53号 2014年2月発行

 

都知事選挙を終えての新たな決意                   

  都知事選挙の結果は舛添要一氏211万、宇都宮健児氏98万、細川護熙氏95万、田母神俊雄氏61万。都民は自民、公明に支持された舛添氏を都知事に選んだ。都民の多数はオリンピックを大型開発による経済発展のチャンスと位置づけたということだろうか。ねりま九条の会は安倍政権の暴走をストップさせるためには、明確に憲法9条を守ることを掲げる宇都宮氏の当選が望ましいと考え事務局会議で宇都宮支持を決定した。区内九条の会相談会の開催や、「希望のまち東京をつくる会・練馬」と「練馬革新都区政をつくるみんなの会」のつなぎ役の役割を果たし、加えて全戸配布、選挙葉書、駅頭宣伝、電話掛け、商店街ねり歩きなど連日大奮闘した。また候補者アンケートを実施し16人中9人の回答を得てホームページに掲載し、さらに開票立会人をねりま九条の会から出して奮闘した。
 脱原発を掲げて細川氏が小泉元首相の応援を得て立候補した。脱原発派の一本化の努力がされたが、政策の落差から実現できなかった。脱原発派は前回は宇都宮支持であったが、今回は分裂してそれぞれの選挙を行うことになった。結果は宇都宮氏は2位、投票率が大雪で前回を10ポイントも下回った中で、前回票を上回る大健闘である。また脱原発票は細川票を加えると前回の2倍に増えたことになる。今後はともに脱原発を国の基本にすえるため協力しあえるよう望みたい。
 そもそも都知事選挙は東京都の13兆円、一人当たり10万円の財源を何に使うかが都民に問われた選挙である。しかし長年の福祉切捨て、大型開発優先で、多くの都民は都政の恩恵に預かっていないためかオリンピック誘致しか印象になく、行政の中身を知らず無関心になっていた。本来なら福祉、教育、防災、雇用、五輪問題などで活発な政策論議が交わされ、都民の願いを代表するのは誰かを選択する絶好の機会であったが他候補の討論拒否にあってほとんど実現できなかった。討論会ができていれば宇都宮氏の政策と値打ちが大きく広げられたはずだ。マスメディアの責任も大きい。
 駅頭で宣伝していて、小学生や小さい子どもの真剣で不安げなまなざしと、親が受け取るんじゃないというのに進んでチラシを受け取る姿はこれまでにない情景だった。秘密保護法、集団的自衛権、戦争、原発、ブラック企業、そうした言葉から平和が脅かされいのちの危険を感じ取っていたのではないだろうか。
 今後、4月の消費税アップ、年金切り下げ、物価、公共料金の大幅値上げによって経済はダウンし、安倍政権の支持は落ち込むだろう。しかしその批判の矛先を中国、北朝鮮との緊張にむけ、衆参両院での圧倒的多数の支持を背景として、集団的自衛権の行使、解釈改憲で戦争する国にしようとする安倍独裁政権はやりたい放題の限りを尽くすだろう。また貧困、格差の拡大がすすみ若者の右傾化をも促進する、これは今回の知事選挙の得票で20代では田母神氏がトップになった背景だと思われる。
 これからは9条だけでなく、自由、人権、平和、いのちを大切にするという共通の思いで広く手をつなぐことが求められているのではなかろうか。九条の会を進化させ、子どもたちに平和と安心のバトンを渡すため決意を新たにする。変革は一日にして成らず、一つ一つの地道な積み重ねの上に成り立つ。


「ウチナンチュの良識の勝利だ」名護市長選挙を振り返って
  普天間飛行場の辺野古への移設計画が最大の争点となった名護市長選が1月19日あり、反対する現職の稲嶺が、移設推進を掲げた前自民県議末松を破った。
 1997年12月、ヘリ基地建設是非を問う名護市民投票があった。防衛庁職員300人の個別訪問など露骨な政府の介入があったが、反対53%賛成45%の結果となった。誰もが計画断念と思った直後、比嘉市長は民意を無視し受け入れを表明し辞任、名護市の迷走が始まった。翌98年1月の市長選は争点をぼかした保守派の前助役岸本が当選、2002年は岸本再選、06年は島袋が当選した。10年に反対を掲げて稲嶺が当選した時も、保守派は辺野古の基地建設を推進とは明確に言わなかった。ところが、仲井真知事が12月末、国の埋め立て申請を承認し、末松が推進を明確にしたため、今回は争点がハッキリした選挙となった。稲嶺55%、末松44
%の得票率で、結果的に16年前の市民投票とほぼ同じ数字になり、ふりだしに戻った。
 勝因として、「県外移設」を公約に当選した仲井真の裏切りとも言える申請承認、選挙運動後半、唐突に石破が500億円の振興資金を表明し逆に反感をかったこと、当初保守派から2人が立候補を表明し、一本化に時間がかかったうえ、公明が自主投票にしたことがあげられるが、全国紙では報じない記事を沖縄タイムスから紹介したい。
 当初の基地計画は、騒音防止のため辺野古の沖合で、一定期間の後、撤去される案だった。ところが、現在の案は、民家のすぐ近くの海岸を埋め立てる半永久的な施設である。こうした経緯を踏まえ、沖縄のリゾートホテルの中で、数少ない地元沖縄の企業である「かりゆし」グループのCED平良は、「県外移設」を公約に当選した自民党国会議員が石破らに恫喝され公約を撤回させられた記者会見を見て、基地反対に変わった。また、元自民党県議で議長も勤めた仲里は、自家用車にスピーカーを取り付け、南風原の自宅から一人で連日名護に通い,反対の演説を行なった。
 推進から反対に変わった人々の心を動かしたのは、基地はいらないという沖縄の人の自然な心(良識)の現れであると思う。その背景には、辺野古で抵抗した沢山の人々がいたからである。彼らの非暴力運動がなかったら、既に辺野古の沖合に巨大な基地が完成しただろう。
 根気強く運動を続けた人々に心からの敬意を表したい。 (敬称略)                     西浦昭英(光が丘)

 

アメリカから要請され続けた「集団的自衛権」と「秘密保護法」
                      ─小森陽一さんの講演会から

  1月27日に、平和を育む大泉9条の会が、九条会事務局長の小森陽一さんを講師に、講演会「9条運動はいま─問われる主権者の底力」を開催した。
 小森さんは独特の語り口で参加者を引きつけ、「今日は国連集団的安全保障と集団的自衛権の違いを、憲法に関心のない人々にも話せるようにしてほしい」と前置きして、秘密保護法と国家安全保障会議の関係などを解説。さらに、現行の日本国憲法と自民党憲法草案を比較しながら、アメリカと共に戦争のできる国に日本を変えようとする「安倍政権の企み」に対して、私たちの運動で歯止めをかけていこうと強調された。この号ではその中で、「秘密保護法」と「集団的自衛権」を中心にまとめてみた。

「国連集団的安全保障」と「集団的自衛権」
 安倍首相はこの2つを同一のものであるかのように言っているが、全く別のものである。「国連集団的安全保障」は国連の活動である。戦闘状態が起きたときには安全保障理事会を開いて、国連憲章に違反しているかどうかを議論し、違反した国に対しては、経済制裁や、PKO(平和維持活動)やPKF(軍事行動)等の制裁を加えることもある。
 「集団的自衛権」は軍事同盟を結ぶ国が協力して行う軍事行動。日本には憲法九条があるので「安保条約」イコール「軍事同盟」ではない筈だが、アメリカからは米軍の軍事活動に参加するよう言われ続け、安倍首相はそれに応えるべく、法改正や改憲を強行しようとしているのである。

「秘密保護法」と「国家安全保障会議法(日本版NS)」
 この2つは一連のもの。アメリカでは戦争の決定権は大統領にあるが、日本もこれと一体のものをつくれとアメリカから言われ続けていた。最初は小泉政権が誕生した2005年10月28日のこと。この日に「2プラス2」が開かれた。アメリカの国防長官と国務長官、日本の防衛庁長官と外務大臣で2人プラス2人である。この時、米軍と一緒に軍事行動をするために、日本の自衛隊を「自衛軍」にして、国会を通さずに即決のできる「日本版NSC」をつくれ、そしてNSCにはアメリカの軍事情報が伝わるわけだから、それが外に漏れないように「特定秘密保護法」が必要であるという要請がアメリカから入ったのである。
 憲法九条の2項に「自衛軍」を書き込んだ「自民党憲法草案」もその年につくられた。その時の内閣官房長官が40代の安倍晋三だった。

第一次安倍内閣と内閣法制局
  06年、安倍晋三が内閣総理大臣になった。07年、ブッシュとの会談の折り、「日本は日米安全保障条約を結んでいるのだから、アフガニスタンにPKF(軍隊)を派遣し、アメリカ軍ともに活躍しろ」とブッシュから言われたが、当時の内閣法制局長が拒否。ブッシュに顔向けできなくなった安倍首相は、お腹が痛いと言って総理大臣を辞任した。そこで、第二次安倍内閣では、集団的自衛権の行使の妨げになる法制局長の首をすげ替え、NHKの役員メンバーを入れ替えて政府のいいなりにした。さらにお国のために我が身を犠牲にすることをよしとする愛国心教育を導入し、戦争のできる国に向けた「改憲」をがむしゃらに進めようとしている。
■ホップ…国会決議なしで即決で きる「日本版NSC 」をつくる
■ステップ…秘密が漏れないよう
  に「秘密保護法」をつくる
■ジャンプ…秘密にしたまま、自衛隊に海外で武器を使わせる
■死者が出る…「お国のために
  命を投げ出した自衛官を見ろ!」  と言ってあらゆる運動をつぶす
という順序である。
 しかし国民も黙ってはいない。通常国会の始まる1月24日も、3000人が国会を取り巻いて人間の鎖をつくった。10代の若者や、従来政治には関心のなかった人々も、個人で国会に集結する。そういう変化が今起きている。
 署名運動も私たちの武器だ。1950年に世界中で取り組んだ「原子兵器の無条件使用禁止署名」によって、原水爆の使用が禁止された歴史がある。私たちも取り組み続けよう。
                                                             文責 小沼 稜子

 

はだしのゲン」をめぐって 

■練馬区教育委員会 統制をしない  
  学校の図書館から、マンガ『はだしのゲン』を追放しようという動きは、昨年8月の松江市閉架措置事件で世に知られることになりました。昨年の9月には、練馬区教育委員会にも「『はだしのゲン』の教育現場からの撤去を求める陳情あり、それを知った私たちは、『はだしのゲン』の自由閲覧を求める練馬区民の会を立ち上げて陳情署名や、ネットによる賛同署名を展開し、12月2日、練馬区教育委員会での審議を迎えました。市民の関心が高く、第二傍聴会場まで設けられました。 私たちが固唾を呑んで見守る中、教育委員たちの審議は真剣で、一人ひとりが用意してきたメモを見ながら、慎重に発言をしました。その主な発言を拾うと、次のような内容でした。
「図書を選定した先生や校長先生の判断を尊重する」「教育委員会は、特定の図書を取り上げて撤去を求めたり推薦したり、統制はしない」「 『ゲン』は、公益法人全国学校図書館選定基準に基づいて選定されている」
「東京都の健全育成条例などの〝有害図書指定〟には含まれていない」
「 『ゲン』は、全体として〝有害〟といえるものではない」「特定の書籍の撤去を求めることは、言論表現の自由を明記し、検閲を許さないとした憲法 21 条や、図書館の自由、子どもの知る権利の保障などに触れる 」。
 こうした発言の中で、『ゲン』の撤去や排除を求める陳情などがいかに道理に合わないものであるかが明らかになり、教育委員会は全員一致で陳情を不採択としました。傍聴していた私は、思わず立ち上がって拍手を贈りたい衝動に駆られました。

■都教育委員会 撤去はしないが愛国心指導を
 東京都教育委員会に、『はだしのゲン』の教育現場からの撤去を求める請願が出されたのは、昨年の9月30日。それに対して、私が参加する練馬区民の会、子どもの権利・教育・文化全国センターなどが『はだしのゲン』の自由閲覧の維持を求める請願を提出しました。
 1月9日、都教育委員会は、マンガ『はだしのゲン』の取り扱いをめぐる12本の請願(撤去、除去、排除の請願3本。自由閲覧を求める請願9本)を審議。都教育委員会は、「『はだしのゲン』について、『教育現場からの撤去』あるいは『自由閲覧の維持』などを求める請願には、応じることはできません。」との回答(案)を採択しました。 
 しかしながら、「『はだしのゲン』については、暴力的な表現など、その一部に教育上の配慮が必要な表現がある」とし「読書指導については、児童・生徒の発達段階に応じて適切に行われなければならない。」と記し、続いて「我が国と郷土を愛する態度や、国旗・国歌の意義等について、児童・生徒を正しい理解に導くよう、都立学校や区市町村教育委員会に対して指導・助言を行ってまいります。」と、結んでいます。
 『ゲン』追放の動きは、安倍晋三内閣が推進する戦争できる国づくりに草の根保守を動員し、学校から平和憲法にもとづく表現物の一掃をもくろんだ策動で、安倍の靖国参拝やNHK経営委員支配と根っこは同じ。子どもたちを戦場に送る教育への地ならしといえます。
                                                                  有原 誠治 (映画監督)


 

       

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