89号 2020年2月発行

米軍事戦略のコマ 自衛隊の中東派遣
   「調査・研究」の乏しい根拠、国会審議も無視
                            髙橋 宗瑠 
(大東文化大学名誉教授・中村在住)          

 自民党・安倍首相による自衛隊の中東派遣が「調査・研究」という名目で閣議決定されたことを懸念します。明らかに国会審議を避ける意図があり、法の趣旨にも反します。怪しげな根拠で「前例」をつくったことは極めて憂慮すべきことですが、日本も巻き添えになる可能性をひめる米国とイランの関係とは、どういうものなのでしょうか。

■米国とイラン、本当の姿

 日本のマスコミ報道は、イランを「宗教的原理主義をもつ、狂ったならず者国家」ととらえ、一方で米国は自由と正義を守り、自衛のためにしか武力を用いないかのような描きかたが多分にあります。
イランに対してウラン濃縮の制限を決めた2015年の核合意を米トランプ大統領が一方的に破棄したことは広く知られているとしても、概して米国に理があると考える日本人が大勢ではないでしょうか。
 中東で繰り広げられているのは石油資源をめぐる覇権争いです。そもそもは1980年に中東由来の石油の安定供給を重大な安全保障事項と宣言し、そのためには軍事力行使も厭わないとする「カータードクトリン」が発表されました。以来、企業利益や米国民の贅沢な生活水準が最優先され、中東への直接・間接的介入が米国内で当然視されるようになりました。
 イランについて振り返れば、それまでイランの石油資源を握っていた欧米石油企業を排除し、イランの民主政権が石油資源の国有化に動き出すと、英米は諜報機関をつかって政権転覆を企て、イランのツアール(国王)独裁政権を全面的に後押ししました。
  ツアールによる弾圧や腐敗にイラン民衆の不満が爆発して、ツアールを追放した1979年のイスラーム革命が契機になります。以降、米国は一貫してイランに対して敵愾心を剥き出しにし、親米国である中東イスラエルやサウジアラビアとともにイランに厳しい制裁を課すなど、執拗な威嚇を繰り返してきたのです。
 米国の2パーセントほどの軍事予算しかもたないイランが米国の脅威にはなりません。米国はペルシャ湾岸の産油国をふくむ世界約70カ国に800カ所の軍事基地をもち、イスラエルの核兵器保持を事実上容認するなどイランを完全に包囲しています。
 やはり米国の覇権に抵抗したイラクや、ドル以外の通貨で石油売買を呼びかけたリビアは近年、米国による侵略で国家崩壊に瀕しています。イランの肩を持つわけではありませんが、イランが危機感を募らせ、自国防衛のために核兵器開発の志向が働いたとしても驚くことではありません。
 1月3日に米国が暗殺したソレイマニ将軍はイラン革命防衛隊・諜報部「コドス(またはコッズ)部隊」の司令官でした。「コドス」はエルサレムの意で、イラン最強の精鋭部隊の名称にイスラエル占領下にあるエルサレム解放の意味合いを含めているのです。
 イスラエルによって70年以上も続くパレスチナ占領が世界のイスラーム教徒にとっていかに受け入れがたく、米国とイスラエルの中東政策がいかに地域の火種になり続けているかを端的に表しています。
 

■米軍事戦略のコマ

 在日米軍が「日本を守ってくれている」と考える日本人は大勢います。安保条約によって日本は基地提供の義務を負い、地位協定などの治外法権措置や「思いやり予算」拠出など、至れり尽くせりの計らいをしています。しかし、米国自身も公言しているとおり、日本防衛は米軍にとって主要任務ではありません。米軍は日本からも中東に出撃しますし、沖縄などの駐留基地は太平洋における米国覇権の拠点です。即ち、在日米軍は米国の軍事システムの一端でしかないのです。
 ソレイマニ将軍の暗殺はイラク国内で遂行され、手を下したのはイラク駐留の米軍です。米国は殺害にあたり、イラク政府への事前通知さえしませんでした。イラク議会は米国への怒りを極め、直後に米軍撤退の要求決議をします。
 米国はこの決議に対して「撤退するつもりはない」と突っぱね、それどころか「米軍を追い出すなら今まで米国が費やしたカネを返してもらう」などと、侵略者まるだしの態度表明をしています。
  米国はイラクを属国としか考えておらず、中東諸国の国家主権など微塵たりとも配慮しません。これは日本への態度とて同様です。日本がアメリカの軍事戦略のコマにしか過ぎないという事実を日本人は正確に認識すべきです。
※高橋さんの著書『パレスチナ人は苦しみ続ける なぜ国連は解決できないのか』(現代人文社)

 

民主主義って何だ!                               片山むぎほ  

 安倍政権の「戦争をする国」づくりは、立憲主義・民主主義を破壊し、利権がらみの汚い政治を推し進めて来ていますが、中央政府のこの姿勢は、地方自治体の行政にも大きな影響を与えているのではないでしょうか。
 こんな時代のこんな情勢だからこそ、私たちは、地方自治の名にふさわしい練馬区政が行われるように、区民として目を光らせ、民主主義に則って運営されるように働きかけていかなければならないと思います。

一.パブコメって知っていましたか?

 例えば、練馬区では、1月17日締切締め切りりで公共施設等総合管理計画〔実施計画〕(令和2年度から5年度)(素案)についてのパブリックコメントを募集していました。しかし、練馬区のホームページのアドレスをクリックしても、パブリックコメントのメールを送ることができないというホームページ上の不備があり、これが締め切り当日まで放置されている状況でした。この指摘を受け、締め切り日が1週間延期されましたが、そのことの周知も、区のホームページに1行書いてあるだけで、ほとんどの人が知ることができませんでした。ここに、区民の意見を本気で聞く気などないという行政側の姿勢がよく現れています。
 最近、様々な行政機関でパブリックコメントが募集されますが、ほとんどの場合、単なる行政側の国民・住民の意見を聞いたというアリバイ作りにしかなっていないことを多くの人が指摘しています。

二.「施設配置の最適化」という名で「削減」

 今回の公共施設等総合管理計画についてのパブリックコメントを例にして言えば、区民から見れば膨大な練馬区全体に及ぶ計画が示されており、前提として「施設配置の最適化」という概念のもとに、「将来にわたって行政が確保すべき機能か」「費用対効果の面での効率性」「対象やサービス内容が他と重複していないか」「現在の施設でないと提供できないサービスか否か」など、行政サービス削減の視点が示されています。
 このような視点から、広く練馬区民を対象に、広域に存在するそれぞれの公共施設に対する意見を聞けば、自分が見たことも聞いたこともないような施設、自分が受けたことがないような行政サービスについては、税金の無駄遣いではないかという方向に意見が流れることが当然のこととして予想されます。
 当該の行政サービスを利用していないものにとっては、その効果は見えず、そのための費用は無駄であり、効率性が悪いと捉えてしまうのが一般的です。行政サービスを受けている該当者に意見を聞くのではなく、広く一般的な意見・パブコメを取れば、少数・弱者への行政サービスの削減につながる根拠を作りだすだけではないでしょうか。
 行政サービスは何のために誰のために行われるべきものなのかという理念が必要です。これは、税金は誰のために、何のために使われるべきなのかという問題でもあります。効率性だの重複しているだの言う前に、必要な人に必要な行政サービスが届いているのかという視点がまず必要です。
 住民同士の利害関係を対立させるようなかたちで、住民の意見を取り上げたふりをして、しっかりとした議論の場を設けずに、結局は行政の方針通りにことをすすめていく。これは、本来の民主主義の破壊です

三.行政サービスは私たちの税金で賄うもの、儲けた分で税金を払うべき民間企業に任せて良いわけがない

 公共施設や行政サービスを削り、税金を節約したと大きな顔をするのは許せません。
 京都市長選に向けて市民の一言が新聞に載っていました。現職市長は地下鉄黒字にしたと自慢するが、民間に仕事を丸投げして人件費を削ったら黒字になるのは当たり前。今の現役が一番大変な思いをしている。これでは利用者の安全も守られない。行き過ぎた民営化には反対や」。秋の夕暮れを感じますが、私たちも自治体の動きを監視し、意見を上げていきましょう。                                          (中村・貫井・富士見台3地域九条の会 会員)


「兵器より社会保障を」
   ─岐路に立つ介護保険問題の本質は、公的責任の放棄、憲法 条の形骸化  
                           
新井幸恵 (全国老人福祉問題研究会・練馬支部) 

一、介護の本質が奪われゆくとき

 私は長年、医療・介護の現場で働いてきました。介護とは、人間らしく生き、暮らすための行為が何らかの原因によって阻まれたときに、その人の個性、歴史性、地域性、精神性を受け止めつつ、行われる一連の生活援助行為です。医療が効果的に行われるためには、その人の「生活」が整えられていることが、お薬よりも重要な前提となります。
 生活援助行為と言っても一方的な関係にはなく、「援助」される人から逆に支えられ、励まされ、学び合うという相互関係を前提としています。それは長い歴史を持つ高齢者は勿論のこと、超重症心身障害児であっても、オムツをしていても、重い認知症であっても、幻覚妄想状態にあっても、死の床においてさえも耳を傾け理解し合える時間と場があれば、相互に関わり合いつつ、創造的な関係が生まれることを体験してきました。
 そうした豊かで楽しく、魅力にあふれた関係を育むために互いを感じ合う、知り合う、触れ合う、理解し合う、認め合う時間がとても必要です。時には悲しみを、時には激しい怒りを、時には虚しさを、無念さを、諦めを共有することもあります。しかし、こうした関係を築きあうことによって、再び共に生きようとする意欲を励まし支えることへと連なってゆきます。つまり介護という仕事は「時間」がとても大事な要素と言えます。看護だって、かつてはもっとゆっくりゆっくり患者とかかわる仕事でした。
 しかし、介護労働者の他の業種に類を見ない離職率の高さは、こうした豊かな関わりを求めて就職した方々が、休憩も取れない程の多忙な中で慢性的な心身の疲労下に置かれ、職場の人間関係がすさみ、傷つき、心やからだ、命が危うくなるという危機的な環境が根底にあります。
 そして離職がさらに人手不足を生み出すという悪循環が生まれます。 訪問介護事業所では募集しても募集しても人が集まらず、練馬でも閉鎖、倒産を余儀なくされたところもあります。慢性的な低賃金や就労形態が、働く人の意欲をそいでいます。また多くの施設が利用者から見てもわかるほどの人手不足です。せっかく入職しても離退職がやまないからです。

一、介護の本質が奪われゆくとき

 そうした中で社会保障から公的責任が放棄させられ、福祉や公衆衛生の国家責任を謳った憲法 条は、内閣のどのレポートからも消えてしまいました。少子高齢化が事態を悪化させてきた、介護現場の人手不足には外国人やロボット、また元気高齢者やボランティアを充てよう、介護保険の不十分なところは民間活力を取り入れようとの議論が盛んです。
さらに利用料負担や介護保険料が区民の生活を圧迫しています。「保険料というより税金よね」「年金から取られて生活費が圧迫されている」「夫の介護、もう自分が病気になりそう」「2割負担になり、これ以上のサービスの利用は無理」との声は日常的に聞こえてきます。
 介護保険財政はたこの足かじりのようなもので、国庫負担率が %、残りを国民の保険料と利用料で賄っているために、施設やサービスを増やせば保険料の上昇を強いられます。公的資金を抑制する中で、介護の需要が増しているために介護保険財政の総費用は 兆円を超し、給付費抑制が財政健全化のために必要、とまことしやかに言われています。
 その延長線上で昨年 月に安倍晋三を議長とする「全世代型社会保障検討会議」の中間報告が出されました。ここでは「介護現場の生産性向上」「介護予防へのインセンティブ付与(介護度に改善がみられた被介護者や、それを支えた介護事業所を表彰する)」等の議論が飛び交い、一、で見たような介護の豊かさ、当事者の尊厳、主体性の尊重、介護労働環境の改善などの人間的な言葉はありません。あるのはAIなど関連企業が躍動(少子高齢化はビジネスチャンス)する話が山盛りです。この中でむしろ人員配置基準(現行3対1)の緩和など、介護環境の悪化が予測されています。

■「兵器より社会保障を」

練馬区の総人口 万のうち、65歳以上の方の第1号保険者は16万と21・9%を占めています。そのうち要介護認定を受けた方は3万人、保険者の約20%です。(2018年末)これらの方々がサービスを受ける割合は、介護度が高くなるにつれ上がっていますが、支給される限度額いっぱい利用する方は少なく、30から40%、サービスの利用控えが目立ちます。
 その人のニーズに沿った介護保険制度になっているのかどうか。私たちは2月26日、昨年 月から企画を練ってきた「練馬の介護保険のこれからを考える会」を開催します。2017年より続けてきた学習会を発展させ、国の第8期介護保険事業計画に向けて、2020年6月の定例区議会へ陳情を出すことも検討しています。話し合いの中では、「介護保険白書〜区民版」や、練馬の社会保障シンクタンクが必要との声も上がっています。介護保険制度というまやかしの仕組みを区民と共に解明し、介護が必要な区民の実態を共有し、ある時は行政と共に練馬のこれからを展望できるよう努力したいと思っています。 皆様の身近な介護の実態をお知らせいただけたらと思っております。
                                       (中村・貫井・富士見台3地域九条の会 会員)

 

「中村哲先生をしのぶ会」に長蛇の列                  
      
 2月1日、実行委員会主催の「中村哲先生をしのぶ会」が文化センター小ホールで開催されました。6時半開始にもかかわらず、5時半には中に入れない人々 が館の周りに溢れていました。「1時から来ていた人もいる」「4時には満席になっていたそうだ」などという声があちらこちらでささやかれ、「3時間かけて群馬から駆けつけたのに」と残念がる人もいました。それでも「記帳してメッセージを届けたい」と考える人たちは、ひたすらその時を待っていました。おそらく500人を越える人ががそうした行動を取ったように思います。翌日のニュースによると諦めて帰った人も含めると1500人が訪れたとのことでした。それほどたくさんの人が、中村哲さんへの尊敬と感謝の思いを持っていたのです。
 中村哲さんの訃報をを聞いて、暉峻淑子さんは「日本の象徴は天皇なんかじゃない、中村哲さんですよね」とおっしゃっていましたが、そのように感じる人も少なくはなかったように思います。
 当日はライブ配信が行われたので、中の様子を知ることができました。映像による活動の紹介、ペシャワール会の関係者たちの今後への決意、また加藤登紀子さん、澤地久枝さんからのメッセージや歌も心に響き、素晴らしい会であったことが分かりました。
 中でも8年間、記録映像を撮り続けてきた谷津賢二さんの「中村哲さんの命を奪ったのは、貧困や温暖化による干ばつに関心を寄せることができなかった私たち自身ではないか」という言葉は、胸に突き刺さりました。

  PMSの灌漑事業に山田堰の方式を導入し、2003年から現在までに6ヵ所で計31.27キロの灌漑用水路を築造し、1万6,500ヘクタールもの農地を灌漑農地として回復させた。 PMSは中村哲医師が代表を務める日本のNGOペシャワール会の現地NGOで、2003年からアフガニスタン東部で現地に適した石材や樹木を使った技術を活用し、かんがい事業を実施。農民たちが自ら工事を担い、かんがい設備を維持・管理できる体制は、帰還難民や社会復帰を果たした兵士の雇用拡大にもつながっている。草地すらなかった地域に、現在では、広大な麦畑と牧草地が広がっている。

中村哲さんと平和憲法(中村哲さんの言葉より)

・アフガニスタンで活動する自分たちは、日本の平和憲法によって守られていることを常に感じてきた。 
・憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきもの。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣‥国益のために武力行使もやむなし、そう。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と。 
・自衛隊派遣は有害無益─私たちが営々と築いてきた日本に対する信頼感が、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去ることはあり得ることです。(国会証言より)
・敵は、実は我々自身の心の中にある。強い者は暴力に頼らない。最終的に破局を救うのは、人間として共有できる希望を共にする努力と祈りであろう。


「いのちの山河〜日本の青空Ⅱ〜」を観て               
川嵜俊子              

この映画は、全国初の医療費の無料化と乳児死亡率ゼロを達成した岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)を舞台に描いた実話の映画化である。
医師を切望されながら違う道に進み久しく故郷を離れていた深澤晟雄が、妻と共に豪雪の沢内村に帰ってくるシーンから始まる。亡き父の「一村一郷の為に尽くすのも立派な生き方だ」との言葉を胸に、昼は畑仕事、夜は教師として憲法の主権在民を教えるうち、栄養失調の赤ん坊の死、貧困ゆえの年寄りの自殺が多発している村の現状がわかってくる。
 深澤は教育長に委嘱されると、「行脚と対話」で村づくり、組織づくり、婦人会づくりに奔走する。
 助役に抜擢されると、国民健康保険の滞納者が多いことを知り、村民の健康のために立つと決め、助産婦と保健婦の訪問指導に力を入れた。
村長になると、まず村民の声を聞き対話することから始めた。豪雪と多病、貧困の三悪追放に村民が一体となり団結すればできないことはない。自分たちの命は自分たちで守る。人間の命と尊厳に格差はないのだと。乳児健診と成人病検診に力を入れ、検診回数を増やし、乳児の死亡率を半減させ、昭和 年、乳児死亡率ゼロに、日本一になった。
 村立沢内病院では、地域の包括医療を実施目標として、全村民の健康台帳を作り、健康管理に努めた。
「すこやかに生まれ、すこやかに成長し、すこやかに死ぬ」ためには、65歳以上の医療費を無料にと願ったが、国民健康法違反として認められない。国がやらないからうちのような貧しい村がやるのだと、憲法  条を盾に医療費の無料化に踏み切り、実現させた。
 次は、冬の交通維持は村民の健康にかかせないと道路の除雪をし、盛岡や横手まで開通させることだった。深澤の強い信念のもと村民も動き、開通がかない、みな大喜びだった。そんな中、食道がんに侵され、道半ばで死去した深澤の遺体を載せた車が村に戻る。村民達は総出で、人命尊重の精神と村民の福祉のために命をかけた深澤に対する感謝の念で、出迎えた。
感動をもって観終えた後、憲法改正も私達一人ひとりが団結すれば阻止できると思った。
最後に本作品を制作された、大澤豊監督が本年1月1日にご逝去された由、心からご冥福をお祈りします。
                                                 (石神井台九条の会 会員)

 

 

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