85号 2019年4月発行

同い年の安倍くんに向けて                                          
                           
永田 浩三(武蔵大学教授・ねりま九条の会世話人)

   
  講演中の永田浩三氏  

 総がかり行動で、いつも誰よりもかっこいいコールをおこなう菱山南帆子さんから、フェイスブックでメッセージが入ったのは、半年前だっただろうか。来年の憲法集会で話をしてくれないかとのことだった。そう言えば、一昨年の11月3日の国会前の集会で、わたしもマイクを握り、伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長にレイプされたにもかかわらず、逮捕寸前でもみ消されたことを語った。聞いてくださったのは1000人余り。今度もまた同じ規模だろうと思い、気楽な気持ちでお引き受けした。
 5月3日の集会のチラシが出来上がってきた。場所は国会前ではなく有明防災公園。参加者は5万人を超えるという。にわかに足がすくんだ。
何を話せばよいのか。改元前後のメディアの異常さについて語ろうか。とりあえず原稿は仕上がった。
 がしかし。前の晩の11時すぎ、それでよいのかという気持ちがむくむくと湧いてきた。いったい誰に向かって話せばよいのだろうか。
 そうだ、同い年、同じ学年の安倍晋三くんに向かって直接語り掛けよう。用意した原稿は捨てて、一から書き直すことにした。わたしと安倍くんは、戦後教育の申し子。なのに、なにが気に入らないのか、安倍くんは自分の受けた教育を目の敵にしている。第一次安倍内閣での教育基本法の改悪が、どれほど教育現場、とりわけ教職員を苦しめているのか。そこから短く語ることにした。
 安倍くんのもつ偏狭なナショナリズム。これもまっぴらご免だ。小学4年生のときの東京オリンピックでは、日の丸が上がるかどうか関係なく、選手たちに拍手を送ったではないか。わたしが当事者として深く関わったNHKの番組改変事件についても触れた。 年前のわたしの振る舞いはカッコ悪く、闘いは敗れ去り、沈黙を強いられた。なんとか、安倍くんに爪を立て、少しでもひっかき傷を残しておきたいと思った。
 もうひとつ許せないこと。それは、わたしが大好きなキャロル・キングの名曲「You’ve got a friend」を、安倍くんは引き合いに出しながら、友情のなんたるかをさっぱり理解していないことだった。加計孝太郎氏を腹心の友と呼び、国のルールを壊して便宜を図る。そんなものは友情とは呼べない。トランプ米大統領との関係だって、カモにされているだけで、断じて友情なんかじゃない・・・。
 そんなこんな、なんとか原稿が出来上がり、本番に臨んだ。あとで聞いたが、会場には6万5千人のひとが集まっておられたそうだ。会場のひとたちから、拍手や笑いが起きる。こだまがうねりのように聞こえた。
 びっくりしたのは、司会の神田香織さんが、「わたしも同い年だ」とフォローし、そのあと各政党代表のあいさつで、志位和夫さんが、「同い年の志位です」と受けてくださったのだ。
 変えるべきは元号ではなく、政権なのだとわたしは叫んだ。会場のひとたちもみな同じ思いだった。その思いがほんとうになってほしい。あの時の集会が安倍くんに引導を渡す分水嶺だったよねと、明るく振り返ることができますように。

 

沖縄に移住して3カ月 辺野古と向きあう日々

■30代からの願いであった沖縄移住

  1992年3月、当時勤めていた聖学院高校の修学旅行の下見で、初めて沖縄を訪れた。名所旧跡巡りの修学旅行を見直し、平和学習をメインにした沖縄修学旅行の3年目だった。主だった方々との打ち合わせや戦跡・基地の確認など、駆け足の下見だった。沖縄戦や基地問題など、全体の概要が見えないまま、生徒と同じレベルで 月の本番を迎えた。原稿なしで約1時間半、沖縄戦の経験を語るひめゆり学徒隊の宮良ルリ先生の力強い講演と、初めて入った糸数壕で、全員の懐中電灯を消した時の墨を塗ったような暗闇の衝撃は今も忘れない。
 当時、平和学習としての沖縄修学旅行が少しずつ増え始めていた。その頃のバスガイドは、必ずしも戦跡・基地に詳しくなく、平和学習をしたいというニーズに応えるように、ボランティアでバスに乗車する「平和ガイド」が生まれ、聖学院高校は初期の頃からお世話になった。平和ガイドの方々は、平日は仕事、休日はガイドをし、人が足りない時は有給休暇を取ってガイドをしていた。その厚意に応えるために、当時 代だった私は、退職したら沖縄に移り住み、平和ガイドをしたいと漠然と思っていた。
 職場の定年は 歳だが、今年の3月に担任をした高3が卒業したので、定年より5年早く3月末で退職し、4月に沖縄に移住した。平和ガイドが長年の願いだったが、 年以上辺野古・高江で厳しい闘いが続いているので、しばらくは辺野古に通うことにした。

■辺野古抗議船の船長を見習い中

 辺野古の海上の抗議行動では、船とカヌーが使われ、どちらも人が足りないと聞いていた。どちらを選択するか迷ったが、以前からの知人が船長をしている
という理由で船長を選び、東京に居る時に小型船舶の免許を取った。2日の講義、東京湾での1日の実技実習、自動車と違って比較的簡単に免許は取れるが、船の操縦が難しいのは予想以上だった。
 4月、名護での生活が始まった。5時半に起床し、6時半には家を出る。辺野古の浜のテントでの打ち合わせは7時 分、一日のおおよその行動、マスコミや見学者の人数の報告、天候と潮の確認などがある。カヌーで抗議行動をする場所は、辺野古の浜から約1㎞、カヌー単独では時間がかかるので、抗議船で曳航する。私はその船長の見習いをしている。

■1日ダンプ600台分の土砂で埋め立て

 名護市西部の安和鉱山から船で運ばれた土砂(県に申請していない赤土がほとんど)が、K9と呼ばれる桟橋に陸揚げされ、1日ダンプ約600台分が埋め立てられている。
 一方、次の桟橋に使われるK8の建設工事も進められている。カヌーは工事現場に近づこうとすると、カヌーの隻数より多い海上保安官のボートが直ちに拘束するため、なかなか工事を遅らせることができない。安和から土砂を積んだ船がK9に到着する前、抗議する船やカヌーの侵入を防ぐため、海上に広く張られているフロートを一旦外す作業をする。カヌーのメンバーはその開口部にロープを縛り付け、自ら抱きついてフロートを外させないようにする。保安官も必死に仕事をするので、拘束されるまで長くても1時間半くらいだろうか。かつて、抵抗活動の相手は業者であって、保安官は中立であった。ところが、現政権になって、保安官が前面に出てくるようになっている。

 
  開口部で抵抗 カヌーを曳航

■GOGOドライブで陸でも抗議

 約半年前から、安和桟橋でGOGOドライブが始まった。名
護から美ら海水族館に向かう国道449号線をまたいで、安和鉱山と安和桟橋がある。鉱山から土砂を積んだダンプは、国道を右折して桟橋に入る。交通量は比較的多いが、信号で車が途切れると、ダンプは次々と桟橋に入るので、ダンプが桟橋に入らないように、一般の車の隙間を埋めるように車を走らせるのである。渋滞を引き起こさないので、一般の車の通行に迷惑をかけないし、道交法上も問題はない。また、桟橋に入るゲート前では、反対する市民が、立ち止まると道交法違反になるので、歩道を歩き続ける。機動隊は力ずくの拘束はできず、交通整理として立ち止まってもらうだけなので、赤信号の変わり目に1台が入れるだけである。
 阻止・抗議行動により通常より遅れて出船しようとする船を、辺野古から運ばれてきたカヌーが妨害する。
 結果的にダンプの台数を1/2〜1/3に抑えているが、こちらの人員の関係上、週に1回しかできていない。最近、 シュアブ(辺 野古)前の国道329号線
でも始まったが、こちらも 週1回である。ゲー ト前、GOGO、海上行動が上手に組み合って毎日行動で きれば、現在の工事を大幅に遅らせること ができるだろう。(レンタカーで1日だ けGOGOドライブに参加してくれる本土の人もいます)

■本心では反対 サムズアップで応える警察官

 一日中抗議行動をしていると、沖縄の警察官と一言二言話す機会がある。言葉の節々から、実は新基地反対という気持ちを持っている警察官が少なくないと感じている。GOGOはできるだけゲート前を走りたいため、道の途中で ターンを繰り返す。勿論、前後の安全を確認して事故が起きないようにしているが、警察官は仕事上ゆえに、事故予防という理由で ターンの車に注意をする。私の車の番号を何度も言って注意をするので、私を繰り返し注意した警察官に向かって、サムズアップをしたところ、警察官もサムズアップをしてくれた。また、別の警察官は、明らかに基地建設に反対する我々に同情的だったので、「警察署の中で、○○署九条の会を立ち上げたら」と提案したら「警察官は、不偏不党で、政治運動はできないのです」と答えた。「どうやって意思表示をするのですか」と聞いたところ、「市民運動には参加できません。選挙が、唯一の意思表示の機会なんです」。
昨年まで、ツアーや修学旅行で辺野古には 回以上訪問した。ゲート前だけではなく、浜のテントにも行った。しかし、何回行ったとしても、見学だけでは工事を遅らすことはできない。工事を遅らし、新基地建設を断念させるためには、現場に行って、自らが身体を動かさなくてはならないと感じた。
辺野古の埋め立て工事を止めたいと思っている人は、自分がいる場での働きも大切ですが、辺野古や安和に来て行動に移して欲しいと思います。

 

憲法9条、変えさせない 安倍政治はもう終わり 6・12 大集会           

■3000万署名」安倍改憲阻止に貢献

   
  講演中の渡辺治氏  

 6月12日、中野ゼロホールで九条の会東京連絡会主催による「憲法9条、変えさせない 安倍政治はもう終わり 6・12大集会」が開催され、800人が参加しました。
 真田弥生さんの唄・三線、木村恵さんのピアノによる「沖縄から風よ届け! 声よ届け!」の演奏、安倍首相・麻生経産相・桜田前オリンピック担当大臣らを怒りと皮肉、笑いで切りまくる松元ヒロさんのコントに続き、渡辺治さん(九条の会事務局・一橋大学名誉教授)が「9条改憲を阻んで安倍政治に終止符を」と題して、1時間にわたりお話しされました。
 渡辺さんは、「安倍首相が2012年12月の衆院選で政権復帰を果たして以来、衆院3回、参院2回の選挙で5連勝を果たし、衆参両院で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の議席を改憲勢力で占めているにもかかわらず、改憲発議どころか、憲法審査会への改正案提出すらできていない」こと、その要因として、九条の会や「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」などによる「3000万署名」の推進と、そこに寄せられた国民の幅広い「9条改憲は許さない」の声があることにまず触れました。

■参院選挙の野党勝利で、日本の〝戦争する国〟化のストップを

 しかし、安倍首相の改憲にかける執着は止むことがなく、特に9条2項の「戦力の保持および交戦権の否定」は、軍事大国化への最大の障害物であることから、安倍首相は「自衛隊の憲法明記」を突破口に「自衛隊の国防軍としての認知から自衛軍創設」を図り、「日本の〝戦争する国〟化、米軍の軍事行動への一層の加担」を推し進めていく決意であることを強調しました。
 次に7月21日投票の参議院選挙では、「3000万署名」と、5野党・会派と安全保障関連法の廃止を唱える「市民連合」との13項目におよぶ共通政策─①安倍政権による9条改憲に反対し、発議をさせない、②安保法制、共謀法など立憲主義に反する諸法律を廃止する、③膨脹する防衛予算を国民生活のための予算に振り向ける、④辺野古新基地の建設中止など─を結合し、広く国民に訴え、野党候補、特に32の1人区での統一候補の勝利のために九条の会が奮闘することを訴えました。
 集会の最後の地域9条の会の報告では、大柳事務局長が登壇、大柳さんは①ちばてつやさんのイラストが入った「ねりま九条の会」作成のポスターを区内中に掲示すること、、②家庭訪問で「3000万署名」に取り組んでいる地域九条の会では、地域内のつながりがわかり、さらに署名が進む傾向にあること、③運動の武器になるスマホを、多くの会員に携行してもらうため講習会を開催すること、④映画「明日へ 戦争は罪悪である」の上映会などを通じて宗教者との対話が進んでいることを報告し、会場からは共感の拍手が送られました。

 

「憲法と経済民主主義─税とは何か─」  眞嶋康雄(國學院大学経済学部兼任講師・全国商業教育研究協議会事務局長)           

■税の歴史

ね 人類の誕生は道具を使った労働から始まり、労働を集団で行うのが共同体、そこから社会が誕生し、社会と国家の成立から階級と収奪が始まる。人類の争いとは富と経済の争いであり、社会、歴史、政治の土台にあるのが経済である。
 資本主義社会の成立によって、資本家と労働者の二大階級が誕生し、労働・雇用関係を通じ「搾取」が、国家を通じ税制などの「収奪=経済外強制」が一層強化されるようになった。
 日本の最初の税は邪馬台国の「租」と「賦」。その後、5世紀の律令国家の成立と共に「租・庸・調・雑徭」の制度に。国家の成立と税制は不可分の関係、国家権力の一つである徴税権による「富」の経済外強制=収奪が行われる。封建社会では唯一の富の生産者である農民から苛烈な徴収が行なわれ(六公四民)、江戸時代には約1000種類の税があった。

■税とは何か

 税の本質は、封建社会でも資本
主義社会でも国家と経済の土台は税制で、「富」の生産主体から徴収(収奪)して国家の運営に資する。また、国民経済の循環、再生産に資するため、「富」の分配、再分配の機能を持つのが、税制の本質。「経済」とは本来経世(経国)済民」である。最大の富の生産主体の企業部門からの徴収=納税が中心となるのが、資本主義社会の当たり前の合理的で公正な話である。

■憲法と税

 憲法の三大原則の一つが「基本的人権」、憲法第25条「生存権、国の社会的使命」1項「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」2項「国は、全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければ…」。経済民主主義は基本的人権の根幹である。
 年々、社会福祉予算が削減され続け、年金支給年限も引き上げ、「年金お預け社会」「1億総死ぬまで働け社会」「無年金世代」を実現しようとしている。

■税を巡る日本の状況

 正規労働者は減少し続け、非正規雇用者は4割に増大し2千万人を超え、年収200万円以下は1千万人。低賃金・長時間労働、働く貧困層の増大。労働・雇用関係が一足先に戦前回帰し、「雇用身分社会」が復活している。
 日本国憲法の前文には「…平和維持、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去…」とあるが、現状は程遠い。70年経過しても憲法理念の実現は「落第」。「憲法を守る」だけではなく、「憲法の理念を実現する」こと、空文化した憲法を現実にする取組みこそ求められている。「意識が存在を規定」するのではなく「存在が意識を規定」するなら生活と経済、経済民主主義にもっと目を向けるべきである。

■消費税は「往復ビンタ」

  消費税増税は低所得層に重い負担を掛ける「逆進性」を一層強める悪質極まるもので、家計部門は所得税で徴収され、更に消費税でも徴収される「往復ビンタ」をくらっているのである。国税徴収額の76兆円から各税還付金15兆円が差し引かれ、予算として使われるのは10兆円弱、消費税徴収額は27兆円だが、還付金も10兆円であることは殆ど知られず、「ブラックボックス」の税制や財政について是非知って、学んでいただきたい。

 

性的マイノリティの中の被差別民、トランス女性                麗梨 ReNa

 性的少数者全般に対する世間一般の理解は、少しずつではあるが浸透しつつあるように見える。しかし、トランスジェンダー女性(MTF、およびMTXの一部)、つまり、「出生後に定められた性別は男でありつつ、女として生活している者や女としての生活を望んでいる者たち」は、他のカテゴリー、例えばレズビアン(女性同性愛者)やゲイ(男性同性愛者)、そしてトランスジェンダー男性(FTM、およびFTXの一部)等と同様に受け入れられているだろうか。当事者(MTX)として、とてもそうは思えない。
 私の性自認は男女両性。「性自認が、男か女かどちらか一択ではない、全ての人」を指すカテゴリー、「Xジェンダー」に該当する一つである。
【注・トランスジェンダーの定義が『生まれた時に割り当てられた性別とは異なる性別で生活している人、もしくは異なる性別としての生活を求めている人』だとしたら、Xジェンダーもトランスジェンダーの一種といえるであろう】
 しかし戸籍上の性別が「男」である私は、生まれて半世紀以上もの間、戸籍上の性別に従った服装を身に纏い続けていたのだが、ある時自分の中の「女」が、周囲の目を気にする自分の中の「男」によって抑圧され、〝無き者〟とみなされ続けていることに気づかされた。そう、私は自分自身で自分自身に対して女性差別を続けてきたのだ。以後私は例外的な場合を除いて女性装を積極的に行っているが、それは私の中の「女」に対する罪滅ぼし的意識のゆえであることは言うまでもない。
 が、トランス女性の端くれとも言える私も、周囲からの偏見や嫌悪の目にさらされることをほぼ日常的に体験する。それは、街歩きや公共交通機関利用時に顕著であるが、駅や建物の中のトイレ利用時、しかも所謂『だれでもトイレ』が無いケースでしばしばある。 
一例を紹介すると、都内のあるキリスト教会での出来事。女性装飾をしていた私は(誰でもトイレが見あたらないので)やむなく男子トイレの「個室」に入ろうとした。すると、私が男子トイレ入り口のドアを開けるのを外から見ていたであろう人が、急ぎ足で駆け寄ってきて、入り口のドアを「ガラリ!」とやたら大げさに開け、しばし私の顔を確認すると安心でもしたのだろうかドアを静かに閉めて立ち去った。こちらは大変な不快感が残った。しかも、その教会で行われていた集会は、性的少数者の人権に関する講演会であっただけにショックは計り知れなれい。
 他にも、とある若手牧師がトランス女性を揶揄する発言をし、それを聞いていた参加者たちが笑い声をあげる動画がネットにあがっ ている。私は当該発言の若手牧師との話し合いの席の設定を求めている最中であるが、先方は未だに応じようとする様子が見えない。
 実を申せば、ごく親しい間柄同志でない限り、私は温泉/銭湯などの大風呂の入浴は極力避けている。どうしても入らねばならぬ時は、「胸部」を腕で、「前」をタオルで隠して入浴する。「胸部」と「前」がマジョリティ男性とは異なる様相/外見のゆえであるが、他にも、骨格全体が男性よりも女性に近いのだ。
 私のような『性的少数者の中のマイノリティ』が、ごく当たり前に生活できるような社会にしてゆきたい。
 

ポスター貼りは仲間と楽しく

   
  仲間と一緒にポスターを貼る  

      
 大泉学園町九条の会では、この5月にできるだけ「平和の誓い」ポスターを街中に貼ろうと、11日と18日の土曜日を行動日にして取り組んだ。持参するのは、ポスターと署名用紙、それに6月16日に予定している映画会「平塚らいてうの生涯」のお誘いチラシ。11日には2名が参加。ポスターの賛同者や九条の会の会員を
中心に回った。古いポスターと貼りかえさせていただき、今回はサイズが小さくなったのでと2枚お願いしたり、「ウチだけでなくあちらでも頼もう」と案内してもらったり、「お母さんは今いないけれど、そこならいいですよ」と壁の汚れ隠しにと貼らせていただいたり。中には「主人がダメなんですよ」とか
「ご近所がうるさくて」断るお宅も、歓迎し応援はしてくださった。 18日には2名ずつ2組が参加。対象を広げて、町内の顔見知りなどにも当ってみた。「いいですよ、いいですよ」と角のお宅に2枚、「あちらの方が良いですよ」と2枚、公明党のポスターの横にも貼らせてもらった。
仲間と一緒に複数で踏み出せば、対象も広がり動きも良くなる。2回の行動で合計31件に声を掛け、14カ所に22枚を貼った。とは言え、全学園町の15,000世帯35,000人から見れば大海の一滴。さらに続けようと話し合っている。                   (大泉学園町九条の会 大槻)

 

 

 

ページトップへ