69号 2016年10 月発行

〈1面〉

学校現場を翻弄する自衛隊入隊者獲得の実態  
                                         
坂本  茂(練馬平和委員会)

一、減っている自衛隊志願者

昨年退役した元医官の1等陸佐に聞けば「医師や歯科医は任務で南スーダンに派遣され、医官が次々に辞める。安保法制が運用されている現在、自衛隊員は覚悟を強いられ駐屯地内でもピリピリしている、自殺も多く気になる」。南スーダンから帰国した若い隊員のなかには通常の生活が困難になっている方も少なくないと言う隊員のことも耳に入ってくる。
 中堅の自衛官募集広報官は「生徒が希望しても母親や安保法制が妨げになっている。やってもやっても生徒たちが自衛隊に入ってこない・・・ダメだ」と虚ろな顔だ。

二、職場体験という名の「体験入隊」 

 2000年度から全国の自衛隊基地などで、中学2年生の一部生徒が自衛隊員を先生にした授業を受け始めた。それを文部科学省は防衛省と協力して「総合的な学習の時間」と称している。
 練馬区(人口72万人)には駐屯地が二つ、小学校65校、中学校34校を抱える。練馬区教育委員会は自衛隊職場体験実施校について2013年度、練馬・立川駐屯地(陸自)入間基地(埼玉県狭山市など、空自)等へ、中学校8校39人と小学校1校8人。2014年度は中学校5校16人が練馬・朝霞駐屯地へ参加したと発表している防衛省の情報公開文書によれば中学校から自衛隊へ提出した書類に“各種訓練体験(軍服や車両など)”と記入している校長もいる。
 1ヶ月後、体験入隊した生徒の一人の親は職場体験の影響を受けて“自衛隊オタク”になった息子の扱いに困ったと、担任教諭と保護者面談を行った。

三、防災訓練の専門家は? 

 2013年7月、朝霞駐屯地にある陸上自衛隊広報センター(以降広報センター)に展示してある水陸両用車に付属する長さ約1m重さ60kgの鉄製はしごが突然落下、直下にいた男児の右後頭部を直撃した事故を目撃した。
 男児は母親と妹や祖母と一緒に広報センターに遊びに来ていた。母親は走って広報センターの受付へ「戦車からはしごが落ちて頭を怪我した、何とかして」と通報した。3名の自衛隊員は現場へ向かったが戦車の前でウロウロするだけだった。母親は自衛隊員に「戦車なんかどうでもいいでしょう、痛がっている息子を早く病院に連れてって」と訴えていた。広報センターは2週間前に実施した展示品塗装作業の後、はしごのネジの増し締めを怠り、展示品を点検せず入館させていた疑いが考えられる。

その後、広報センター長は筆者に「私は現場を離れていたので、子どもの容態を見たのは事故から30分以上経ってからだ。素人判断で外傷なしと判断し、駐屯地内の医務官を呼ばず、119番もせず、(約1時間後に)埼玉県南西部消防本部から朝霞厚生病院を紹介され、タクシーで男児を搬送(所要時間15分)した。事故現場の鉄製はしごは部下が元に戻してしまい現場確認保存を怠った・・・。今、原因究明や今後の展示など上司の判断を仰いでいる」と語っている。また、搬送に従事する地元消防署員は「症状が軽かったからいいが、素人判断をするぐらいなら自衛隊員はすぐ119番して欲しかった。今まで自衛隊から119番を受けた記憶はない」と話した。今回の事故を見ても防災訓練の専門家は防衛省ではなく消防署だと推定される。

四、消えた体験入隊

 その後、練馬区内の中学校の職場体験は2015年6月から今年5月まで練馬駐屯地で行われていない。東京都教育委員会は2013年より都立高校初の朝霞駐屯地などで自衛隊員による「宿泊防災訓練」を実施したが、2校目の2014年11月の大島高校を最後に断念している。
 児童たちを自衛隊の募集から守るには目線を低く身近なところから現場の教員たちを励まして、低い要求から始めることを通じての運動で意味を持たせなければならない。
 そして、日常的に市民による駐屯地の監視、防衛省・教育委員会・議会陳情・学校へ交渉等々、あらゆる手段で実態を事実に基づいて把握してから交渉にのぞむこと。多数派を握るためには情報はお互いに共有し、一党一派に偏らず住民からも理解を得て、そして、もちろん自衛隊員も含め敵を作らず、彼らと一緒に運動を休まず続けること。憲法に縛られる行政は法律には弱い、よって法律に基づいて運動を進めることが何より大切ではないか。
 要求を実現したなら役所の人たちや自衛隊員などにお礼の言葉を忘れなければ、味方は少しずつ増えていくことでしょう。
勇気と想像力もって あせらず・あわてず・諦めずの言葉を常に念頭に入れて・・・。                             


野党共闘を作り出した九条運動に確信をもって     
─九条の会全国交流集会報                         

 九条の会全国交流集会が九月二五日明治大学で開催され、全国から五〇〇人の代表が集まり経験が交流された。小森陽一事務局長からの問題提起で、現在、戦争法が施行され、南スーダンは殺し殺される緊迫した情勢下にあり正念場にある。昨年のたたかいは「二〇一五年安保闘争」として政治史に残るだろう。戦争させない総がかり行動実行委員会が一昨年できてから、毎週木曜日に国会前集会を開き、九月一九日の国会前集会では野党は共闘を叫び、渋谷駅集会で初めて野党党首が手を握り合った。これは市民の力による。参議院三二選挙区すべてで野党共闘が実現し、一一選挙区で勝利し沖縄、福島では現職閣僚が落選した。しかし安倍政権はその直後にヘリパッド建設、原発再稼働を強行し県民の意思を全く無視する専制政治を行っている。九条生かすか、明文改憲か、九条の会の役割は重要になってきた。 二〇〇四年九氏の呼びかけで始まった九条の会の運動は一二年間で野党共闘を作り出し、間違っていなかった。しかし現在生存者は三氏になり、会の強化発展のため一二人の新たな世話人会を結成、氏名が発表された。
 この後澤地久枝さんのあいさつに続き、出席した六人の世話人が決意を表明した。
 池内了 学術学会に防衛省の研究費がばらまかれ軍学共同が始まっているが、受け取る件数が一〇九件から六〇件に激減、市民のこえが抑制につながっている。
 池田香代子 辺野古基地建設の高裁不当判決に怒っている。司法が行政に屈服した、伊江島の基地拡張も問題だ。伊波さんは安保を取るか沖縄の独立を取るか考えている。沖縄と連帯してたたかおう。
 伊藤千尋 一五年前のアメリカは911後、車の一一%が国旗を付けただけなのに全部が変わった錯覚を与えた。一五パーセント変われば社会は変えられる。九条は世界の共有財産だ、コスタリカ国会では九条にノーベル賞をの決議がされた、トルコにも九条の碑ができた。
伊藤真  壁の向こうに友を作ったら壁でなくなる、九条の会も仲間同士でなく,もっと広い人と結び合うようにする必要がある。司法で社会を変えようと、戦争法違憲訴訟に取り組んでいる。合憲にされることをを心配する声もあるが、司法も市民の声で変わる。不断の努力が必要だ。
清水雅彦 ─平和運動全体が右傾化するのが心配だ、自衛隊違憲の人を増やし、福祉国家を実現する。そのため野党共闘で政権交代を目指したい。
山内敏弘 ─安倍晋三、習近平、金正恩は敵対的相互依存関係になっている。南シナ海を平和不戦の海に、九条を東アジアの共有財産にしたい。
 午後は、6つの分散会に分かれて、情勢と活動経験、会の体制に関することで交流した。私の分散会では地方自治体が委縮して、九条の会を政治団体として、会場の使用、お祭り、公民館のニュース、行事から排除する動きが全国で起きていて、それと闘い撤回させている経験が多く出されたことが特徴的だった。      (大柳武彦  記)

   
新たな世話人
愛敬 浩二 (名古屋大教授、憲法学)
浅倉むつ子 (早稲田大教授、労働法)
池内 了 (名古屋大名誉教授、宇宙物理学)
池田香代子 (ドイツ文学翻訳家)
伊藤 千尋( 元朝日新聞記者)
伊藤 真 (日弁連憲法問題委員会副委員長)
内橋 克人 (経済評論家)
清水 雅彦 (日本体育大教授、憲法学)
高遠菜穂子 (ボランティア活動家)
高良 鉄美 (琉球大教授、憲法学)
田中 優子 (法政大総長、江戸文化研究家 )
山内 敏弘 (一橋大名誉教授、憲法学)
 

  
  自衛隊を南スーダンに行かせない! 150人がパレード    
                                                                         主催  北町九条の会・ ねりま九条の会
   

今から5年前の6月12日、練馬区駐屯の陸上自衛隊第1師団の創立50周年行事として、小銃を掲げ、迷彩服を着た隊員が高島平荒川河川敷から練馬駐屯地まで、市中を行進しました。そのコースの一部となった旧川越街道沿いの北一商店街を、今月9日、「南スーダン派兵は危険」、「自衛隊を行かせるな」、「駆けつけ警護は憲法違反」のコールを響かせながら、150人の隊列がパレードしました。
 パレードの前に、上板橋2丁目の上富士公園で開催された「自衛隊を南スーダンに行かせない」の集会には、井筒高雄さん(元朝霞第31普通科連隊)、映画監督・アニメーション演出家の高畑勲さん、北町九条の会の北橋出雲さん、「許さない!戦争法オール板橋行動実行委員会」の荒川孝治さん、板橋生活者ネットワークの五十嵐やすこ板橋区議、日本共産党の坂尻まさゆき練馬区議の各氏が激励と連帯の挨拶を送りました。 井筒さんは、「安倍首相、稲田防衛大臣の無責任で、自衛隊員の命が南スーダンで失われるかもしれない。自衛隊は海外で軍隊の扱いを受けず、ジュネーブ条約やハーグ条約の捕虜規定も適用されな い。賞恤金(しょうじゅつ きん 職 務を遂行し、殉職ある いは負傷した場合で、功績が認められた時に支給される功労金)ですら決まっていない。支給される救命キットもわずか8点、英国は18点、アメリカは26点、自衛隊員の命が如何に粗末に扱われているかわかる」と、安倍内閣と防衛省の自衛隊員に対する非人道 的な扱いを告発しました。
高畑監督は、「陸自の新しいエンブレム(日の丸、陸自のモチーフの桜星、抜き身の日本刀が描いてある)を見てぞっとした。今まで戦地に送られることなど想定されなかった自衛隊員の状況に私たちは目を向けなければならない」と訴えました。
                                                                                                                                      (勝山繁 記)

自民党が憲法草案に「家族の助けあい」を入れるのはなぜ?    

 自民党の改憲草案の前文と二四条に「家族の助け合い」が義務規定として追加されている。虐待やDV、そして子が親を殺すといったニュースが目につく現状にあって、「家族は助け合わなければならない」と言われると、納得させられてしまうかもしれない。
 しかし、日本国憲法二四条は、原案が提案された1946年の国会でも、「家族を崩壊させる」、あるいは「日本の伝統にそぐわない」という理由で強い反対にあい、1950年にも同じ理由で改憲の危機にさらされた。2000年以降も、「家族の破壊をもたらす条文である」と非難され、たびたび攻撃対象とされてきた。昨年11月に日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が武道館で1万人集会を開き、その開会の辞で、櫻井よしこは改憲対象として「緊急事態法」と「家族条項」の二つだけを具体的に示したと言う。安保法制が通った今は九条改憲は急ぐ必要はないというのだろうか。そしてそれは安倍政権のシンクタンクである「日本政策研究センター」の改憲プランでもあるという。
 なぜ彼らがこのように長い時間「二四条改正」にこだわり続けるかを、私たちはもっと深く考える必要があるのではないだろうか。
 ひとつは社会保障との関係。憲法に「家族間の助け合い」が書かれれば、法律も、行政も全てがその方向で動き出す。保育も介護も「家族で助け合って」となり、生活保護も隠れた家族が探し出されるに違いない。憲法二五条も危うい。
 もう一つは戦前に盛んに唱えられた「家族国家観」への復帰が懸念される。「家族国家観」は国家を家の延長として理解させようとする国家の見方で、戦争中、子どもたちは、次のように教えられていた。「一つの家の中には中心として家長があって、家族を統率し温かく見守っているのと同じように、日本全国は一つの大きな家族、天皇はその家長として国民を慈愛深く見守り統率してくださっている。国民は天皇の赤子として、そのご恩に応え、従順に服従し、天皇のためにつくさなければならない。天皇のために、国のために、家のために、目上の人に従順に服従する生き方が正しい」と。
 右翼たちのネットのサイトを見ると、戦前回帰を望む書き込みが数多く見られる。
一例を挙げると、
 「国の為に命を捧げた人が尊ばれ、その子孫が守られてこそ、また後世に国のために命を捧げる人が出るのです。そうした積み重ねが日本の国独自の相互信頼と滅私報国の心に繋がっているのだと思います。家を守ること家を尊ぶ事、家名に恥じぬ事、そしてそのお家の延長線上に国家があること。そのことを自覚できる国を作っていかねばなりません。」
 これが改憲草案が目指す国の形なのだろうか。                                                                             (小沼 稜子 記)