57号 2014年10月発行

〈1面〉

自治体は事なかれ主義でいいのか                  

 国分寺市のお祭りから国分寺九条の会や、さよなら原発の団体の参加が断られたことに、ねりま九条の会として抗議と公開質問書を出しました。
 思い起こすと、9年前にねりま九条の会が、澤地久恵さんの講演会を練馬区に後援要請したときに断られた理由が、九条が政治的に対立している状況下で一方の側に立てないというものでした。練馬区は憲法を守らないのかと迫りましたが、それ以来要請もしませんでした。こうした動きは安倍政権になってから全国的な流れになっているようです。
 最近練馬区でも区報掲載の条件として政治的な対立を招く内容を拒否されたと聞きます。右翼のヘイトスピーチやクレームを嫌がり、もめ事を恐れて自治体は政治的な行事には場を提供しない傾向です。役所の事なかれ主義は時として国民の権利を侵します。またタイトルを変えてやり過ごす対応も見受けられますが検閲を許すことになり、民主主義の根幹にふれる問題です。
1、自治体の施設を貸し出す基準の一つに、政治、宗教活動の禁止があります。
 憲法は、信教は自由だが、いかなる宗教団体も国から特権を受けないとしておりこれは理解できます。しかし主権者たる国民の政治参加は国の成り立ちの根本です。自治体が率先して活発な政治活動の場を保障すべきです。政治的中立というのは一種の政治判断で、真っ白な立場というのは現在の政治を消極的に追認することになります。政治活動の禁止という基準は憲法違反であり廃止すべきです。
2、政府が改憲手続きも経ないで憲法を壊そうとしていますが、こんな時だからこそ地方自治体が国に対して憲法を守れと意見を上げるのは民主主義の砦としての役目ではないでしょうか(99条)。今全国で西東京市、武蔵野市をはじめ200近い地方議会が集団的自衛権の解釈改憲に反対の決議を上げていますが、練馬区は国の問題だから関係ないという態度です。これは憲法の根幹である平和だけでなく立憲主義に背を向けることになります。
3、時の政府や自治体を批判するのは国民の当然の権利で、言論、表現、報道の自由が保障されています。大柳 武彦 (ねりま九条の会事務局長)   
                                 

 

〈2〜4面〉 
アニメーション作家・監督
  高畑 勲さん訪問記

加藤周一、鶴見俊輔、井上ひさし、大江健三郎さんら9人の呼びかけで「九条の会」が設立されたのは2004年6月、「ねりま九条の会」はその5か月後の11月にスタートした。呼びかけ人は篠原一(東大名誉教授・政治学)、松谷みよ子(児童文学作家)、永井潔(画家)さんら22名で、アニメーション映画監督の高畑勲さんも、そのお一人である。
 それから10年、昨年10月の「特定秘密保護法」の成立、今年7月の「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定と、安倍首相が唱える「戦後レジームの見直し」の下、憲法とそれによって支えられてきた日本の平和と安全が、今までになく急速に危機にさらされているなかで、高畑さんに10年を振り返り想うこと、そして「いま私たちには何が求められているのか」を語っていただいた。
聴き手は大柳事務局長。
               聴き手・大柳事務局長、勝山事務局員

       高畠勲監督  

「九条の会」に集う人、そうでない人の意識のズレ
                                               

■勝山 高畑さんは、スタジオジブリが発行している小冊子「熱風」の昨年7月号で、「世間には現実に自衛隊は存在するのだから憲法もそれに合わせた方がいいのではないか。条文を変えても国会で個々の行動を決めていくのだから、そう簡単に戦争になんてならないと考えている人たちもかなり多い」と語っていらっしゃいますが、いま高畑さんが、憲法九条をとりまく状況、あるいは「九条の会」の運動について、「いま一番気がかりなこと」は何ですか?
■高畑 「九条の会」にお集まりのみなさんは、憲法九条という世界に向かって掲げた理想の旗を絶対に下ろすべきでないと、確信していらっしゃる。しかし、現実は日本国憲法をそう受け止めない人も多い。また、九条の会の講演会なんかもいつも同じ顔ぶれで、しかも私を含めて年配者が多い。一方、安倍さんが出してくるものは、どれもこれもひどいのに、よくそれに賛成して付いていくなと思うときがしょっちゅうあります。九条の会の人たちの危機感と、一般というか、それ以外の人たちの意識の隔たり、その要因は何なのか。九条の会の人の中には、時々極端というか過剰な危機感を持つ人がいます。
 たとえば「特定秘密保護法」が実施されれば、政府に批判的な言論を表明したり、集会に参加したらすぐ逮捕されるとか、集団的自衛権が行使されたら、すぐ徴兵制が敷かれるとか。世間一般の人の多くはそう受け止めていないし、そこにズレがあることをどう見るか、考えなければなりません。
■勝山 一方で、「集団的自衛権の行使容認」が閣議決定された後、国会や首相官邸前の抗議集会には、若い人の参加が増えています。そして彼らの中には「徴兵制が敷かれたら引っ張られるのは自分たちだ」という危機意識から抗議行動に参加する人も少なくありません。「ねりま九条の会」などが催した孫崎享さんや柳澤協二さんの講演会には徐々にではありますが、新しい参加者も増えていますし、全国的にみても一時減っていた九条の会の会員数がここに来て増えています。
■高畑 集会にできるだけ人を誘い、いい話を聞いて勉強し、仲間がいることを確認して元気になる、そういう取組みとともに、関心のない人や心配していない人に問題をどう分かってもらうかが大事だと思います。権力側にいた柳澤さんや孫崎さんのお話などは、私たちの運動に対する警戒心を解くためにも、非常に役立ってくれているのではないでしょうか。
 
自治体の仕組み
■高畑 最近自治体で、「護憲」や「反原発」に関する行事の後援や広報への掲載を拒否する動きが目立っています。意見が対立している内容だから、なんて言って。しかし憲法99条には「公務員の憲法尊重義務」を明記しているわけで、たとえ個人的には改憲派であっても憲法が変わるまでは護憲しなきゃならない立場なんです。これは改憲派やそれに尻尾を振る連中を説得するために絶対必要な論理です。
■大柳 練馬区でも区施設の利用条件に政治活動の禁止を挙げています。「ねりま九条の会」が抗議声明を送ったた国分寺市では市のお祭に出店していた「九条の会」や反原発団体を今年は出させないという動きがありました。こんなことが、いま日本のあちこちの自治体で起こっています。
■高畑 いま政府は「集団的自衛権の行使容認」と「日米防衛指針(ガイドライン)の見直し」によって「戦争をできる国」にしようとしているわけですが「戦争ができる国」になったら、必ずや「戦争をする国」になってしまうんです。私が再三言っていることですが、歴史から学ばなければならないのは、「戦争はどうして始まってしまうのか」なのです。ほんのちょっとしたきっかけ、外交力の不足、忍耐の欠如、国民の高揚感などなど。そしていざ戦争が始まったら「日本に勝ってほしい」と、多くの国民が思うのは当然です。反対だった人々も、負けた方がいいとは思わない。ここが一番重大なところなんです。日本では神に対して自分の良心を維持するということがない。だから亡命もしない。世間やまわりの人々とうまくやっていきたいという考えが一番強いんです。で、結局国民が全体としてずるずるいくしかなくなる。そうなったら、反戦も平和も理性もありません。
 
戦争の被害者意識加害者意識
■高畑 前の戦争中、高村光太郎はじめ、人々を戦争に駆り立てる戦争詩を書き、戦後それを反省した人が何人もいます。例えば「ぞうさん」はじめ戦後すばらしい童謡を書いた詩人のまどみちおさんでさえ、「聖戦完遂」をうたい上げる詩を作っている。まどさんは若者を死地に駆り立てたことを反省し、自分の恥ずべき過ちを隠さないために、「戦争詩」を詩集に入れた。すごく良心的な方です。でもね、私は逆にそういうものを書いてしまうのは当然だと思うんです。始まってしまったら「負けたくない、勝つしかない」んだもの。だから今が大事なんです。細かい歯止めじゃなくて、絶対的な歯止めが必要なんです。「戦争しない」とか「やるとしてもうまくやる」なんて、そんなコントロール能力を私たち日本人が持っているとは思わないほうがいい。
■勝山 積極的にしろ消極的にしろ、戦争協力の作品を書いた作家は数えきれないほどいました。一例をあげれば野上弥生子さん、『迷路』などで知られる良心的な作家でしたが、その野上さんが作詞した文部省唱歌に「母の歌」というのがあり、その二番はこうなっています。「母こそはみ国の力 おの子らをいくさの庭に遠くやり 涙隠す おおしきかな母の姿」。野上さんにして、戦争中はこういう詩を書くことを余儀なくされたわけです。
■高畑 テレビドラマでは戦争中がよく出てきます。でも不思議なことに、主人公はいつも戦争に反対だったり愛国婦人会なんかに消極的だったりで、多数派だったはずの積極的に戦争協力する人は悪役扱いなんです。作り手が一見戦争反対・平和主義の立場に立っているみたいでよさそうなんですが、じつはそれは誤魔化しなんです。多くの人がある時期までは旗行列・提灯行列にすすんで参加していたんですよ。そうならざるをえないんです、私たちは。だから怖いし、そんなことに足を踏み入れてしまわないことがどんなに大事か。一見良心的風なドラマでは、かえってそこが見えなくなってしまう。 私は何度でも言いますが、六十九年の平和、日本が戦闘員として誰も殺さず誰も殺されなかった、この平和の重みを噛みしめるべきだ。それは自民党のエライ人たちもよく頑張ってくれたんだと思うんです。自民党の人に聞きたいのですが、みなさんはアメリカの押しつけ憲法なんて言うけれど、ならばこそ、朝鮮戦争のとき、結局日本人を戦場に出さないという日本の方針をアメリカは飲むしかなかったんだ、とは考えられませんか。ただ、この六十九年の平和のために、ずっと犠牲になり続けているのが沖縄です。絶対にこのままでいいはずはありません。
 いったん始まってしまったらずるずる行くしかない、という日本の体質は、日本人は責任を取らない、取らせない、あるいは責任者が誰だかわからないということと密接に関連していると思います。戦争中、参謀本部の作戦の失敗の責任を追及せず、逆に栄転させたりしていることは結構有名ですが、戦後はどうなんでしょう。極東裁判を戦勝国が敗戦国の責任を一方的に追及するけしからん裁判だ、と言うひとは多いですが、じゃあ、日本をあの泥沼に引きずり込んで、ずるずる、やめることもできないまま、三百万以上の人を犠牲にした責任を、為政者だった人々に対し、日本の私たち自身が追及したことがあったでしょうか。ご存知のとおり、まったく誰の責任も追及しませんでした。原発事故でも、安全安全と言ってきた連中に対しても、事故への対応のまずさに対しても、責任を明確にできないまま、ずるずる今日まで来ている気がするんです。
 こんなことで、「戦争のできる国」にしておいて、臨機応変、柔軟、したたかな外交政策で、うまく戦争を回避しながら立ち回る力量を日本が身につけているとは、私は到底信じられません。だいたい、日本の外交力は、アメリカにべったり追随してきたことによって、全然磨かれても練られてもいないんじゃないかと心配です。

大事なのは真の個人主義
■勝山 結局、戦争に本当に反対していくには個人が自覚的になるしかないのではないでしょうか。「九条の会」の呼びかけ人であった加藤周一さんが、1950年、31歳のとき書かれた『文学とは何か』という本で、「わが国では、近代的個人主義ははじめからなかった」と言い、こう続けています。「明治維新がつくりあげたのは、結果において市民社会ではなく、天皇制社会でした。その社会の実質的な単位は
〝家〟であって、個人ではありません。国家は家の延長されたものであり、その家長は天皇です。
〝家〟を単位とする社会は、平等なるべき人間を単位とする『人間宣言』とは全く別の原理によって成り立つものです」。まさにそのとおりで、反戦や兵役の拒否も、加害者としての責任も真の市民社会と個人主義を土台にして、はじめて生まれます。
■高畑 私も加藤さんを大変尊敬していますし、それはそうだと思うんですが、でもね、やはり一神教の伝統がない日本では、個人主義の確立はかなりむつかしいのではないでしょうか。戦後六十九年経っても、やはり「空気を読んで」みんなにあわせたがっているじゃないですか。わたしは、だから、個人主義よりもまず、戦争など生き死にに関わることは利己主義を貫こう、と言いたいんです。与謝野晶子の「君死に給ふことなかれ」という有名な反戦詩、あれは私はすごい利己主義だと思う。自分の弟だけは、とか、跡取り息子だから、とか。日本では兵役拒否者なんかに共感する人はほとんどいません。うちの子が戦争に取られているのに、あのうちの息子はなんだ、非国民!と罵るでしょう。でも、ひとりひとりが、お国の大義なんていうものじゃなく、生きるか死ぬかでは利己主義を貫けば、戦争はなくなるんじゃないか。自衛隊の家族だって夫や息子を戦場にやって殺し殺されすることを望まないでしょう。極論かもしれませんが。
 私が関係している雑誌「シネ・フロント」では、10月28日に「シネ・フロント読者九条の会」を開催し、「加藤周一さんに会いに行こう! 映画とトークの夕べ」を行います。「知の巨人」と評された加藤さんがなぜ「九条の会」活動に邁進されたのか。加藤さんの映画と、晩年の加藤さんと行動を共にした小森陽一さんのお話から、加藤さんの思いを受けとっていただいて、今後のみなさんの活動に生かしていただければと願っています。
■大柳 私もぜひ参加したいと思います。今日はどうもありがとうございました。     文責 勝山

〈5面〉                                                                 教育から目が離せない 小岩昌子

 安倍政権が目指す「強い国日本」は、9条をはじめとする憲法を改悪し、戦争をする国にする事です。その実現を目指して、彼は、一期目の頃から「教育再生」「愛国心教育」を検討し、かつての戦争の再現かと思われる「教育勅語」や「道徳教育」を「学校教育に導入することを目論んでいます。国の意向を受けて練馬区でも、今、教育が変わろうとしています。 
◎「教育改革」として、2014年から実施してきた小中一貫校をを2015年も実施するよう教育委員会で話し合われています。練馬の小中一貫校は、同一校舎でなく問題が多くありますが、具体的な話し合いもなく進められています。
◎「教育委員会改正法」が文教委員会に提案されました。現行法では自治体の教育施策の大本となる考えは教育委員会にあります。教育委員会に独立性があるのです。しかし、改悪法では、首長に大本を考える権限を与え、教育委員会との調整の場として「総合教育会議」が新設されます。教育委員会には、首長の参加した「総合教育会議」の考えを尊重する義務が発生します。この法案は2016年4月から実施されるということです。
◎教科書採択について、2015年(2016年小学校使用の教科書)は、取り組みに問題を残し終了しましたが、2016年(2017年中学校使用)の採択には、歴史認識の問題が関係してきます。私たちは、今から学習を積み重ね、現場の教師たちと力を合わせなくてはなりません。   (つづく)

武谷三男に学ぶ(その三)─特権と人権   乾 知次 

  「フィガロの結婚」を作曲したモーツアルトが、宮廷おかかえの身分を得ながら、民衆の人権を守ろうとしたことは、余り気付かれていない。私は「フィガロ」を見て、領主にはかって「初夜権」があったことを初めて知ったが、モーツアルトはその悪習から民衆を護ろうとしたのだ。彼には「特権と人権の両立」という難しさがあった筈である。何故なら「おかかえ」と云う特権を失う危険をおかし、権力支配、或いは身分差別、から民衆を解放し、人権と守ろうとしているからである。
 産業革命で生産が機械化すると、資本家が機械や工場を所有し、そこで働いて賃金を得る労働者達が資本家と交渉する状況が生まれた。マルクスは「階級」という概念を打ち立て、この交渉を階級闘争と見る見方を示した。ところが、技術の発達で産業が大規模化し、大量生産に伴う公害問題が深刻になると、各地に反公害の市民運動が起こって来た。
 市民運動を支えた武谷三男は、様々な階級の人が参加する市民運動は、「階級闘争」では扱えないことから、市民運動を支える新たな論理を求め、それが「人が生活して行ける基本的権利、すなわち人権」の主張であることを見出したのである。「人権はあらゆる人に認められるので連帯の論理である。一方、人権に対立するのは特権であり、人は特権で少しでも優位に立とうとするので、特権は差別の論理である。」と武谷は指摘する。
 あらゆる人はそれなりの特権を享受する。会社員は会社から一定の給与を保証される特権を、自動車運転者は歩行者よりも安全を保たれる特権を、有する。問題は、自分の特権をどれだけ犠牲にして、他人の人権を支えられるかである。正社員は、同僚の非正規社員が無報酬労働を強いられる時、自分の特権を危険にさらし、会社に抗議する人権行為をどれだけ行えるか、である。
 人権の主要素に「差別からの自由」があるが、男と女、大人と子供、上司と部下、買い手と売り手等、の間の特権への執着を、「理性」が抑えて人権思想が発展して来たことを歴史は示している。
 先号の”武谷三男に学ぶ(その二)”の副題「化学と技術」は「科学と技術」の誤植。
 3回に亘る拙稿へのご批判、ご意見を”sna16823@nifty.comにメールして頂ければ幸いである。       完
  (ねりま九条の会会員)

 

〈6面〉 

登戸研究所資料館を見学して  中出 清治(練馬9条の会会員)

 練馬9条の会は、10月12日(日)に憲法学習として「明治大学平和教育登戸研究所資料館」の見学会を実施し、18名の参加者が訪ねました。
 山田朗館長が、戦前の日本陸軍によって開設された「陸軍科学研究所」の秘密戦(傍聴・諜報・謀略・宣伝)の全貌を調査研究の成果に基づいて丁寧に説明され、質問にも的確な解説をしてくださり、参加者一同、その学識に感服した次第です。その恐るべき秘密戦の態様について学んだことは、小岩昌子さんが学徒動員で製作された風船爆弾は、和紙とコンニャク糊(ゴムより強力)を使った職人技術と高度繊維装置というハイテク技術の結晶で気球を兵器化」し、アメリカの大量生産兵器に対抗した最終兵器であったこと、1989年研究所第二科の伴繁雄宅から大量に発見された石井式濾水機濾過筒は細菌戦に必要な兵器であったこと、蒋介石政権の偽造法幣が登戸研究所で40億元相当(1945年の日本の国家予算200億円)が印刷され、坂田機関などを通じて物価収買に使われ、調達された莫大な資金が児玉誉士夫によって戦後の保守合同に際し政府工作に使われたこと、敗戦前後に軍の命令で、研究所の総ての設備資料が徹底的に破却されたが、アメリカに研究情報を提供し、所員全員が戦犯を免責されたこと、などがあります。
 安倍政権が戦後レジームからの脱却として、日本の侵略や植民地支配や敗戦の事実を認めない、認めたくない、隠したいという歴史修正主義の政治を行い、民意を無視し暴走しています。何故こんなことがおこなえるのか?それは敗戦に際し「国体護持」に拘わったこと、軍国主義は断絶したが、謀略組織は秘かに生きながらえ復活し、安倍政権を支える屋台骨(「日本会議」等)になっているのではないか、と考えさせられた。現在、戦時も平時も国家の秘密戦が行われていることは、CIAの元職員スノーデン証言によっても明らかです。

お知らせ

「ふざけんな」のチラシの反響が寄せられています。20万枚作りまだ残っています。10月中に捲ききりましょう! 必要な方はご連絡ください。

9条の会の日比谷公会堂演説会とデモに参加し、日比谷公園を埋め尽くしましょう。11月24日13:00~

 
平和を育てる大泉9条の会講演会  
アベノミクスで日本の経済だいじょうぶ? お話:森永卓郎さん

安倍政権はアベノミクスによって日本の経済は上向きになっているといいますが、本当にそうでしょうか。森永卓郎さんは、経済と戦争には深いつながりがあることを指摘し、安倍政権が進んでいる戦争への道に警鐘を鳴らしています。森永さんのわかりやすいお話にご期待ください。

日時 12月21日(水)午後2時開演  会場 練馬勤労福祉会館集会室
資料代 500円
     連絡先 町田(03-3923-0915)見留(03-3924-9855)
  

ねりま九条の会 総会のお知らせ  
記念講演 小池 清彦氏 「集団的自衛権と立憲主義」
日時 11月29日(水)午前9時30分〜13時30  会場 ココネリ