32号 2010年12月発行

〈1面〉

        石山久男さんの話を聞いて思い出したこと

                                                 栗原 新蔵(谷原在住)

  私、現在は年金生活者、五年半前まで千葉県の柏市の私立高校で世界史の教師をしていた。以前の本業を踏まえて書いてみる。一九一〇年八月二九日、日本帝国政府は「韓国併合」を公布した。当時、朝日新聞社に勤務していた石川啄木は「地図の上 朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ 秋風を聞く」「明治四十三年(しじゅうさんねん)の秋 わが心 ことに真面目になりて悲しも」「何となく顔が卑(さも)しき邦人(くにびと)の 首府の大空を秋の風吹く」等の歌を発表し、韓国併合を痛烈に批判、韓国人への連帯を明らかにした。また、同年は大逆事件もおこり、啄木は時代の閉塞感を感じながら、知性とヒューマニズムを武器として、時代に敢然と立ち向かった。一方、韓国併合後、初代の朝鮮総督となった寺内正毅は、「小早川、加藤、小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ」と謳い、言論弾圧と憲兵警察を伴う、いわゆる「武断政治」を断行した。また、一九一二年から「土地調査事業」をおこなったが、それは日本資本主義のための安価な原料供給地としての朝鮮が狙いだった。その結果韓国農民の多くが没落し、生活が困難となった人々は流民化し、朝鮮内ばかりでなく、満州、日本、沿海州などに渡っていった。日本に渡った朝鮮(韓国)人の一部は、一九二三年、首都圏を襲った大地震のさなか、デマ情報により軍・警察・自警団の手で、六〇〇〇人以上が犠牲となった。デマ情報を受信したとされる電波塔(通信施設)が中山競馬場内に二五年くらい前まで残っていた。  
 また、私の経験をご披露すると、約三〇年前のこと、授業中、ある生徒が「先生、オレンチのじいさん、昔、朝鮮人を助けたことがあんだってよ」と話してくれて、この言葉を頼りに徳田さんを訪問、話を伺った。それによると、「あいつら朝鮮人はいい奴だから助けてやんべ」ということで村人みんなで寺のお堂に四,五人の朝鮮人を匿ったという。朝鮮人は現在の東武野田線の敷設工事に従事していたとかで、常日ごろから村人との交流があったという。(船橋市丸山町、旧法典村)
 なお、沿海州に渡った朝鮮人は三〇年代に日本がスパイとして利用することを恐れたスターリンによって中央アジアに追放された。カザフスタンに居住する朝鮮系の人たちはその子孫であり、この人たちだって日本の植民地政策の犠牲者なのだ。                                                           (ねりま九条の会 会員)

 

〈2面〜3面〉

                              第6回 ねりま九条の会 総会の報告

 

 12月3日練馬公民館において、ねりま九条の会第7回総会を開催しました。参加者は90名、 記念講演の大内要三さん(元朝日新聞記者)の「民主党政権下の日米安保」には、「知っていたようで知らなかった」「陰にあるものまでわかった」「自衛隊の容易ならざる変質に不安を感じ」「このままだと戦争する国に変わる危 険をはらんでいる。若者に呼びかけ戦争しな い国にしていく」など17人から感想が出されました。また総会での質疑では、区内九条の会の交流の場を持って 欲しい、横田、横須賀などの基地や戦跡めぐりなどを企画して欲しいなどの要望が出されました。そして、新しいポスターを作るなどの方針案、予算案、新しい事務局体制を拍手で承認しました。

 

                    大内要三氏講演「民主党政権下の日米安保」より        

◆民主党の政権公約とその挫折
 昨年の「政権交代」選挙のマニフェストで、民主党は「緊密で対等な日米同盟をめざす」と書いていました。「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で進む」とも。これが国民への約束でした。何かが変わると思わせて、しかし何もできずに鳩山さんは退陣しました。菅さんがどうするかが問題です。

◆安保50年の現実
 現在の日米安保条約は1960年にできました。それから50年、条文はまったく変えられておりません。しかしたびたびの日米政府間の協議によって、実態は大きく変わっています。
 1996年の安保再定義で、日米の軍事協力は安保条約の枠を大きく超えて、「同盟」関係になりました。日本は戦争の始め方、進め方を決めた有事法制を作りました。周辺でコトが起こったときの日米共同作戦計画を作りました。そしてイラク戦争に際しては、自衛隊が武装米兵の輸送を担当して、裁判では違憲の判決が出ました。安保条約は極東の平和のためのものから、アジア太平洋地域へ、さらに世界へと広がっています。

◆自衛隊初の海外基地
 自衛隊はすでに大量の兵を外国に派遣するための大型艦や輸送機を開発しています。敵地攻撃能力を持って、爆弾を落とす訓練をグアムでやっています。ミサイル防衛で米本土を守る能力をもちつつあります。けれども最新鋭の装備の主要部分は米国製でブラックボックス、バージョンアップは米国に頼っています。
 自衛隊はまたアフリカのジブチに初の海外基地の建設を進めています。47億円をかけて280人を収容する24の施設です。ソマリア海賊対処を名目に居座って、米国のアフリカ資源戦略に協力するのです。

◆安保条約は日本を守らない
 では米国は本当に日本を守ってくれるでしょうか。この11月1日にロシアのメドベージェフ大統領が国後島に行って返還の意志のないことを示しましたけれども、翌日、米国政府は北方領土は安保条約の対象外と明言しました。尖閣諸島で中国船が海上保安庁の船に体当たりした2日後には、米国は中国に対して何の申し入れもせず、中国との軍事交流再開を決めました。日本にとって、いざというとき安保は役に立たないのです。しかも米国の情報機関は、「グローバル・トレンド」という報告書で、米国がいつまでも唯一超大国ではいられないことを認識したうえで、日本は今後、中国と米国の間で板挟みになる、日本は中の上のランクの地位は確保するけれども大きな方向転換に直面する、と予想しています。同盟国である日本に対して非常にクールな態度です。

◆次期「防衛計画の大綱」策定へ
 今年中に、次期「防衛計画の大綱」が策定されようとしています。大綱とは、日本の防衛政策のいちばんの基本文書です。叩き台になる新防衛懇談会答申では、「日本の安全と繁栄」だけでなく「世界の安定と繁栄」、「自由で開かれた国際システムの維持」のために、自衛隊が「自らの責任で任務を遂行できる範囲を広げていく」ことになっています。日本は軍事力でもって世界の「平和創造」をするというのです。具体的には、武器輸出原則の緩和とか、非核三原則の廃棄とか、離島への自衛隊配備とか、集団的自衛権行使のための憲法解釈変更が指摘されています。自民党政権がやりたくてもできなかったことを、「政権交代」のどさくさにまぎれて実現しようとしているのです。いま党内・政府内でさまざまな駆け引きがあって、最終的に閣議でどのように決まるかは分かりませんが。

◆東アジアの平和をどのように作るか
 日本国憲法は九条で、軍隊を持たず戦争をしないと決めました。憲法前文には、「全世界の国民が平和に生存する権利を有する」とも書いてあります。しかし安保条約はこれに反して、世界の国民にとって脅威となりました。在日米軍基地から世界中へ米軍は出撃していますし、自衛隊も世界に向けて出撃しようとしています。
 安保条約を廃棄する、自衛隊を専守防衛のものに縮小する、その基本方針を掲げたうえで、近隣の国々と友好条約を結ぶ努力をしていく道を選ぶべきです。先制攻撃をしない、敵地攻撃能力のある武器を棄てる、軍事交流をする、国境の共同警備をする、国境付近の資源は共同開発をする。そのような協議が必要です。国は引越できません。お隣が変人でも近所付き合いは必要です。いちばん遠いお隣の米国とだけ軍事同盟を結んで、近いお隣に攻め込む準備をしているのは、危険なことではないでしょうか。
 憲法9条を守ることは大事です。しかし9条の箱を守って、開けてみたら中身がなかったというのでは仕方がありません。9条の中身を守るために、安保をまじめに考えることが必要だと思います。

 

それぞれの 戦いし意味つきつめず 来し戦後なり いまに問わるる
                                                                          朝日歌壇」長崎田鶴子(長崎県佐世保市)

※時事狂言・俳句・短歌(戦争と平和または憲法九条に関連があることが条件)を募集します。
ふるってご応募ください。FAX03-3921-8023・Eメール neri_9jo@yahoo,co.jp(事務局)まで「それぞれの 戦いし意味つきつめず 来し戦後なり いまに問わるる


       
区内九条の会のとりくみ

11.23 石山久男氏 講演会の報告 
 平和憲法が1947年に施行されて11年後の1958年に私は東京で生まれました。中学3年生の社会科の授業では先生がしっかり憲法を教えてくださいました。子どもの頃・・・何故か理由は分からないのですが、朝鮮の人や中国の人のことを違った目で見ていた事があったと、私の中に覚えがあります。
 韓国「併合」100周年、歴史教育はなぜ大切か、戦争ってなんだ?というテーマで歴史教育者協議会前委員長の石山久男氏の講演会を企画しました。ねりま九条の会と地域の6つの九条の会で実行委員会を立ち上げました。
 練馬の西地域で実行委員会をつくり取組んだ企画は今までに日本の青空Ⅰの上映会、松谷みよ子さんの講演会があります。その経験が地域の九条の会のつながりを深めてきていたので今回の取り組みにあたっても大変心強いものでした。
 そして、講演会の会場として稽古場を提供してくださった東京芸術座と、東京芸術座九条の会の皆さんにも実行委員会に参加していただくことができました。講演会の一部は、東京芸術座の皆さんによる「松川事件」を題材にした
「勲章の川」の朗読劇。演出は、ねりま九条の会会のよびかけ人でもあった故高橋左近さんです。劇団員の皆さんはそれぞれの公演先の地方にいても朗読劇の構成を考え練習を重ねてくださいました。
  二部の石山久男氏の講演のテーマは、「韓国強制併合100年の今、九条と日本の未来を考える」。韓国強制併合の真実を、日清戦争、日露戦争の歴史からお話ししてくださいました。石山久男さんの講演内容の冊子もできるようです。是非、読んでください。
「日本の戦争は朝鮮を手に入れ、それを確実なものにするためエスカレートしていく過程がよく分かった」。「近現代史を学ばないと現在をしっかり認識できないことだと思う」などたくさんの感想が寄せられました。
 音楽を通じて平和を願う活動をしているゆうたさんのライブ、上石神井九条の会の外山さんのリードで皆でうたった憲法の歌学習もあり、芸術もあり、歌もありと、大変充実した講演会でした。                                                           遠藤千春(石山久男講演会実行委員長)

                 

練馬駅頭スタンディングは6年目に
 2004年7月24日のホテルオークラでの“九条の会”発足記念講演会に参加したのを契機に私たちくるみ班でも即九条の会をつくり、月一度学習会を続けている。学習会はホテルオークラでの講演会のビデオを観ることから始まり、“新しい憲法のはなし”や日本国憲法の全文を読み進め、その時々で問題になったテーマ( 国民投票法案や安保条約など)について学習し、話し合ってきた。
 2005年10月からは“何か具体的な行動を”ということで、毎月1回(原則的に第4週)練馬駅前広場で1時間スタンディングを行っている。憲法に関する“思い”をそれぞれの言葉で紙に書いて道行く人々に訴えて5年が過ぎた。 チラチラ見ていく人、ちゃんと見ていく人、全く無関心の人、共感して話しかけてくる人、反対と言って話しかけてくる人、“ご苦労様”と言って通り過ぎる人、悪態をついていく人などさまざまである。話しかけてくる人は本当にまれだが、何か反応があることが嬉しい。以前はいつも5,6人で立っていたが、今は3人。お連れ合いが病気になったり、ご自身が具合悪くなったりで、動ける人が少なくなってしまった。しかし、この国の政府のレベルは国民のレベルに比例する筈だから、憲法前文にあるように
“政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存すること”をスタンディングを通して伝えたい。

                                                   藤本智恵子(くるみ班九条の会)