので彼は暗躍しなかったのです。ただ選挙が終わった後、野党と与党の質問時間の配分を巡って実際に汚れ仕事をしたのは彼です。


政権の私物化の中での警察とメディア

 もう一つ汚れ仕事で言えばこの人の名前を忘れてはいけないと思うのです。山口敬之さんというTBSの元ワシントン支局長です。彼は『総理』という本を出しました。幻冬舎というところから出したのです。この山口さんは今国会でいろいろ追及されたり、院内集会で話題になったりしたことをみなさんご存じだと思いますが、伊藤詩織さんへのレイプ事件です。伊藤さんはワシントンのTBSの仕事をするなどいろいろある中で、山口さんとお酒を飲んだのですが、なぜかお酒の強い伊藤さんがその日に限って泥酔をすることになったのです。そして気がついたらレイプをされていたというのです。この準強姦事件ですが、準というのはつまり意識がないとかもうろうとしていたということです。強姦よりレベルが下であるということではないのです。この事件は高輪警察がきちんと動いて、山口さんが日本に帰ってくる空港で待っていたのです。その時に高輪警察の携帯電話が鳴るのです。「逮捕中止」の指示です。この指示を出したのは中村格、当時は警視庁の刑事部長です。刑事部長が一事件の逮捕中止指令を直接出しているのです。ちなみに中村さんはテレビ朝日の報道ステーションの古賀重明さんの生のスタジオの発言の後、いじめた人でもあります。
 もう一つ私が許せないと思っているのは、クローズアップ現代の国谷キャスターが集団的自衛権の閣議決定の後、生のスタジオで菅官房長官に「海外の戦争に日本が巻き込まれる危険性はないのでしょうか?」と何度も聞いたにもかかわらずのらりくらりときちんと答えなかった。生のスタジオですから時間切れになって見苦しい形になってその放送は終わってしまうのですが、その後国谷さんやスタッフをいじめたのがこの中村格という人です。

11月3日に、国会前で5分だけお話をさせていただきました。4万人集会です。この時に山口さんに対して中村さんが逮捕しない指示をしたのは何故なのかといことを申し上げました。つまり、メディアは警察のお仲間なんだということです。私が事件をもみ消してあげようということです、つまりメディイアは悪の側にいて、安倍政権の私物化の中で、同類として扱われたということです。伊藤詩織さんの人権や尊厳が失われたことは、これが一番ひどいことではありますが、もう一つひどいのは、メディアは政権の側にそのように認識されている。それは何とも情けないことだと私は思います。


国連人権理事会のデビッド・ケイの報告書

 今年の春ですが、国連の人権理事会のデビッド・ケイさんという人が日本にやって来ました。彼は一昨年の11月に来日するはずでした。しかし高市早苗法務大臣がドタキャンをしてしまったとかいろいろあって、なかなか事実調査が進まず、去年ようやく来れたわけです。国連の人権理事会は、拉致問題については日本は解決の舞台として頼りにしているのです。しかし、こと言論の自由や代用監獄とかさまざまなことで日本は人権後進国であるのです。にもかかわらず、「私たちは先進国です」というので、その指摘を冷笑し無視するということを続けてきました。最近で言えば「朝鮮学校差別」ですよね。これは3回も指摘されているのです。ずーっと無視するどころか、ますますひどくなってきていると思います。
 デビッド・ケイさんの最終報告の中には、「メディアの関係者がバラバラになって孤立をしている。メディアの人間こそが言論の自由を持つべきだ。籠の鳥にされていて、自分の肉声を届けることができないのではないか。そういうメディアで良いのか」。もう一つは、放送法というのがテレビの世界にあり、その中に第四条「政治的公平」というものがあります。「政治的公平」という言葉が悪用されて降板などに繋がっている。だから「政治的公平という文言をなくしまったらどうか」とデビッド・ケイさんは指摘しています。もう一つ、放送局には5年に一遍免許更新という制度があるのです。つまり総務省の管理の下で放送はなされているのです。「これでは国に対して厳しい意見などできるはずはないではないか。総務省の管理を止めて電波管理委員会という戦後すぐにあった第三者委員会を復活させたらどうか」とケイさんは言っています。


歴史を振り返る

 安倍さんが国政に躍り出たのは1993年。宮沢内閣が選挙に負けて、細川政権ができたとき、野党の議員としてスタートしました。日本の戦争犯罪や慰安婦問題は認めたくないという立場を堅持していますけれども、そのことについてちょっとだけ整理をしておきます。1991年にキム・ハクスンさんという人が「慰安婦だった」と名乗り出ました。これを受けて日本政府は調査をして、河野官房長官談話を出します。談話といっても国際公約です。慰安婦問題について、「子どもたちも含めて教育の場などで学び、二度と同じようなことが起きないようにする」ということを言うわけです。こういうことは許せないと思ったのが安倍さんたちで、「歴史教育を考える若手議員の会」というものが誕生し、教科書攻撃が始まります。
 次に標的になったのがテレビです。私が編集長をしていたETV2001の時にNHKの幹部と安倍さんがやりとりをして、その時「お前、勘ぐれ」と言ったのです。「忖度しろ」という意味です。この発言の結果番組が変わってしまいます。2005年に番組再編の舞台裏で何があったのかということを、「朝日」が取材をして大スクープを出すことになります。2006年、私を含めて東京高裁で真実を公表し、いろいろなことが展開していくわけです。最高裁でNHKは勝ちましたけれども、BPO(番組放送機構)が、放送現場でいかに異常なことがあったのかということをもう一度検証して、NHKでもきちんと議論をしなさい、検証してできれば番組としてそれを放送しなさいという意見書を出します。2009年のことです。しかし、今2017年、その意見書は一顧だにされていないということでしょうか。その後、自民党がテレビ局にいろいろな圧力をかけることが続いていって、さっきのデビット・ケイさんの報告書に繋がる。こういう流れになっています。


なぜフェイクニュースの時代に?

 今年フェイクニュースという言葉がいろいろ言われるようになりました。フェイクとは偽りの意味です。これは取材をしていても間違う「誤報」から、「でっち上げ」とか「誇張」とか「捏造」とか「飛ばし記事」とかは今までもありました。一方で政治家が自分の気に入らないニュースをフェイクだと烙印を押す、トランプさんもそうですし、安倍さんもそうですね。もっとひどいのは選挙に勝つために、嘘なのにプロパガンダとしてそのニュースを流してしまうということでしょう。
 世界を見てみると、イギリスのEU離脱がありましたが、あの時は大衆紙などデタラメなものが飛びかいました。「エリザベス女王は離脱を支持している」などというのが飛びかうのです。嘘です。アメリカで言えばクリントン候補に対しての誹謗中傷もそうです。日本も同様でしょう。「エリザベス女王離脱賛成」などは週刊誌のトップに大きく出るわけです。最近で言えばこんなものも飛び交いました。日本の公務員バッシングです。「日本の公務員給与の平均は年収898万、ドイツは194万」というのです。いくら何でもこれはひどい。ここまでドイツは安くないし、カナダ・イタリア・フランスだって同じです。これは公務員の給与が高すぎるということをことさら言うためのフェイクニュースです。フェイクニュースが何故このように広がるのかというと、ネットを見る人は自分の好みの情報しか見ない、しっかり新聞を読まない中でのメディア不信が背景にあるからだと思います。
 和歌山の新聞が、「福島の浪江町で山火事が起き、放射性物質が拡散している」ということを大事件として取り上げました。デタラメでした。いろいろなデタラメがあるわけですけれど、有名なのは少し前ですけれど、「イラクの大量破壊兵器」です。今でもアメリカの10人の内4人は、イラクに大量破壊兵器があったと信じているのです。そんな中で、市民が、何が本当で何が嘘かをチェックする動きが始まっています。


NHKにもよい番組がある

 NHKのニュースはひどいです。でもNHK全体を見てみると、「731部隊」や「インパール作戦の悲劇」や「長崎の原爆が投下された被差別部落のキリスト教徒の物語」など良い番組がたくさんあります。しっかりと調査がなされ、資料が発掘され、現場の取材が行き届いた良い番組が出ました。これはかつて呪縛として存在していた戦友会がもはや機能しなくなって、元兵士たちが話すことができるようになったということも大きいのです。けれども相変わらずタブーがあり、慰安婦問題については語ることが中々難しい。公共財としてのメディアというものをもっと有効に使えないだろうかとつくづく思うわけです。メディアは声を上げられない人、困っている人のためにあるべきものなのです。憲法13条には「幸福追求権」があります。つまり収入や住まいが保障され、心と体が脅かされることなく、人々が繋がって安心して生きていける社会のために放送はなければいけないのです。人々と寄り添って、調べて、伝えるということにつきると思います。

したたかな運動を

 今から60年以上前の話ですけれど、杉並では公民館の館長室が事務局となって原水爆禁止運動の署名が集められたのです。このとき、共産党や社会党の人達が頑張リましたが、表に出でたのは自民党だったのです。何故か、自民党の人達が呼びかけた方がたくさんの署名が集まるからです。非常にしたたかな戦略がそこにはありました。目標は短期に設定したのです。すごいのは杉並だけでどれだけ署名を集めるかという目標の設定ですが、20万枚の署名用紙をまず印刷したのです。これが目標だということで頑張るのです。とにかくメディアも使ったり、いろいろなことをやって最終的には日本全体で3259万907筆となりました。今日の表題の3000万署名とほぼ同じくらいの目標が達成されたということです。 
 この一連の歴史について掘り起こしたのは私と一緒にやっていた丸浜江里子さんという方ですが、一昨日残念ながら亡くなりました。彼女たちと立ち上げたのが「フォーラム杉並」です。秘密保護法が上程されたときにもいっしょに戦いました。秘密保護法のお葬式をやろうということで、喪服で参列をしてみたりということをやりました。

まっとうなメディアを育てる

 私たちは何をすれば良いかということですが、メディアリテラシー、つまりメディアが何を言っているかを読み解くことが大事です。「嘘」が何なのかを検証することは簡単なことではありません。大事なことは無関心な人に何を伝えるかということです。メディアと市民が共同して戦う、心あるメディアは政治家の標的になりますから、どうやって政治家の攻撃からメディアを守るかが大事なことです。公共空間、つまりこのことはみんな知っているよというベースになる知識を、ベースになる情報をみんながもっている社会でなければいけないと思うのです。この人は知っているけれどこの人は知らないという世の中は不健全だし、力を持てないと思うのです。二日前、NHKの受信料を巡っての最高裁判決がありました。「公共放送重い責任」という表題で朝日新聞や毎日新聞の取材を受けたのですが、私はこう言いました。「戦前のNHKに戻るのか」つまり、受信料を実体化して義務的に徴収できるという判決でした。それには前提があるのです。払うにたる公共放送であることです。つまり公共放送としての資格がなければ、お金だけ取りますというシステムはおかしい。そもそも放送法第一条は「健全な民主主義に資すること」と書いてあります。健全な民主主義、つまり少数の意見も尊重してさまざまな人達が尊重される社会をつくるために放送はお役に立ちなさいということです。
 ここ数日の私の最大の心配は、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都にすることを認めたことです。これはEUのほとんど全部の国と、ほとんど世界中の国が「バカなことを言うな」と言っています。唯一いさめない国があります。日本です。これは中東の今後を左右する大変なことです。考えて見れば沖縄もそうですし、朝鮮半島の今の緊張もそうですけれども、どうやってアメリカが軍事大国として悪さをするのを防ぐことができるかということ抜きには世界の平和は考えられないわけです。軍事的にさまざまな戦争を引き起こしてきているのはどの国か。アメリカに追随して世界規模の平和が成り立つということはありません。世界規模の不寛容というものが今情報の世界を覆っています。安倍さんがそういう世界に異常に追随し、併走することを私はとても心配だと思っています。みなさん方と一緒に手を携えて頑張りたいと思います。

※「メディアに対して私たちに何ができるか」という会場からの質問に対し、永田さんは「褒めることと𠮟ること。100人の声で番組は変わる」とお答になりました。100人で変えることができるなら、私たちにもメディアを健全なものにしていく可能姓があるということですから、心あるメディアを政治家の攻撃から守るために、いいものは「良かった」と褒め、問題を感じたら𠮟りましょう。


 

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