ねりま九条ニュース12号

1面

6・6「講演と音楽の夕べ」集会報告

                     

 参加者は650人。ねりま文化センターの小ホールは満杯となりました。第一部では、田中知子さんのピアノ演奏で、八木正承さんのバリトン斉唱、九条の会の会員である岩城明さんのホルンの演奏が行われ、第二部は「九条は日本の誇り、世界の宝、今こそ憲法を考えよう」と題する伊藤真さんの講演が行われました。
 伊藤さんは、「憲法の伝道師」と自称されておられますが、とにかく分かりやすい語り口で、日本国憲法の素晴らしさ、特に九条の大切さを語られ、会場は共感と熱気にあふれました。
 早口で聞きとりにくかったという感想もありましたが、「おしゃれでステキな演奏、心がいやされ、うっとりしました。伊藤さんの憲法の話はとても分かりやすく、楽しく、機知にとんでいて素晴らしい。」また、「多数派の論理に辛い思いをすることが多い中で、多数派、強者への歯止めとして憲法があるという言葉に勇気づけられた。」という声もありました。そして「今日来てよかったー!」という素直な感想も、参加された大部分の人の気持ちを表しているように思いました。しっかりした資料への感謝の声も多く寄せられました。

 

2・3面

9条は日本の誇り、世界の宝…

ねりま9条の会 講演と音楽の夕べ

伊藤 真さん講演から

(法学館館長・伊藤塾塾長)

 

改憲を望む人の言い分「戦争がなくならないのは、人間が正義を求め、不正を憎むからだ」「正義のための戦い、民主化のための戦いという正しい戦争もある」

「戦争ほど儲かるビジネスはないぞ」が戦争をしたがる人の本音です。


 日本は明治維新直後の台湾出兵から71年間、アジア各地に侵略を続け、2000万を超す犠牲者を出し、太平洋戦争の末期には日本でも310万の死者をだしました。しかし、この戦争も「アジアを解放する正義の戦争」と宣伝されていました。テロリストも国家も正義を語ります。しかし罪のない人々の命を犠牲にするところに、正義などありえないのです。
正しい戦争、正義の戦争などというものは決して存在しません。

改憲を望む人の言い分 「9条の1項は残すから、平和精神は守られる」

 9条の1項には「国際紛争を解決する手段としては、これを放棄する」とありますが、これは「侵略戦争としては放棄します」という意味です。1項を残したところで、侵略戦争以外はどんな名目の戦争もOKという解釈ができます。全ての戦争は自衛のため、正義のためという名目で始められるのですから。
 9条の2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」としているから、あらゆる戦争はしませんという意味になるのです。そのために戦力は持たないし、交戦権、国が戦争をする権利は認めないと言っています。9条は2項が本質なのです。 「自衛軍はこの国を守る軍隊だ」というのなら、9条の2項を変える必要はない、今まで通りで充分です。自衛隊を自衛軍に変えるのは単に名前を変えるだけではない、9条の2で否定している軍隊を外国に出したいからです。しかも、自衛軍に何をさせるのかということについては、何の歯止めもかかっていません。「法律の定めるところにより」となっています。法律は、時の政治家が多数決で決めることができますから、何でもできてしまいます。

改憲を望む人の言い分「国会の多数派意見は正しい」

 多数派に従う法律はつねに正しいのでしょうか。私たちは過去にその時どきの国民の多数に従って、いろいろな過ちを犯してました。日本の侵略戦争も、「アジアを解放するための正義の戦いだ」と、大本営発表という嘘の情報を信じて旗を振ったし、1925年に「治安維持法」という言論を封殺する法律が成立したとき、反対したのは衆議院で13人、貴族院ではわずか1人でした。ヒトラーは、短い断定的な言葉を多用して国民を陶酔させ、国民投票を繰り返して、多数派国民の支持を得てファシズムを推進しました。
 最近では、このヒトラーのマニュアルを使って大量得票を取った日本の首相がいます。イラクの大量破壊兵器疑惑もそうです。人間は誰もが情報に操作され、ムードに流され、目先の利益に目を奪われることがある弱い生き物です。
 そこで冷静なときに、国家がやってはいけないことを決め、それに対してあらかじめ歯止めをかけておく。それが憲法なのです。法律は、国民の自由を制限し、社会の秩序を維持するものですが、憲法は、国家権力を制限し、国民の人権を保障するものなのです。

改憲を望む人の言い分「理想と現実がかけ離れているから、憲法は変えるべきだ」

 社会にはさまざまな差別があります。第14条の「すべての国民は、法の下に平等」も現実とかけ離れているから、憲法でも差別を認めろということになりませんか。泥棒がいるから、刑法も「少しぐらい泥棒をしても良い」ということにするのですか?
 理想と現実が違うからこそ憲法が必要なのです。人類の歩むべき方向を示すのが、憲法なのです。

改憲を望む人の言い分「中国や北朝鮮の軍事力は脅威、だから国民の生命財産を守るために、日本も軍隊を持つべきだ」

軍事力をもって脅威とするなら、アメリカこそ世界最大の「脅威」ということになります。でも日本人はそうは思っていない。なぜか、アメリカとの信頼関係がそれほど崩れていないからです。脅威の本質は軍事力があるかないかではなく、信頼関係が築けているかどうかがポイントなのです。北朝鮮や中国が脅威だというのなら、それは信頼関係が築けていないからです。
 ベルリンの壁が崩壊した理由を、ドイツの友人は「壁の向こうに友だちを作ったから」といいました。壁の向こうに仲間を作れば壁は壁じゃなくなるといのです。北朝鮮や中国と信頼関係を築けないところに問題があるのです。脅威の本質を見誤ってはいけません。
 また9.11やロンドンのテロを見ても、軍事力によって国民の生命や財産は守れないことは明らかです。軍事力に頼らず、貧困や差別をなくすために積極的に出かけていって国際貢献をすることによって信頼される国をつくっていくことが大切なのです。平和という主張は、軍隊を持たない日本だからこそ、説得力をもってアピールできるのです。

新憲法草案の3つの問題点

(1)国の下に個人がある  前文「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」12条「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」
 これは、国防の義務や愛国の義務をまず国民に課し、そのもとに個人の自由や権利を制限して秩序を重んじるもので、「国家のための国民」という戦前の考え方です。 「一人ひとりの個人の価値を尊び、自主的な精神に満ちた人間の育成」から「国家の支え手としてふさわしい人間の育成」に教育目標を変えた「新教育基本法」と共通のものです。
(2)9条の2項を削除し、アメリカ軍とともに軍事行動ができるようにする(3)格差社会を拡大する  憲法22条の「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」から、草案は「公共の福祉に反しない限り」を削除しました。22条は、例えば大規模ショッピングセンターなどから地元の商店街を守るために、床面積などを制限する時の根拠になっています。弱肉強食社会を食い止めるために、経済的強者に制限を加える条項です。この条項の削除は、「格差社会万歳、弱者は自己責任で」という考えに転換することを意味しています。格差が広がれば自衛軍の募集もしやすくなります。アメリカのように。