103 号 2022年6月発行

 

 

ウクライナ侵略戦争から考えたこと
                        大内 要三
 
 

 毎日、戦争の映像を見せられて、心が沈みます。なぜ 世紀にもなってこんなにレトロ風貌の戦争があり得るのか。なぜ国際人道法に違反して原発や市民を攻撃するのか。このままでは終戦に至っても平穏な生活は戻ってこないでしょう。
 ウクライナの事態は、ソ連邦崩壊後の経緯にたくさんの問題があるようにも思われますけれども、今回はロシアによる侵略戦争であることは明白なので、何よりもまず侵略戦争反対、即時停戦の国際的な声に和してロシアを包囲することが大事なのでしょう。
 ウクライナ侵略戦争全般についての私の見方は、練馬区内でも何度かの講演で述べていますので、ここでは講演ではあまり展開する余裕のないことを2点、述べます。

■民族対立を煽る人々

 私は大学では一応、西洋中世史の勉強をしました。編集者として世界史シリーズの本を8年間、担当しました。つくづく感じるのは、国境は動いてきた、人は入り交じってきた、ということです。東西北の全部を含めても米国とほぼ同じ面積しかないヨーロッパではとりわけ国境線の移動は激しくて、近代に入ってもポーランドのように消滅したり復活したり、ドイツのように150年で領土が半減したり、などの例はたくさんありました。アイルランド人はいま島に住んでいる人数より海外に流出した人数のほうが多い。当然、どこでも混血しますから、ヒトラーのアーリア人種至上説などというのもかなり無理がありました。
 だとしたら、まず国境については、国連秩序を守り武力による現状変更を許してはならないだろうと思います。そして国境を越えた連帯、地域的集団安全保障の枠組みを何重にも作ることが有益だと思います。この点で、2月21日の国連安保理事会でのケニア国連大使マーティン・キマニ氏の演説は感動的でした。
 「私たちの国境線は私たち自身が引いたものではありません。それらはロンドン、パリ、リスボンといった遠く離れた植民地宗主国の首都で、古い諸国家などまったく考慮せずに、それらを切り裂く形で引かれたのです。」「独立に際して、もし私たちがエスニシティー、人種、あるいは宗教面での同質性を基礎とする国家をめざすことを選んでいたとしたら、何十年も経った今も、血なまぐさい戦争を繰り広げていたことでしょう。」「その代わりに私たちは、受け継いだ国境線を受け入れることにするが、それでもなお、全大陸的な政治的・経済的・法的な統一をめざすことにしよう、と合意しました。」(『世界』臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」より、栗田禎子氏の紹介による)

■軍は民を守らない

 1963年のアフリカ統一機構、2002年のアフリカ連合はこうしてできたわけですね。
 ひとつの国の中での多文化の共存が大事でしょう。多数派の強制による統一や排除があってはならない。日本では、アイヌモシリや琉球王国を武力統一した歴史は消せませんが、言語・文化の継承を保障したり、大幅な自治を認めることが必要だったのではないでしょうか。現在の入管体制など、もってのほかです。
 多言語・多宗教が共存していたウクライナでは、2008年にロシア包囲のため米国が強引にNATO参加方針を誘導し、軍事援助を強化したことで、「民族対立」が先鋭化しました。そこにロシアが武力介入した。しかし純粋なロシア民族、純粋なウクライナ民族など、どこにどれだけあったでしょうか。成」と「どちらかといえば賛成」は計60%でした。
 しかし『防衛白書』が脅威のように書いている中国、朝鮮、ロシアの実情を見ると、日本を侵略しなければならない理由は何もありません。
 無人島を獲得するために全面戦争の愚行をする国はないでしょう。幸いに日本は島国であって地続きの国境はありませんし、日本に軍隊を着上陸させて占領するだけの軍事的能力があるのは米国だけ(兵を運ぶ揚陸艦や大型輸送機の数で分かります)、すでに米国は
地位協定で日本に治外法権を持っていますから、あえて攻撃する必要などない。
 台湾などで緊張が高まったときに中朝ロが自衛目的でまずミサイル攻撃の対象とするのは、中朝ロへの出撃拠点としての在日米軍基地、そして日米同盟のもと米軍とともに戦う自衛隊の基地でしょう。
だとしたら軍拡をして緊張を高めるのは愚の骨頂です。互いに「抑止力」を高めていたらきりもなく国民生活を犠牲にするだけです。しかも 世紀に新たに自衛隊基地を作って米軍と共同使用にしているのは、沖縄・奄美です。何度、沖縄を踏みつけにして「本土」を守ろうとするのか。
 そして、万一有事になったとき、自衛隊は「国」を守っても「民」を守らない。自衛隊は敵と戦うのに忙しいので、国民保護法では住民を避難させるのは自治体の役目になっています。自衛隊OBを迎えて避難計画を作っている自治体はまだ少数です。でも、どこに逃げればいいのでしょうか。
 「備えあれば憂いなし」は本当だろうか。安心は安全とは違った心理的なものです。冷静に安全保障を考えるなら、軍事同盟より信頼醸成、敵を作らない努力が大事だと思います。

2022年5・3集会特別アピール

  ロシアがウクライナに侵攻してから間もなく2カ月半になる。
 ウクライナでは500万におよぶひとびとが難民となって国をのがれ、それに倍する人びとが国内で戦火に追われて住む家を失って難民となり、数えきれない人々が殺され傷ついている。学校や病院、民間アパート、鉄道駅など非軍事の施設まで爆撃され、無差別に砲撃されている。原子力発電所も制圧された。ウクライナの肥沃で広大な畑や野原や林も焼け野原になった。これらはすべて「戦争」のなせる業だ。
 いま人々の「戦争やめろ」の声が、ウクライナから、プーチンのロシアから、東西ヨーロッパから、アジアから、アフリカから、中南米から、全世界から地鳴りのように聞こえてくる。「戦争反対」「侵略やめろ」「直ちに停戦!」の声が世界各地から上がっている。
爆弾と砲撃の轟音(ごうおん)の中で、日に日に高まるこの声こそが希望だ。平和を願う全世界の人々の切実な声こそが希望だ。この声は非道な戦争を進めるものの手をやがて縛りあげ、戦争を止めるだろう。
 この度のロシアのウクライナ侵攻は2度にわたる世界大戦を経て人類が獲得した国連憲章の「国際紛争を平和的に解決する原則」に反し、「武力による威嚇または武力の行使を禁止する国連憲章第1章2条4項に明白に反するものだ。
いかなる理由があれ、ロシアの今回の蛮行は許されない。ロシアはただちに軍事行動を停止し、撤退しなければならない。
 しかし、わたしたちはこの侵略戦争のさなかに、日本で惨事に便乗するがごとく、まことしやかに語られている暴論の数々を見逃すことはできない。「憲法9条は役に立たない」「日本も非核3原則を放棄して米国と核兵器を共有すべきだ」「軍事費を倍加しよう」「台湾有事に備えよう」「敵基地攻撃能力をもとう」「基地だけではなく敵の中枢も攻撃しよう」などなどの言説だ。
 憲法9条にもとづいた外交努力で近隣諸国との友好共存関係の積み上げを怠り、列強との軍事同盟や軍事協力を強化し、軍事力を強化して緊張を煽り立て、いたずらに他国を誹謗し、戦争の危機をあおり立てるこの道は、日本を際限のない軍拡競争にひきづりこみ、やがて壊滅的な戦争の勃発を招きかねないものだ。この道は日本がかつて歩んだ道だ。これこそがいまウクライナで起きている事態の教訓ではないか。
 本日、日本国憲法施行75周年にあたる5月3日、東京都防災公園に集まった私たち市民は、集会の総意において、平和を希求する全世界の民衆に連帯し、なかんずくウクライナとロシアの民衆に連帯して、ロシアの侵略戦争を直ちにやめよ、人を殺すな・即時停戦実現の声をあげる。そしてこれに便乗した日本政府の一切の軍拡策動に反対し、憲法9条を掲げ世界の市民とともに平和をつくり出す闘いに全力を挙げてとりくむことを、宣言する。
2022年5月3日
      改憲発議許さない!守ろう 平和といのちとくらし 2022年憲法大集会

 

幣原喜重郎が語った 日本国憲法─戦争放棄条項の誕生(平野文書より)

 


 今年は憲法施行 周年に当たります。ウクライナ戦争を利用して、改憲に持ち込もうとする動きがある今、憲法誕生の原点に立ち返ってみたいと思います。この記事は、憲法審査会資料『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について─平野三郎記』を抜粋したものです。

問(平野) 私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。
答(幣原) いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。
問(平野) そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。
答(幣原) それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。
 ここから問答は始まります。幣原元首相は「死中に活」をこのように語ります。
 「たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰すことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」。「僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす」。
 「世界平和を可能にするには、何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が国際的に統一された武力を所有して、世界警察としての行為を行う外はない。このことは理論的には昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移すときがきたと僕は信じた訳だ」。
 「若しも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起るだろう。軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る」。
 「自衛のためには力が必要だ。相手がやることは自分もやらねばならぬ。相手が持つものは自分も持たねばならぬ」。
 「果てしない堂々巡りである。誰にも手のつけられないどうしようもないことである。集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景 ― それが軍拡競争の果ての姿であろう」。
「もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。一、二、三の掛声もろとも凡ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
 「ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。
 僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な世論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした世論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によって我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ」。
 「幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼ら の心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった」。
 「この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。
元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか」。
 「好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある」。



沖縄本土復帰50年を迎えて    渡具知 和紀(沖縄国際大学3年生)

■本土復帰後の3つの大きな出来事

 沖縄は今年の5月 日に本土に復帰してから 年目を迎えます。 復帰前までは日本の主権が及ばないアメリカの統治下でしたが1972年5月 日に主権が回復しました。米軍に支配されることによっておこる、事件・事故は県民に大きな犠牲と不安を与えてきたからこそ、「基地のない平和な沖縄」を沖縄県民は強く望んでいました。 しかし、復帰後も日本にある米軍基地の パーセントが沖縄に集中することになり、引き続き県民は苦難の道を歩むことになりました。本土復帰後、米軍による事件、事故は数えられるだけでも約6千件にも及び、沖縄県の経済の発展を妨げてきました。
 辺野古新基地建設に関する出来事として簡単に取り上げるのであれば、まず1995年9月4日に、3人の米兵が 歳の少女を暴行するという痛ましい事件が起き、県内では米軍基地の返還・閉鎖を訴える運動が高まりました。
 そして、更に2004年8月 日に、普天間基地の米軍ヘリが私の通っている沖縄国際大学の構内に墜落し、炎上した出来事を通して、県民からは普天間基地の返還を求める声が高まるようになりました。
 最近は、2016年 月 日に、私の地元である名護市東海岸にオスプレイが墜落した重大事故が起きました。墜落現場は、民家が並ぶ集落から数百メートルしか離れておらず、もし、一歩間違えれば取り返しのつかない重大事故の可能性もありました。普天間基地所属のオスプレイが墜落したとされ、夜間の空中給油訓練中に事故が起きたとされています。 

■「基地のない平和な沖縄」を求める
 このように、沖縄県民は、様々な事件・事故が起きるたびに、基地の返還・撤去を求める声がたかまるようになりました。2019年には、辺野古米軍基地建設の為の埋め立ての賛否を問う県民投票が行われ、「県民の7割超が辺野古に基地を作る事は反対だ」という意志を示しました。しかし、県民が一生懸命「基地に対する反対の声」をあげているのにもかかわらず、今も、辺野古では着々と工事が進められ、政府は「早期の辺野古の埋め立て工事完了」と「普天間飛行場の返還を実現させる」という方針を発表したのです。このように、「基地のない平和な沖縄」を願って復帰した沖縄県民は、その後も「基地の島」の住民であることを強いられたのです。
  次に辺野古新基地建設の現在の状況をお話しします。大浦湾では今、県民の声を無視しながら、新基地の建設が進んでいます。
 大浦湾には、ジュゴンなど絶滅危惧種262種を含む、沢山の生物が生息する全国有数の地域なのです。こんなに豊かな地域なのに、基地建設が進められ、今もきっとジュゴンを初めとする、絶滅危惧種の生物たちが、「苦しい」「助けて」と叫んでいるのかもしれません。その叫び声を無視することこそが、「平和の島」なのでしょうか?基地がなぜ、沖縄だけに集中するの 大浦湾には、ジュゴンなど絶滅危惧種262種を含む、沢山の生物が生息する全国有数の地域なのです。こんなに豊かな地域なのに、基地建設が進められ、今もきっとジュゴンを初めとする、絶滅危惧種の生物たちが、「苦しい」「助けて」と叫んでいるのかもしれません。その叫び声を無視することこそが、「平和の島」なのでしょうか?基地がなぜ、沖縄だけに集中するのか?を考えた上で、反対する県民の声に耳を傾けて頂けたら嬉しいです。
豊かな海を守りたい、沖縄県民や県外の人たちへ思いを伝えたいその一心で私は幼いころから家族でピースキャンドルを行ってきました。ピースキャンドルは、私が2歳の時から、毎週土曜日の 時半から 時までの 分間、通り過ぎていく車に向かって、「大浦湾を守りましょう」と訴える活動です。
 その活動があるからこそ、自分の思いを伝え、そして行動することが大切なのだと感じるようになりました。今は、ピースキャンドルを1つの場所ではなく、普天間基地の近くでもやりたいと思っています。若者が気楽に自分の思いや意志を示すことができる機会を自ら積極的に作っていきながら、私の大好きな島を守っていきたいです。基地問題を解決したい、という思いは強くありますが、基地をとりまく若者の意識は複雑で
す。基地問題を口に出すことで友達関係が壊れることを恐れ、なかなか話題にだせないこ ともあります。全ての世代が手を取り合って乗り越えるために今の私にできること、これからやろうと思っていることを最後にお話ししたいと 思います。
 まず「平和ガイド」です。平和や命の大切さを周りに発信していこうと思います。
 そして、常に「正しい情報」を得るために、平和集会や基地問題について学ぶ勉強会に積極的に参加し、若者同士でも躊躇うことなく、自分の思いを伝えるようにしています。そして、「うむいパレット」という団体を立ち上げ、障がい者と健常者が一緒になって、沖縄の未来について考え行動する機会を増やそうと思っています。これで最後になりますが。みなさんにこの言葉を贈ります。

■「片手さーねー音ー出じらん」。

 これは、沖縄の言葉で、手が一つでは、拍手ができず音が出ないという意味です。1人で、社会を変えていくのには、やはり限界があります。だからこそ、周りにいる人たちと一緒に力を合わせて、社会を変えることが大事なのです。
 障害あるなしに関わらず、誰もが「幸せだ。」と思える世界を、皆さんと一緒なら創れると私は信じています。
一緒に頑張りましょう!
 (5月5日にオンラインで開催された「世界の子ども平和像 周年のつどい」で渡貝知さんが発言したものを中出がまとめました)

             

 「困ったときはお互い様」と練馬を走る 練馬あったかフードバンクスタッフ 高坂由紀恵

 コロナ禍で生活困窮者が増えているとの報道を受けて、女性有志で一昨年 月から無料の食料提供「練馬あったかフードバンク」を始めた。「困ったときはお互い様」がキャッチフレーズだ。今年4月までに 回開催し、のべ約1400人に提供している。多くの方の善意に支えられ、カンパや食品提供も相次ぎ、ほんとうにありがたい。
 食料が買えない人はほかの物も買えない。生理用品、赤ちゃん用紙おむつ、シャンプーなどのリクエストも多い。炊飯器がない人、うつ病で料理ができないという人には割高なパックご飯やレトルト食品を差し上げることになる。緊急事態に対する個別配達もおこなっている。ツイッターからは連日のようにSOSが届く。「2日間食べていない」「所持金5円」「おにぎりください」など悲痛な連絡に、まずは勇気をだして連絡してくれてありがとうという気持ちを伝える。誰だって、見ず知らずの人に食料をもらうのはハードルが高いのだ。やりとりの中で、見ず知らずだからこそ気楽なのか、身の上を話して(メール)くれる人も多い。親からの虐待やDV、職場でのパワハラ、性暴力被害などを体験している女性があまりに多いことに愕然とする。彼女らはあえて非正規の仕事を選ぶし、頼れる人がおらず、困窮しやすいのだ。ギリギリ生きてきた人がコロナで放り出された。
 また、生活保護利用者からは、とても「健康で文化的な最低限度の生活」を送れる保護費を得ていないことも語られる。福祉事務所の対応の冷たさを嘆く声を何度も聞いた。
 みんなが自公政治の犠牲者であることを痛感する。困窮者を支援するべきは国であり自治体のはずだ。岸田政権は「防衛費」の大増額をアメリカに約束した。5兆円増の財源は?消費税増税か社会保障の切り下げか?これ以上困窮を広げるつもりなのか。
 困窮とともに孤独も広がっているのを実感する。困ったら手を差し伸べる人は身近にいるのだよと伝えることが、新自由主義打破の一歩になる気がして、今日も電動自転車で練馬区内を走る。

 

 

ページトップへ