90号 2020年4月発行

対コロナ法の問題点                大内要三  (日本ジャーナリスト会議会員 )                 

■緊急事態宣言発出を聞いて

4月7日、安倍首相は緊急事態宣言を発出し、小池都知事は緊急事態措置を発表しました。3月13日に改正・成立した「新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律」(長い名前なので、ここでは「対コロナ法」、改正前を「旧法」と呼ぶことにします)によるものですが、国民の権利は制限され、生活は大幅に規制されます。
 むろん何よりも「命が大事」ですから、コロナ禍は国民ひとりひとりの努力の集成によって収束に向かわせねばなりません。ただし、かつて経験したことのない事態であるだけに、政府の対処を信頼しての自粛か、強制力を感じてのやむを得ずの「自粛」なのかでは全く違うでしょう。補償のない自粛は困る。一部の人々の負担が過重になることは避けたい。当面は人が集まらなくてもできる形での運動のあり方を模索しながら、声を上げ続けていくことが大事だと思います。よりましな政治をつくる選挙の準備として。

■危惧されるべきこと

対コロナ法がわずか3日間の国会審議で成立する前後にいちばん問題になったのも、行政に権力を集中し、国民の権利を制限することでした。これ以上安倍首相に権力を集中させたらどうなるか、という危惧です。
 緊急事態宣言下では地域・期間を限って、国民に対して外出自粛の要請(対コロナ法45 条1項)、施設使用や催物の制限・停止の要請( 条2項)・指示(45条3項)ができます。「要請」は単なる協力依頼ですが、「指示」になると法的強制力があります。
 臨時の医療移設を開設するため、土地建物を強制収用することができます(49 条)。
 特定物資の売り渡しを要請し、収用することができます(55条)。従わない業者には罰則があります(76条)。
 墓地・埋葬に関する手続きの特例を定めることができる(56 条)という事態まで想定されています。

■地方自治体・自衛隊・米軍

 実際には緊急事態宣言下でも政府は基本方針を出すだけで、具体的に対象を決めて要請・指示をするのは地方自治体です。国・地方自治体・指定公共機関・国民の関係は、安保法制(戦争法)の一環としての国民保護法と同じです。国民保護法では、戦時に国民を避難させるのは地方自治体の役目です(同法3条、4条)。国益のためにいかに国民を動員するかという発想ですね。
 今回も自衛隊が出動しました。自衛隊法83条に基づく災害派遣で「人命又は財産の保護」のためですが、防衛医官・防衛看護官以外は、事態によっては警察とともに限りなく「自粛」チェックの町のパトロールとなることが警戒されます。
 また、日米地位協定によって出入国審査も検疫もない、日本の法律を守る義務のない在日米軍には何の規制もできません。安全保障政策とコロナ禍の関連について私は、ブログhttp://peace99180.blog.fc2.com/に「コロナ禍のなかで考えること」という記事を書きましたのでご参照ください。

■市民・野党共闘が大事

 旧法は民主党政権時代に作られました。このとき国会では民主党・公明党が賛成し、共産党・社会党が反対し、自民党は審議中に「緊急事態宣言を恣意的に行わない附帯決議」を付けさせながら採決では欠席しました。
 旧法に「新感染症」扱いで新型コロナを適用させることは可能なはずでしたが、安倍首相はかたくなに否定し、新法を作りました。対コロナ法は旧法2条の「新型インフルエンザ等」の定義を変更し、法の対象に新型コロナウイルス感染症を加えただけ、本文に変更なし、という「改正」です。
 対コロナ法は旧法と中身は同じなのに自民党は賛成に回り、共産党は前回と同じく反対。微妙だったのが立憲民主党と社民党です。コロナ禍への対処に反対とは言いにくいので賛成しましたが、党内では批判・造反もありました。
 安倍改憲反対で市民・野党共闘が大きく前進し、連立政権構想の協議まで始まっている中、すぐに東京都知事選というときに、対コロナ法がゆさぶりをかけたことになります。

■憲法改正の道ならしか

 対コロナ法が憲法に緊急事態条項を加える道ならしになることも警戒しなければなりません。対コロナ法の緊急事態宣言前でさえ首相の「要請」で学校が休校になりました。緊急事態宣言でもコロナ禍が収まらなければ、さらに厳しい規制が必要、という世論が形成されて改憲につながることを恐れます。
 自民党は2018年の憲法改正案4項目のひとつに緊急事態条項の新設を主張しています。大災害で国会が機能しなくなった事態では、選挙が行えなければ議員の任期を延長できる(同案  条の2)、内閣が政令で法律同様のルールを定めることができる(同  条の2)、という内容です。2012年の自民党憲法改正草案では、何人も緊急事態宣言下では国の指示に従わなければならない、という条項
(同草案  条3項)もありました。
 安倍首相は4月7日の衆院議院運営委員会で、「緊急時に国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えていくべきか。そのことを憲法にどう位置付けるかは極めて重く大切な課題だ」と述べた、と報道されています。便乗改憲策動ですね。
 コロナ禍は、あらためて世界をひとつにつなげました。かつて世界大恐慌のあと、日本は満州事変を起こし、ドイツではナチが台頭しました。国境の内外を通じて人々の連帯か反目か。権力迎合か監視か。それは私たちの危機の捉え方にかかっていると思います。(4月7日稿)

 

憲法を生かす税財政   
 ─岐路に立つ介護保険問題の本質は、公的責任の放棄、憲法 条の形骸化  浦野 広明  (立正大学法学部客員教授)

■国民生活を守る

 日銀「短観」(たんかん)は、日本銀行(日銀)が四半期ごとに調査して公表している統計調査である(正式名称は「全国企業短期経済観測調査」)。短観は、企業が自社の業況や経済環境の現状・先行きについてどう判断しているのかなど企業活動全般にわたる。
20年3月の「短観」では景況判断が、大企業も中堅企業も中小企業も、製造業も非製造業も、記録的な悪化を示した。要因は19年10月からの消費税増税、加えて、新型コロナウイルス(コロナ)の感染拡大である。消費税とコロナに苦しむ国民の暮らしと営業をしっかり守る対策と消費税を5%に減税する決断が求められる。

■農業と医療に力点を

 農業就業人口の42%が70歳以上になり、耕作放棄地が広がり、先進諸国で最低の食料自給率は38%へ低下している。農漁業の輸入依存が日本の農漁業に壊滅的打撃を与えている。農林漁業は国民に食料を供給し、国土や環境をまもる社会の基盤である。自然条件の制約を大きく受け、自然との共生・循環の中で営まれる産業である。先進諸国の多くは、市場まかせにせず、政府が手厚い保護を行っている。わが国でも本気で農産物の価格保障と所得補償をする。
 医療費は患者が受ける診察や検査(医療行為)の料金と医薬品代を合わせた合計額である。患者はそのうちの3割(小学生未満・70~75歳は原則負担2割、75歳以上〈一般的な所得者〉は1割)を医療機関の窓口で支払い、残りの7割は保険者(患者が加入している国民健康保険・全国健康保険協会・健康保険組合など)ら診療報酬として医療機関に支払われる。
 政府の医療制度改革は、患者の負担増と、医療を提供する医療機関への診療報酬のマイナスを基調にしている。遂には、患者は医者にかかれないか、かかるのを中断、医療機関は診療報酬の切り下げをされる。行く末は、病気の発見・治療の遅滞、患者の病状悪化、医療機関経営の悪化・赤字化、倒産である。
 患者負担解消、診療報酬プラス改定が求められる。

■消費税は借金増と福祉切り捨て

 自公政権が編成した20年度一般会計の予算総額は102兆円を超える。税収は63兆5130億円、国債費を除く支出は79兆3065億円である。国債費を除く支出が税収より15兆7935億円多く赤字である。赤字を穴埋めする新規国債(国の借金)発行額は32兆5562億円と税収入の51%を超える。借金があれば元利の支払が生ずる。国債の償還と利息の支払は「国債費」という歳出となる。予算の「国債費」は23兆3515円と税収の約37%を占める。この予算ではとても社会保障費に回す金など出ないし、コロナウイルス感染症対策などできるはずがない。
 実際にこの20年度予算は、高齢化などに伴う社会保障の増額分が厚生労働省の概算要求に比べ1189億円も減額、年金は年金給付額削減策(マクロ経済スライド)で減少、 歳以上の医療の2割負担導入、介護利用料負担増など、改悪が続く内容である。

■財源はある

 政治の中心課題は税の取り方と使い方である。憲法が要請する税の取り方は、応能負担原則にもとづく「総合累進課税」と税の使途は「すべての税は福祉社会保障目的税」である。
応能負担原則は、各人の能力に応じて税負担をするという考えで、憲法14条〔法の下の平等〕、25条〔生存権〕、29条〔財産権〕などを根拠とする。 例えば、所得課税の場合、高所得者には高い負担を低所得者には低い負担を求める。また、同じ所得でも、原則として、給与など勤労所得は担税力(税の負担能力)が低く、利子・配当・不動産などの資産所得は負担能力が高いとする。
 総合累進課税により以下の税収が可能となる(詳しくは日本民主法律家協会『法と民主主義』№546)。


(1)申告所得税   

 2017年分申告所得税額(国税庁発表)について1974年当時に適用されていた税率を適用すると新たに13兆3797 億円の税収が確保できる。

(2)源泉所得税
   2017年分源泉分離課税(国税庁発表)に1978年度の源泉分離課税(35%)を適用すると5兆5041億円の増収となる。

(3)相続税
   5億円超~100億円超の相続財産にについて1988年の相続税の最高税率を摘要すると、1兆11079億円の増収となる。

(4)法人税
   大企業優遇税制をなくし、法人税に所得税並みの超過累進税率を適用

すると、法人税の税収は13兆2873億円となる(17年度)。この年の実際の法人税収 兆9771億円であるから、約 兆3102億円の増収となる。(不公平な税制をただす会共同代表 菅隆徳税理士、『公平税制』19年10月15日)。
 所得税(相続税を含む)と法人税を総合累進課税にしただけでも 兆3019億円の財源が生まれる。 年度予算の消費税税収 兆7190億円がなくても十分な財源がある。


役所の方針に翻弄される学校現場
            コロナウィルス蔓延予防はできるの?     川崎せつ子
                
 2月末の夕方テレビニュースで突然安倍総理が言う。「3月2日から春休みまで学校休校に。」聞いている私は、「まさかすぐにはしないだろう1~2日の準備は必要だ」と思いつつ出勤したが、予想とは違って「今日(2月28 日)で3学期はおしまい、今度会う時は4月ね」で、学校は動いていた。これから3月の学習と1年間のまとめ、卒業式、入学式の練習、装飾の準備などやることは山ほどあるというのに。担当している低学年の教室では、子どもたちが算数や、工作など、4時間目までにやらなくてはいけないことに取り組んでいた。
 当日午後は6年生の卒業を祝う会が予定されていた。担任は実施できるか管理職に必死で確認していたと後で聞いた。高学年は2月までに学習した単元のテストなどに忙殺されていた。結果は6年生の保護者、職員たちの出席で子どもたちのいろいろな出し物を見ながら暖かい雰囲気の会が実施できた。
1年から5年の子どもたちは休み中にやる何枚もの学習プリントに習字セット、図工バッグ、教科書、上履き、何枚もの採点されたテスト、連絡の手紙 枚くらいと、引っ越しかと思うほどの荷物を持って下校していた。持ちきれない荷物は15日までに保護者引き取りを依頼する手紙も渡していた。教師たちは保護者がすぐわが子の荷物が分かるように、記名した児童の机上に荷物を整理して置くこともした。
3月2日からは児童のいない学校で教師たちは教室の片づけや、学年末の成績付けだ。算数、国語などの成績を付けるためにPCにむかって黙々と打ち込むのだが、普段職員室で長時間勢ぞろいするのは目にしないので、圧迫感があった。お茶を飲むのも忘れたように集中している姿にはエコノミー症候群になりはしないかと心配になるほどだった。学習事項ができたかどうかの評価と、文章での記述を40人近い児童数分出すのには完成までに2週間以上かかっているようだ。児童がいない分はかどるといった皮肉な面もあったが…。
 学校の近所の学童クラブには朝から来ている子どもがいた。普段から定員いっぱいの上、通常は午後から行くのに、休校となって朝から来るのだから職員の方の負担はどれほどか、かえってウィルスが広まるのでは、と心配だった。 近所の広めの公園は子どもたちの格好のあそび場になっているが、午後からの方がたくさん来ているように見えた。しかし高学年や中学生はほとんどが家でゲームと少し学習という話が多かった。給食もなくなって、子どもたちの食事も心配な一方、食材を納めてきた業者の苦境もすぐに聞こえてきた。私の職場で栄養士にきくと1カ月の食材費は約300万円ということだった。ほとんどが町の小売業者さんの売り上げがキャンセルになり、どんなに大変かと胸が痛んだ。
 学校によって指導内容は違っていたと思うが某中学校は「午後3時までは外出しないように」という指導だったと聞いた。これではゲーム漬けになるだろう。
 3月15日~31日から週2回、午前中のみだが校庭開放が実施されるようになった。天気も良く子どもたちがボールや、ジャングルジムなどで遊んでいる姿を見るのは本当にホッとするもので、見守り当番の教師だけでなく、自分が担任する子どもの姿を見つけると、にっこりして校庭に出る人もいて、普段いろいろ苦労はしていてもやっぱり教師を選んだ人だなあと思ったりした。16日は6年生の登校日で、健康チェックと学習物の提出、卒業式の練習。3月24日の修了式は運動場で勢ぞろいして実施でき、5、6年生は式後、たった1回の卒業式練習だ。
 25日の卒業式は全員マスク着用だが、証書授与は一人ずつ行われ、合唱は2曲に、5年生は来年のために是非この姿を見せたいとの校長の思いに皆賛成して出席させていた。例年よりは簡素、とはいえ花飾りやPTAの方の手づくり祝賀プレートは美しく飾られて、巣立ちを祝う会は盛会だったと思う。この間土、日の外出自粛が言われたので校庭開放はウィークデイのみとされ、広い校庭に桜の花だけが目立っていてもったいないと思った。
 学習保障はプリントなど配ったものの、「登校日なし」にされて各家庭におまかせとなった。家庭学習はなかなか厳しかったのでないか。
 4月になり始業式、入学式。準備は子ども抜きで、教師たちのみで懸命に行い、小学校は超短縮バージョンながら行われたが、中学校は前日 時頃に「延期の連絡」が来て苦労は水の泡に。子どもの居場所は感染防止に配慮して教室開放が4月15日~5月1日まで行われると知らされた。(仕事、病気・介護など真にやむを得ない事情の方、申し込み制、1年生は保護者の送迎付き)。
 しかしこれも自習用教材など持ってくることになっており、子どもにとって嬉しい場所になるか疑問だ。体育館、校庭の開放など、子どもが体を動かし、ストレス発散できる場所を作れないものかと思う。報道でも今や公然と言われているが、市民の暮らし(子どもの権利)が見えない政治家は、早急に退散してもらいたい。                  (小学校非常勤講師・石神井町九条の会会員)

 

「子ども脱被ばく裁判」 報告                  そらの ますみ
      
 皆さま 新型コロナ問題で 不自由な毎日ですが 2011・3・11 東日本大震災時に発生した「福島第一原発 爆発事故」は未だに収束しておらず 私たちは、あの当時発令された「原子力緊急事態宣言」下、もう9年、放射能でも内部被曝、外部被曝に晒されています。
 この3月4日、福島地裁で「第24回 子ども脱被ばく裁判」が行われました。
 私は、傍聴できなかったのですが報告集会で聞いた山下氏は、その裁きの場で、嘘八百を並べ、表情は生気がなく、まるで能面のよう。尋問に答える声は 消え入るようだったそうです。
 事故後、県内の心配する親たちを相手に講演した「ニコニコしている人に放射能は来ない」「洗濯ものは外に干して大丈夫」「子どもたちは外で遊んで問題ない」「水は安全」等々の言葉は、「リラックスして欲しかった」「自分の発言で結果的に『不快な思い』をさせたなら申し訳なかった」と自己弁護に終始。そして、とどのつまりの「覆水盆に帰らず」や「国民は国家に従え」の発言からも分かる通り、反省や謝罪の気持ちは全く感じられません。
 放射線の専門家、医学博士である山下氏の言葉を信じ 避難をせず、変わりない日常生活を送ることを選択した親たちは、子どもを被ばくさせた、守れなかったという自責の念と、子どもたちの目の前の健康被害と未来への不安を抱えることになったのです。
 チェルノブイリ事故報告書で、子供たちの甲状腺がんは放射能由来であること、将来にいたっても検査し続けなければならないこと、あらゆる疾病の多発の可能性があることなどを述べていた山下氏の、日本の子どもたちへの裏切りは断罪されなければなりません。

 そして この国の原発推進政策が、「命よりカネ」であり 未だに原発を「ベースロード電源」と位置づけていることに 強く抗議をし 被ばくした子どもたちへの責任の取り方を 厳しく問うていかなければならないと思います。        

子ども脱被ばく裁判とは

・福島で子育てをする方々が、国や福島市などに対して子どもたちに被曝の心配の無い環境で教育を受ける権利が保障されていることの確。
・「原発事故後、子どもたちに被ばくを避ける措置を怠り、無用な被ばくをさせた責任を追及する国や福島県に対して、その責任を問うべく、避難者を含む約200人の福島の親子が2014年~2015年に福島地裁に提訴した裁判で、2015年6月から裁判を開始。今回の山下俊一氏(福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)の証人尋問で実質終了し、判決は来年早期の予定です。どのような判決が下されるのか注目ですが、いずれにしても長い闘いになる事でしょう。
 この国の、棄民とも言える人権意識の欠如が子どもたちを不幸のどん底に陥れている事に、このような国を作ってきた一市民として本当に悔しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

「勇気を出して声を上げて良かった」

 昨年、愛知県で19歳の娘に幼少期から性的暴行を加え続けていた父親が、名古屋地裁で無罪となったことをはじめ、性犯罪に対する数件の無罪判決が出され、多くの女性が疑問を持ちました。日本の法律は「暴行・脅迫がなければ罪に問えない」ことになっており、多くの被害者が「抵抗しなかった」と判断されて敗訴とされたのです。
 しかし、名前を出して性被害を訴えた伊藤詩織さんの勇気に支えられた被害者たちが声を上げ、支援者とともにフラワーデモや#MeToo運動を起こし、広がっていきました。世論も被害者たちを擁護しました。その動きの中で、名古屋高裁は父親を有罪(懲役10年)としたのです。父親が最高裁に上告したとはいえ、高裁の判決は世論の勝利でした。力の弱い者でも手をつないで声を上げれば力になることをこの事件は示しているのです。
 スウェーデンやスペインでは「積極的肯定のない性交は犯罪」とする法改正を行いました。今、日本でも被害当事者らでつくる一般社団法人「Spring」は、意思に反した性交を処罰する「不同意性交罪」の新設を求め、4万5千人分の署名を法務省に提出しています。

被害女性の声から(抜粋)

 現在  歳になった被害女性は判決を受けてこのように述べています。
 「私は、実の父親からこのような被害を受けて、とても悔しい気持ちでいっぱいです。『逃げようと思えば逃げられたのではないか。もっと早くに助けを求めたらこんな思いを長い間しなくても良かったんじゃないか…』そう周りに言われもしたし、そのように思われていたのはわかっています。
 でも、どうしてもそれができなかった一番の理由は、幼少期に暴力を振るわれていたからです。
 『だれかに相談したい』、『やめてもらいたい』と考えるようになった時もありました。そのことを友達に相談して、友達に嫌われたら嫌だったし、警察に行くことで、弟たちがこの先苦労するのではないかと思うと、とても恐くて、じっと妙え続けるしかありませんでした。
 次第に私の感情もなくなって、まるで人形のようでした。
 被害を受けるたび、私は決まって泣きました。
 無罪判決が出た時には、取り乱しました。荒れまくりました。仕事にも行けなくなりました。今日の判決が出てやっと少しほっとした気持ちです。
 昨年、性犯罪についての無罪判決が全国で相次ぎ、#MeToo運動やフラワーデモが広がりました。それらの活動を見聞きすると、今回の私の訴えは、意味があったと思えています。
 私が訴え出て、行動に移すまでにいろいろな支援者につながりました。しかし、「本当にこんなことがあるの?」と信じてくれる人は少なかったです。失望しました。疑わず信じてほしかったです。
 支援者の皆さん、どうか子どもの言うことをまず100%信じて聞いてほしいのです。今日ここにつながるまでに、私は多くの傷つき体験を味わいました。信じて貰えないつらさです。子どもの訴えに静かに、真剣に耳を傾けてください。そうでないと、頑張って一歩踏みだしても、意味がなくなってしまいます。子どもの無力感をどうか救ってください」。
                                      (NHK NEWS WEBより抜粋)文責 小沼稜子

 

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