民主党政権下の日米安保

 

2010.12.3.ねりま九条の会総会にて
 

       

講師 大内要三 氏

この記録は大内氏自身が講演原稿をもとに一部補筆されたものです

大内要三氏のプロフィール

1947年千葉県生まれ、元朝日新聞社出版本部編集委員、編集工房【要】代表。
日本ジャーナリスト会議会員、平和に生きる権利の確立をめざす懇談会運営委員、長崎の証言の会地方委員、豊玉9条の会呼びかけ人。
著書:『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』(窓社、2006年)、『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』(窓社、2010年)、共著に『軍の論理と有事法制』(日本評論社、2003年)などネットコラム へいけんこんブログ「読む・読もう・読めば」(月2回)

 


序・小原舞議員、当選の万歳

 皆さん、今晩は。ご紹介をいただきました大内です。練馬の豊玉地区に36年住んでおりますけれども、自宅から3分で来られるようなこういう会場で「九条の会」のみなさんにお話しする機会を作っていただいて、たいへん光栄に思っております。準備をされた皆さんに厚く御礼を申し上げます。
 今日のお話のタイトルは「民主党政権下の日米安保」ですけれども、時間も限られておりますので、やや雑駁なお話になるかもしれません。ご承知おき下さい。
 お話のとっかりに、「万歳」の話から始めたいと思います。
 昨年の8月30日に総選挙がありましたね。民主党が308議席を取って、いわゆる政権交代となった、そういう総選挙でしたけれども、私も大勢の皆さんと同じように、夜まで開票速報を見ておりました。そうしますと、「当選確実」を打たれた候補者の方々が次々に万歳三唱をしている。その万歳をみていますと、じつにさまざまです。ずいぶんみっともない万歳もありまして、だいたいの人が正面から見るとY字型に見えるんですけれども、手を広げてカチャーシーみたいになっているのもありますし、「てっぱん体操」みたいになっているのもあったりして、あまりピシッと決まる万歳がない。
 そのなかにただ一人、私が非常に注目したのが、小原舞さんという新人の万歳でした。どこがすごいかと言いますと、指を広げない、腕を耳の横にまっすぐ立てる。非常に美しい万歳になります。べつにお勧めするわけではないんですけれども。
 なぜ小原舞さんが立派な万歳ができたんだろうと気になりまして、調べてみました。この人は京都5区から出ましたが、舞鶴のご出身です。舞鶴は日本海に面して、昔からの軍港都市です。現在でも海上自衛隊がいます。小原舞さん自身が高校を卒業して自衛隊に入って、そこで美しい万歳の仕方を習った。自衛隊を辞めたあと小原さんは関西学院大学、京都大学大学院を出られて、政治家をめざして松下政経塾に学んで、そして議員になった。
 しかし自衛隊出身者が、時の政権政党である自民党ではなくて、民主党から出て議員になろうとした、というところに私は非常に興味を持ちました。たまたまと言いますか、読みが深いと言いますか、民主党は与党になりましたけれども、自衛隊出身者が野党から出て国会議員になる、そういう時代になったんだなあと。これは自衛隊と政権との微妙な関係を表していると、私は思いました。
 さらに遡りますと、いまも民主党の陰の実力者である小沢一郎さん、息子さんが3人おられますけれども、自民党時代に親しい人には、陸海空の自衛隊に一人ずつ入れると話していました。ところが実際に自衛隊に入ったのはご長男だけでして、早稲田大学を出て、海上自衛隊の幹部学校に入りましたけれども、自衛官は途中で辞めてしまって今では会社員になっています。次男、三男は自衛隊とはまったく関係のない仕事をされているということです。
 とにかく、自衛隊と自民党・民主党の微妙な関係のなかで、いまの政権ができているということになります。それでは民主党はもともと、どういう安全保障政策を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか。

1.民主党の政権公約とその挫折

 いわゆる政権交代選挙で、民主党は福祉課題を協調して選挙を戦ったわけですね。ですから大勢の皆さんがそれに期待して、少しは暮らしが良くなるかも知れないと民主党に投票された。もうひとつ大事なのは、外交・安全保障政策について彼らがマニフェストの中で、かなりはっきりとしたことを言っていたということです。
 読んでみますと、次のような文章が出てきます。「緊密で対等な日米同盟をめざす」。どう考えても日米同盟といえば向こうが上であって、日本は目下の者だと思われてきたときに「対等」と言われると、何かちょっと変わるんじゃないかという期待が生まれました。マニフェストにはさらに具体的なことも書いてあります。「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で進む」。この部分は民主党のマニフェストであっただけではなくて、社民党・国民新党と連合政権をつくるに当たっての政策合意にも採り入れられました。ということは、新政権の国民に対する約束だったということです。それが「対等な」日米関係であって、地位協定も基地も見直すということですから、ではやってもらおうではないか、というのが私どもの基本的な見方になります。
 鳩山政権は、確かに米国に基地問題を提起しました。沖縄の人たちは非常に期待をかけました。しかしながら、米国にも沖縄にも、どちらにもいい顔をして、どちらにも言い訳ができなくなって、鳩山さんは辞めてしまったわけですね。
 次は菅直人政権になりましたけれども、では菅さんという人がもともと、どういう外交・安保政策を持っていたのか。ちょっと古いところを見てみますと、彼は岩波新書で『大臣』などという本も書いていますけれども、彼の基本的な考え方は1996年に光文社から出た『日本大転換』にひととおり書いてあります。もっとも96年にはまだ民主党という政党はありませんで、菅さんは「新党さきがけ」で、橋本内閣の厚生大臣ですけれども。その本の中に何が書いてあるかと言いますと、ほとんどが内政問題です。官から民へ、これが基本テーマであって、後ろのほうに少しだけ外交・安保政策が書いてある。もともと彼は外向きの人ではなくて内向きの人でした。
 そのわずかな外交・安保政策を読んでみますと、けっこういいことを書いているんです。「アメリカを通じてのみ考えるのではなく、アメリカを含む世界の国々と、どういう関係を結んでいくか、自立した思考を持ち、あらたな外交方針をつくる」。その通り、と言いたくなるようなセリフですね。あるいは、「核独占クラブの国連常任委員国入りは国益に反する」とか、「いわゆる集団的自衛権も、憲法が認めていない。私は、この問題で憲法を変えるべきではないと思う」とまで、はっきり書いています。これが1996年の菅直人さんの基本的な態度だったんです。
 ところが14年たって、じつに情けないことに今なっていますね。菅さんは首相に就任するに当たっての所信表明演説、今年の6月11日ですけれども、「日米同盟を着実に深化させる」と言いました。自民党とどこが違うのかということになりつつあるわけです。10月24日には菅さんは3年に1度の自衛隊観閲式、練馬区の朝霞駐屯地で行われましたけれども、ここでも隊員に対する訓示で「日米同盟深化」と繰り返しました。
 鳩山さんも菅さんも、対米追随が問題であることは分かっているわけですね。分かっているけれども、そこから脱却するためにどうしたらいいかが全然分からない。これが問題なんです。
 では民主党全体としてはどうなのか。民主党が政策を重視するようになったのは岡田代表の時代です。99年に「ネクスト・キャビネット」をつくりました。英国の「陰の内閣」のマネですけれども、各分野の政策の担当者を決めて政権交代の準備をした。のちに02年には「次の内閣」と名前を変えました。翻訳しただけですけれども。
 ここで外交・安保問題を担当したのは伊藤英成さんという人です。誰だっけ、というくらい知名度の低い人ですけれども、もとトヨタの社員で、自動車総連という労働組合組織の推薦で民社党から国会議員になった人です。この人は02年には政界を引退されましたので、その後を引き継いだのが前原誠司さんです。
 前原さんは後に防衛大臣になった石破茂さんという自民党の議員などと一緒に安保問題の勉強会をやっていた人です。05年には民主党代表になりましたけれども、米国に行って、中国は脅威だとか、同盟堅持とかを主張して、そこまで言っていいのかと米国に思わせた。わずか半年で、偽メール事件で代表を辞任しましたけれども。安倍内閣のときは民主党を離党して防衛省に就任するのではないかと取り沙汰されたこともあります。
 こういう人が民主党の外交・安保政策を作ってきたわけです。

2.安保50年の変質

 日米安全保障条約がこの50年でどういうふうに変わってきたかを、次にお話ししようと思います。
 1960年に現在の安保条約が、たいへん問題ある国会で批准されましたけれども、それ以来の50年間に、安保条約の条文はまったく変わっておりません。そのままです。安保条約の条文そのものは1条から10条までの短いものでして、『六法全書』なら1ページに納まってしまうものです。いろいろ問題の多い条約であることは、皆さん勉強されてご存じかと思います。
 それでも日米安保条約を、米軍に基地を提供する代わりに日本を守ってもらう約束だと、だから自衛隊は最小限の防衛力で大丈夫、いざとなれば米国が助けてくれる、そういうものだと思い続けている方が多いと思います。今では安保条約はまったく違うものになっています。条文は一度も変えられたことがないにもかかわらず、中身は大変化しています。国会で審議もせずに日米の政府同士で話をして、中身をどんどん変えてきました。ではどういうふうに変えてきたか。
 1972年5月15日に沖縄が日本に還ってきました。これは日本の戦後政治の大変化です。というのは、日本の戦後政治の基本はサンフランシスコ講和条約で決められたものでして、沖縄は日本から切り離されて米国の軍政の下に置かれる、沖縄以外のヤマト(「本土」という言葉は使いたくないので「ヤマト」と言いますが)には米軍が駐留を続けて事実上の半占領状態、これが72年まで続いてきたわけですね。しかし沖縄が還って来ると、安保条約が沖縄にも適用されるようになりました。
 1978年には「日米防衛協力のための指針」、いわゆるガイドラインが日米政府の間で協定されています。中身は何かと言いますと、すでに自衛隊は十分、軍隊なみのものになった、だから日本の防衛は自衛隊が自分でやりなさい、米国が助けるまでのこともないでしょうと、これが基本です。どうしても自衛隊だけで守り切れなくなったら米軍が助けに行く。自主防衛・有事来援と言います。
 たとえば、いまテレビや新聞で尖閣諸島の問題が大きく報道されていますけれども、もし万一、中国軍が、いま無人島であるところの尖閣諸島に上陸して占拠したらどうするか。すぐ近くの沖縄に米国の海兵隊がいますから、当然、飛んでいって中国軍を蹴散らしてくれるだろうなどと思ったら甘いです。そんなことは絶対にあり得ない。日本の国土防衛は自衛隊の役割ですから、尖閣諸島に侵入した外国軍を排除する仕事は自衛隊がするほかはないんです。全自衛隊の力でもどうしても排除できない、負けてしまった、助けて下さいというときに初めて米軍が出てくるんです。そういうことを決めたのが1978年です。なんだ、安保とはそんなものだったのかと思われた方もあるかもしれませんが、これが現実です。
 そして1996年には「安保再定義」が行われました。日米政府の間で協議があって、もういちど安保の中身を定義し直そうと。このときに初めて「日米同盟」という言葉が公式文書に出てくるんですね。同盟という言葉はそれまで、日本では公に使ってはいけない言葉だったんです。同盟というのは共通の敵があって、その敵と戦うために協力しあう、そういう軍事的な役割を持ったものです。日本は憲法9条によって軍隊を持たないことになっている。戦争をしないことになっている。敵国もないし戦争もない。そういうところで同盟など、あってはいけないものだったんですね。それがこの「安保再定義」で、堂々と公文書に使われるようになりました。
 なぜ安保から同盟になったのかというと、安保条約の1条から10条までに書かれていない、それよりもっと広がりを持った軍事協力をするようになったからです。たとえば安保条約には「極東」という言葉が出てきます。日本にいる米軍は極東の平和のために動くのだと。では極東とはどういう範囲かといえば、60年安保国会で政府は「フィリピン以北、日本周辺」と言いました。そうするとベトナムは入らないし、当然、アフガニスタンやイラクは入らない。しかし今、日本の米軍基地から米軍は世界中に飛び立っています。安保条約に書いてあることとははっきり違っている。安保の枠に収まらない軍事協力をしている。これを日米同盟と言うようになったわけです。この1996年には、日米軍事協力の範囲は極東からアジア・太平洋地域へと拡大しました。
 ここでガラガラと変わっていきます。日本は戦争をしない国であったはずなのに、戦争になったらどうするかという有事法制を作りました。日本の周りでコトが起こったらどうするかという、これは周辺有事と言いますけれども、このときに米軍と自衛隊がどういう協力をしあって戦争をするかという、共同作戦計画も公然と作り始めました。
 さらに変わったのは、2003年のイラク戦争のときです。イラクは日本の周辺どころではないし、アジア・太平洋地域でさえもないですね。あんな遠いところまで行って自衛隊は、武装した米兵や米軍物資を運ぶ仕事をしました。はっきりと戦争協力です。名古屋の高等裁判所が、これは戦争協力であって憲法違反であるという判決を出したくらいの大問題です。それが公然と行われている。
 つまり安保条約は、極東の安全のためのものから世界中に広がった、日米の軍事協力条約に、いまなっている、あるいはなりつつあると言っていいだろうと思います。そうなりますと、いま自衛隊はどれだけの実力を持っているかが問題です。
 自衛隊は海外に大量に派遣・展開する実力を、すでに持っています。たとえば海上自衛隊には「おおすみ」型という輸送艦が3隻ありますが、330名の兵と10両の戦車を一度に運んで、ホバークラフトで陸揚げすることができます。あるいはヘリ空母という「ひゅうが」型の艦は、本格的な航空母艦ではありませんが、ヘリコプターを甲板に載せて上陸作戦をすることができる、排水量13500トン、長さ200メートルという大型艦です。これは2隻あって、より大型の3隻目を建造中です。イージス艦というのは僚艦と情報を分け合って、来襲する200の目標に対応できる船ですけれども、もともと航空母艦を護衛するのが任務ですから、日本が持っていても仕方がないのに、つまり米軍との共同作戦で使うものとして、すでに6隻持っている。
 陸上自衛隊は中央即応集団という、もっぱら海外派遣のための4200人の部隊を作りました。いまその一部がソマリア海賊対処で出かけています。
 航空自衛隊では、次期輸送機CX2を開発中です。小牧基地からイラクに行っていたC130輸送機はプロペラ機で、イラクまで4泊5日かかって行っていましたけれども、新輸送機はジェット機で、中東まで1泊2日で行けます。これは来年から使い始めます。空中給油機もすでに持っていますが、戦闘機は空中で給油を受ければ、パイロットが疲れるまで、いつまでも地上に降りずに遠くまで出かけて長時間の作戦ができます。
 また自衛隊は、敵地攻撃能力を持つようになりました。自国を守るだけではない。外国に出かけて爆弾を落とす能力をすでに持っています。F2という戦闘機がありまして、自衛隊では支援戦闘機と呼んでいるんですけれども、実際には500ポンド爆弾を積む。こんなものを国内で使うはずがありません。自分の国土に爆弾を落とすことなどありませんから。爆弾を落とす訓練は国内ではできないので、グアムの米軍基地でやっています。日本の国民に見られないところでそういう訓練をやっている。
 さらに自衛隊は日本だけではなくて、米国本土を守る能力を持ちつつあります。ミサイル防衛です。中国や北朝鮮から米国を向けたミサイルが発射されたときに、それを途中で落とす。これにはイージス艦が大きな役割を果たします。本当に飛んできたミサイルにミサイルをぶつけるような手品のようなことが実戦で可能かどうか、やってみないと分からないことはありますけれども。ともかくそういう武器を日本が持ちつつある。これは自衛隊にとっても、対等な立場になりつつあるという自信というか、幻想を持たせていると思います。
 このように自衛隊は、すでに非常に大きな力を持っているわけですけれども、しかし一人で戦えるかというと、そうではないんです。非常に片寄った装備になっています。すなわち米国と共同でないと戦えないような武器のそろえ方になっているんですね。しかも自衛隊が持っている武器の大事なところはみなブラックボックスです。米国から輸入したもので、中を開けてはいけない、何が入っているか分からない、動かし方だけ分かっている。そういうものが積んであるのが日本の最先端の装備です。だからバージョンアップのためにはイージス艦はハワイまで行かざるを得ないんです。
 自衛隊は米軍の補助部隊としてしか使えないものになってしまっています。
 では、それだけ米国に尽くしてきて、米国は本当に日本を守ってくれるんだろうか。

3.安保条約は日本を守らない

 最近のニュースで言いますと、11月1日にロシアのメドベージェフ大統領が、日本が北方領土と主張している国後島に行きました。日本に返還しないという意思表明です。米国がどういう反応をしたかといえば、翌日の2日にクローリー国務次官補が、北方領土は「安保条約の対象外」だと明言しました。つまり安保条約で守る地域の外であると。北方領土問題は日本が自分で解決しなさいということです。これは当たり前でありまして、第二次世界大戦が終わる直前にスターリンとトルーマンが協定をして、千島はソ連のもの、沖縄は米国のもの、と決めたわけですから。
 では尖閣諸島はどうなるのか。1996年ですけれども、モンデール駐日大使が、尖閣諸島を守る義務は米国にはないと発言したことがあります。これはどういうことだと日本政府は抗議しましたけれども、米国政府はしばらく論評を避けました。その後、3箇条の基本認識を言ってきました。①尖閣は沖縄返還以来、日本の施政下にある ②安保5条は日本の施政下にある領域に適用される ③したがって安保は尖閣に適用される。ブッシュ政権まではこうだったんです。いざとなったら守ってあげる、という中身がどういうことかは、先ほど申し上げた通りです。
 しかしオバマ政権になってから、これは変わりました。同じ3箇条ですけれども、①米国は尖閣諸島をめぐる日中の領土紛争に関与しない ②安保は日本の施政下にあるすべての領域に適用される ③尖閣諸島は日本の施政下にある。今年の9月23日、ベーダー国家安全保障会議アジア上席部長の発言です。すると、実効支配している国のものだと割り切っているように読めます。
 実際に米国は、中国の漁船が尖閣沖で海上保安庁の船に体当たりした事件のわずか2日後には、米中間の軍事交流を再開することを決めました。尖閣問題で中国に申し入れなどまったくしておりません。
 尖閣問題でひとことだけ申し上げておきますと、領土だと言いつのることには少し問題があると私は思っています。尖閣諸島も北方4島も日本の領土であることにいっさい疑問はありませんけれども、領土を守ることが大事だということばかり言っていると、では守るときにどうするのか。自衛隊を使うのか。衝突が起これば死人が出ます。平和的に解決するためには、領土の主張は降ろさないけれども、海底資源は共同開発しましょうとか、漁業規制は一緒にやりましょうとか、そういう話し合いから始めていかないといけないのではないか。国連に提訴もしないで領土主張をしても仕方がないと思います。
 とにかく中国は、かつて13億の人口と言われましたけれども、これは70年代の話です。正確な統計がありませんが、中国の人口は実際には15億を超えていると私は思います。17億と言う人もあります。食べさせていくのは大変なんですよね。だから必死で世界中に散らばって、権利を主張している。それに対してはやはり軍事的でない方法で対応していくことが、やはり必要だろうと思いますけれども。
 ちょっと横道にそれましたけれども、とにかく米国は北方領土問題についても、尖閣諸島問題についても、日本を助けてくれないということは非常にはっきりとしているということです。だったら日米安保は、いざというときに全然役に立たないのではないでしょうか。しかし米国の戦争には協力させる。安保はそういうものになっている。
 しかも米国の将来展望を見てみると、日本の位置づけは非常に小さなものになっています。米国の国家情報会議、これはCIAその他を束ねた米国再考の情報機関ですけれども、ここがほぼ5年ごとに出している「グローバル・トレンド」という文書があります。まあ世界の潮流とでも訳すんでしょうか。「グローバル・トレンド2025」は2025年までの展望で、08年に出たものです。
 この中には、かなり悲観的な展望が書かれています。2025年までに、米国は唯一超大国であり続けることはできない、多極化が進んで、米国は普通の大国になってしまう。落ち目だと自分で認めているわけです。では日本はどうなるかというと、米中の間で揺れ動くと書いてあります。日本は中の上ランクの地位は確保するけれども、大規模な方向転換に直面すると。同盟を結んでいる相手国に対して、中国に付くか米国に付くか自分で決めなさいというような、クールな態度です。
 世界中で戦争をしてきた米国は、国内問題が山積して、オバマさんの再選はないでしょうし、あと2年間も役割を果たすことができるかどうか、という状況になっています。米国は生き残りのために日本を最大限に利用します。しかし日本のことは考えてくれない。これが実態だということを、きちんと見る必要があるのではないでしょうか。

4.日本財界の思惑

 では米国から離れて、日本の財界が安保・外交政策をどういうふうに考えているのかを見てみたいと思います。
 日本経団連という財界のトップ組織がありますね。安倍政権のころまではけっこう元気が良くて、2007年には「希望の国、日本」などというレポートを出して憲法改正を言っていました。最近では将来展望の文書は出しておりません。しばらく様子見でしょうか。
 日本経団連が政権交代に対してどういう態度を取ったかといいますと、もともと二大政党制、すなわち自民党が勝っても民主党が勝っても、憲法改正に向かうような政治をやってくれればそれでいいというのが基本でした。昨年の9月15日には鳩山「新内閣に望む」という声明を発していますけれども、ここでは鳩山政権歓迎です。ただし「改革を後戻りさせることなく、より豊かで活力あふれる国作りに取り組んでいただきたい」と釘を刺しています。そして「戦略的な外交・安全保障の推進と憲法改正に向けた合意形成」を要望しています。
 今年の9月17日には、菅「新内閣に望む」という声明で5つの重要課題を挙げまして、その5番目が「日米同盟を基軸にした外交・安全保障体制を強化する」ことです。
 今年の7月20日には同じ日本経団連は、「新たな防衛計画の大綱に向けた提言」をしています。日本の安全保障政策の基本文書に、次のことを盛り込めと。いちばん強調しているのが「新しい武器輸出管理原則の確立」です。武器輸出3原則を緩和して、共同開発、輸出ができるようにしなさいと言っているわけです。
 米国も日本財界も日米同盟を強化せよと民主党政権に圧力をかけているわけですが、その結果として、先走った先例として、自衛隊が初の海外基地を持つようになったことについてお話ししておきたいと思います。

5.自衛隊初の海外基地

 アフリカにジブチという国があります。いま問題になっているソマリアの隣、遡るとスエズ運河がある紅海の入口にある。ソマリア海賊対処で行っている自衛隊は、このジブチを拠点にして活動しているんです。人口80万人ほどの小さな国で、もとフランスの植民地でした。
 ここに日本の自衛隊が初の海外基地を造るということをスクープしたのは、今年の4月26日のAFP通信でした。北川敬三・海上幕僚監部にインタビューして記事を書いた。7月17日には起工式がありまして、能化正樹・駐ジブチ日本大使と、海賊対処航空隊司令が出席して、鍬入れ式をしています。どういう施設を造るのかと、共産党の赤嶺政賢議員が質問主意書を出しまして、回答が出ています。なんと47億円かけて、24の施設を造る。そこに280人を収容する。
 自衛隊のソマリア海賊対処は昨年の7月に始まって、今年の7月に1年延長しました。従いまして来年夏には帰って来てしまうはずのものです。しかし47億の費用をかけて新しい基地を造るからには、相当に長い期間、居座るつもりだということになります。海賊対処は名目でありまして、実際には内乱が続いているソマリアに大国に都合のいい政権をつくる、そのために軍事的に圧力をかけている、そういう事態だと私は思います。自衛隊派遣の根拠になった昨年の国連安保理決議1863は、ソマリア暫定政府を支持してソマリアPKOを組織することを目指していました。
 NATO軍や米軍とともに、ソマリアにイスラム原理主義政権ができることを阻止する、大国に都合の良い政権を軍事的に圧力をかけて作らせる。そういう長期的な展望を持って、自衛隊はいまアフリカにいるんです。駐在する自衛官の治外法権を認めさせる地位協定も、ジブチとの間で結びました。
 米軍は世界を5つの区域に分けて、それぞれに統合軍を配置していました。日本はハワイに本部を置く米国太平洋軍の管轄区域です。この5つの世界分割を今年の10月1日に改定しまして、米軍は「アフリカ軍」を創設しました。米軍がアフリカを重視し始めているんですが、もちろん資源問題があると思います。その米軍に、自衛隊が初の海外基地を造って協力し始めた。このことはあまり新聞報道などに出てきませんけれども、きわめて大事なことだと思います。

6.次期「防衛計画の大綱」策定へ

 では、これから日米安保がどういうふうになっていくのか。民主党政権は日本の外交・安保政策をどういうふうに進めようとしているのか。
 先ほど名前を出しました、「防衛計画の大綱」という基本文書があります。これは日本の安全保障のいちばん大事な基本文書でありまして、最初に作られたのは1976年ですけれども、95年と04年に改定されまして、04年に作られた大綱が昨年暮れで期限切れになりました。5年計画ですから。したがって日本では長期的な安全保障政策がないまま防衛予算を組んだのが今年の実態だということになります。きわめて乱暴なことです。
 なぜかと言いますと、この大綱は世界情勢から始まってその中での自衛隊の任務を規定して、隊の規模から武器の数までを決めている文書だからです。そういうものが去年で期限切れになったまま今年の予算を組んで、来年の予算もできつつあるのが今の状態です。新しい大綱を作らなければいけないので、今年中に作ると菅内閣は言っています。ではどういうものを作るのかが問題です。
 鳩山内閣はあわてて諮問機関として、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」を作りました。長い名前ですので、「新防衛懇」とふつうは略称しています。新防衛懇は今年の2月18日に審議を始めて、非常なハイピッチで14回の会合を開いて、8月27日にはもう答申を出しました。わずか半年で5年計画の叩き台ができてしまうのは、もちろんそれなりの準備があったからです。誰が準備していたのか。鳩山さんや菅さんであるはずがないですね。
 元になったのが何かと言いますと、ひとつは昨年の6月に自民党の国防部会が作った「提言・新防衛政策の大綱について」という文書です。この文書の「これからの防衛政策」のいちばん最初に出てくるのが憲法改正なんです。憲法改正が先に立った防衛政策を自民党が作った。これが最初のプランです。
 新防衛懇はどういうメンバーかと言いますと、座長は京阪電鉄の代表取締役である佐藤茂雄さん、つまり財界代表です。そして専門委員が3人いますけれども、元防衛事務次官、前統合幕僚長、前駐米大使です。自民党政権時代の外交・防衛担当者だった人々。その専門委員が中心になって答申を起草するわけですから、どういう文書ができるかは見え見えです。新防衛懇の他のメンバーの多くは大学教授です。とくに防衛の専門家ではありません。
 新防衛懇の審議が始まる前から、防衛省政策会議ではさまざまな勉強会が行われて、民主党議員にレクチャーをしていました。防衛省政策会議がお膳立てをして新防衛懇を組織しました。中心になったのは防衛大臣政務官の長島昭久さんという議員です。この人は米国に留学して、ジャパン・ハンドと呼ばれる民主・共和両党相乗りの、対日政策ブレーンたちと共同研究をやっていた人です。この人が民主党の外交安保調査会の事務局長をいまやっている。米国の意志がこういうふうに流れ込んできているということですね。
 つまり自民党の国防族、防衛省の官僚、そして財界、米国の意向、そういうものを全部集めた形で、いま新しい防衛政策の大綱が作られようとしています。
 中身を見てみる必要があります。8月27日に出た新防衛懇の答申のなかで、総論に当たる部分を見てみますと、安全保障上の目標を3つ設定しています。ひとつは「日本の安全と繁栄」です。その中には「日本国外に居住、滞在する日本人の安全」も含まれています。在外邦人保護がいつも日本が戦争を始めるときの理由であったことを思うと、注意すべきことです。2番目には「世界の安定と繁栄」を挙げています。日本のためだけの自衛隊ではない、世界の安定と繁栄のためにも自衛隊が働くわけです。さらに3番目、「自由で開かれた国際システムの維持」、これも自衛隊の役目にします。「統治能力の欠如した破綻・脆弱国家」は国際敵脅威だからというので、正しい国にするためにお手伝いをしましょうと。いまジブチに駐在しているのはそのためですけれども、そういうケースも含めて新防衛施策を作ると言っているんですね。
 しかも、「自衛隊が自らの責任で任務を遂行できる範囲を広げていく」。米国のお手伝いだけではない、日本が自主的に判断して自衛隊を世界中に派遣できるようにする、という総論です。この背景には、「米国の圧倒的優越の相対的後退による世界的なパワーバランスの変化」があるとしています。
 そして、「防衛力の役割を侵略の拒否に限定してきた『基盤的防衛力』概念は有効性を失った」、つまり自衛隊は日本を守るだけではいけない時代になった、という認識です。今後は「日本が受動的な平和国家から能動的な『平和創造国家』へと成長することを提唱」しています。平和創造とは耳障りの良い言葉ですが、自衛隊の役割として言っているわけですから、軍事力で世界の平和に貢献するということです。もう専守防衛ではない。積極的に外国に出て行く自衛隊、それを日本の防衛施策の基本にしようというプランです。これを叩き台として、いま新大綱が作られようとしています。
 具体的な提言として、いろいろなことが挙がっています。いま新聞報道で言われているのは、先ほどちょっと申し上げました、武器輸出3原則を緩和して共同開発・輸出ができるようにすることです。3原則とは、1967年の佐藤政権時代に決めた、共産主義国、国連決議で禁止された国、紛争当事国には武器輸出をしないという定めですが、76年の三木政権時代に事実上一切の武器輸出禁止になって、83年の中曽根政権時代に米国を例外とした、というものです。
 提言には、離島などへの自衛隊の新たな配備もあります。与那国島に100名の陸上自衛隊員を配備して、レーダーで尖閣諸島を監視することが、ほぼ本決まりになっています。
 あるいは、「核兵器による懲罰的抑止は米国に頼る」として、米国の核の傘に入ることを続けます。そのために非核3原則ではなくて2.5原則あるいは2原則、つまり米国の核持ち込みを自由にすることも展望しているわけです。
 そして集団的自衛権行使は憲法違反という解釈を変える、日米軍事協力にいろいろ制限があるのはまずいと、一緒に戦えるようにしようと言い始めている。いまの法体系で言いますと、自衛隊は外国に行っても、銃を撃てるのは兵士個人が自分を守るときだけでした。上官が「撃て」と命令することができない。一人ひとりで判断して、自分がやられると思ったときだけ発砲できる。これはソマリア派遣で変わりました。任務遂行に必要だと思ったら発砲して良いことになりました。任務遂行に必要ということだと、いくらでも拡大解釈できますね。さらに友軍も守れるように、法体系を準備しています。
 新防衛懇の答申は、総論では米国からの自立傾向を匂わせていますが、各論になると日米同盟強化です。
 このように、年内に新しい防衛計画の大綱を作ります。その細かな詰めがいま行われています。最終的にどのような閣議決定になるかは、駆け引きがありますから分かりませんけれども、基本路線はいま私が申し上げたとおり、きわめて危険なものです。武器輸出3原則の緩和も、非核3原則の放棄も、集団的自衛権の解釈変更も、今まで自民党政権がやりたくてたまらなかったけれどもできなかったことです。それを「政権交代」のどさくさまぎれにやろうとしているのが民主党です。前より、自民党政権時代より悪くなる。外交・安保政策は前より悪くなると考えたほうがいいと思います。
 では、他に道はないのでしょうか。外交は軍事を背景に、コブシを振り上げて行う以外にないのでしょうか。そうではないと私は思います。

7.東アジアの平和をどのように作るか

 ここにお集まりの皆さんは「ねりま九条の会」の会員の方が多いと思いますけれども、憲法9条の道はまったく違った道ですね。憲法9条は、戦争をしない、軍隊を持たないと決めています。しかし9条とともに日本国憲法のなかで非常に大事なのは、前文です。このなかに何が書いてあるか。その一部を読んでみます。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 全世界の国民に日本国憲法が開かれているのは、わずかにここだけなんです。9条だけではなくて、ぜひ前文も読んでいただいて、この精神を生かすことを考えていただきたいのです。なぜなら、日米安保というものは日本の安全のために役だっていないということは今までお話ししましたけれども、そればかりか、世界の平和のために、あるいは東アジアの平和のために非常な邪魔者となっているという現実があるからです。
 イラク戦争のなかで「ファルージャの大虐殺」という事件がありました。ファルージャの町を米軍が封鎖・攻撃して、民間人を虐殺した事件です。日本の沖縄から佐世保の船に乗って出動した海兵隊員が、そこに参加していました。日本の米軍基地がそのために使われたということです。
 あるいは、イラクで航空自衛隊は武装した米兵をたくさん運びました。それが憲法違反だという裁判の判決が出たことは、先ほどお話ししました。
 あるいは、湾岸戦争の最初にトマホーク・ミサイルを撃ち込んだのは、横須賀から出て行った米国の軍艦でした。
 そして朝鮮半島の緊張がいま大変な問題になっていますけれども、北朝鮮がなぜ核開発を進めるかといえば、普通に戦争をしても絶対に勝てないことが分かっているからです。しかも日本・米国・日本の軍隊が毎年のように、北朝鮮に攻め込むことを想定した軍事演習を、すぐ鼻先の海でやっている。平穏ではいられませんね。だから旧式の装備で石油がなくて、ぶつかったら必ず負けるけれども、一発逆転あるいは抑止力として核開発を進めている。朝鮮戦争は終戦にいたらず休戦のままですけれども、こういうコブシを振り上げたままというのはいちばん良くない状況ですね。どこかで変えなければいけない。
 では日本の外交・安保政策をどういうふうに転換していくか。やはり日米安保を解消せざるを得ないと私は思います。しかしながら現実に24万人の自衛隊がいて、4万9000人の在日米軍がいて、基地労働者がいて、軍需産業があって、基地地主がいるとき、今日から全部やめましょうということができるはずがない。それは大変な失業者を出すことになります。しかしながら何年か計画でやっていくことは可能ではないか。もちろん、そのための条件を外に作る努力と合わせてのことです。
 まず、日米安保条約を廃棄します、自衛隊はとりあえず専守防衛のためだけのものに縮小します、という宣言をしてしまう。そのうえで日本の周辺の国々とお互いに軍縮協議をする。
 日本のお隣にはたくさんの国があります。いちばん遠いお隣が米国です。いちばん遠いお隣とだけ軍事同盟を結んで、他のお隣にいつでも攻めていける状況を作っているのは、東アジアの平和のためにいちばんの障害ではないでしょうか。隣にはいろいろな国があります。朝鮮半島は南北に分断されている。中国も台湾といわば分裂している。両方の分断には、歴史的にかなり日本の責任があります。ロシアも含めて、国の体制はさまざまです。
 これらの国と、たとえば六カ国協議のように集団的に協議することもいいけれども、ひとつひとつの国と話し合いをしていく。先に申しましたように、日米安保廃棄、自衛隊の専守防衛への後退の基本方針を先にこちらが掲げたうえで、相手の国を先に攻めていくことはしないという約束をお互いにしあう。敵地攻撃能力のある武器は棄てる。軍事交流をしてお互いの演習の様子を見せ合う。国境の共同警備をする。国境付近の資源は共同開発を進める。米国を含むすべてのお隣と、友好条約を結ぶ。そういう話し合いがなぜできないのでしょうか。そういう道があるはずだと、私は思います。
 国は引越ができないんです。隣に変な奴がいると思っても、やはり付き合いはしなければなりません。体制が違ってもお隣と話し合いができる状況を作るためには、日米安保は邪魔なものです。軍事力によらない平和を模索していく、それが憲法9条の精神であったはずです。
 憲法9条を守ることはきわめて大事なことです。しかし憲法9条の条文が変わらなければそれでいいわけではありません。新防衛大綱ができて、世界中に出かけていく自衛隊ができて、外国に自衛隊の基地ができて、それで9条を守ったことになるでしょうか。9条という箱を大事に守っているつもりだったのが、開けてみたら何も入っていなかった、そういう状況にならないために、9条の中身を守る。そのために安保をまじめに考える。それが大事なことだと思います。
 時間が来ましたのでお話を終わります。