75号 2017年10 月発行

〈1面〉

      虚言とパフオーマンスの政治に流されず、
                                         子どもたちの未来を守ろう         
                      暉峻 淑子(埼玉大学名誉教授)


「策士、策に溺れる」とは、首相や希望の党の小池さんのことだ。    
                              

 小手先の策略で国民をだますことが次々に成功すると、今度は、策を弄して国民をだますことが、政治目的になる。国民の財産を私物化して、ただ同然でお気に入りの森友・加計学園に提供し「自分は関与していない」と言い張った安倍さん。それが、新しい証拠によって暴露されそうになると、野党の口封じに国会を解散する。都議選で敗北すると、国会答弁の口調がけんか腰であったことを謝り「これからは丁寧に答える」と言った舌の根も乾かないうちに、説明責任は消え去って、臨時国会冒頭の国会解散である。
 自分のための解散であるのに、北朝鮮を理由に国難選挙という理由をつけたり、国民から票をもらうための餌として、消費税の使途を貧困な人の教育費援助に回すために選挙をやると言う。国民を愚民だと侮っているのである。
 小池さんは安倍さんを退場させるために、希望の党を立ちあげて、国会の議席の過半数を取ると言う。安倍首相の虚言や独裁に不信感を持ち、日本の将来を安倍首相に委ねるのを疑問視しつつあった国民は、小池新風に期待をかけた。ところが今や小池さんの敵は安倍さんや自公ではなく、小池さんに従わなかった立憲民主党になりつつある。安倍政権に勝つためには、野党が協力して統一候補を立て、小選挙区で1対1の与野党の争いに持っていかなくてはならない。そのためには勝ちそうな野党候補者を一本化して応援しなければならない。それなのに、有能な反安倍候補者を自分に従わなかったという理由で刺客を送りこんでまで潰そうとしているのだ。独裁政治家である。
 希望の党は、政策的にも、憲法改正、集団的自衛権容認、安保法制支持、など、自民党の補完勢力になっている。しかも、前原さんとの約束があいまいであったことから「民進党の希望者全員を受け入れる気はさらさらない」とか「排除します」と平然と言う小池さんの姿に対して、心ある人たちはしらけたと思う。
もともと小池さんは自分の野心フアーストの政治家で、民主主義には遠い人だ。豊洲の汚染問題はまだ終わっていないのに、都議会が豊洲のための特別委員会を設置しようとすると、反対した。全ては自分が決める、と公言してはばからない。しかも決めた過程はブラックボックスである。結局、騒ぎ立てただけで豊洲に移転。オリンピックの予算も縮小したのは、今のところほんのわずかで、今後超過するかもしれないのだ。党員にもかん口令を敷き、きびしい情報統制をしている。 安倍さんと小池さんはヒーローとして自分の思い通りに事を運び、名を残したいだけの政治家ではないのか。人権、平和、環境保全という国民にとっても、世界にとっても最重要事項に献身するのでなく、敵を作ることで自分を正当化しようとする、野心フアーストの政治家ではないかと思う。アウフヘーベンなどと的外れなドイツ語を使い、ちゃんとした日本語があるのに、わざわざ英語を使い、市民との対話を遠ざける。政治家にとって最も必要な資質は、国民と対話できる資質である。
 さて私たちは、どうすればいいのか。もしここでまた自公に、あるいは補完勢力を入れた3分の2が実現すれば、これから憲法改悪と、人権の軽視、力で解決を図る戦争の承認、などが一気呵成に進むだろう。反対に、都議選で見たように、自公の議員を少しでも減らすことができれば、情勢は変わってくる。
 力で解決する社会とは、結局、競争社会の中で子どもたちが自分の人格に誇りを持って生きていくことを許さない社会だ。個性をわがままだと決めつけ、上が決めたことに服従する人間しか認めない社会だ。何よりも選挙権を持たない子どもたちに対して、そんな社会を増幅することが大人の私たちのすることだろうか。アジア太平洋戦争が終わった時、日本人は『私たちは政治家と軍人に騙されていたのだ』とわめいた。では今はどうか。
 目の前の安易さに無責任に妥協して、間違っていると知りながら、見て見ぬふりをしていないか。目先だけの安楽を望んでいないか。
 私は、安倍さんや小池さんを批判しながらも、実は、国民の側の無責任さに、それ以上の悲しみを感じている。事実をしっかりと見て、悔いのないように自分で考えて判断し、子どもや孫の未来に責任を負うことが私たち大人の最低の義務であり、子どもたちへの真の愛情なのではないかと、考え悩んでいる。

 

「冒頭解散」に思う

                                                                    比嘉 高(ねりま九条の会世話人)

 9・28安倍首相は臨時国会冒頭解散を強行しました。憲法にもとづく野党の国会開催要求を放置・無視し、召集に応じたフリをして、施政方針演説も代表質問もない一切の論議を封殺して解散しました。解散自体は時の政権の是非を問い、国民が判断する機会を得るという意味で意義あることですが、問題は「冒頭」解散です。「森友・加計隠し解散」「空き巣狙い解散」「敵前逃亡解散」「トンズラ解散」「北朝鮮ミサイル援護射撃付き解散」とか好意的命名は一つもありません。今、解散する必然性は全くなく、安倍と官邸の森友・加計問題のこれ以上の事実の暴露・追求にフタをすることで、反対勢力がモタモタして、空き巣状態のうちに選挙をして多数を確保して、政権維持の正統性を再セットする意図としか考えられません。また北朝鮮を念頭に「国難突破解散」などと安倍首相自身が言っているようですが、平和解決の道を描こうとせず、トランプ米大統領のお先棒を担いだり、尻を押したりして、制裁の強化一点張りだと世界の指導者は言い出しています。この「国難」は自作自演と言われています(9・29朝日新聞オピニオンフォーラム。半藤一利)。
 そういえば、官邸に泊まらない安倍が官邸に泊まった翌日には、北朝鮮からミサイルが飛んでくるのは何故か?とか、アラートを鳴らしまくり、小学生に防災頭巾をかぶらせて、机の下に隠れさせる映像をテレビで日本中に流して、危機感をことさらエスカレートさせるのは何故か?と、いろいろ怪しげなことがたくさんありますね。
 それに加えて、突然,小池「希望」の党が現れ、民進党が消え、民進議員は小池の審査を受けて公認されるというような、普通ではないドタバタ再編があわただしく進んでいます。アベ政治打倒のため、市民連合を中心に小選挙区での一対一対決の構図が崩れ,三つ巴選挙となるのでしょうが、これを一番よろこぶのは誰でしょう。 憲法九条を守るために集った私たちは,よくよく考えて投票しましょう。

 

「自衛隊」加憲にNOを!       ─ 小森陽一さんの講演から ─

 5月3日に安倍首相は「九条1項2項はそのままで、3項に自衛隊の存在を書き込むだけだ」と言いましたが、これについて日本会議が明確に述べています。「この衆参で3分の2以上の議席を持っているという好機を絶対に外してはならない。そして最も国民的な一致点を得やすい自衛隊を認めてあげるだけなのだ」。これは公明党が一貫して主張している、憲法を変えるのではなく、不十分なところを加えていくという「加憲」という主張にも合致するわけです。だから公明党を巻き込むことができる。さらには大学の授業料を無償化するということで維新の会も巻き込んで、今の全ての改憲派議員が一致できるような状況にするために、野党だった2012年につくった自民党改憲草案を全部反故にしてもかまわないというような路線変換に、安倍晋三が踏み切ったということです。

今の自衛隊は2015年以前の組織ではない 

 2015年の安保法制を巡って国民的な共同ができましたが、それは「あれだけ災害救助で国民のために頑張ってくれた自衛隊をアメリカの戦争のために海外で殺し殺されるような状況に置いてしまうのか、それは許せないよね」というところに一致点があったのです。
 忘れてはならないのは、今の自衛隊の背後には「安保法制」が控えていることです。2015年9月19日前の自衛隊とは全く違う組織なのです。2014年の7月1日、これまでの歴代自民党内閣が否定してきた「集団的自衛権を可能にする」という閣議決定をしました。
 これはまさに憲法九条の1項と2項がどのように自衛隊を規制してきたかということの本質に関わる問題なのです。
 1954年に自衛隊を創設したときに、「どうせ憲法違反の軍隊だろう」という批判が出ます。それに対してその当時の内閣、そして歴代の内閣は「自衛隊は九条2項で規定されている陸海空軍、その他の戦力ではない。日本の領海内が攻撃されたときに領海内で実力を行使する「自衛のための最低限の実力」なのだという説明を続けてきました。
 

九条2項が守った自衛隊員の命
 1990年の湾岸戦争でイラクがクエートに侵攻。これは国連憲章違反だというので国連安全保障委員会で経済制裁を決め、初めてアメリカを中心とした多国籍軍をつくります。その多国籍軍に自衛隊を参加させるということが海部俊樹政権の時に議論されました。その時、自民党は解釈改憲で自衛隊を海外に派遣しようとしますが一致点はつくれず、国民一人あたり1万円の大金をクエートに差し出します。しかしアメリカはクエート政府に「日本は金だけ出して血と汗は流さないのか」と言わせました。
 これは政権にとって非常に大きな屈辱でした。そこで海部政権は崩壊。1991年の暮れに宮沢政権が成立したあと、アメリカは自衛隊を海外に出せと圧力をかけ続けます。そして1992年の6月に、宮沢政権は国連の平和維持活動に自衛隊を派遣します。これがPKO協力法です。
 しかし宮沢政権は鳩派政権でしたから、「絶対に戦闘には参加しない。自衛隊は日本の領海の中に敵が入ってきたときには実力を行使するが、それ以外は憲法違反なので戦闘地域には行かない」と言います。その時に出てきたのが「非戦闘地域」という言葉です。小泉総理は国会の追求に対して「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と開き直りましたが、「非戦闘地域」という言葉を内閣総理大臣から引き出したことが、九条の下に於ける国際貢献をつくりだしたのだということなのです。つまり国民が九条第2項を掲げて、自衛隊の活動はそれに違反してはならないのだと言ったが故に、国会の場で、行政の長である内閣総理大臣がそう言わざるを得なくなったのです。これが縛りだったのです。自衛隊が憲法の下で武器を使用してはいけないのだということを主張し続けてきた九条の会の運動が、文字通り九条2項が自衛隊員の命を守り続けたのです。
 このPKO協力法が2015年に集団的自衛権の行使を認めたことから、駆けつけ警護その他ができるようになりました。しかし、南スーダンの日報隠匿事件では、「九条2項があるから戦闘状態の所には入れない筈だ」と日報の公開を迫ったから「報告があった」ということになったのです。運動の中で出てきたのです。その結果、稲田朋美が内閣改造まで待ちきれず、辞任するに至ったところまで国民の批判が高まったということなのです。かなりきわどい、ギリギリのところまで南スーダンはいっていたのです。まさに九条がスーダンに派遣された自衛隊員の命を守りきったのです。


1項と2項の無効力化こそが日米政府の狙い

 トランプ政権になってから、ワシントンで日米2+2が開かれました。トランプ政権になって初めてのことです。2015年の4月、つまり安保法制が国会にかけられる直前にも2+2が開かれ、日本にどれだけの軍事要求をするかという安保法制の根拠を明確にするための日米新ガイドラインがつくられたのですが、改めてトランプ政権の下で、新ガイドラインの実施を加速せよという要求が強く日本側につきつけられました。これに基づいて憲法に自衛隊を書き込むということなのです。
 つまり自衛隊という3文字の背後には2015年の安保法制が張り付いているのです。単なる自衛隊ではないのです。自衛隊は2015年の安保法制を背負わされた組織だから、その組織名を憲法に第3項として書いてしまえば、それが一番新しいわけですから、1項、2項が事実上無効化されるということになります。そこのところを日米合同で、今狙ってきているということです。
 同時にそれは辺野古新基地の建設の早期完了という強い要求にも結びついていたのです。アメリカと韓国軍の合同練習の時に、いつでも朝鮮戦争が再開できる体制として、アメリカ軍の幹部3人が韓国に入りました。非常に露骨なパフォーマンスをトランプ政権は演じてのいるわけです。そこに今アジアの非常に強い軍事的な危機の問題があるのです。
 現在は、国内に於いて国民の支持を得る政策を実現をする能力のない政権がアメリカと北朝鮮にできてしまっている。両国とも敵対意識をあおるだけで政権の維持を図ろうとしている。こういうとんでもない事態になっているのです。



朝鮮問題は改憲の好機                                       

 1951年、吉田茂は旧日米安全保障条約に署名させられました。そこには、九条があるにもかかわらず、日本の再軍備の要求が書かれていたのです。それが実行されるのが1952年の4月28日です。沖縄は米軍の基地にされます。その後警察予備隊は保安隊になり、1954年の7月1日に自衛隊が創設されます。まさに朝鮮戦争のただ中で日本の再軍備が進められていき、今また第二次朝鮮戦争の勃発が叫ばれながら一気に改憲が進められようとしている。やり口は同じなのです。
 ですから、この数十年間の日本への改憲の圧力、日本がアメリカと一緒に戦争ができる国の仕上げをするかどうかという形で日米の支配層が、いわば死力を尽くしてさまざまなことやっているのです。今私たちはどれだけのことが行われているのかということを明確にしておく必要があるのです。
 そして、日本が戦争をする国になることは、日本国民は元より、アジアの諸国民の人権が戦争によって潰される道を拓くのか、日本が九条を持つ国として、しっかりと九条を掲げてそれを阻止する方向を出すのかという問題なのです。
                                                                                                                                     (文責 小沼)

 

軍事化する日本経済 
 許されて良いの? クラスター爆弾製造企業への投融資や株式保有
                                                                                                    勝山 繁                

●多くの非戦闘員を殺傷するクラスター爆弾

 皆さんは、クラスター爆弾という兵器について聞かれたことがあるだろう。クラスターとは房のこと。通常の空対地爆弾とほぼ同サイズのケースの中に、小型爆弾や地雷で構成される数個から数百個の子弾が房のように内蔵され、航空機や地対地ロケット弾、砲弾などに搭載される。このケースが発射、投下の後に空中で破裂することで子弾を散布し、多数の小規模な爆発を引き起こして広範囲の目標に損害を与える恐ろしい兵器である。
 第二次世界大戦では、アメリカ陸軍航空軍が38ないし48発の焼夷弾をコンテナに収容し、高密度に焼夷弾を降らせる集束焼夷弾E46を日本への空襲に使用した。ベトナム」戦争でも、ケースに野球ボール大の子爆弾を300個ほど内蔵し、その子爆弾ひとつの炸裂で600個ほどの金属球を飛散させる「ボール爆弾を使用した。
 この爆弾によって、これまでに36の国と地域で5万5000人以上が被害に遭ったとされる。昨年の死傷者数は971人と、2015年の2倍以上に及び、これは調査を始めた2009年以降、2番目に多い人数である。9割が内戦の続くシリアの死傷者で860人、これも一昨年の3倍以上にもなる(以上、国際NGO Landmine and Cluster Munition Monitorの報告による)。 
 また、 オランダのNGO団体であるPAX(パークス)によれば、クラスター爆弾による被害者は民間人が94%、戦闘員が3%、除去作業員が3%と、圧倒的に非戦闘員が占めている。
                  

●日本はクラスター爆弾を廃棄したが…

 2007年、ノルウェーの呼びかけで「クラスター爆弾禁止に関する国際会議」がオスロで開催され、4
9か国が参加、46か国によって、2008年度中にクラスター爆弾の
製造・使用・移動・備蓄する禁止条約を実現することを目指す」という「オスロ宣言」が採択された。
 日本は08年11月の安全保障会議で自衛隊が保有するすべてのクラスター爆弾の廃棄を決定、さらに12月3日のオスロでの禁止条約署名式で署名、翌年、国会で「クラスター弾等の製造の禁止及び所持の規制等に関する法律」が成立した。その後、防衛省が陸自と空自の保有する1万1000発のクラスター爆弾の処理を進め、その廃棄処分がすべて終えたのは、7年後の2015年2月である。
 アメリカ、、イスラエル、ロシア、中国、シリアは今なお「クラスター爆弾の使用と製造を禁止する国際条約」に加盟していない。現にシリアなどでクラスター爆弾が使用され続けられている陰には、それを製造し各国に売り続けている〝死の軍需産業〟があり、さらにその企業にカネを出し、それによって収益をあげている金融や保険会社が存在するという事実を目を向けなければならない。

 

クラスター弾禁止条約締約国では日本の融資が最大


 PAXの報告によれば、2013年から現在まで、166の金融機関が約310億ドル(35兆円)の投融資を続けていた。そして、クラスター爆弾禁止条約の締約国では、日本の金融・保険の投資額が最も多く、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャル・グループ、オリックス、第一生命の4社で、約20億ドル(2200億円)をテキストロン、オービタルATK等のクラスター爆弾製造企業(ともに米国)に投融資してきた(テキストロンは昨年製造中止を発表)。特に三菱UFJフィナンシャル・グループは、「世界7位、融資額で3位、投資・銀行業務では5位」と指摘されている。
 さらに、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人。厚生年金や国民年金の積立金を管理し、株式や債券で運用する厚生労働省主管の独立行政法人)も、クラスター爆弾製造企業の株式を保有していることが判明。
 GPIFの高橋則広理事長は、「歯がゆいと言われると思うが、運用会社に任せざるを得ない」と弁明した。日本では、「投資に恣意的な判断が入らないようにする」という理由から、運用を一任している機関投資家などに任せている。
 しかし、ノルウェーの年金基金などは、第三者による倫理委員会が勧告する仕組みがあり、クラスター爆弾製造企業を投融資から外している。 日本は、こうした基本的な倫理規定すら無い。私たちの大切な年金保険料、預金、生命保険料が、残酷な殺傷兵器を製造している企業に投融資されていることに抗議し、全面的に止めさせなければならない。
                                                                                                                (ねりま9条の会 事務局員)

 

 

  『茶色の朝』               伊藤 美鈴(大泉学園町在住)
 

2017年7月11日、共謀罪施行の日、朝日新聞の夕刊に「茶色の朝」という本の紹介があった。ファシズムに染まっていく社会を風刺した、臨床心理学者フランスのフランク・パブロフの寓話である。
この本は1998年に発売、ベストセラーになった。
    ─茶色以外のペットを買うことを禁じる特別措置法が出された。
    主人公の「俺」は疑問を感じながらも法律に従い白黒の猫を殺して茶色の猫を飼う。
      親友は黒い犬を殺して茶色の犬を飼う。
  やがて法律に反対していた新聞が廃刊に。
      友人はきのう、茶色の犬の前に黒い犬を飼っていたという理由で逮捕される。
     そして今朝早くに、俺の家のドアが激しく叩かれる、外は茶色。─
 茶色はファシズムの象徴。この作品には高橋哲哉教授のメッセージが寄せられている。「茶色の朝の物語が現代の日本社会にとっても、決して無縁でないことは明らかである。茶色の朝を迎えたくなければ、私たちが成すべきことことは何かと問われれば、思考停止をやめることだ」と。
 勇気を持って発言行動をすることは、考え続けることの上に立ってのみ可能であると書いている。
 「共謀罪」だけではない、「自分には関係ない」とやり過ごすうちに、取り返しがつかないことになるかも知れない…と。読み終わり、大いに考えさせられた。

 
  

盛況だった9.6集会

   9.6集会の参加者は1100名。大成功と言えると思います。これもひとえに、みなさまのご協力のおかげです。ありがとうございました。大いに笑いながら考えさせられる、楽しいひとときでした。カンパをしてくださった方にもお礼を申し上げます。
   たくさんの感想が寄せられましたが、ここでは20代の青年から寄せられた感想をご紹介します。なお、アーサー・ビナード氏の講演を記録集にまとめ同封しましたのでお読みください。
      

─感想から─    
松元ヒロさん「憲法くんの魂」について
  

 今の時代には、松元ヒロさんのように、どんな逆境であっても,どんな困難あっても、怒ったり嘆いたりするだけでなく、
風刺を込めて笑い飛ばすことが大切だと強く実感します。笑いが生まれればその場は明るくなる。隣の人とも笑いあえる。心身ともに健康になった気になる。笑いがあることで豊かになれるものがあり、笑える環境があることが平和だと気付く一助にもなると思います。私たちも怒りだけでなくユーモアを持っていることも大事ですね。

アーサービナードさん「東京の秋、核の冬」について

 いつの時代になっても核の冬の後の時代にならないためにも、考えていくことが大切です。言語とは、記号によって相手に伝達することで、自分の意思をわからせるものです。
 安倍政権を見ると,言葉を大切にしていない。大言壮語,美辞麗句な言葉で真意を隠している。安倍政権の言葉づかいを注視すると共に、私たちも命を守るために危ない道に踏み外すことのないように言葉の使いを学んでいくことが求められているのではないでしょうか。

 

アーサービナードさん「東京の秋、核の冬」の記録ができています。

「東京の秋、核の冬」←ここをクリックしてくださいす。