71号 2017年2月発行

〈1面〉

共謀罪の危険性      種田 和敏 (弁護士)                                        

  仕事を終えて帰宅してテレビをつけると、金田法務大臣の迷答弁がニュースで報道されています。
 1月から始まった国会では、共謀罪の創設を含むテロ等準備罪の議論をめぐって、金田法務大臣の説明や対応に批判が集まっています。共謀罪については、これまで何度も、その創設を目指し法案が提出されてきましたが、これまでは国会での厳しい追及や国民世論の批判を受けて、いずれも廃案に追い込むことができました。しかし、戦争法やTPPなどをみれば明らかなとおり、十分な議論をしなかったり、議論の中で欠陥が露呈したりしたにもかかわらず、最終的には数の力で強行採決を繰り返す安倍政権は、共謀罪創設の悲願を強引に果たす危険性が大いにあります。
 私たちは、この危険な共謀罪の導入を阻止するために、国民的な運動を盛り上げ、この危険な共謀罪を導入する法案の提出を阻止し、仮に提出された場合には廃案に追い込まなければなりません。ここで、粘り強い運動の構築に寄与するために、紙幅の都合上、学びのきっかけにしていただく程度ですが、共謀罪の危険性について、重要と思われるところをご紹介します。
 そもそも近代刑法においては、実際に犯罪を実行することが処罰の対象となります。これが原則です。わかりやすく言えば、お金をだましとりたいと頭で考えただけだったり、「お金をだましとりたい。」と発言しただけだったりでは、詐欺罪で逮捕されることはありません。お金をだましとったら、もちろん既遂罪として処罰されます。また、お金をだましとろうと思って、だますための言動をした場合で、結果的にお金がとれなかったときには、例外的に、未遂罪として処罰されます。いずれにしても、「だます」という実行行為に着手することが必要です。
 しかし、共謀罪が創設されると、2人以上で『だましとりたい。』と話をすれば、逮捕される危険性があります。場合によっては話をしなくても、目配せをしただけでも、逮捕される場合があると政府は過去に答弁しています。
 今回のテロ等準備罪改正について、政府は準備行為がなければ処罰できないと説明しています。しかし、準備行為とは実行行為と異なり、曖昧です。詐欺を例にすると、だますという実行行為に着手しなくても、処罰される危険性があるということです。たとえば、AさんとBさんが「池袋でCさんに会い、Cからお金をだましとろう。」と相談した場合、Aさんが池袋行の電車に乗ったら逮捕ということも杞憂ではありません。
 たしかに、安心・安全のためには、治安の維持は大切です。しかし、処罰範囲が不当に広がり、警察権力の暴走を許すようでは、かえって私たちの安心・安全は危険にさらされます。その意味で、批判の多い共謀罪という名称ではなく、オリンピックの開催にかこつけて「テロ」等準備罪という名前で法案の真の姿を隠そうとする策動に私たち主権者は騙されてはなりません。
 また、組織犯罪に対応するための改正なので、一般人は対象にならないと政府は説明しています。しかし、「一般人」とは何か、たとえば政府の意に反する言動をする市民は一般人ではないと言えば共謀罪の対象になります。そうすると、誰もが共謀罪の対象になる危険性があります。政府の方針に異議を唱えることすらできない、戦前のような社会になる危険性があります。
 共謀罪の導入は、オリンピックやテロ対策のためではなく、秘密保護法や戦争法に続く、戦争できる国づくりの一環です。私たちは、平和で安心して暮らすためにも、共謀罪であるテロ等準備罪の改正を阻止しなければなりません。
 この原稿が皆さまの運動の一助になれば幸いです。

 

〝子どものしあわせ〟を願って! ─「ねりまこども食堂」訪問記

 格差が広がり、そのしわよせが子どもに押し寄せ、6人に1人が貧困状態と言われています。 一昨年ぐらいから、子どもたちを救おうと全国に「こども食堂」がつくられはじめましたが、練馬でも支援者やボランティアによって、現在12箇所の「こども食堂」が開設されています。編集部はボランティアをされている大津さんからお話を伺った上で、練馬区のさきがけとなった「ねりまこども食堂」を訪問して、代表の金子さんからお話を伺いました。
■「子どもたちに、お腹いっぱい食べさせたい」
 フリーアナウンサーをしておられる金子よしえさんが、ある日、NHKの「クローズアップ現代」が取り上げた「子どもの貧困」を見て衝撃を受けました。 ご飯を食べられない子どもたちがいるという事実を知った金子さんは、居ても立ってもいられなくなり、「何か私にできることはないのか。仲間をつのってご飯を作ることくらいはできるのでは…」と考え、番組で紹介された要町にある「あさやけこども食堂」を見に行きます。金子さんは、そこで「場所とネットワークがあればこども食堂は出来ますよ」と言われ、練馬でも始めようと決意し、さっそくお母さんの葬儀をされたことをきっかけにご縁をもたれていた真宗会館に相談をします。
 すると彼女の熱い思いに真宗会館も共感して、厨房と広い仏間を解放の上、光熱費無料で使わせてくださることになりました。そこで、チラシをつくったり、ホームページでボランティアを募集したところ、保育園の調理師さんや保育士、児童館の職員、インテリアデザイナーの若い男性など20人もの方が応募され、昨年の4月から、月に2回、食堂を開設できるようになりました。

■善意の人々に支えられて
 食材についてお尋ねしたところ、野菜おすそわけプロジェクトのメンバーが野菜づくりをおこなっており、近隣の方からの差し入れもあるということでした。また、金子さんはカルチャースクールやアナウンス学校で講師を務めておられるので、マスメディアを通して子どもたちの実情を訴えたり、ホームページに、「○○さんからいただいた○○で、このような料理をしました」といった書き込みを丁寧に行うことで、全国からさまざまな食材が送られて来るそうです。豚肉をたくさん送って下さった方もおられたたそうです。「使い切れない食材は、不足している〝食堂〟に送るなど、分け合っているそうです。しかし、全ての子ども食堂を把握しているわけではないので、「区がネットワークの窓口になって欲しいと要望しているところです」と金子さんは言います。
 「ねりま子ども食堂は真宗会館の支援もあって恵まれていますが、全体としては、さまざまな方の募金で何とかまかなっている状態です。行政支援を受けているところもありますが、支援を受ける基準は、区とつながりがあるかどうかという曖昧なものなので釈然としません。紐付きになって行政の言いなりになるより、自由に工夫してやっていける今のやり方がいいのかなという気もします」と見学前にお話をして下さった大津さんは言います。

        
■こども食堂は大切な「居場所」

 利用者についてお尋ねすると、八割は母子家庭や父子家庭の子どもと親ということでした。
 しかし、スタートした当初は、大人は300円、子どもは無料というチラシを見て、ママ友がどっと押し寄せたためにボランティアたちはてんてこ舞いになってしまったそうです。そこで〝ここは困難を抱えている家庭の親子のためにボランティアが無償で働いているのだ〟ということを知らせるチラシを配ったり、受付で「何かお困りですか?」と尋ねるようにしたところ、ママ友は姿を消し、現在の利用者は大体40人から50人ぐらいに収まっているという話でした。
 「6時から8時まで開いているので、働く親たちも安心して利用することができ、大人にも子どもにも仲間もできて、大切な居場所となっているようです。
 学校の養護や担任の先生方が、必要な子どもに付き添ってくることもあり、そういう子の数も増え当初の私たちの思いが叶うようになったと思っています。食事会当日には、近所のおじいさんがけん玉を教えてくれたり、大学生もお手伝いに来てくれるので、子どもたちは食事だけでなく、異年齢の大人や子どもたちとの遊びも楽しみにしています」とお二人が話してくれましたが、子どもたちは実にイキイキと楽しそうでした。私たちも栄養バランスの良い豊富な メニューに驚きながら美味しく食べさせていただきました。


■まだ厚い行政の壁                      

  彼女たちは、こども食堂を必要とする人たちに食堂の存在を知ってもらうためにパンフレットをつくって配っていますが、子どもの実態を掴んでいるはずの「保健相談所」や「子ども家庭相談所」は、大人300円と書いてあるのを見て、営業行為であるとして、チラシやパンフレットを置かせてくれないと言います。「区がこども食堂ネットワークの窓口になってほしい」という願いもいつ実現するのでしょうか。
 (レポーター小岩・比嘉・小沼)
              

  奪われる成長の場を取り戻すこども食堂
                             津田 玄児(弁護士)

   
 生まれ落ちてから大人になるまで、子どもたちの生活の場は、家庭・保育園・学校・社会と変化します。家庭・保育園ではなく、社会的養護施設・幼稚園という子もあるでしょう。しかし、その過程で、さまざまな人や仲間とふれあい、その過程でのさまざまな生活経験をとおして、社会人として成長をとげるのです。
 状況は育つ場や、秘めている能力や、好みにより、それぞれの子どもで異なります。しかし、衣食住などの基本的なものについては、人間として最低限必要な共通のものがあるはずです。
 今の社会で、日に三食する習慣は、人間として最低限必要な共通のものといえるでしょう。こども食堂は、その三度の食事が満足にできない子どもの存在が明らかになって、これを放置することは、子どもの最善の利益に反して許されないというところから始まり、多くのボランティアによって支えられ、またたく間に、燎原の火のように、全国に広がってきたといいます。これは奪われる子どもの成長の場を取り戻す取りくみということができます。 
 この間、子どもの相対的貧困率は、1997年の13・4%から、2012年の16・3%と進み、2012年の「大人が一人の、子どもがいる現役所帯」では56・6%となっています。更に生活意識調査では、2013年の全所帯では「大変苦しい」「やや苦しい」と答えた者の合計が、59・9%であるのに、児童のいる所帯では66%、母子所帯では85・2%となっています。(阿部彩 2013年、「貧困率の長期的動向─国民生活基礎調査1985〜2012年を用いて」貧困統計ホームページより)。 この食事ができないという問題の背景には、貧困の進行が見られるといっていいと思います。
 そうすると、ボランティアに任せて適切な対応をしない国・東京都・練馬区の責任が問われなくて良いものでしょうか。それは、子どもの権利条約6条・3条(子どもを人間として扱い、最善の利益をつくす)違反ということにならないでしょうか。

 

釜山の少女像

    田場 祥子(バウラック運営委員・ねりま九条の会会員)

二〇一六年一二月二八日に、釜山の日本領事館前に少女像が建てられました。現在少女像は五四基建てられています。釜山の少女像設置をめぐってはさまざまな報道が飛び交っています。この像の撤去、再設置を巡り日本政府は長嶺釜山領事を本国に引き上げさせました。
 ソウル日本大使館前にはじめて少女像(正しくは平和の碑)が建てられたのは二〇一一年一二月一四日でした。一九九二年一月八日から始まった水曜デモが一〇〇〇回を迎えた記念として建てられました。日本軍の被害者たちの名誉と人権の回復を求めて始まった水曜デモが二〇年間も続けられたのです。雨の日も風、雪の日もハルモニ(おばあさん)たちは日本大使館前に立ち続けました。
 この平和の碑は被害女性の支援団体である挺身隊問題対策協議会(挺対協)の呼びかけに応えた市民が寄せた募金で建てられたものです。ハルモニたちが連行された当時の姿を現す少女、その少女の後ろにできる影は少女ではなく長い間正義の回復を待っていたハル
モニの姿です。この日は韓国の行動に呼応して、日本でも日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は人間の鎖で外務省を包囲しました。参加された方も多いと思います。現在も水曜デモは日本大使館前で続けられています。
 釜山に建てられた少女像は「未来世代がつくる(平和の)少女像」として、日韓「合意」に反対する人たち・釜山の学生や女性団体や市民団体が、日韓「合意」後から釜山に建てたいと一年前から募金を募り準備して建てられものです。そこに多くの市民がサポーターとなって支援しました。釜山東区庁により強制的に一旦撤去された少女像が市民の要求を受け入れ再設置されたのはご承知の通りです。
 日本政府は釜山の碑もソウルの碑と同じく二〇一五年一二月二八日、日韓「合意」がなされたのに撤去しないのは約束に反するとか、一〇億円を韓国に支払うことにより「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」したはずであるのにと要求していますが、これは韓国政府が建てたものではなく市民が建てたものです。このあいまいな、条約でもない「合意」を盾に韓国政府は約束を守らないと言って日本政府は釜の日本領事を本国へ引き上げさせたのです。
 この少女像の再設置に関して一番の役割を果たしたのは、釜山領事だったというつぎのような話があります。
 『結局、釜山の領事館前に少女像は設置されました。これに最大の貢献をしたのは、実は、在釜山日本総領事の公文だったのです。領事が釜山市東区庁長宛に、少女像を建てることを「受け入れられない」「(少女像が設置されたら)日本人の韓国訪問客数にも悪影響があるだろう、特に東区が受ける影響は大きいと憂慮される」といった内容の公文を出したことが知られてしまったのです。これに対して世論は、「わたしたちはまだ植民地なのか 」「釜山に少女像を建てるのに、なぜ日本の領事が建てろとか建てるなとか、韓国の行政に圧力を加えるのか 」「釜山の区庁は日本の植民地機関なのか」といった批判が巻き起こり、『朝鮮日報』のような保守系新聞まで批判記事を載せたほどでした。
 釜山東区庁には撤去した直後から全国各地から、外国からも電話がかかってきたそうです。釜山東区庁の公務員たちは少女像をトラックに載せて、ゴミ置き場のようなところに置く、そういうことをした公務員たちが「子どもに顔向けできない」と、市民たちに言ったそうです。その責任者である安全局長は区庁長に「死にたい」「これ以上耐えられない」と訴えたそうです。結局、区庁長は市民と会った場所で「建ててもいい、撤去はしない」と約束しました。その後、韓国外交部も、日本政府も、少女像の撤去が一〇億円の条件だったかのように言って(撤去するように)圧力を加えているので、東区庁長は「そんなに撤去したいなら外交部がやれ、自分には撤去できない」と先頭に立って、闘士になって頑張っています。この区庁長はセヌリ党(与党)です。
 もう一つの変化として、ソウル市議会と原州市議会が少女像を市の造形物として登録しました。 そこで、全国各地の少女像も同様に、地方自治体が管理し運営する歴史的な記念物に指定させるための手続きを開始しています。』(挺対協・尹美香代表の発言より抜粋)

この釜山の問題はこれだけでは終わりません。一月二四日のNHK「クローズアップ現代+」が、韓国市民の声とは正反対の内容で放映しました。NHKは以前より「慰安婦」問題の番組を作れていません。さらに前籾井会長の意向が番組の質の低下に力を貸していましたが、これほどひどい番組が制作されたとは。「クロ現+」はキャスターもコメンテーターも歴史認識の乏しさが明らかでした。私はすぐに「NHKの番組低下は承知していたがこれほどひどい番組は前代未聞です。」とNHKに電話を入れました。
 この番組に一人の男性が登場し「もう憎しみ合うのはやめましょう。」と言って「Love Japan」と、ハングルで「한미일 동맹 강화」と書いた二枚のプラカードを持って少女像建設のメンバーの大学生に近寄っていく映像が出てきます。大学生はこの男性に「少女像の横に立たないでください。恥ずかしくないのですか」というのですが、番組はプラカードのは抗議文を、NHK会長とNHK「クローズアップ現代+」担当者」宛てに配達証明付きNHKで提出しました。そして、二月二日、衆議院第二議員会館で、NHK番組「クローズアップ現代+」「韓国加熱する〝少女像〟問題 初めて語った元慰安婦」の偏向報道に抗議するという記者会見を開催しました。当日の発言者が番組の中のプラカードのハングルを翻訳しました。それにより「韓米日同盟強化」と書かれていたことが判ったのです。NHKは巧妙な手口で意図的にそのプラカード翻訳
をテロップで流さないので、「クロ現+」の視聴者には学生が何で男性に反発しているのか判りません。
 一月三一日、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動(全国行動)は公開質問状を、と私が所属するVAWWRACを通して朴政権、安倍政権の意向を流していたのです。 実に卑劣なやり方です。韓国の市民と、ハングルが判らない日本の視聴者を欺いたのです。
詳しくは全国行動のサイト   http://www.restoringhonor1000.info/ 2017/02/nhk_4.html
をご参照ください。記者会見での資料を見ることができます。
 日本領事が帰国してから一か月余りがたちますが、二月一五日現在、まだ領事は釜山に帰任しておりません。

 

「震災・原発避難者はいま PART2」に参加して         清水あつ子
                

 一月二二日、福島こども保養プロジェクト@練馬主催の講演会に参加してきました。勤労福祉会館の大会議室は九七人の参加者で満員、講演者は『ルポ 母子避難』の著者、吉田千亜さんとパルシステム勤務の瀬戸大作さん。ゲストに首都圏在住の避難者の方々三名。
 まず練馬区には二二〇人の避難者がおられ、都内で二番目に多いということを知りました。そして、「自主」避難者という言葉の欺瞞
性。勝手に逃げてきた我儘な連中という偏見を助長し、住宅支援の打ち切りも当然、と一般市民に思わせる言葉です。正式には「避難指示区域外避難者」。しかし、人口の多いいわき市・郡山市・福島市の上空には汚染度調査のヘリは飛ばず、高線量が証明されていないので「区域外」というわけで、「保障金の額と相談して調査地域を決めたのか?」との声もありました。明らかに汚染されているのに避難指示がないまま、子供を守ろうと脱出してきた人々が今、住み家を追われようとしているのです。
 この充実した講演会で、事態の深刻さを肌で感じることが出来ました。しかし今、自分に何ができるのか。
避難者の方の「皆さん、このような状況に対して、自分は何もできないのではないかと感じていらっしゃいませんか? ―中略―
でも、このことを心にとめて下さるだけでも良いのです。それがきっといつか、何かを動かす力になっていきます」という言葉にやや救われましたが、これに甘えずに、福島支援も、反原発も、戦争法案反対にも諦めずに声を上げ続けなければと思ったことでした。 (西東京市在住)

轟音を 響かせ自衛隊 ヘリの飛ぶ 七機の編隊 西から東へ

自衛隊 駐屯地近く住み居れば 軍用車両 見慣れる怖さ

若者の「火器使用可って、それ戦争」大らかに高く拳あげて

啄木の「秋の風吹く」と詠いたる 一九一〇年その切迫の

諦めない 繰り返すコール「廃案、廃案」憲政記念公園前埋め

「あきらめない」合い言葉にしてわが町にも「派兵反対」デモの計画

危うさの 日本列島この夏も 戦争準備に 原発再稼働

「一億総活躍」宣言その先の「一億火の玉」「一億玉砕」

従弟の子 入隊二年に何ありしや 自衛隊辞めたと知らせが届く

今朝の空 一点の曇りなく晴れて「平和」とはかく清々しかれ

                     内藤 ます子(北町九条の会)