35号 2011年6月発行

〈1面〉

       原発事故─映像は警告していた

                      加藤久晴(元東海大教授・メディア総研研究員)

   ますます深刻化する福島第一原発の事故、事故発生から三ヶ月以上になるが収束のメドさえ見えない。
 しかし映像はとうの昔から今日の事態を予想し、警告していたのである。
 映画で言えば1978年に公開された『チャイナシンドローム』は、ジェーン・フォンダが演じるテレビ記者が原発の広報番組を取材中に異変に遭遇し、その報道をめぐって局や電力会社と闘う話だが、この映画の中では、原発は一つ間違えば地球を危うくするような大事故を起こす危険極まりないない施設であることがはっきりと指摘されている。
日本で放送されたテレビ番組では、『核と過疎』(北海道放送・1986)『プルトニウム元年』(広島テレビ・1992)『核まいね』(青森放送・1988)『能登の海 風だより』(石川テレビ・1998)『なぜ警告を続けるのか』(毎日放送・2000)などを筆者は、秘かに〝反原発五大重要番組〟と呼んでいるのだが、これらの作品と向きあえば、原子力発電所なんぞ絶対に許してはならない存在であることが明確にわかる筈なのだ。例えば『プルトニウム元年』の中で描かれた被曝して死亡した原発労働者の両親の無念の思いや、チェルノブイリで内部被曝した子どもの母親の悲痛な心情に思いを巡らせば原発を容認する気持ちには到底ならないのではないか。
 しかし、実際は、こうした良心的な反原発番組と比較すると、原発CMや広報番組の放送量は余りにも多い。テレビの影響により視聴者が安全神話を盲信してしまったとしても無理からぬことかもしれない。
 日本国憲法は、第21条で表現の自由をうたい、検閲を禁じているで、原発の問題についても、もっと自由闊達に作られた番組が多数放送されて然るべきなのだが、現実は逆である。政府や電力会社からの圧力や介入により、番組の制作現場には自主規制や閉塞感が蔓延している。そして丸ビラ攻勢をかける電力会社。さらに、現場は殆どが下請けプロに任されていて、取材対象の意に沿った番組作りができない。原発批判番組を制作する余地は非常に限られてくる。ましてや、民主党政府は、国家戦略室を中心として原発推進を決めているので、今後もCMや広報番組が増え、批判番組を押さえる傾向は続くのではなかろうか。
 しかし、電波は国民の共有財産であり、放送局は国民から電波を預かって仕事をしている立場なのだ。そして放送法は多角的な視点からの番組作りを定めている。政府や電力会社だけの顔色を窺うような番組作りは絶対に許されてはならない。
 視聴者としては、放送局への権利意識を自覚し、テレビリテラシー能力を高め、いいからかんな番組作りに対しては大声で異議申し立てをしていく必要があるだろう。

〈2面〜3面〉

アーサービナード 6周年記念講演
「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ 日本列島のこれから」
日米両政府の“うそ”にだまされるな

 ねりま九条の会は6月18日、詩人アーサー・ビナードさんを招き6周年記念講演会を開催しました。会場の練馬文化センター小ホールは雨模様でしたが、定員を超えて650人が参加、立ち見も出る盛況でした。参加者は60歳代、50歳代を中心に若い人が目立ち、友達に誘われた人、文化放送で知った人などビナードさんの魅力にひきつけられてきたようです。
 アーサー・ビナードさんの話は原発なくして原爆は作れない、ワシントンや財界のいくつもの嘘に騙されてきたが、子供のことなんかまったく考えず儲けることしか考えない連中の嘘を見破りすぐつぶそう、と分かりやすく、ユーモアに溢れ、確信になる訴えに、100人を超す感想文は皆大満足でした。用意された300冊近い書籍は完売し、サインセールには長蛇の列が出来ました。           
 また恒例になった合唱構「ぞう列車がやってきた」には掛川陽子さんの指揮で70人が参加、子どもの元気な声やしぐさに会場は笑みと、かわいそうな物語にハンカチで涙を抑える人たち、何度聞いても新たな感動を与えてくれるこの曲は、まさに九条の歌といってよいでしょう。ねりま九条の会は、今後原爆も原発も一緒、1億3千万のうち、1億2千5百万人を目標に脱原発署名を取り組み、どんな政府になっても原発を推進できないよう、一人ひとりの国民がしっかり意思表示する運動を呼びかけました。

アーサービナード氏 講演要旨
 私は、詩人でありますが、もともとアメリカで日本語に興味があって来日したのですが、日本とアメリカの関係を見ていて、本当に不思議な関係だなと思っていました。「規制緩和というと規制緩和」「グアム移転金払うというと、グアム移転金払う」「TPPに入るというとTPPに入る」という。「こだまでしょうか」。しかも、菅政権になってそれまで以上に夫唱婦随振りが顕著になってきた。
 ところが、福島原発の退避勧告で日米に大きなズレが出来た。戦後最大のズレではないか。日本は20キロ圏外に退避、30キロ圏内は屋内退避を出した。アメリカはわざとマイルをつかって50マイル圏外へ避難するように勧告した。私たちアメリカ人は、福島、仙台など東北へ仕事がいけない。大統領の命令に背く形で仕事をする。変だなと思っていたら、そうだ、日本政府は子供たちの安全より経済を優先させたのだということがわかる。
もともと「付き合えない相手」である核物質と「付き合っていく」わけだから、大変です。放射能物質はにおわない、かなりひどい被爆でも影響が出るのは、後になってから。時差がある。この時差が、とぼけたい人、隠したい人、隠蔽したい人にとっては都合がいい。すぐにばたばた倒れるわけではない。だから枝野官房長官は「直ちには影響がない」ととぼけている。
 私は詩人なので、「ゴミの詩」というタイトルの中にある「ウラン235」を皆様の前で、読むのですが、福島でも使用済み燃料のことを「ゴミ」といっている。
「ゴミ」というと何かもう使い捨てで、終わってしまったものという感覚があるが、この使用済み燃料は、このまま、まだまだ元気に生き続ける。むしろ1億倍になって人類を脅かす。こうした言葉のトリックに負けてしまってはダメだ。「核」に近づく転機になったのは、アメリカの絵本画家ベン・シャーンという人が「ラッキードラゴン」というタイトルで日本の第五福竜丸事件を描いていたのですが、それを調べていくうちに、久保山愛吉さんが、ビキニ岩礁で被爆に会って「爆沈されるかもしれない」という恐怖のもと、必死に仲間と日本に帰り、水爆の「生き証人」として頑張ったことに感動しました。そこから、杉並の主婦の署名運動がはじまり、平和運動が広がっていった。こうしたことを調べながら、核の恐ろしさとそれについて日本もアメリカもずっと国民をだましていた。その狙いが明らかになってきた。権力者と金持ちは、なんとしても利権を守り、拡大することが生きがいなので核を利用しないわけには行かない。そこで思いついたのが「核の平和利用」。アイゼンハウアーによって提唱された「平和宣言」はすぐ日本に取り入れられ、言葉も「核物質分裂」から「核は平和利用と軍事利用の二つがある」とごまかされ、日本の土壌に根付いていった。もともとウランは地球上にあるが、プルトニュウムは存在しない。しかしこの人工的なプルトニュウムを独占することによって大企業、権力者は成り立つのです。

 日本国憲法を戦いの足場に
 ところで日本は核保有国ですか?と聞くと大概「持っていない」と答える。大きな間違いです。原発は核そのものです。何時でも核兵器に変えることが出来ます。日本の能力ならば、夕方までに作れといえば、作れるのではないか。つまり、原発を持っている国は核保有国なのです。使用済み燃料にして
も、これから燃え続けるのですが、捨てるところがない。もしかしたら、その役割を福島が持つのかもしれない。それはとめなければならない。3月11日に子ども達を救えなかった大人たちは、なんとしても「死の町」にしてはいけない。
日本に来て一番驚いたのは、日本には日本国憲法というこんな素晴らしいものがあるのだということです。日本国憲法はまだまだ未使用です。中曽根元首相が考えている憲法の骨抜きを許さないためにも、大事にしなければならない。「原発」をやめさせるか「核兵器」を廃絶させるか。どちらかをやめさせても、両方ともストップしてしまう性質のものです。
 日本国憲法は、私たちの運動にとって一番役に立つ足場であるので、憲法を学びながら、「原発」「核兵器」のない世の中を作って生きたいと思っています。私は、詩人の立場から頑張りたいと思います。

感想より
1)10代女性 (インターネットと文化放送で知った)
 原爆と原発は同じモノだということ、核と手を切るために更に勉強したいし、正しい情報を得るために努力していきたい。まずはアーサーさんの文化放送を聞き、友達にすすめていく!今日の講演を若い人が少ないのがもったいない。             

2)20代女性(友達の誘い)
 私たちは3月10日まで〝守るべきだった〟その言葉が胸を打ちました。原子力発電、東京電力、そんなものは生活する上で当たり前で、側にあったもの。しかし、それがどういう成り立ちで、どんな思惑でここまできたのかを知り、無知であったが故、守れなかったことがとても悔しくなりました。絶対に廃絶をすすめなくてはいけないと強く思いました。

3)30代男性 (文化放送で知った)
 原子力発電は必要悪という議論が、いまだマスコミの主たる論点にのぼるが、「原子力は不要で、なおかつ悪」というのが正しい。そのからくりがよくわかる話でした。今のマスコミは騙しているのでしょうか?それについて言葉を紡ぐ詩人としてのアーサーさんの意見がお聞きしたかったです。

4面  

「まだまにあうなら」を読んで  藤本智恵子
 チェルノブイリ原発事故(1986年)で世界に激震が走った翌年の1987年、原子力発電の問題を知り、居ても立ってもいられなくなった主婦が手紙形式で書いた冊子である。今から24年も前に出されたものにもかかわらず、福島の原発事故をリアルタイムで読んでいるようだった。
 私たちは、1999年のTCOの臨界事故で二人が死亡したニュースや、トラブル隠しや、データの改ざんなどを知りながら我がこととして考えてこなかった。そして今回、途方もない大事故〝フクシマ〟を経験することによって、はじめて否応なく我がこととして向き合わざるを得なくなった。私は原発がこれほど制御不能なものであることや、高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)が処理されぬまま限界まで積み上げられているということを知らなかった。核のゴミが無害になるまでは何万年もの歳月を要するという。核のゴミを処理する手立てを持たない私たち人間が、原発を扱うこと自体不遜なことではないだろうか。
 原発について知れば知るほど、甘蔗さんの〝原発はいらない〟以外の選択はないと思う。そして原発なき社会の中で生じるかもしれない不都合や不便さは引き受ける覚悟を持ちたいと思う。   
「まだまにあうのなら」甘蔗珠恵子
  月刊 湧 増刊号  定価(本体300円+税)
    昭和62年7月15日発行
    発行所(株)地湧(ぢゆう)社 
    電話03-3258-1251 FAX03-3258-7564

第15回ピースシアター
平和を育てる大泉9条の会では原発に関連して以下の上映会を開きます。
  ・原発導入のシナリオ ―冷戦下の対日原子力戦略(1994年 44分)
・永遠のチェルノブイリ (2010年 50分) 
   日時 7月30日(土) 18:15開場 18:30上映 21:00 終了
   場所 大泉学園 勤労福祉会館中会議室   資料代 500円
   主催   平和を育てる大泉9条の会
   連絡先  小林 03-3923-3775
 

畑田重夫〝震災後の日本の展望を語る〟&きたがわてつ平和を歌う
日時  7月23日(土)
午後3時30分開場 4時開演
場所  練馬区役所多目的ホール
資料代 1500円
主催  憲法と平和のつどい 実行委員会
連絡先 おりづる9条の会 03-3999-2407(星)

中村哲 講演会
日時 8月27日(土)13:00~
会場 豊島公会堂
主催 商社九条の会
チケットあります 3921ー8023 大柳まで