日本の平和と安全保障
憲法と安保の間

2012.7.23.区庁舎20階にて
 

       

講師 大内要三 氏

この記録は大内氏自身が講演原稿をもとに一部補筆されたものです

大内要三氏のプロフィール

1947年千葉県生まれ、元朝日新聞社出版本部編集委員、編集工房【要】代表。
日本ジャーナリスト会議会員、平和に生きる権利の確立をめざす懇談会運営委員、長崎の証言の会地方委員、豊玉9条の会呼びかけ人。
著書:『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』(窓社、2006年)、『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』(窓社、2010年)、共著に『軍の論理と有事法制』(日本評論社、2003年)などネットコラム へいけんこんブログ「読む・読もう・読めば」(月2回)

 


1、平和憲法と安保条約「共存」の意味

 日本国憲法と日米安保条約は、非常に微妙な間柄になろうかと思います。日本国憲法は第9条で終わりではなくて、全部で103条あります。9条以外にもいいところがたくさんありますから、ときどき取り出して読んでいただけるとありがたいです。安保条約のほうは全部で10条、わりあい短い条約です。
 安保条約の中身は、1951年にできた時と60年に改定された現在のものとは違いますが、現安保の重要な内容は次のようなものです。第2条、経済協力。日米安保は軍事条約ですが、経済のことまで書いてあるわけです。第3条には、日本の自衛力を強めよと書いてあります。第5条には「共同対処」とあって、これをもとに、いざという時には米軍が日本を助けてくれると信じられています。第6条は基地貸与条項です。これによって、日本のなかに日本の法律がまったく通用しないところがある。現在では米軍基地は沖縄に集中してしまっているために、他の地域では基地被害は見えにくくなっていますけれども。
 憲法9条には、みなさんよくご存じのとおり、第1項に戦争放棄を、第2項に軍隊を持たないと書いてあります。世界に誇るべき憲法です。ところが安保条約には日本は軍備を進めると書いてある。そのことから自衛隊は、いまアジアでは最強の軍隊といわれるほどのものになっている。この矛盾はなんだろうか、ということを考えてみる必要があるだろうと思います。
 そのためには、さかのぼって年表を見る必要があります。
1945年 8月15日、アジア太平洋戦争が終わりました。初めて女性が選挙権を持った衆議院選挙が行われて、その国会で審議された日本国憲法が、1947年5月3日に施行されます。戦後の焼け跡のなかで、もう絶対に戦争はしないと誓った憲法ですね。注意しておかねばならないのは、この当時沖縄は米軍の軍政下にあって、沖縄の人々に日本の選挙権はなく、当然、憲法審議にも参加できなかったことです。
そして平和憲法が施行されてわずか2、3年のうちに、東アジア情勢は激変します。まず1949年9月25日にソ連が原爆保有を公表、核兵器が米国独占ではなくなって、核軍備競争が始まりました。1949年10月 1日、毛沢東が天安門の上で中華人民共和国政府の成立を宣言しました。そして1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。この3つの連続した事件によって、東アジアはソ連・中国・北朝鮮という社会主義圏と資本主義圏とが激しく対立する場所になったのです。
朝鮮戦争に在日米軍が「国連軍」として出動した後、日本の治安維持を目的として、マッカーサーは自衛隊の前身、警察予備隊の結成を「許可」します。許可といっても、実態はもちろん命令です。1950年 8月10日、警察予備隊発足。戦争が終わってわずか5年、平和憲法のもとで、日本は再軍備を始めました。
 東西対決の代理戦争のような朝鮮戦争がまだ終わらないうちに、1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効しました。これで日本はふたたび独立を果たして、占領軍は引き上げるはずのところ、安保条約によって、米軍は引き続き日本に駐留することになりました。このときサンフランシスコ条約3条の規定によって、日本の「本土」という言葉は私は嫌いなので「ヤマト」と言いますけれども、ヤマトと沖縄がはっきり分けられてしまった。沖縄は米軍の軍政のもとに、むき出しの米軍支配のもとに置かれて、そしてヤマト側にはいちおう独立した民主的政権という、分断された状態になったということです。すなわち沖縄を切り捨てた状態で「日本」の平和が来たのだということを、ヤマト側の人間は絶対に忘れないでほしいと思います。
 1953年7月27日、朝鮮休戦協定が調印されました。休戦であって、要するに「撃ち方止め」の状態であって、戦争は終わっていません。今でも戦争は続いているんです。そこで軍事境界線の非武装地帯をはさんで大規模な戦闘は53年以降は起こっていないんですけれども、小競り合いはありまして、犠牲者が出ています。
朝鮮戦争時のニセ「国連軍」は形式的にはまだ生き残っておりまして、在日米軍基地のうち8個所には今でも「国連軍」基地として、ライトブルーの国連旗が掲げられています。
朝鮮戦争は終わっていませんから、再開されたときの用意に、演習が行われています。韓国軍と米軍は共同で上陸作戦演習を毎年必ずやっている。作戦計画には3つあります。
作戦計画5027は、北側の動きがあれば米軍・韓国軍は大挙して上陸作戦を展開して、北に攻め上って、北朝鮮政権を打倒する。そういうシナリオです。その作戦計画の一部を演習でやってみて、無理があればマニュアルを少しずつ書き換える。2年ごとに書き換えますけれども、こういう作戦計画がまだ生きている。シナリオの中には自衛隊の協力も当然、織り込まれています。自衛隊の参加部分は、米韓共同演習とは別に日米共同演習として、日程的にもすぐ続けて行われています。
2つ目は5029計画といいますが、北の政権が崩壊してしまったときの混乱をどう収めるかという計画です。このシナリオのもとに昨年3月にも米韓共同演習が行われたのですけれども、その直前に日本で東北大震災が起こった。共同演習に参加するはずだった米軍の一部が東北に来ました。ずいぶん早く来てくれたと思ったら、隣で演習をするはずだったので、行き先を変えただけなんです。しかも米韓共同演習でやるはずだったことを日本の東北でやった。津波で壊滅した仙台空港に特殊部隊を降ろして復旧させたのも、米軍の航空母艦が震災の2日後に早くも仙台沖にやってきたのも、そのためです。このときの5029計画に基づく演習シナリオには核事故対策もありました。
3つ目の5030計画は、相手を疲れさせる計画です。軍事境界線の近くで演習をすると、北側は攻め込まれるのではないかと警戒して、偵察のための飛行機を飛ばします。海上で砲撃訓練をすれば、向こうも船を出します。貴重な石油が無駄に使われる。
このように3つの作戦計画をもとに米日韓が日常的に演習・訓練をやっているために、北朝鮮は日常的に警戒しなければならないわけです。安保条約は朝鮮戦争再開に備えてつくられて、今でも主な目的はそこなんです。
さて、朝鮮戦争中にその前身が成立した事情からして、自衛隊はきわめてイデオロギッシュな存在となりました。「国防の基本方針」(1957年閣議決定)を見ていただくと、「国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和を守ることにある」と書いてあります。「民主主義を基調とする」というのは、冷戦下では資本主義陣営のことです。日本が社会主義(と彼等が考えるところの)国家にならないように「未然に防止」するのが自衛隊の任務です。
そして、自衛隊は米国の庇護のもとに、米軍払下げの武器を与えられてつくられていったわけですね。しかも在日米軍基地は日本政府が守っている。米軍基地に無断で侵入すると日本の法律によって処罰されます。そのような状態を保証しているのが安保条約です。
憲法と安保の共存体制は、いっぽうでは北朝鮮敵視、他方では沖縄差別の上に成立していることをお話ししました。いったん切り捨てた沖縄は1972年5月15日に日本に返還されましたけれども、在日米軍基地の7割が沖縄に存在していることで良く分かるように、今でも憲法と安保の共存は沖縄差別の上に成立しています。
このような憲法と安保の奇妙な共存について考えてみますと、冷戦のなかでどちらの陣営にも属さないという選択の仕方は、米国による占領中には難しかったと思われますけれども(もちろん独立を果たした後には路線変更は可能だったはずですが)、軍事によらない平和の追求という、日本国憲法ほんらいの道を進むことのなかったことが残念です。憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とありますけれども、自前の軍備を持たない日本は、当初は国連軍に、のちには米軍によって「安全と生存」を守ってもらえばいい、というふうにこの文言を解釈したとしたら、それはやはり違うのではないか。しかし歴史を変えることはできませんから、今からでも軍事によらない平和という、憲法9条ほんらいの道を真剣に考えてみたいと思うのです。

2.三代目北朝鮮の「脅威」

 次に北朝鮮の「脅威」について述べます。
 昨年12月に金正日総書記が亡くなったあと、三男の金正雲が朝鮮労働党第一書記に就任して、再び世襲で北朝鮮の指導者になりました。この4月15日には金正雲は金日成生誕100年の記念集会で20分間の演説をしました。「先軍政治によって人民軍は最精鋭戦闘部隊に強化発展し、世界的な軍事強国の地位に上がった」「敵が原爆で我々を威嚇した時代は永遠に過ぎ去った」。
 先軍政治は先代の金正日が始めたことですけれども、軍を中心とした社会、軍の力のうえに成立する体制ということになります。旧社会主義国は党を中心とした、というよりは党員でないとまともに人間扱いされない傾向のある社会でしたが、北朝鮮ではそれが軍なのですね。もちろん北朝鮮にも朝鮮労働党という党があって、党の政治委員があらゆる段階で軍を指導することになっているのですけれども。
 新しい指導者である金正雲は29歳の若さで実績もありませんから、先代の子息であることからミコシとして、とりわけ軍に担がれているわけで、しばらくは軍内部の忠誠競争による混乱が続くと思います。そのような権力闘争は金正日の体調不良が明らかになった時点から始まっていました。金正雲は三男であって長男は中国が囲い込んでいますし、政権の先行きは不明です。そういうわけで金正雲には後見人がついています。金正日の実妹の夫、張成沢です。この人も軍のなかでは実績がありませんから、金正雲擁立をめぐる権力闘争はまだ続くでしょう。
権力闘争の分かりやすい例は2010年11月23日に起こった延坪島砲撃事件です。韓国側の島を北朝鮮軍が大陸側から砲撃して、軍人2人と民間人2人が犠牲になりました。これは北の軍のなかの勢力争いの結果です。中央総参謀長だった金格植という人が韓国軍との小競り合いで敗北した責任をとって第4軍団長に格下げされていた。この人は83年のラングーン事件(韓国大統領暗殺未遂事件)の責任者でもあります。第4軍団長として地方に流されてきた金格植は、対岸の島に砲弾を撃ち込んで気勢を上げて、あわよくば三代目の手柄にして自分の復権を果たそうとした。しかしこの事件には国際的に非難の声が上がりましたので、金格植は中央に返り咲くことはできませんでした。
地図を見ますと、延坪島は北朝鮮の主張する海上軍事境界線から神社の参道のように奥まった、袋小路のなかにあります。しかし韓国側の主張する北方限界線はもっと北にある。陸上は境界線がはっきりしているのですけれども、海の境界線には合意がないんです。しかし島は南が実効支配して住民もいる。だから海上での衝突が起こりやすいのです。
北朝鮮の経済はかなり悲劇的です。97年ごろに大量の餓死者が出たとか、中国に逃れた難民が奴隷状態にあるとか、子供たちの栄養状態が非常に悪いとか、悲しいニュースがたくさんありますけれども、今年も農業不振で食糧不足が深刻になると思われます。旧ソ連からの支援はもうありませんし、中国からの援助も限定的です。核開発をめぐって経済封鎖が続いて、日本との交流もありません。
そういうなかで4月13日には人工衛星打ち上げと称してミサイル実験を行ったのですが、失敗しました。国連安保理決議1817、同1874違反は明白です。こんなミサイル発射実験をするのに、トウモロコシを全国民が1年間食べられるだけの費用をかけた。09年にデノミを行って経済混乱を引き起こしたときには計画担当者が処刑されていますが、今回は誰が責任を取るのでしょうか。
日本ではこのミサイルの破壊措置命令、つまり領内に落ちそうになったら撃ち落とせという命令を出しました。防衛省が6月15日に出した対応検証報告書によりますと、SM3ミサイルを積んだイージス艦3隻を出動させたほか、PAC3ミサイル部隊を宮古・石垣・沖縄本島・朝霞・市ヶ谷・習志野に配備した。しかしどこのレーダーも、発射された北朝鮮ミサイルを捕捉することができないでいるうちに、ミサイルは海中に落下してしまいました。
さて、そのような北朝鮮の暴発が心配だと、脅威だという宣伝がなされています。では、北朝鮮軍の実力はどの程度のものか。英国で出ている『ミリタリー・バランス』という権威ある軍事年鑑などをもとに、その姿を見てみます。
北朝鮮軍の兵力は119万人、人口(2445万)のじつに5%に及びます。北朝鮮ではピョンヤン市民と軍人以外には配給はなくて多くの国民は自給自足ですが、軍人も配給は主食だけで、ふだんは副食生産のため農業をしています。これに対して韓国軍の兵力は65.5万、人口4875万です。兵力だけ見ると北朝鮮は韓国の倍近くですが、装備はたいへん貧弱です。
たとえば戦車5000両を持ちますが、50年代製、つまり朝鮮戦争当時のものをそのまま保持しているのがほとんどです。米軍・韓国軍の近代的戦車には勝ち目はありませんし、満足に動くかどうかも疑問です。最新型の「暴風号」がパレードには出てきますが、これはソ連のT62(61年試作開始)を改良したものにすぎません。自衛隊が持ついちばん古い戦車が74式、つまり74年のもので、最新型は2010年のものです。
海軍はどうか。大型艦はわずか3隻で、ナジン級フリゲート、1500トンです。これは日本の海上保安庁の大型巡視船クラスで、海上自衛隊の大型艦だとたとえば「いせ」は14000トンです。韓国海軍もイージス艦2隻を持っています。北朝鮮海軍にこれらに対抗できる能力はなく、また大軍を運ぶだけの能力もありません。
空軍はどうか。戦闘機は500機ありますが、これまた旧型で、韓国軍・米軍の戦闘機と空中戦のできる第4世代機はミグ29が20機、スホーイ25が34機のみです。しかも燃料不足のため、パイロットの飛行時間は年間20時間といわれます。航空自衛隊や韓国空軍では150時間以上です。
主なところだけ見てきましたけれども、北朝鮮軍の実力はこんなものです。朝鮮戦争が再開されたら北の敗北は必至です。だからこそ一発逆転、核開発と外交技術で生き抜くほかはないのです。
ですから、北朝鮮の「脅威」といいますけれども、実際には日本にとっての脅威はミサイルとゲリラ部隊だけでしょう。このことは米軍も自衛隊も良く分かっているわけです。
ミサイルはどうか。ノドンと米日側が呼んでいるミサイルは射程距離1500キロですから、十分に日本を狙えます。発射されると8分とか十数分という時間で日本に届きますから、いくらミサイル防衛体制を完備しても対応できるはずがありません。打ち落とすことに成功しても破片は日本に落ちてくるわけですし。しかし日本にミサイルが撃ち込まれたら、ただちに朝鮮戦争が再開されて、北朝鮮は壊滅するでしょう。
ゲリラ部隊の侵入にどう対応するかという図が『防衛白書』に載っています。原発が攻撃されるだろうという想定には現実性があります。少人数のゲリラが、海岸線の長い日本に侵入することを完全に防止することは難しいでしょう。しかし冷静に考えてみれば、北朝鮮ゲリラがまず狙うのは米軍基地や通信基地、つまり北朝鮮を攻撃する拠点でしょうし、ゲリラが日本を占領できるはずもありません。逆に日米韓の連合した軍は先に述べたように、日常的に北朝鮮を包囲して北朝鮮の政権を打倒する攻撃演習を繰り返しているという現実があります。北朝鮮の「脅威」とは、北朝鮮攻撃のための口実にすぎないのではないでしょうか。
米軍は一方では北朝鮮に攻め込むシナリオをつくりながら、他方では韓国からの撤退を進めています。在韓米軍の駐在地を地図上で見ますと、かつては軍事境界線近くにいた米軍は、平沢まで下がりました。ソウル市内の在韓米軍司令部もここまで下がります。有事の韓国軍指揮権は米軍が持っていましたけれども、2015年には韓国に返還します。朝鮮有事に即応するのは韓国軍だけです。米国はもう東アジアでの戦争で米兵が死ななくてもいいように、北朝鮮政権崩壊の後始末は日・韓・中に任せる方向で考えているのです。
しかし米日韓の北朝鮮包囲が完璧かというと、そうではありません。とりわけ36年間にわたって日本の植民地支配下にあった韓国では、従軍慰安婦問題や竹島問題での対立もあって、日本との共同作戦には国民の厳しい批判があります。この4月、韓国国防省と日本防衛省は防衛当局同士の了解事項(MOU)という形で防衛協力を結びました。政府同士でないのは、韓国国会で審議されれば大反対に遭うからです。軍事情報を共有するための協定、日韓GSOMIA締結も、韓国国会の激しい反発に遭っています。だいたい韓国軍は将来統一された朝鮮半島政権の最大の敵は日本だと認識していることを隠そうとはしていませんし、大型強襲揚陸艦に「独島」(竹島の韓国名)の名をつけているのもそのためです。

3.尖閣問題と南西諸島の緊張

 朝鮮問題はこれくらいにして、中国問題に移ります。
 少々古いニュースになりますが、一昨年9月7日に中国漁船が尖閣諸島付近で海上保安庁の巡視船に体当たりした事件がありました。海上保安庁は公務執行妨害の疑いで中国漁船の船長を逮捕しましたけれども、24日にいたって検察が起訴保留とし、釈放しました。中国側では政治決着による釈放と解釈して、日本の国内法で対処したことを絶対に認めません。認めれば尖閣の日本実効支配を認めてしまうことになりますから。この事件後に中国は、尖閣に中国人が上陸して日本の警察に逮捕されたりすることのないよう、むしろ中国人を規制しているわけです。
 尖閣問題が話題になったのは、この事件の後、石原慎太郎都知事が東京都が尖閣を買い取るという計画を発表したからですね。この4月17日のことでした。なぜか。現在の尖閣諸島の地主はさいたま市の人、右翼フィクサーの菅原通済の運転手だった人ですが、菱屋会館という神前結婚式場を経営していて、流行らなくなったので宗教法人の研修所に貸して、宗教法人が出て行ったあとは25億ともいわれる借金に苦しんでいる。そこで山東昭子参院議員の仲介で石原都知事のところに買い取らないかという話が来たということです。このあたりは和仁廉夫さんの取材と、『SAPIO』誌の石原インタビューからまとめてお話ししました。
 尖閣諸島がどこにあるかといいますと、沖縄の石垣島から170キロ、台湾から170キロ、中国大陸からは330キロのところです。魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の5島と、3つの岩礁からなっています。古くからヤマト・沖縄・台湾・中国大陸の間には交流がありましたから、海上交通の目印になっていたわけですけれども、水も出ないし領有するメリットもないので近代にいたるまで誰のものでもなかった。日本が領土に編入したのは1895年1月14日で、その後福岡県の古賀辰四郎に貸与、彼はアホウドリの羽毛を採取したり鰹節工場を経営して、最盛期には200人を超す人々が居住していました。古賀は島を国からの払い下げを受けて私有地としましたが、現存する最古の土地登記文書は1932年のものです。日本が太平洋戦争に突入する少し前に古賀は撤退して、1940年に島は無人島になります。
 その後、沖縄とともに尖閣諸島も米軍の直接支配下に入って、久場島と大正島は米軍の射爆場として使われました。1972年の沖縄返還の後もこの2島は米軍演習場のままで、それぞれ黄尾嶼(こびしょ)射爆撃場、赤尾嶼(せきびしょ)射爆撃場と呼ばれて米海軍が管理しています。ただし79年以降はまったく使われておりません。しかし日本政府は地主に年間2000万円以上の借地料を払って米軍に提供し続けています。
 中国が尖閣の領有を主張するようになったのは、1969年に国連アジア太平洋経済委員会(エカフェ)が前年の調査結果をまとめて、尖閣諸島沖大陸棚に膨大な石油等の資源が眠っている可能性があると発表して以後のことですね。92年には領海法で台湾とその付属諸島(釣魚島=尖閣を含む)を領土として明文化しました。
 それまで尖閣諸島周辺では中国・台湾・沖縄の漁民が自由に操業していたのですけれども、にわかにきな臭くなってきた。日本政府は無断上陸を禁止していますけれども、1980年には右翼の日本青年社が魚釣島に簡易灯台を建てて、翌年にはもう少し本格的なものにしました。この灯台は石原伸晃が国土交通大臣をしていたときに海図に載せて、公式の灯台として認定されています。
 1996年に池田行彦外相が尖閣を「固有の領土」と発言したために、米国に留学していた台湾の学生たちの間で台湾領尖閣を守る運動、「保釣運動」が始まりました。台湾では2004年に衛星画像をもとに土地の登記をして、尖閣を国有地として登録しました。その後、台湾の運動家が尖閣に上陸したり、2004年には中国の運動家が上陸して日本の海上保安庁に逮捕され、しかしすぐに釈放された事件もありました。
 資源がなければ何の価値もない尖閣、飛行場をつくるだけの面積もありませんから軍事基地にもなりにくい尖閣を、日本が「固有の領土」といい、中国が「核心的利益」といって、互いに譲らない。国連に領有についての裁定を求めることは、どちらもしておりません。どういう裁定が出るか予想がつかないからです。日本人の多くは「固有の領土」に何の疑問も持っていませんが、沖縄が中国と日本の間でどちらにつくか決まっていなかった明治の初めには、日本政府は沖縄の先島を清に譲る提案をしたことがあります。この話がまとまっていれば、石垣も尖閣も疑問の余地なく中国領になっていたわけです。日清戦争の結果として日本が台湾を領有することで、沖縄の領有についても争いがなくなったのですね。
 そして米国は、わざと尖閣の領有問題については明確な態度を示さないようにしています。自分が管理する演習場がありますから「安保の適用範囲」とはいいますが、領有については別問題です。米国にとっては尖閣の領有について日中間に争いがあるほうが、沖縄に居座る理由ができてありがたいのです。
 尖閣問題をどうしたらいいのか。かつて周恩来・田中角栄間で、また鄧小平・園田直間で、領土問題「棚上げ」が合意されていました。この合意がまだ有効だからこそ、日本は尖閣周辺に海上保安庁の巡視船は貼り付けているけれども海上自衛隊は出ていない。中国は漁業監視船を出すけれども海軍は常駐させていないのです。軍同士が現場で顔を合わせれば衝突の危険性もあります。日本の基本的立場を国際社会に主張し続けることは重要でしょうけれども、「国」の立場よりも「民」の立場から解決をはかる努力が必要ではないか。
 石垣島の漁民はいま、尖閣にはほとんど出漁しておりません。日帰りの難しい距離ですし、潮流の早いところなので燃料消費が激しい。島に上陸できないから避難場所もない。というわけで、利益を上げるのが難しいからです。かつてここに出漁していた台湾の漁民は、しだいに船を貸すだけになり、さらに中国の漁民が船を買い取って出漁するようになりました。このような事情を考えれば、日台中が共同で島に避難小屋を経営することが、漁民にとってはもっともありがたいことなのではないかと思います。漁業規制も共同で行う。資源探査・開発も合弁会社で進める。軍は駐留せず軍事使用もしない。そのような合意を先にとりつけた上で、領有問題は気長に協議すればいいのではないでしょうか。
 さて、尖閣問題はホットな問題なので少し詳しくお話ししましたけれども、次に中国が海上覇権をめざして南西方面で軍拡を続けている「脅威」について述べたいと思います。
 米国防総省は毎年、議会に中国の軍備についての報告書を提出しています。これに出ている第1、第2列島線をあらわす地図が有名ですね。黄海と南シナ海を囲む第1列島線の内側には外国軍が入れないようにしたい。マリアナ・グアム・パラオを結ぶ第2列島線まで、中国軍が自由に出て行けるようにしたい。このような攻勢が明確に出てきたのは2009年の中国共産党4中全会(第17期中央委員会第4回全体会議)あたりからで、「核心的利益」を台湾、チベットだけでなく海に広げたからです。
 そこで、強大な海軍の建設を急いでいます。海南島には潜水艦基地を建設しました。核ミサイルを積める大型潜水艦がいますが、まだこのミサイルの射程は米国に届きません。ソ連が設計して立ち枯れになっていた空母「ワリヤーグ」を買い取って今年から使います。このほかに国産空母も2年後には就役の予定です。地上で艦載機の訓練をしていますが、戦闘機の着艦に使うワイヤーロープをロシアから輸入するところでこじれています。
 強大な海軍を中国が何に使うかといえば、退潮する米国の後を追って西太平洋、インド洋に覇権を広げたいからです。当面、石油資源の眠る南シナ海のスプラトリー(南沙)群島、パラセル(西沙)群島の領有をめぐっては、周辺の国々との間で抗争を繰り返して、犠牲者も出ています。スプラトリーではベトナム、中国、台湾、マレーシア、フィリピンの領有宣言をする島が岩礁が入り組んでいます。中沙では人が数人乗ったらいっぱいになる程度の大きさのスカボロー礁の領有をめぐって、フィリピンとの間で厳しい対立があります。
 こういう中国の海上覇権に対抗するために、自衛隊の南西方面重視配備が始まりました。佐世保にはどこの師団にも属さない陸上自衛隊の西部普通科連隊(西普連せいふれん)、1000人を配備して、離島防衛に使います。全員がレンジャー資格を持っている精強な部隊です。6月12日には練馬の市街地を迷彩服姿のレンジャー訓練生が行進しましたけれども、これは富士山麓で行われたレンジャー訓練に参加した練馬の部隊が、最終段階で駐屯地に帰ってきたところだけ公開したわけですね。新たに17名にレンジャー徽章が連隊長から授与されました。練馬の部隊ですから首都防衛に使われるわけですけれども、西普連への転勤を希望すれば対中国の緊張した地域に送られることになります。
 自衛隊の南西方面重視との関係で注目されるのが、沖縄の普天間問題、そしてオスプレイ配備ですね。米海兵隊普天間基地の辺野古移転方針を日本政府は変えておりませんで、4月27日の日米協議では辺野古移転が「これまでに特定された唯一の有効な解決策」だと言っています。しかし同時に今後8年間の普天間補修費250億円が計上されましたから、8年間は米軍は普天間に居座るつもりですし、米国側では嘉手納統合の意見も強いです。
 さて、オスプレイです。沖縄海兵隊の輸送用のヘリコプターCH46に替わってMV22オスプレイを配備すると米軍は通告してきました。7月に那覇軍港で試験飛行・安全点検をしたのち、10月に普天間にやってきます。プロペラを前に倒して進み、上に向けて垂直離発着をする飛行機ですが、設計に無理があったのか低空での操縦が難しいのか、今年に入ってからも2回も墜落事故を起こしている危険なものですね。それが、住宅に囲まれ世界一危険な基地といわれて、安保条約・地位協定によって日本の航空法が適用されないために正規の飛行場でさえない普天間にやってくる。
 オスプレイが飛ぶのは沖縄だけではありません。低空飛行訓練のルートが6本、発表されています。うち1本は沖縄ですが、あとの5本はヤマトです。200メートル以下の低空飛行などあまりに危険なので米国では許可されませんし、日本の法律でも許可されませんが、米軍は日本では超法規的存在です。
 オスプレイ配備が問題なのは、私たちの頭上に落ちて来るかもしれないという危険があるからだけではありません。佐世保に新たに配備されたボノム・リシャールという大型揚陸艦がありますけれども、この甲板上にオスプレイが載って、沖縄海兵隊を乗せて出撃していくことになります。佐世保・岩国・普天間を結ぶ出撃拠点がより強化されるわけです。米軍のアジア太平洋地域重視への転換によって、中東の戦争が東アジアに引っ越してくると、沖縄海兵隊と自衛隊は連携してこの地域で活用されます。
 中国の海上覇権に対抗する自衛隊・米軍の動きについて述べました。では、なぜ中国は最近になってからこんなに強大な軍をめざすようになったのか。理由は2つあると思います。
 ひとつは、中国内部にもまた政権交代時の権力闘争があるからです。今年中に胡錦濤・温家宝体制から習近平・李克強体制に切り替わりますけれども、旧権力者たちはその周辺の実力者たちも含めて、そう簡単に利権を手放そうとはしない。いったん習近平体制が確立されれば10年にわたって政権交代はありませんから。しかも国内には民族問題、人権問題、農村と都市の格差問題などの課題が山積して、人々の不満は鬱積しています。こういうときに国をまとめていこうとすれば、外の脅威をあおり、国の権益擁護をあおって軍拡を進めるのがいちばん簡単です。
 習近平は太子党と呼ばれる、要するに二世政治家ですね。これを支える勢力は国益追求中心の強硬派、軍部です。日本への警戒心の強かったもと国家主席、江沢民の庇護もあります。ついでながら習近平夫人の彭麗媛は人民解放軍歌舞団のトップで、娘はハーバードに留学しています。
 先日、重慶市党書記だった薄煕来が失脚して130億円の収賄が暴かれて、夫人が殺人事件に関与していたことも暴かれましたけれども、この人も太子党で習近平に近く、温家宝から批判を受けていた人です。薄煕来失脚は権力闘争の氷山の一角ということです。
 そして中国が強大な軍をめざすもうひとつの理由は、とにかく国民を飢えさせないためです。人口13億といわれたのは昔話で、15億くらいはいるのではないかと思いますが、もう大躍進運動や文化大革命のような形の内部抗争で人口が減るような事態も考えられない。資源と食料の確保のために世界中に展開しているのはそのためです。アフリカのスーダンから石油を輸入する経路を確保するために、ソマリア沖海賊対処で初の遠洋覇権をしたのもそのためですね。
 中国の露骨な軍事力による権益確保に対しては、アジアの国々からも強い反発があります。2002年にはASEANと中国の間で「南シナ海行動宣言」が結ばれましたけれども、これを拘束力のある規範にするための検討・交渉作業が進んでいます。このような規制が力をもつようになることを望みます。

4.日米同盟のゆらぎと変質

 今では「日米安保」という言葉よりも「日米同盟」という言葉が多く使われるようになりましたけれども、これはもともとは日米軍事協力が安保条約の枠をも超えて強力になったためです。安保条約の「極東」の範囲を超えて在日米軍は世界に出撃していますし、地位協定に反して日本は「思いやり予算」を計上しています。
 こういう日米関係が少しは変わるかと人々が期待したのは、「政権交代」による民主党政権の登場からでした。マニフェストには「対等な日米同盟」とありましたし、鳩山首相は普天間の県外移転を主張していましたから。しかし米国からの横やりと外務省官僚の抵抗によって、日米同盟のゆらぎは1年で終わり、「対等な日米同盟」構想は消し飛んでしまいましたけれども。
政権の右往左往のなかで着実に進んでいるのが日米同盟強化です。なぜなら、米国のジャパン・ハンドラーと呼ばれる対日政策立案者たち(ナイ、アーミテージ、キャンベル、グリーンら)は、民主党・共和党相乗りで、すなわち大統領が誰であっても変わらない基本路線のもとに日本に対応しているからです。そして日本の外務省は北米第1課が序列第一位であるように顔は米国に向いていますし、防衛省では米国研修・米国での共同演習・海外派遣を終えて帰って来た者が出世する。それが半世紀余にわたって続いてきましたから、米国いいなり政治は簡単には改まらないのです。
 民主党政権のもとで2010年暮れに新しい「防衛計画の大綱」が作られました。5年間の基本方針です。ここで「基盤的防衛力」に代わって「動的防衛力」構想が基本概念になりました。動的防衛力とは何か。『防衛白書』の「多機能で弾力的な実効性のある防衛力を発展させたもの」という説明でも雲をつかむような話ですが、「アジア太平洋地域の安全保障環境の一層の安定化」といわれると、その意味するところが分かってきます。つまり、退潮しつつある米軍の肩代わりをしてアジア太平洋地域での自衛隊の役割を強化するということです。
 米国の軍事的退潮は目に見える形で進んでいます。先ほどお話ししたように韓国からは撤退の方向ですし、虎の子の空母艦隊も減らします。グアム基地の拡充も、議会が予算全面削除をしてしまったためにインフラ整備がまったくできていません。日本が支出したグアム移転予算は銀行に預けられたままです。
 そういうなかで、オバマ大統領は今年1月、新戦略計画文書を発表しました。2010年に4年に1度の戦略計画文書が出て、まだ2年余は有効なはずですが、いっそうの軍事費引き締めが必要になったためこれを修正したのです。
 その米国が日本に対してどのような要求をしてきたか。今年の4月27日に行われた日米安保協議委員会(米国の国務長官・国防長官、日本の外相と防衛相の4人による協議、通称2+2ツープラスツー)の共同発表文書を見ましょう。新聞報道では嘉手納以南の米軍基地の返還を普天間返還とは切り離して先行させる、という部分ばかりが強調されました。しかし目玉は「動的防衛協力」の名のもとに、グアムとマリアナ諸島(テニアンとパガン)に日米共同で訓練場を建設・運営するという計画です。軍事基地の建設ですからまた巨大な費用負担が生まれますが、それ以上に、米軍の肩代わりでのアジア太平洋での自衛隊の役割がさらに大きくなるということです。
 そして2+2協議の結果を敷衍するような形で4月30日、オバマ・野田会談による共同声明「未来に向けた共通のビジョン」が発表されました。重要事項は3つです。動的防衛協力、TPP協議推進、原子力平和利用推進。ここまで米国いいなりになってしまった民主党が分裂するのも当然でしょう。バスケットボールの好きなオバマに追従して、野田総理は自分をゴールから離れたところから主役を助けるポイントガード、オバマを主役で得点稼ぎのパワーフォワードにたとえて説明しました。
 このように日本政治の基本方針はミリミリ(米軍と自衛隊)主導で決まっていますけれども、日米共同演習の実態を見ますと、すでに自衛隊と米軍は集団的自衛権行使、自衛隊が米国を守るとしか思えない演習をしています。2010年7月にハワイ沖で行われたリムパック演習では、米海軍と海上自衛隊が力を合わせて標的艦にミサイルを撃ち込み、撃沈する演習が行われました。航空自衛隊の空中給油機が米空軍の戦闘機に給油する演習も行われています。米軍の給油艦から海上自衛隊の護衛艦に給油する訓練も行われています。文字通りの米軍・自衛隊の一体化です。
 東日本大震災では自衛隊が大活躍をして、自衛隊の好感度もたいへん上がりましたけれども、災害派遣は自衛隊の主要任務ではありません。主要任務である防衛出動や海外派遣で、米軍の手助け、あるいは肩代わりをするのがメインになってきている現実を、正義感にあふれる若い隊員たちはどのように考えるのでしょうか。自衛隊でなく米衛隊ではないか、と悩むのではないでしょうか。
 ここで今日のお話のテーマからは外れますが、明日、7月16日から17日まで練馬でも行われる自衛隊の防災演習について述べておきます。
 7月11日に練馬区防災課が発表した「災害対処訓練」説明文書によりますと、練馬に駐屯する第1普通科連隊が首都直下型地震発生を想定して徒歩とオートバイで迷彩服で移動する訓練です。区役所に連絡員が派遣されます。
 ところが陸上自衛隊第1師団が発表した「平成24年度自衛隊統合防災演習報道公開」文書によりますと、参加するのは練馬の第1普通科連隊、大宮の第32普通科連隊、朝霞の第1施設大隊、御殿場の第1高射特科大隊で、実施地域は東京都23区、埼玉県、神奈川県に及びます。1普連は移動・通信訓練ですが、32普連と施設大隊は初動対処訓練、高射特科大隊は人命救助訓練です。この報道資料にはありませんが新聞報道によれば、計6個所の区役所に自衛隊員が宿泊します。
 自衛隊が行う防災演習は、自治体が主催して自衛隊も参加する防災訓練とはまったく別のものです。しかも「演習」は訓練とは違って作戦計画文書があり、演習でその一部を実施して、不都合なことがあれば作戦計画文書を手直ししていくものです。そして「野外令」(戦前でいえば「作戦用務令」)には、災害派遣は治安維持活動を含むと明記されています。災害の際に不穏分子が暗躍するのを防ぐ。関東大震災のときの朝鮮人虐殺・社会主義者虐殺を思い出す方も多いと思います。自衛隊員が区役所に宿泊するのは、自治体との連携で人命救助・災害復旧を行う準備ということもあるでしょうが、自治体の持つ個人情報を活用するということも、当然考えているのではないでしょうか。

5.日米同盟と憲法の制約

 最後に、せっかく9条の会にお招きいただいたので、日本国憲法に立ち戻って考えてみたいと思います。
 最近はあまり聞きませんが、そもそも自衛隊の存在自体が合憲か違憲か、という論議があります。今でも憲法学の通説では自衛隊は憲法違反です。しかし政府解釈では合憲。どこで食い違っているかといえば、「戦力」の理解です。憲法学で「戦力」は警察力を超える実力をいいますけれども、政府解釈では自衛のために必要な最小限度の実力は憲法の禁ずる戦力に当たらない(1954年12月23日衆議院予算委員会での政府統一見解)。「自衛のために必要な最小限度の実力」という考え方は、もちろん日本国憲法からは出てきません。国際法から、あるいは国連憲章から導かれるのでしょう。しかし「最小限度」という縛りが、ミサイルや爆撃機や航空母艦は持てない、という解釈として生きています。これらの武器はいくらなんでも憲法9条の禁止する「戦力」に該当してしまう、と誰でも考えるからです。
 そして憲法は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」はしないと決めていますから、自衛力は保持するとしてもそれはあくまでも専守防衛のためのものに限られます。『防衛白書』には専守防衛の説明として、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と書かれています。
 また『防衛白書』には「自衛権発動の要件」として、次の3項目が挙がっています。「1. わが国に対する急迫不正の侵害があること。2. この場合にこれを排除するためにほかの適当な手段がないこと。3. 必要最小限の実力行使にとどまること。」とにかく「自衛」ですから当然ですが、こちらから攻めていくことはできないのです。また「自衛」のために限定するなら、同盟国を武力で守る集団的自衛権の行使などはあり得ません。
 このような自衛隊の存在と行動に関する縛りは、憲法9条がある限り外れません。また自衛隊が世界標準の軍隊になれないでいるのは、軍警察と軍事裁判がないためです。旧日本軍の憲兵は警察権を持って、軍人だけでなく民間人も取り締まる怖い存在でした。いま自衛隊には「MP」すなわちミリタリー・ポリスという腕章を巻いた警務官というものがいますけれども、警察権は持たないので、犯罪の現場をおさえたら犯人を警察に渡すだけです。また旧軍では敵前逃亡は軍事裁判で死刑になりましたけれども、自衛隊には特別な裁判はありません。憲法76条に「特別裁判所は、これを設置することができない」と決められているからです。東北大震災のとき災害派遣された自衛隊員のうち少なくとも2人が放射能が怖くて逃亡しましたけれども、そのうちの1人は練馬の部隊の人だということですが、彼等が死刑になることはもちろんありません。日本国憲法は自衛官の人権も守っているのです。
 こうした憲法による縛りは、一方では自衛隊違憲裁判、基地公害裁判、海外派兵違憲裁判などの裁判によって検証されてきました。また国会論議のなかでもつねに検証されてきました。しかしこのところ、先に見たように、日米共同演習では集団的自衛権行使の演習が行われていますし、海外派兵が日常的に行われています。やはりこれらは憲法違反ではないでしょうか。イラク派兵違憲裁判では、名古屋高等裁判所は明確に違憲の判決を下しました。憲法9条がある限り、自衛隊の存在と行動は憲法との適合性を問われ続けるのです。
 だからこそ、憲法を改正しようという動きがしつこく起こるわけです。自民党は4月28日に「日本国憲法改正草案」を新たに発表して自衛隊を「国防軍」として認知することを主張していますし、大阪の「維新の会」は国会で憲法改正を発議する要件を議員の3分の2から2分の1にすること、憲法9条を変えるかどうかの国民投票をすることを主張しています。そして5月31日の衆議院憲法審査会では、各党が憲法9条をどうするかについての意見陳述をしました。憲法改正への動きがすぐに大きなうねりになるとは思えませんが、注視しておく必要があると思います。
 今日、私は日本国憲法と日米安保条約の奇妙な「共存」状態が、現実にはどのようなものであるか、お話ししてきました。安保条約は米軍に日本を守ってもらう条約ではありません。米国の戦争に日本を動員するための条約になっています。これは明らかに日本国憲法に違反することであって、安保条約を廃棄することによってのみ解消することだと思います。国益をどうするか、領土をどうするか、という議論は本末転倒です。民の権利をどう守るか、人々の暮らしをどう守るか、という憲法の精神が先に来るべきです。
 先進的な例として、「国境」の島、沖縄の与那国の例をご紹介します。
 昨年9月19日、与那国島から6人のスイマーがリレーで52時間かけて台湾まで泳ぎ渡りました。東北大震災に台湾からたくさんの義援金が贈られたことに感謝してのイベントです。台湾では大歓迎されたのですが、このニュースは日本のマスコミでは報じられませんでした。与那国町は早くも1982年に台湾の花蓮市と姉妹都市になって、92年から毎年20名程度の子供を台湾にホームステイさせる事業を行っています。05年には与那国「自治・自立宣言」を行い、「国際交流特区」を実現することをめざしました。しかし日本国は特区申請を許可しなかったのです。台湾との交流が活発になればスパイが潜入する危険が増すとでも考えたのでしょうか。
 与那国島の西崎からは台湾が鮮明に見えます。こんなに近い対岸と交流することを好ましくないと考える、それが「国益」を追及する国の論理です。しかし民の論理はこれとは違います。日本国憲法を守ることはあくまでも民の論理を追求することではないか、それは安保条約と鋭く対立することになる、というのが私の結論です。
 これで私のお話を終わります。ご静聴ありがとうございました。

この文章は、2012年7月15日に練馬区役所交流会場で行われた、「豊玉九条の会」「東ねりま九条の会」主催、「ねりま九条の会」協力による学習会でお話しした内容に加筆したものです。学習会を準備されたみなさま、参加してくださったみなさまに感謝いたします。当日は77枚のスライドを使用した「紙芝居」方式でしたが、この文章では図版なしでもご理解いただけるようにしました。また質疑討論での発言内容も一部とりこみました。失礼ながら文中、人名に敬称は略しました。主な参考文献は以下に順不同で挙げましたが、ここには軍拡を主張する人々の文献も含まれています。おすすめの文献に○印をしました。なお安保問題の基本参考文献については拙著『日米安保を読み解く』『日米安保は必要か?』の巻末に掲げましたのでここでは再掲しません。

 

○新崎盛暉『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別』高文研、2012年
○布施祐仁『災害派遣と「軍隊」の狭間で』かもがわ出版、2012年
○大内要三『日米安保は必要か?』窓社、2011年
 井上和彦『北朝鮮と戦わば』双葉社、2010年
○小西誠『日米安保再編と沖縄』社会批評社、2010年
 森本敏『日本の瀬戸際』実業之日本社、2011年
 防衛システム研究所編『朝鮮半島が危ない』内外出版、2011年
 防衛システム研究所編『尖閣諸島が危ない』内外出版、2010年
 小川和久『この一冊ですべてがわかる普天間問題』ビジネス社、2010年
 ケント・E・カルダー『米軍再編の政治学』日本経済新聞社、2008年
○前田哲男『自衛隊のジレンマ』現代書館、2011年
 菅英輝『アメリカの世界戦略』中公新書、2008年
○半田滋『ドキュメント防衛溶解』旬報社、2010年
 五味洋治『中国は北朝鮮を止められるか』晩聲社、2010年
 磯崎敦仁・澤田克己『北朝鮮入門』東洋経済新報社、2010年
 春原剛・アーミテージ・ナイ『日米同盟vs中国・北朝鮮』文春新書、2011年
〇青井未帆「憲法9条」『法学教室』2011年7月号
〇和仁廉夫「不毛な尖閣ナショナリズム」『週刊金曜日』2012年5月25日号
〇浦田一郎『自衛力論の論理と歴史』日本評論社、2012年
 石原慎太郎都知事スクープインタビュー『SAPIO』2012年6月27日号
 富坂聡『平成国防論』新潮社、2009年
その他、防衛省、米国防総省、朝雲新聞などの文献はそれぞれのホームページで参照しました

 

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