83号 2019年2月発行

「日米地位協定」とは                
                            稲 正樹 
(元国際基督教大学教授)

■73年続く米軍の巨大権益

 前泊博盛氏(沖縄国際大学大学院教授)は『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』(創元社)という本のなかで、日米地位協定(1960年1月19日に署名、同年6月23日に発効)について、「戦後日本のパンドラの箱」「アメリカが占領期と同じように日本に軍隊を配備し続けるための取り決め」「日本における米軍の強大な権益についての取り決め」と述べている。
 日米地位協定の本質は、米軍が日本国内に獲得した巨大な権益が、戦後73年経った今日でも維持されていることにある。
 日米行政協定を結ぶに当たってアメリカ側が最も重視したのは、①日本の全土基地化、②在日米軍基地の自由使用、であった。ジョン・フォスター・ダレス(サンフランシスコ講和条約締結時のトルーマン大統領の特使、後、アイゼンハワー政権の国務長官)の「我々が望む数の兵力を、[日本国内の]望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」という言葉がこのことを示している。「日本の全土基地化」と「在日米軍基地の自由使用」。これが旧安保条約と日米行政協定の正体であり、現行の安保条約と日米地位協定が現在まで引き継がれているのである。

■基地など三つの米軍の特権

 日米地位協定は、全部で28条からなり、その内容は3つに大別できる。①基地の提供(米軍は日本全土に基地を置くことができ、「移動」のため日本中の陸海路、空域を使用できる。基地返還の際の原状復帰の費用は日本が負担。地代など基地の費用負担は分担)。
②基地の管理(米軍は提供された基 地を排他的に管理し、火災や環境汚染などが発生しても日本側当局者は許可なしに立ち入れない)。
③米軍・軍属の特権的地位(国内で米兵や軍属が犯罪や事故を起こしても、「公務中」であれば米側が第一次裁判権を有する。被害者への補償は「公務外」の場合は示談で、多くは泣き寝入り。また納税や高 速道路の利用料免除、旅券なしで出入国可能など、多くの特権が与えられている)。

■「平和に生き続ける権利」を要求す る沖縄県

 全国知事会は昨年7月27日に、「日米地位協定の抜本的な見直し」など四項目からなる「提言」を全会一致で採択した。これに先立つ2017年9月11日に、沖縄県は「 戦後72年を経た今もなお、国土面積の約0・6パー セントに過ぎない本県に在日米軍専用施設面積の70・38パーセントが 集中するなど、県民は過重な基地負担を背負い続けている。米軍基地の多くが県民の住宅地域に近接しており、基地から派生する事件・事故や環境問題、軍人、軍属等による犯罪等が県民生活に多大な影響を及ぼしている。昨年四月に発生した米軍属による悲惨な殺人事件やオスプレイの墜落事故等により、県民の怒りは限界を超えつつある」という認識に立ち、「日米地位協定」の抜本的見直しを要求している。

■世界に例のない全土基地方式

 地位協定の主な条文を読むだけで、日本政府が米軍にどれだけの特権を与え、自国を米国の従属国にしているか分かる。
 2条は、世界に例のない全土基地方式を可能にし、米軍が自衛隊基地を使う根拠になっている。
 3条は基地内の米国の排他的管轄権を定め、米軍基地が日本国内にありながら、日本の国内法が適用されず、事実上アメリカの領土となっていることの最大の原因になっている。 4条では、米側の活動に起因する水質汚濁、大気汚染、土壌汚染等の環境汚染が発生しても原状回復、補償の義務はない。日本側は米側に補償の請求を行わないと定めている。
この点に関しては、沖縄や横須賀基地などの知られざる汚染を暴いた衝撃のルポである『追跡・日米地位協定と基地公害−「太平洋のゴミ捨て場」と呼ばれて』(ジョン・ミッチェル著、阿部小涼訳・岩波書店、2018年)を、是非お読みいただきたい。
 5条によって、米軍機・艦船は着陸料・入港料を課されずに日本の民間港湾・空港を利用できる。米軍機・艦船や米軍人・軍属・家族は基地に出入りし、基地間や日本の空港・港湾の間を移動できる。これに関する道路料金は免除される。
 6条は、軍用機と民間機の航空管制の調整について「両政府の当局間の取り決めによって定める」と規定しており、嘉手納ラプコン(RAPCON:レーダー進入管制 )や横田ラプコンなど、国内の航空管制を米軍に委ねている巨大な空域がある。「民間機が軍隊の指揮下」に置かれている。
 9条によって、米軍人は旅券・査証なしで入国でき、米軍人・軍属・家族は外国人登録・管理の対象外となっている。米軍関係者にとって「日本の国境」は存在しない。
 17条の刑事裁判権は米兵が犯罪を犯してもほとんど処罰されないという。
 18条の民事裁判権規定は、米軍関係者による「公務中」の事件・事故に伴う損害賠償額は、日本側が25%負担し、米側が75%負担する。「公務外」の場合は、米側が慰謝料を支払うが、支払いの有無は米側が決定する。
 25条では日米合同委員会を規定している。米軍基地の提供や返還、地位協定の運用に関するすべての事項を協議する場として設置されており、「合意」内容のほとんどは国民の前に明らかにされていない「密約製造マシーン」として機能してきた。この点については、吉田敏浩『「日米合同委員会」の研究』(創元社、2016年)を参照ください。 

■安保と地位協定に替わる道を

 日米地位協定の条項と見てみると、はたしてこの日本という国家は独立主権国家なのかという思いにとらわれる。日本研究家のガヴァン・マコーマックは『沖縄の〈怒〉─日米への抵抗』(法律文化社、2013年)という本の中で、日本を端的にアメリカの「属国」であると喝破した。また、ダグラス・ラミスという政治学者は、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件に触れて、カール・シュミットの「主権者とは例外を決める者だ」という言葉を紹介している。予測された状況しか起こらない限りは幻想が続いて、本当の主権者が見えないが、法の予測していない状況が起きた時、本当の主権者が現れて決定を下す」(「米軍(基地)の社会と植民性」石原昌家他編『オキナワを平和学する!』法律文化社、2005年)。
 この国の本当の主権者は国民ではなく、米軍と米国がこの国の根幹を握り日本の支配者と呼応しながら支配している。これほどまでに米軍に特権を与え、日本の国内法の適用を免除し、治外法権的な法の執行を許し、思いやり予算と称して湯水のごとく国民の血税を米軍に供与し続けているシステムを可能にしているのが、安保条約と日米地位協定である。そのことに気がつきはじめた人々が政治的多数を握り、日本を植民地主義の桎梏から解放し、安保条約と日米地位協定に代わるオルタナティブの道の選択を提示し、実現していきたい。


「元号」で想うこと                                 比嘉 高 

 現天皇退位(そのこと自体が200年ぶりの大事件とのこと)4月30日、5月1日新天皇(現皇太子)即位がゴタゴタの末決まりました。天皇が交替すると元号も変わるという制度になっているので、新元号はどうなるのか世間が騒がしいですね。しかし、新元号はもう決まっていて、内閣官房のどこかの金庫に厳重にしまってあるそうですが、公表するのは新天皇即位1ヵ月前と聞いています。公表時期も、新天皇による即位後の宣言(日本会議や靖国派など安倍の岩盤支持者たちの主張)と、世の中の便宜のための早期発表という実利派の主張の板挟みに合って、困った安倍首相が、ギリギリ1ヶ月前と決断したと言われています。何故元号はこれほど大事なのでしょう。

 元号は「大化の改新」「保元・平治の乱】「明治維新」などなど歴史上の年代区分であるとともに「明治生まれ」「大正生まれ」「大正デモクラシー」「昭和生まれ」「明治大学」「大正製薬」「昭和産業」などと、日常生活の中に使われています。新聞発行日も、各紙とも「2019年(平成31年)と書き、「赤旗」も例外ではありません。
 いま「昨夜ウシミツドキに目が覚めて…」とか「明日暮れ六つに飲み屋で…」などと言う人はいません。江戸時代まで使われていた時刻表示方法が、明治政府の脱亜入欧(アジアから足を洗って欧米の仲間になろう)の国策の近代化の一環として、グリニッチ標準時を国時とし、地球の1回転を24時間とする国際時刻表を導入し、ウシミツドキを廃止し、人々もこれを受容し、今日に至っています。そのほか面積、長さ、容積、重さなど、度量衡も「坪」から「平方メートル」「尺」から「メートル」、「斤」から「リットル」、「匁」から「グラム」へと変え、国際基準に合わせました。

 それではなぜ年号だけは「元号を誇示し、法律によって天皇一代一元号」と定め、今日まで堅く守ってきたのでしょうか。
 「明治維新」は300年続いた徳川体制を覆して、日本を近代化する政治革命(同時に先進帝国主義列強への周回遅れの参画)でしたが、明治政府の政治権力の正統性を広く人民の承認と指示に求めるのではなく、天皇の権威に求め、天皇制の強化をはかりました。
その方策の一つとして「元号」を残し「天皇一代一元号」を決定したのです。
 昔から元号は天皇とセットとでしたが、天皇の交替以外でも、天変地異や、おめでたい瑞徴や(白雉)や貴重な鉱物が国内で産出(和銅)など特徴に元号変更を行っており、天皇と元号の関係はゆるやかでした。明治政府は天皇制強化のため、元号との一体化を企てたのです。

 私がここで明治政府と書いたように、私たちには元号が日常生活に深く浸透しています。私は何もかも世界基準に合わせるグローバリズムに、必ずしも賛成するものではありませんが、現代に生きる私たちが、グローバルに思考するように変わってきている面も考えねばなりません。例えばヒットラーが政権を奪取した1933年は私が生まれた昭和8年ですが、「ヒットラーが政権を奪取したのは昭和8年」という表現には違和感があります。
 西暦はキリスト生年を基点としています。コロンブスの米大陸発見、フランス革命、アメリカの独立、ロシア革命、第2次世界大戦の開始と終結、中国人民共和国の成立…、といった今日の世界をつくってきた歴史を理解するには元号では不可能です。まして、古代ローマ史とか古代エジプト史の理解と元号はマッチしません。 私は直ちに元号を廃止せよとは言いませんが、天皇の権威を政治権力の淵源とする思想からの決別を含めて、もうそろそろ「元号」とおさらばした方がよいのではないかと想います。

 

信じられないほど危険な羽田心ルート計画!                     STOP!羽田新ルート・練馬の会

国土省は2020までに「東京オリンピック」や「国際競走力強化」を口実に増便を伴う新航路を計画しています。従来より羽田は、住民の安全を考慮して、海側から入って海側から出ていく航路を約束して宇高していますが、今回の計画で箱の約束を破って東京の北側を大きく左旋回して、練馬から都心を超低空飛行して羽田の着陸する計画です。

■この計画で練馬の空はどうなるのか

 高度9001200メートルを毎時44便(1分20秒に1機)が飛びます。当面南風時15〜19時に運用する。
 

■落下物は?

この一年間で、何と447件(厚生省)も!つまり毎日落下物があることになります。練馬区民はこの恐怖野本で生活をしなければなりません。

■練馬上空と落下物の危険性は?

 練馬の北側から大きく旋回し、急激に900メートルまで降下し、都心上空を超低空飛行で羽田に向かって着陸体勢をとる真下に位置します。そのため、エンジンを吹かすための騒音、着陸に伴う車輪を下ろすことによる氷塊等による落下物が当然起こる最も可能性のある地域になります。

■魔の11分(離陸後3分、着陸前8分)

飛行機事故はほぼこの時間に集中しているので、こう呼ばれています。まさに練馬はこの時間帯に当たります

■米軍機と民間機が交差する恐ろしさ

横田基地にはおスペ令が配備(特殊作戦部隊で、いつでもどこでも隠密に飛行する)され、都心に飛んでくるのは時間の問題とされるいま、世界中の民間機と交差するという、世界に例のない危険空域に練馬上空はなります。練り名上空で大惨事が起こる危険性を福むこの計画は、なんとしても私たちの力で中止に追い込もうではありませんか。まだ多くの区民が子の事実を知りません。ぜひ多くの区民にこの計画を知らせ、反対署名の協力をお願いします。

 



「全国高校生平和集会 沖縄」に参加して                西野 栽(都立高校2年生) 

 私は十二月二十二日〜二十四日までの三日間、沖縄で開かれた「全極高校生平和集会 沖縄」に行きました。
 初日にガマに行きました。私が沖縄に来て一番思入れがあるのがこのガマです。ガマに入って思ったことは「暑くて、なんかじめっとしてるな」です。その生温かさが、その当時を思い出すリアルさをより感じ、鳥肌がたちました。ライトを全部消して真っ暗にした時なんかは、平衡感覚を失うので自分がどこにいるのさえ分からなくなります。この場で日常生活を送っていたなんて、今の私たちからしたら考えられないことでした。
 そして、戦争体験者の方々が口を揃えて言っていた言葉は「洗脳させられていた」です。当時は戦争は良いもので、そして必ず日本は勝つ!と言われ続けていました。

   
         ガマを見学する高校生       

 その一環として、「教育」があります。急に英語の授業がなくなったり、戦争を賞賛するような内容のものが出てきました。「教育」というものは生徒たちが学び成長していく上でなくてはならないものです。それを蔑ろにして、国はいいように使っていたということに怒りを感じられずに入られませんでした。私たちはいつの間にか知らない間に思考を変化させられている、そして「洗脳」とも気づかないまま「洗脳」させられてるんだと思ったらとても怖くなりました。しかし発想を逆転させると、今まで起きてきた戦争の数々の真実を「教育」を使って伝え続けられたのなら、過去にあった戦争を二度と起こすことのない平和な世界を作っていけるのではないかと私は考えました。それほど「教育」というものは重要なものだと改めて感じる良い機会になりました。
 最後に、「全国高校生平和集会 沖縄」には50人以上の高校生が集まりました。今の日本の状況について何かしらの不安、疑問などを抱いて自らこの場に来ていると考えたら尊敬の意さえ感じました。意見を共感、批判ができる場、そして勇気や希望をもらったり、自分が与えたりする場に行けたことをとても嬉しく思いました。沖縄の体験を糧に、まだまだこれから活動を頑張って行きたいです。


県民投票は72%が埋め立てに反対!                          

 

 

  ホワイトハウス前で行われた〝埋め立て反対〟集会  

 2月24日に行われた「辺野古埋め立てを巡る県民投票」は、投票率52.48%、反対票72%で、埋め立て反対の民意が圧倒的多数を示した。県民投票には法的拘束力はないが、条例では、知事は投票資格者総数の4分の1の民意を尊重し、首相や米大統領に通知すると定められている。
  しかし、「県民投票の結果に関係なく工事は進めると菅官房長官は発言している。
 一方、映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット中の英ロックバンド「クイーン」のギタリスト、ブライアン・メイや、ハワイ在住歌手、ロブ梶原などが、「辺野古への埋め立て工事中止」を求めるホワイトハウスへの請願署名への協力をSNSで呼びかけたこともあり、「辺野古への埋め立て中止」の声は、世界的な広がりを見せ、ホワイトハウス請願署名数は現在20万筆を超えている。
                  

国会は死んだのか!主権者は国民                          是広 和

  大病して1年、近くの公園でのラジオ体操で新年を迎えることができました。空を見上げ大きく背伸びして深呼吸。ベートーベンから学び、小さな花の命に喜びを感じる日々です。
 国民の心の底からの声に耳をとじ、民主主義を壊し、民意をないがしろにする安倍政権には、市民と野党の共闘の力で退場宣告をしなければならないと思います。そのために、小生は政治家の劣化が
いかに人々の生き方に不幸を生み出すかをしっかり学び、足もとから始め、まず身近な方から声をかけ、日常のたわいない話題から政治談義へと話を続けるようにしています。世の中のみんなが至福になるために、汗を流した人々が報われる世の中に変えるために、発信力を強め、次世代の若者たちと共に、褒められたり褒めたりしながら歩める一人の大人でありたいと思っています。                             (桜台九条の会 会員)
                                                          
■自民党支持者だった小生だが…

 小生が九条の会に共鳴し、行動するようになったきっかけは、2度にわたる高田健さんとの出会いでした。1993年、水道橋の小さな高田さんの事務所で明治天皇に直訴した田中正造先生の勉強会に参加し、公害問題や、世の中に埋もれた「自由民権運動の草分け探訪」にも参加して学ばせて頂きました。
 仕事の都合でしばらく勉強会を欠席しました。当時の小生は自由民主党を応援し、日本や世界を引っ張っている政党は自由民主党だと思っておりました。しかし小泉政権の時に、このまま日本が進んでいって良いのかと首をかしげるようになり、野党の行動を学習し始めた頃、総がかり実行委員として活躍されている高田健さんと国会前で再会し、しっかり握手した時、気持ちが通じ合い小生は心が決まりました。

■運動は足もとから          

 小さな力ながらも「九条を守る」行動をすればするほど壁を厚く感じます。それでも、毎日食事をするように政治や憲法の会話ができないものかと思い、取りあえず家族や友人、親類、近所の人などと語り合い、足もとから固めていくことにしました。
 みなさんはいかがですか?組織のメンバーとして頑張っておられたり、いろいろな形で頑張っておられると思います。小生はプラカードを持つような集会への参加はあまり経験ありませんが、まず、全く反対意見の方とも語ることが大切だと思っています。そのせいで我が家では一騒動あり、離婚も考えました。が、妻も半分理解し、孫たちはしっかり考えてくれるようになりました。
 主権者は我々なのです。我々が劣化しては九条は守れません。民意をないがしろにし、人々の生き方に不幸を生み出す「嘘つき政治」はゴメンです。みんなが幸せになるために政治はあるのだと思います。絶望から希望へ。下手くそな人生。ヨロヨロ、ボチボチ前へです。
 みなさんに大きなえーるを送りたい。

 

 

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