61号 2015年6月発行

アベのアベコベ     比嘉  高(練馬九条の会会員)                

                                                                                                                                                
 「日本の人民を欺き誤らせ、世界征服に赴かせた勢力及び権威、権力は永久に除去されなければならない。─以下略─」これはポツダム宣言の第6項の一部ですが、いま日本は永久に除去されたものが、ゾンビのように甦っているのではないかと思います。
 安倍首相はポツダム宣言を(つまびらかに)知らないと言って世界中をびっくりさせましたが、あるいは本当に知らないのかも知れません。知っていたら平気で人民を欺くことができるでしょうか。欺く手口はいろいろありますが、安倍流の手口で目立つのはアベコベです。これをアベのアベコベと言いましょう。この例は枚挙にいとまがありませんが、特に目障りなものを挙げてみます。
 安全保障関係では、「積極的平和主義」です。本来この言葉は単に戦争がない状態というだけでなく〝貧困・抑圧・差別〟など、人類の不幸の原因となるものを積極的に排除していくということであり、世界中、地球の裏側にまで軍隊を派遣して戦火をばら撒くことではありません。まさに真逆でありアベコベ。
 また戦後70年、平和を守ってきた憲法九条の価値を否定し、「日米安保条約のお陰であることは歴史が証明している」とまで言っています。
現在国会審議中の〝戦争立法〟の名称にしても「国際平和支援法」とか「平和安全整備法」などとし、戦争法をと批判されるや、国会内の発言でも撤回、取り消しを求めるなど、異常反応を起こしたのも、アベコベであることを自覚して、痛いところをつかれたからでしょう。
 その他「労働者派遣法」、「残業代ゼロ法案」など、労働者の権利を根本から覆す悪法に美名をかぶせるアベコベも目立ちます。
 ここでは書き切れないので、「TPP」とか、「秘密保護法」とか、教育関係、震災復興法など、どこにでもアベコベを見いだせるでしょう。
 アベコベを乱発することによって社会の価値観を転覆させ、アベコベの世界をつくろうとしているのではないでしょうか。NHKのニュースの後に〝私は騙されない〟という番組があり、私は画面に安倍氏のノッペリ顔が出てくると思ったら、オレオレ詐欺でした。モノが言えなくなったNHKが、オレオレ詐欺にこと寄せて、アベのアベコベに騙されないように警告しているのかも。
 余命幾ばくもない末期高齢者ですが、安倍政権のしかるべき末路を見るまでは死なないよう、健康に気をつけることにしました。皆さまもお元気で。
 


「中東問題」栗田禎子さん講演を聞いて     南大泉在住 遠藤 克明

 5月10日、勤労福祉会館で栗田禎子千葉大学文学部教授(中東近現代史)の講演「『中東』有事を口実に進む日本の軍事化」を聞きました。大泉9条の会が主催したもので、大変タイムリーな企画だったと思いました。栗田さんが最初に指摘したのは、冷戦終結後の日本の軍事化が、全て「中東」を突破口として進んできたことです。
その最初のきっかけは湾岸戦争で、自衛隊を出せなかった政府はPKO法を成立させ、自衛隊の海外派遣への道を開きました。第二のきっかけは同時多発テロで、アルカイダを追ってアメリカはアフガニスタンで戦争を起こし、このとき日本は対テロ特措法を作って、自衛隊がインド洋で後方支援として給油活動をしました。第三のきっかけはアメリカのイラク戦争です。アメリカが戦闘終結宣言をして占領体制を敷くと、小泉内閣はイラク特措法を作り、自衛隊は復旧支援活動などを行いました。
 その後も「中東」の口実は続きます。海賊対処法が制定されソマリア沖に海上自衛隊が派遣され、ジプチに恒久基地を作って陸上自衛隊が配置されました。このころになると、アメリカの世界戦略構想は「拡大中東」あるいは「大中東」となり、「中東」の範囲が拡大されます。日本が海賊対策としてジプチに進出したのも、PKO活動として南スーダンに自衛隊を派遣したのも、アメリカの戦略と軌を一にする動きです。さらに、アルジェリア人質事件が起き犠牲者が出ると、安倍内閣はこれを捉えて、「海外で働く日本人の安全を確保しなければならない」とキャンペーンを張り、日本版NSCを作り、諸外国、特にアメリカとテロの情報を共有するために必要だとして特定秘密保護法を作りました。武器輸出三原則を撤廃し防衛装備移転三原則として、武器輸出も共同開発も可能としたのも、イスラエルが導入を決めているF35戦闘機の部品を日本のメーカーが製造しているからです。全部「中東」なのです。「中東」で起こっている問題をきっかけに、この20年、政府は日本を「海外で戦争する国」に作り替えてきたのです。
この動かしがたい事実を理解することが、私たちにとって今一番大切だと栗田さんは強調しました。
 栗田さんの話のもう一つのポイントは2011年の「アラブの春」の理解です。栗田さんは、チュニジア、エジプトでおこった非暴力の民主化運動が、一瞬ではあっても先進国が「中東」に介入できない状況を作ったと言います。この流れがバーレーン、イェメン、シリアに波及していけば、アメリカの中東支配体制が根底から崩れることになります。この民主化の流れは世界史的に見ても画期的なものでしたが、湾岸諸国の中の保守的な国々や欧米諸国の直接介入で、潰されたり、一方に対する武器援助などで内戦に転化したりしています。中東をこうした混乱や内戦の中に置き、集団的自衛権による多国籍軍の直接介入を可能にする、これがアメリカのおおきな構想だと説明を受けると、何故、安倍首相が「集団的自衛権」と「ホルムズ海峡」に拘るのかがよく分かりました。(ねりま九条の会会員)
 

 

シリーズ戦後70年  戦争の時代と戦後を振り返る

             戦争と私   大島美津子

 私は1930年に神奈川県逗子市に生まれました。小学校入学の翌年、日中戦争が始まり、子供の世界にも戦争が陰を落とし始めます。登下校時の天皇皇后のご真影への最敬礼や神社前でのお辞儀が義務となり、朝礼での校長先生のお話にも、神国日本、天皇陛下に一身を捧げる覚悟、東洋平和のための聖戦という内容が多くなりました。天皇陛下という言葉が出ると、気をつけの姿勢をとりました。3年生になると、毎月1日が興亜奉公日となり、登校前の地域の神社清掃、戦勝祈願、梅干し弁当がきめられました。
 高学年になってから、聞いた先生の話で、今でも忘れられないものがあります。海兵団での新兵訓練で、2段ベッド固定作業の際、紐が切れると考えて、3回巻きの命令を2回巻きにした新兵が失神するまで殴られたという話です。先生は、上官の命令は天皇陛下の命令として絶対に服従するから日本の軍隊は強いと、服従の大切さを説かれました。子供心に何か怖くて不気味でしたが、誰にもいえませんでした。今思うと、戦争や軍隊が、人間としての思いやりや判断力を摩滅させ、人間を機械の部品のようにする事実に、わからないながら恐怖を感じたのかもしれません。
 1941年小学校は、国民学校と改称,私たちは少国民と呼ばれました。12月8日に太平洋戦争が始まります。米英のような大国との戦いに、漠然と不安を感じましたが、新聞やラジオの勇ましい報道の洪水、緒戦の相次ぐ勝利に歓声を上げていました。
 女学校では、1年生から、農繁期の農家への勤労奉仕(田植え、稲刈り)にかり出されましたが、2年生から、本格的に勤労動員が始まり、学校での勉強はなくなりました。
  最初は、横須賀の海軍工廠へ配属、半年間、神風、必勝と書いたはちまきを締め、工員さんの下で働きました。次は、戸塚の火薬工場で半年間、おシャカになった火薬を砕く作業でした。戸塚駅から、トラックの荷台に載せられての通勤でした。
 その後敗戦まで、鎌倉に疎開していた横須賀海軍経理部で働きました。兵隊さんたちの給料関連業務です。体格の悪い中年の兵隊さん、勤労動員の女性たちと一緒でした。配給された質の悪い国防色のもんぺをはかされ、防空ずきんと水筒を肩にかけ、弁当を持っての通勤です。空襲警報が発令されると、山に掘られた横穴の大きな待避壕に避難しましたが、まだのんびりしていて、みんなで軍歌や日本の歌のコーラスをしたりしました。しかし、やがて空襲が頻繁になり、夜は必ず空襲警報、眠れない状況となります。
 食糧難も始まります。配給も減らされ、みんな買い出しに奔走したり、庭で芋や南瓜をつくったり、食べることに必死の日々となりました。隣組では、毎月一回の興亜奉公日に常会が開かれ、宮城遙拝の後で、戦意高揚や国民の心構えの訓話を聞きました。防空訓練、配給品配分など、隣組の掟に従わなければ生活できない仕組みでの生活でした。町内でお互いに監視しあう体制が作られたのです。
 この頃、兄の学友(海軍将校)が訪ねてこられたことも忘れられません。「一人の時間も持ちたい」といわれ、静かにレコードを聴き、何通か手紙を書き、私どもの家族の名で投函してほしいと頼んで帰られました。のち、彼は戦死されました。戦争は残酷です。
一九四五年、米軍沖縄上陸、原爆投下と続き、やっと戦争が終わりました。敗戦の詔勅は、経理部で聞きました。うっ伏して泣きだす人も多く、誰かが「海ゆかば」を歌い出すとそれが部屋中に広がっていきました。15日の夜、電灯の黒い布がはずされた時の明るさは忘れられません。もう空襲がないというのは、大きな安心でした。
 経理部では、機密書類と思われるものが集められ、校庭で大きな炎を上げていました。無表情に思われた兵隊さんたちが、笑い、冗談を言いあうようになっていました。

 
 
戦争法案反対キーワードは「地域から」と「共同」                                                                      

 ねりま9条の会は、安倍暴走をストップさせるのは圧倒的な国民世論だと確信します。今のマスコミの状況を考え、来年の改憲国民投票を見据えると地域にたくさんの九条の会を作り、日常的に隣近所に働きかけ対話で平和の尊さを広げる活動が大きな威力を発揮すると思います。
ねりま九条の会は900人、地域の会員が一度も顔を合わせたことがない。そこで町単位に集まっていただき新しく九条の会が発足しました。南田中、高野台、石神井町で南高石九条の会、土支田九条の会、春日町九条の会が誕生し、27日には田柄で初会合を持ちます。皆さん高齢で、たくさん仕事を抱え大変な中、この情勢死んでも死にきれないと役を引き受けてくださっています。今後他の地域にもお声をかけさせていただきますがよろしくお願いします。
二つ目は「共同」です。いま「アベ暴走ストップ!練馬」が発足し、多くの団体個人が参加して、五万枚のチラシ、駅から隣駅までのデモ
(7月11、12日)、超党派共同演説会などを企画しています。6月1日に続き14日に超党派演説会が実施されました。さらに労働3団体主催の戦争法NO練馬集会&パレードが7月1日つつじ公園で開催されます。これには多くの団体個人が賛同しています。     
これまでバラバラだった団体が横につながっていくなら個々の何倍もの力を発揮できます。今後他の分野にも広げ、継続できるよう努力していきます。

 

九条の会東京2015に参加して         勝山 繁(富士見台在住)
                
 今月四日に開催された「九条の会東京2015」の集会では、憲法学者の小林節慶大名誉教授、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さん、俳優の宝田明さんというなかなか豪華な顔ぶれがリレートークをされた。
 宝田明さんのトークだが、私は彼のハルピンからの引揚体験も、昨年の総選挙前のNHKでの「日本が間違った道を選択しないよう、選挙で戦争をしようとしない人を選ぶことが大事」という発言も視聴していない。「ゴジラ」や、「放浪記」での嫉妬深い詩人の役という東宝時代のイメージしか残っていなかった私にとって、彼が今のテレビでは極めて勇気の要る発言をしたことに、失礼ながら賞賛より意外という気持ちの方が先に立った。
 それだけに、4日の集会で直に聞いた宝田さんの過酷な体験─顔見知りの奥さんがロシア兵に凌辱される現場を目撃したこと、自身がソ連兵に鉛の銃弾を足に打ち込まれ、麻酔抜きで手術を受けたこと─は、彼が淡々と話すだけに、その一言一言が耳から離れなかった。
 私と同町内の富士見台にプロダクションがあるちばてつやさんは奉天(現在の瀋陽)で敗戦を迎え、やはり生と死が隣り合わせた体験を6歳で味わった。漫画家には少年・少女時代に中国東北部で同様の体験をした人が多い。そうした体験が最近刊行された『廃墟の残響 戦後漫画の原像』に記されている。
 私より5、6歳から10歳年長の方々が、ソ連の戦車の追撃を受けながら日本に引き揚げ、その後の成長期にどんなことを思いながら成長されたのか、今こそきちんとお話をうかがわなければならないと思っている。(ねりま九条会会員)
                      

 

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