86号 2019年6月発行

2019年参議院選挙の経験から考える        小原 隆治((ねりま九条の会呼びかけ人・早稲田大学教授、現在英国在住))

■結果をどう見るか

 7月21日、第25回参議院選挙の投開票が行われた。その結果、与党の自民党、公明党は、両党合わせて参議院の過半数議席を確保する一方、自民党は9議席を失い、単独過半数を占めた改選前の状況から後退した。また、両党に日本維新の会を加えた改憲勢力は、選挙前には改憲発議に必要な3分の2以上の議席を占めていたものの、それを失った。他方、護憲野党勢力は立憲民主党が8議席増と好調ぶりを示し、国民民主党、共産党、社民党は現状維持か微減の結果となった。また、新党の旗を掲げて選挙に臨んだれいわ新選組が比例代表選挙で新たに2議席を獲得した。
 この結果をどう見るかである。自民党幹部が選挙前、自公両党で改選議席の過半数が得られるかどうかを「勝敗ライン」だと公言し、大手メディアもそのフレーミングに乗るかたちで選挙戦序盤に「自公、改選過半数の勢い」(朝日新聞7月6日付)、選挙後は「自公勝利改選過半数」(毎日新聞7月22日付)といった見出しのもとに報道を続けた。だが、このフレーミングにもそれに乗った大手メディアにも、市民常識に照らして大きな疑問符がつく。6年前と比べて自民党が議席数を減らしてもなお与党勝利ということになるのか。与党幹部がそういえばそうだということなのか。
 それ以上に疑問に思うのは、安倍晋三・自民党総裁が今回選挙の最大の争点として掲げていたこととの関連である。安倍総裁は選挙前、改憲こそ最大の争点といっていたのではなかったか。ならば、与党勢力が3分の2以上の議席を引き続き確保できるかどうかを勝敗ラインとするのが、一番素直な見方ではないか。
 こうした観点からすれば「自公勝利」の評価にはバイアスがかかりすぎている。とはいえ護憲野党各党が飛躍的に議席数を伸ばしたわけではないから、野党勝利ともさすがにいいがたい。護憲野党勢力で改憲発議阻止に必要な3分の1以上の議席をなんとか獲得した、善戦したといったあたりが、今回選挙の評価として穏当な着地点ではないかと思う。

■野党共闘と選挙制度

 参議院選挙は選挙区選挙(定数74)と比例代表選挙(同50)に分かれ、さらに前者には1人区から6人区までが含まれる。今回、32の1人区すべてで護憲野党が候補者を一本化し、現職の候補者が1人しかいないなかで10人の当選者を出したことは、市民と野党の共闘を進める立場からは高く評価されていい。とくに注目を集めた宮城、新潟、大分各県などの選挙区で競り勝ったことは記憶に値する。1人区=小選挙区にはいわゆる死票(しにひょう)が出やすい負の特徴がある反面、単純明快にして一発逆転を生みやすく、さらに重要なのは、野党共闘を容易にする正の特徴があることをわたしたち市民も十分理解しておく必要がある。
 その一方、定数2人以上の選挙区(以下、2人以上区)や比例代表には死票が出にくい正の特徴がある反面、選挙の構図が見えにくくなりがちで、野党共闘が難しいまたはまったく組めない負の特徴がある。さらに政党や候補者の数が多くなると、2人以上区はもとより、比例代表選挙ですら死票が出やすくなることも飲み込んでおかなくてはならない。
 仮想の具体例をあげて説明する。比例代表で定数5、A党が90万票、B党が60万票を得たとする。現行ドント方式は自然数1、2、3、で、順に得票数を除し、得られた数の大きい方から議席を配分していくので、定数5はA、B、A、B、Aの順に埋まり、A党3議席、B党2議席と得票数に正比例した議席配分がなされる。これがA党90万票、B党40万票、C党20万票だとどうなるか。定数5はA、A、B、A、Aの順に埋まり、A党が過剰代表の4議席を確保する一方で、B党は過少代表の1議席にとどまり、C党にいたっては20万票がまるごと死票になる。

■市民政治のあり方

 ここでいいたいのは、だから護憲野党の政党再編が必要だという短兵急な結論ではない。護憲野党の現状を前提として、投じられた票をどれだけ生かし、議席に結び付けられるかを政党ばかりでなく、わたしたち市民も真剣に考えたほうがいいということである。
 選挙制度の別を問わず一般論としていえば、まずわたしたちに求められるのは、候補者選びをすべて政党まかせにせず、できるだけ地域から声をあげ、擁立過程に参加し、候補者に対する支援を日頃から地道に続けることである。そのうえで、いったん選挙戦が始まり、たとえば選挙区選挙の2人以上区で当落線上に護憲野党候補が1人だけいる場合、そこに支援を集中する市民ならではの重要な役割があると考える。
 実際の具体例をあげて説明する。
2016年の参議院選挙東京都選挙区(定数6)では、選挙戦序盤報道により小川敏夫氏(民進党)が当落選上で、しかも劣勢にあると報じられたため、党派を超えた市民の支援が次第に同氏に集中した。その結果、護憲野党勢力では1位当選の蓮舫氏(民進党)、4位当選の山添拓氏(共産党)に続き、小川氏が次点候補を僅差で振り切って6位当選を果たした。
 今回参議院選挙の東京都選挙区で、それと同じ現象は起きなかった。吉良佳子氏(共産党)が3位当選、塩村文夏氏(立憲民主党)が4位当選を果たす一方で次点の7位以下に約50万票の山岸一生氏(立憲民主党)、21万票の野原善正氏(れいわ新選組)、19万票の水野素子氏(国民民主党)が続き、あわせて90万票の死票が出る結果となった。
  もちろん、市民ならではの役割を果たすためには、わたしたちが選挙情勢に関して相当程度に正確で信頼できる情報を得ていることが必要である。そしてそれが容易でないのは、今回選挙の経験を通じて得た重要な教訓の1つでもある。
 つぎに迎える国政選挙は総選挙である。来年の東京オリンピックのあとくらいに行われる確率が高いというのが、永田町筋の見方であるらしい。来年といっても、残された準備期間は1年程度である。その間、わたしたちは、市民と野党の共闘をただ一般的、抽象的なスローガンとして声高く叫ぶのではなく、これまでに得た経験知を直接・間接に生かし、地元の選挙区で護憲野党候補を当選させるための個別的、具体的な努力をコツコツ積み重ねていく必要があると思う。
※ウェブマガジン「マガジン9」に掲載されている同旨のインタビュー記事も参照されたい。         https://maga9.jp/190807-3/
 

参議院選挙後の新たな改憲情勢を迎えて                 九条の会  

 参院選を経て、安倍改憲をめぐる情勢は新たな局面に入りました。2017年5月3日の改憲提言以来、自民党は衆参両院における改憲勢力3分の2という状況に乗じて改憲を強行しようとさまざまな策動を繰り返してきましたが、その後2年にわたり市民の運動とそれを背景にした野党の頑張りによって改憲発議はおろか改憲案の憲法審査会への提示すらできませんでした。そして迎えた参院選において、改憲勢力は発議に必要な3分の2を維持することに失敗したのです。
 3分の2を阻止した直接の要因は、市民と野党の共闘が、「安倍政権による改憲」反対、安保法制廃止をはじめ13の共通政策を掲げて32の一人区全てで共闘し、奮闘したことです。また、安倍9条改憲NO! 全国市民アクション、九条の会が、3000万署名を掲げ戸別訪問や駅頭、大学門前でのスタンディングなど草の根からの運動を粘り強く続けることで、安倍改憲に反対する国民世論を形成・拡大する上で大きな役割を果たしたことも明らかです。
 しかし、安倍首相は任期中の改憲をあきらめていません。それどころか首相は、直後の記者会見において「(改憲論議については)少なくとも議論すべきだという国民の審判は下った」と述べて改憲発議に邁進する意欲を公言しています。これは、安倍首相一流のウソを本当のように言うもので、参院選の期間中もその後も、「安倍政権下での改憲」に反対の世論は多数を占め、改憲勢力が3分の2をとれなかったことこそが真実です。
 ところが、安倍首相は、自民党案にこだわらないと強調することで、野党の取り込みをはかり3分の2の回復を目指すなど、あらゆる形で改憲強行をはかろうとしています。
 安倍9条改憲を急がせる圧力も増大しています。アメリカは、イランとの核合意から一方的に離脱し挑発を繰り返した結果、中東地域での戦争の危険が高まっています。トランプ政権はイランとの軍事対決をはかるべく有志連合をよびかけ、日本に対しても参加の圧力を加えています。こうしたアメリカの戦争への武力による加担こそ、安倍政権が安保法制を強行した目的であり、そして安倍9条改憲のねらいにほかなりません。辺野古新基地建設への固執、常軌を逸したイージスアショア配備強行の動きも9条破壊の先取りです。
 6年半を越える安倍政治への不信とあきらめから、投票率が50%を割る事態が生まれています。この民主主義の危機を克服し再生するためにも、市民一人一人の草の根からの決起が求められています。参院選で3分の2を阻んだ市民の運動に確信をもち、安倍9条改憲NO! の3000万署名をさらに推進し、広範な人々と共同して草の根から、9条改憲の危険性を訴える宣伝と対話の活動を強めましょう。
 同時に、どんな口実であろうと自衛隊の有志連合への参加・自衛隊の海外派兵、さらなる軍事力の増強を許さない闘いを、安保法制の全面発動、実質的な9条破壊を許さない闘いとして取り組みましょう。

 

敗戦記念日特集

  語り継ぐ久米島惨劇、三線で表現する沖縄の歌と歴史    渡嘉敷一郎・政子さん夫妻に聞く

 

   
  資料を指し示しながらお話しされる渡嘉敷ご夫妻  

■木下順二の『沖縄』の主人公が 語る“日本兵”

 1970年年に刊行された『叢書わが沖縄』(谷川健一編 木耳社)の第1巻に「沖縄」と題した論考を寄せた木下順二は、自作の現代劇『沖縄』に登場する波平秀が元陸軍軍曹山野武吉に放つ台詞を引いている。「オキナワ人はみんなスパイだといって拳銃を振り回したのも、逃げようとして壕の入り口でもみあっとるとこを切り殺したのも、赤ん坊が泣くと敵に知れるといって母親に子供を絞め殺させたのも、みんなヤマトの将校だったわ」

■自殺寸前を救われた少年

 木下はこの告発を「資料的根拠があってのこと」とことわっているが、渡嘉敷一郎さん(石神井町九条の会80歳)が語る「日本海軍沖縄方面根拠地付電波探
信隊」(以下通信隊と略)による久米島島民虐殺事件の証言もその「根拠」の一つである。
 慶良間列島上陸(3月26日)以前からの米軍による激しい空襲と艦砲射撃によって久米島の海にも多数の死体が浮かび、島民は逃げ回り、防空壕や洞窟に隠れていた。渡嘉敷さんの家族11人も、ご本人と妹さんがチフスに罹り、お父さんがモッコに2人を入れ、逃げていた。
 そんな酷い状況にもかかわらず、通信隊は島民全員に、身を潜めていた山地に来るように命令、「来ない者は米軍に通じる者として処罰する」と脅していた。一方の米軍も「山に行ったら日本軍とみなし銃殺する」と迫っていた。追いつめられた渡嘉敷さんの家族は「どうせ死ぬならみんな一緒に死のう」と覚悟した。
 1945年(昭和20年)6月26日、日本軍の組織的抵抗が終わった「沖縄終戦」の3日後、先に久米島に上陸したアメリカ軍に捕らえられ、捕虜収容所に入れられていた仲村渠明勇(なかんだかりめいゆう)さん(当時25歳)が島に帰ってきた。仲村渠さんは米軍に「島には30人くらいの日本兵がいるが、武器も貧弱なものでしかないから攻撃しないでほしい。僕が島民を説得するから」と懇願、島民には「死んじゃだめだ。戦争は終わった。米軍は抵抗しない島民に危害を加えることはしない。だから、山から下りて家に帰りなさい」と説得した。
 仲村渠さんによって渡嘉敷さんら多くの島民が救われた。しかし、通信隊は彼をスパイと決めつけ、住民の姿に変装して、仲村渠さんが妻子とともに住む一軒家を襲撃、家族3人を惨殺し、家もろとも焼き払った。
 渡嘉敷さんの証言は、これまで「琉球新報」「沖縄タイムズ」をはじめ数々のメディアで紹介された。ご自身も様々の集会で報告し、6月23日の「沖縄全戦没者追悼式」開催の日の同日に行われた石神井町九条の会主催のピースカフェ「沖縄に思いを寄せて」でも体験を語っている。

■住民虐殺を正当化する日本軍兵士

 久米島で仲村渠さんら20人の住民を虐殺した海軍通信隊の隊長・鹿山正兵曹長(当時32歳)は戦後、サンデー毎日のインタビューで、「島民の日本軍に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも断固たる処置が必要であった」と正当性を主張した。
 島民が、「山を下りる者は米軍に通ずる者として射殺する」と通信隊におどされ、おびえ続け日々は通信隊がアメリカ軍に降伏した9月7日まで続いた。

■三線で沖縄の文化・歴史を語る渡嘉敷政子さん

 渡嘉敷一郎さんの妻・政子さんも久米島生まれで、生まれたのも同じ1938年(昭和13年)、沖縄戦当時7歳であった。日本兵による久米島住民の虐殺は、当時から住民の間でうわさになった。政子さんも「大人たちが屋号で『どこどこの誰々が殺された』と話すのを耳にし、子供心にもその時のことが思い出され、たまらない気持ちになった」(「琉球新報」6月20日)。
 教師を志望していた政子さんが、父が収穫した半年分の米を売って工面してくれたドルを円に替え、本土に渡ったのは1957年(昭和32年)、18歳の時である。白山丸の船上で、父とつながっていた一本のテープが切れたときのことは「今も忘れない」と言う。「月々の仕送りも並大抵ではなく、イモを主食にし、小豚を売って送金を続けてくれた家族の苦しみは測りしれない」、つらい体験は家族への感謝とともに消えることはない。
2年後短大を卒業し、郷里の小中学校の教師をしていたとき、警察官だった一郎さんと結婚、夫が大学に入学するのと同時に、1965年(昭和40年)再び上京した。

■よみがえった沖縄民謡への思い

 1974年(昭和49年)から練馬区内の児童館や学童クラブに勤務、練馬区教育センターと総合福祉事務所の嘱託職員勤務を最後に足かけ 年、公務員を務めた。退職して束の間、郷里に帰った政子さんの脳裏にかすめたのが子供のころ聞いた沖縄民謡の数々。しかし、「島で教師をしながら、何一つ沖縄の歴史も歌の本意も知らず、未来を担う子供たちに伝えてこなかった」という悔いがこみ上げてきた。その悔いから、すでに開設していた沖縄特産品店「美ら島」内に初心者を対象にした三線教室を開く。
 三線は工工四(クンクンシー、三線の楽譜)と沖縄方言の難しさから、ついていけずやめる人が多い。そこで「沖縄の先達たちが遺してくれた数々の歌を再現し、わかりやすく、弾きやすく、唄いやすく、楽しく、さらに歌の意味と歴史の背景を通して、沖縄をより深く知る」という極めて意欲的なねらいを込めて発行したのが『沖縄を知って三線を楽しもう』上下2巻(写真)である。
 明治以後になってからも、夜間に沖縄の村々を訪れる人は、暗い灯火の下から必ず三線の音のもれるのを聞いたという。日本本土では三味線は主として花街でもてはやされたが、三線は多く渋張りで手製という質素なものではあった。だが、それは民衆の楽器でもあった(「島ちゃびの沖縄」『日本残酷物語 ②忘れられた土地』・平凡社所収)。
 そういう生活のなかから、沖縄ではすぐれた民謡が数多く生まれた。沖縄の人々の心と、苦難に満ちた歴史、そこから生まれ、語り継がれる歌と文化、それらを多くの人に伝えていく。渡嘉敷さん夫妻の歩みはこれからも続く。
                                              聞き書き・勝山 繁(ねりま九条の会事務局員)
   

 

映画『新聞記者』を見て
      その内容のリアリティと勇気ある俳優たちに感動!           

                                            土田 謙二(江古田在住)

   
  映画「新聞記者」  

 話題となった映画「新聞記者」を観てきました。もう映画館での上映は終わってしまっ たようですが、ぜひ TV でも放映し、多くの人に観てもらいたいのでネタバレのようなこ とは書きません。私の雑多な感想を5つ書かせていただきます。
1、内容はまさに現実に 起こっている政権のスキャンダルがふんだんに盛り込まれています。何が出てくるかはお 楽しみ!だって、あれかな?あれかな?と沢山挙げられますものね。
2、この映画に出演 している俳優さんたちの勇気に拍手!だって今はちょっと政権批判的なことを言っただけで、ネットでたたかれるご時世です。そのなかで、松坂桃李、本田翼、田中哲司等々の錚々 たる顔ぶれ、そして主演のシム・ウンギョンも韓国の若手トップ女優とのことで、彼らの、 予想されるネットでのたたき等を意に介しない?役者ぶりに敬服しました。 そしてとにか く沢山の人が観に行って話題にすることで、彼らを孤立させず、後悔もさせたくないと思いま した。そして主演 2人の言葉がまた素晴らしい。松坂「作品に対していろんな意見や見方 が出てくるとしても…権力の内側でもがく一人の男の姿が立ち上がってくれればいいなと。」シム「いろんな考え方が交差する今の世の中に、私たち一人一人がどう向き合っていくべきかを問いかけている…」。
3、この映画は、多くの官僚にとっては「妻子を抱え た一生活者としての立場と、本当の意味で国民に尽くす公務員としての矜持の板挟みにな る」という意味では、とても身につまされる話だろうなと思いました。
4、「内閣調査室(内 調)」の名前は知ってはいましたが、普段あまり話題にはならないので忘れていました。そ の恐ろしさを実感しました。それこそ政権批判的な言動に対するネットでのたたき(炎上) は「ネトうよ」がやっていると思っていましたが、まさにこの映画にあるように、内調がツイッター等への大量の書き込みをして、情報操作しているかもしれないということに気 づきました。
5、ヒロインエリカの新聞記者の父の言葉「自信を持って自分を信じ、自分 を疑え」が胸に残りました。 そして、最後に主題歌「Where have you gone」は、高い音 楽性と硬派な姿勢で音楽ファンから絶大な支持を得ている「OAU」が担当しているとのこ とで、若い人を意識している点も素晴らしいと思いました。

 

勉強会で仲間づくりー私にとっての向山九条の会                  小澤秀子

久しぶりに「本気」に出会った!参院戦での山本太郎の情熱トーク「年に2万人も自殺者がいる、おかしくないですか。
この国を変えたい、力かしてください。」あれは本気だ。難病の、れいわ新選組の舩後議員、「私は死ぬ気でやってます」あれも本気だ。

◆嘘だらけで真っ暗闇だった政治の世界に爽やかな光が見えた気がしました。私も今まで以上に本気でやろうと力がわいてきました。向山九条の会には、身体を使う運動の力はほとんどありません。私を含め、少ないメンバーのほとんどが高齢者。署名活動や駅頭宣伝などはなかなかできません。では何をやるか。

◆昨年にひきつづいて取り組んでいるのは勉強会です。勉強会を広く宣伝して一人、二人と仲間を増やすこと、これが今努力していることです。
 5月には安保法制の違憲性について学びました。安保法制を違憲とする裁判が、全国で 件も提起されています。第一次安倍政権時の内閣法制局長官であった宮崎礼壹(れいいち)さんらが、「安保法は違憲」と前橋地裁で証言しました。宮崎さんの陳述書を読んで安保法制が違憲であることを学びました。 指導はメンバーの一人、元裁判官の鈴木経夫さん。広く呼び掛けたら 人が集まりました。
 6月初めに「老後の生活費が年金だけでは足りない、自分で2000万円用意する必要あり」との金融庁の報告書がでて、私たちの関心も年金に集まりました。さっそく学習会を開始、目下勉強中。「年金資金は現在どのくらいあるのか、どのように運用されているのか」「年金資金の収支バランスは少子高齢化でどのように変化するのか」「年金資金は100年安心といわれたが、見通しは」ぞろぞろ疑問がわいてきました。

★向山九条の会所有のDVDをお貸しします。学習会などにご活用ください。無料。
① コスタリカの奇跡(シネフロント配給、2016、90分)
② 9条改憲って何?(電波ニュース制作、2017、20分)
③ 憲法と自衛隊(電波ニュース制作、2019、20分)
④ 不思議なクニの憲法(松井久子監督、2019改定版、104分)
                                         

 

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