59号 2015年2月発行

いま、なぜ道徳「特別教科化」なのか     山本 由美 (桜台在住・和光大学教授)                 


 子どもが起こした事件が起きるたびに「もっと道徳を」という声が聞こえます。しかし今、安倍政権のもと強行に進められる教育改革の中で、「道徳」問題は極めて深刻で、子どもたちや学校現場に大きなダメージを与えるものです。
 2013年の教育再生実行会議第一次提言は、国民世論が賛成しやすい大津いじめ自殺事件への対応を口実に、子どもの問題行動に対する「道徳教育」の重視、ゼロトレランス(管理強化)の施策を打ち出しました。それを受け「道徳教育の充実に関する懇談会」が「道徳」の「特別な教科化」を提案し、安倍政権が復活させた文科省発行の道徳教育用教材「心のノート」を「私たちの道徳」にバージョンアップさせました。
 2014年12月に公表された中教審答申「道徳に係る教育課程の改善等について」では、道徳の「特別な教科化」、国家基準に基づいた教科書検定制度の導入、道徳の「評価」導入などのさまざまな改革案が示され、学校教育法施行規則及び学習指導要領の「改正」が予定されています。このままいくと、「道徳」が、算数や国語に優先される「特別な教科」に位置づけられ、全教科の教科書の内容には道徳チエックがかけられそうです。
 なぜ、今「道徳」なのでしょうか。そこにはもちろん、中国とアジアの覇権を争う日本の大国主義的な動機がありますが、一番は、財界や政界が求める「グローバル人材」養成の圧力があるのです。安倍政権は「グローバリズム人材」養成のために、〝平成の学制大改革〟と称して、学校制度や教育内容に直接手を突っ込もうとしています。そして「グローバル人材」には、英語やITの能力と並んで「日本人としてのアイデンティティ」「愛国心」などに関する内容が求められるのです。国際的な経済競争に勝つためには、日本の企業は武器も原発も輸出する。海外に工場を進出させ、発展途上国の富を搾取し国民を踏みにじる。そして、そのために、日本の領土や権益を主張し、日本の近現代史に誇りを持てる人材育成をめざしているのです。だから、憲法の平和主義のプレゼンスはあってはならないのです。ただし、それはエリートに求められるもので、多くの非エリートには、治安維持のためにたがをはめるような「道徳」や規則を守る態度主義、そして他国をさげすむことで自分のプライドを保つ国家主義が注入されます。
 でも、そんなやり方で真の道徳的心情は育つものではありません。たとえ評価しても、子どもたちは大人の前で表面的な行動を取るような二面性を持ちかねません。日本の教育の目的である「人格の完成」は、国家権力から自由な学校という空間において、教師と子どもの人格的な触れあいを通じて、「尊敬と共同の関係」によってのみなされる、というのは戦後改革期には文部省も述べていたことでした。そして、特定の価値観を注入されない普遍的な人間だけが、国家が間違ったときにNOといえるということも確認されていました。そんな原点に立ち戻って考えることが求められるのでしょう。

  


『戦後七〇年 子どもたちに渡すバトン、平和を開くか戦争の道か』 

                 講師 高田健さん

 

 

                    高田健さん


 2月2日にココネリ研修室で行われたこの講演会は、渡辺治さんを講師に開催される予定でしたが、渡辺さんが急病で入院されたため、急遽、九条の会事務局から高田健さんが駆けつけてくださいました。戦後一貫して平和運動を続けてこられた高田さんのお話はたいへんわかりやすく説得力がありました。また、現職の社会科教師の箱崎さんが、担任する中学生の言葉を詩にした「集団的自衛権の歌」を美しい声で披露される一コマもあり、元気の出る学習の場となりました。詳しい講演内容は同封の冊子に詳しく書かれていますのでお読みください。ここでは概略を掲載させていただきます。

 
・安倍政権は、後藤健二さんら2人の救出に力を発揮しなかったどころか、殺害されたことを契機に、アメリカと有志国の連合になって、自衛隊を投入することを目論んでいる。
・ 今年の通常国会は「安保国会」になるだろう。この国が「戦争をする国」になるかどうかを決める国会に。昨年12月の抜き打ち解散の狙いは、明文改憲の着手までを射程に入れた長期政権の座の確保なのである。。
・安倍政権は、集団的自衛権を巡って2つの矛盾を抱えている。一つは公明党との軋轢。公明党は下手をすれば公明党という政党が立ちゆかないところに追い込まれたため、必死で交渉をした。その結果、安倍政権は集団的自衛権を「限定容認」とせざるを得なくなったのである。
 そのため、安倍さんの言いなりだった「安保法政懇」の「答申」をそのまま提出できなくなった。
 ところがこれに腹を立てたのがアメリカである。そのため、日米ガイドラインの話し合いは未だに決着が付かないでいる。
・安倍政権は集団的自衛権の容認を閣議決定した。しかし、戦争をする国にするためには、集団的自衛権の行使を違憲としてきた歴代政権下で作られた「自衛隊法」などの戦争関連法を、集団的自衛権の閣議決定に即して変える必要がある。戦争関連の法律は18ほどあるが、それらを地方選挙を終えた五月に提出して会期内に決定するとしている。たった1ヶ月半の間にである。しかも、「安保法制一括法」として出してくる可能性もある。
 今安倍さんが創設しようとしているのは「海外派兵恒久法」である。
・国民投票に向けて1000万人賛同者を目指すと称する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(日本会議)が2016年の参院選と同時に最初の改憲国民投票を実施したいと運動を活発化させている。
 彼らが一番変えたいのは九条だが、それでは勝ち目はないので、「環境権」の創設や「私学助成」あたりから始めて行くとしている。
 はたしてそれらに対抗することができるのだろうか。我々の力量が問われるだろう。
・安倍政権の暴走を食い止めるためには、国会外でのたたかいと、世論の力が大きい。数十年もの間、民主運動はいくつもの団体に分かれて行われてきた。しかし、2013年の「特定秘密保護法案」に反対する運動は広範な共同行動を実現させた。それ以降、次第に共同行動が広がり、その積み重ねの上に昨年末には「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」の結成をみた。 今、5月3日に横浜臨海公園またはお台場公園で大集会を開く計画を練っている。この数十年、実現できなかった画期的な「総がかりの共同行動」である。ぜひ成功させたい。
感想より
・これからの運動への展望に元気づけられた。私もできることに力を注ごうと励まされた。
・改憲か護憲かの判断がつきやすくなりました。
・九条の会の意義、今日的値打ちがわかりました。

 

戦時下の学校教育と私   伊藤文子

   
  伊藤文子さん  

 1941年に太平洋戦争が始まり、国民勤労報国協力令が公布され、勤労奉仕が義務づけられたので、翌年、東京市の国民学校訓導養成所に通いました。教育現場に若い男性教師は少なくなり、17歳の教師の私たちを同僚教師は「ひよこ先生」と呼んで指導してくれました。翌年、師範学校卒の四名の男子教師が教壇に一年も立つことなく出征しました。4名中2名が南方戦線で行方不明になったと伝えられました。日本軍のガダルカナル島撤退、アッツ島、サイパン島守備隊の全滅が報じられ、国民総武装の決定で、私たちの竹槍訓練も始まりました。敗戦が色濃くなって「国中が一体となれば神風が吹く」という徹底した教育を国定教科書を使って忠実に教えました。「ススメ ススメ ヘイタイサン ススメ」「日本ヨイ国 強イ国 世界二カガヤク エライ国」など、戦意高揚教材は修身・国語ばかりでなく、図工・習字・音楽、家庭で見る雑誌・絵本類まで統制されました。奉安殿(天皇の写真が飾ってあるところ)の柵に腰掛けた男児が教頭に首根っこを掴まれ、防火用水槽に何度も頭をつっこまれたり、暴力的な教育は日常的になっていました。
 1944年6月、国民学校初等科児童の集団疎開が閣議決定。秋近くになって、4年以上の子どもたちと茨城県下館町に疎開しました。疎開地に来て40歳近い教師までもが召集され、学童の生活のすべてが20歳にならない女教師の肩にかかり、干し芋などの買い出しに追われました。
 1945年、6年生を親元に帰した直後に3月10日の東京大空襲。子どもたちと連絡が取れなくなりました。公衆浴場で性病にかかった子もいました。食糧事情、教育環境も一層悪化をたどり、3度の食事は三分粥に漬物、おやつはうらなり南瓜の毎日、やせて目ばかりが大きくなった子どもたちが、具材の入っていない汁椀に映る目玉を箸で挟もうとする哀れさに言葉も出ませんでした。空腹で寝付かれない子どもたちの部屋に、離れに住む管理職やその家族が、視学官や軍人を接待する魚肉の臭い、歓声さえ聞こえてくるのです。障子に穴を空けて凝視する子どもの姿が今も甦ってきます。
 敗戦の前日、近くの土﨑港が艦砲射撃を受け、地響きと天空をおおう火柱を見上げつつ、私は病児を背負い立ちつくしていました。

憲法・教育基本法に出会う

 そして敗戦。戦争の真実を何一つ知らされず、侵略戦争を〝聖戦〟と信じて国定教科書を忠実に教えた無知を恥じ、私は教師をしながら夜間、法政大学高等師範部に通いました。大学では、戦時中発言を封じられていた教授たちを囲むように討論し、権力によって支配されてきた頭脳に少しずつ、学びあい、自ら考える学問に出会い、生きる希望を抱くことができるようになりました。一九四六年に平和憲法が発布され、四七年には教育基本法が制定されました。これこそはあの悲惨な戦争の犠牲を代償として得た宝であり、人類として永久に護持されなければならないと私は強く思いました。焼け野原と食糧不足の中で、平和と自由の保障は何ものにも代え難い、人間としての大きな喜びでした。     つづく

 
 
練馬9条の会とぞうれっしゃ合唱団            合唱団事務局 川崎せつ子         

  合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」は「ぞうを乗せて運んだ列車」の歌ではありません。
73年前、名古屋の東山動物園に暮らした4頭の象の話です。戦争中ほとんどの動物が殺された中で生き抜いた2頭のぞう、ぞうを守った人たち。戦争が終わり、「本物のぞうが見たい」と声をあげた東京の子どもたち。その熱意が大人たちの心を動かして、各地のこどもたちを東山動物園まで運ぶ特別仕立ての列車が走ったのです。昭和24年に起きた”『奇跡』ともいえる実話を元に作られた合唱曲です。
  全11曲 43分 作詩・清水則雄
作曲・藤村記一郎 原作・小出隆司 練馬では25年前、谷原小学校で公開の大音楽集会に全校児童と教職員の合唱を発表。多くの参加者に感動を与えて一気にぞう列車旋風が起こったようです。物語の内容と音楽の素晴らしさが聴く人の心に響き、日本の各地で歌われていきました。練馬区でもいくつもの小学校の学芸会で合唱・劇として演じられています。
 練馬ぞうれっしゃ合唱団は2009九年9月、イマジン平和コンサートで「ぞうれっしゃがやってきた」の中の四曲を歌ったメンバーを中心として誕生しました。 その後2010年、11年の九条の会・講演会オープニングで歌いました。2013年5月、東京保育合研で保育者・保護者のみなさんと100人近くで大合唱。小さな規模でのねりまDEライブ、土建フェスタでぞうれっしゃを歌うなど、多くの方々と交流を重ねてきました。
 大きなイベントでは、非核平和を歌う集い、東京九条まつり、日本母親大会にも参加したりと、毎年演奏の場が広がりました。
 当初はどこまで続けられるか?と、「うたう会」でスタートしたのですが、5年間九条の会を中心とした多くの方の応援を頂いて「合唱団」に成長することができました。1月25日の新春コンサートはスローガンに「子どもの笑顔輝く未来へ」を掲げ、初めての独り立ちコンサートでした。多くのお客様から良かった、との声をいただきホッとしています。
 これからもずっと走り続けるために、歌う人(とくに子どもたち)を増やさないといけません。この記事を読まれたみなさん、お子さんお孫さんと一緒に歌ってみませんか。 (ねりま九条の会会員)

 

DVD 侵略戦争「証言3部作」 貸し出しのお知らせ 
                
戦争を知る人が少なくなっていく中で、戦争を美化する傾向が強まってきています。このDVDは、中国戦線にかり出された普通の若者が、過酷な訓練や経験を通して人間性を失わされ、殺人に罪の意識を感じなくなった元兵士たちの証言です。8人の証言者はもうどなたも生存されていませんが、後世の人々が二度とこのようなことをおこさないことを願って、重い口を開いてくださったものです。特に若い人に見ていてだきたい作品です。
希望される方は、事務局3921−8023までご連絡ください。

 

 

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