100 号 2021年12月発行

 

 

ねりま九条の会総会 小原隆治氏の記念講演より(抜粋)
市民と野党の共闘の成果に確信をもとう
 
 

 「市民と野党の共闘」という言葉に対して、表現の仕方を変えた方がいいのではないかなどの意見もありますが、私はこの言葉は変えずに使っていきたいと思っています。市民と野党の共闘はどうしてもやらなければならないものなのです。政権を変えないとどうしても実現できない政策、つまり雇用の問題、ジェンダーの問題、選択的別姓などは政権を変えないと実現できないのです。ですから政権交代を実現するために市民と野党が力を合わせるしかないのです。野党共闘は安保法制の闘いの中から生まれ、市民連合は接着剤の役割を果たしてきました。そして立憲民主党と日本共産党を基軸とした市民と野党の共闘が進められてきました。私たちには国会内共闘はできません。 国会の傍聴に行くくらいしかできないので、やはり野党に頑張ってもらうしかないのです。市民が野党と野党をつなぐ重要な接着剤の役割を担うしかないのです。私は東京8区と深く関わって、わかったことがあります。市民と野党の共闘で候補者を担ぎ出しましたが、野党共闘だけでは不可能だったと思うのです。
■野党は完敗したのか
 自民党は276から261に の議席を減らし、立憲民主は109から へ 議席減、共産党は から に2議席減らしています。与野党で 議席減らして維新が 議席伸ばしました。けれども新聞報道では「自民党が単独で過半数を維持した」という言い方をしていました。そして「案外自民党よくやった」と言い、「野党は完敗」という言い方をしていました。でも私はどうしても負けたとは思えないのです。
 自民党の候補と野党の候補に対して、優勢だった人数と接戦で際どい闘いをした人数を見ると、前回は接戦が  でしたが、今回は もありました。ここを野党が取っていれば政権交代とまでは行かなくても自民党の過半数割れもありえたのです。ですから完敗というわけではなくて、惜敗程度だったと思っています。
 局地的に見れば9区、及び8区は完全に勝ったということができます。そのせいで私は負けたという気持ちにはなれないでいます。
■情勢報道と戦略的投票行動
 今回の主要な新聞等は、選挙戦の前半では「自民党過半数割れの可能性」という情勢報道をしていました。しかし終盤になって、朝日は「自民党過半数」という予想を出しました。朝日は期日前投票所の出口調査で出てきたデータを元にしていたのです。私はそういう新聞報道のあり方は間違っていると思います。それは予想という枠を超えているからです。
 かつては各社とも、まず序盤報道をして、2回目に中盤報道を行っていたと思いますが、最近は1回でおしまいにしています。情勢分析報道が投票行動にあたえる影響が大きいので抑制しようということなのだと思いますが、私は市民として、賢い戦略的投票行動をするためには、情報がないと判断できないと思うのです。 戦略的投票行動とは「自分の選挙区での投票活動は、小選挙区でA党の候補、B党の候補、C党の候補がいた場合、事前の情勢分析によるとC候補は当選ラインにいるが、A候補やB候補には当選の確率はない。C候補はAとの差はないし、気に入らないこともあるけれども、B候補に比べてまだましなので〈鼻をつまんで〉投票をする。あるいは本当はAに入れたいのだけれども。ここはCをいれましょう」ということです。これには情勢分析報道がないとわからないではないですか。
■最近の情報分析報道
 以前は固定電話だけで情勢調査をしていましたが、固定電話を持っていて、しかも日中家にいるのは高齢者が多いので偏りが出てしまうので、最近は期日前投票の出口調査で行うことが多くなりました。こうすることによって精度がすごく上がっています。精度は高まっていますが、これでは結果を事前に知って投票行動をすることになります。
 こういう選挙のあり方でいいのかという疑問が生まれてきます。ですから期日前投票は、結果が事前にわからないように郵便にするとか電子投票にするとかした方ががいいのかもしれません。
■小選挙区制 M+1 の法則  
 政治学には「M+1 の法則」というものがあります。M=定数です。選挙区の定数が1のときは、A党、B党、C党の3つの党があるとすると、A党とB党で競り合ってどちらかが小選挙区を勝ち取る。C党には勝ち目はないので、C党は政策の近いB党と合併するという法則です。しかし、日本には比例代表もあり、小選挙区では第2党は勝ち目はないけれども、比例代表では第3党も第4党も残るということなので、M+1の法則が無効化されて、多党化の下での小選挙区制ということになっています。
 しかし、1人しか立たないで、与党共闘候補と野党共闘候補が一騎打ちになることはいくらでもあります。
 野党共闘に対して、「野合だ」という攻撃がありますが、では「与党は野合でないのか、自公は野合でないのか」と言うことはできると思います。公明党と自民党は、どちらかが立ったら、その候補を応援するという非常に親密な関係になっていることを示すデータがあります。それは政権を維持するためです。
■野党共闘はどのようにして可能か
 政党と政党が現段階で選挙協定を結んで289箇所でやるのは難しいと思います。政党と政党のつなぎとして市民が役割を担う、これまでも担ってきましたが、これからもその役割を担っていかなければならないと思うのです。
 市民連合は、多党制×小選挙区制という選挙体制の必然的な産物で、政党と政党をつなぐ使命を持っているわけです。市民連合には全国版の市民連合と地方版の市民連合があります。
 全国版は、4党と市民連合の政策を話し合って作り上げました。令和新選組は最終段階まで小選挙区で立候補するつもりでいましたが、記者会見をするときになって比例に回り、一本化をすることができました。
 地域版の場合には、地域によって温度差がありますが、野党4党と市民連合で政策協定を結ぶための準備をずっとしてきました。それも全面的に前に出して運動することが難しい状況の中で、全国版の動きがあったので、100%解禁になったという感じでした。というより、全国版が私たちのバックアップをしてくれたという感じでした。 政策協定を結びながら、政党と政党との間で最終的な候補者を誰にするかを決めるのが地域版の役割です。市民連合で何もかもできるわけではありませんが、政党に強く働きかけをするということはできるわけです。

 小選挙区制である限り、野党と市民が、特に地域で力を合わせて行く道しかありません。私は地域から主権者として行動していきたいと思います。明日の政治に向けて今から始めましょう。



ねりま九条の会第18回総会報告    ねりま九条の会事務局長 大柳武彦

 ねりま九条の会は、 月5日ここねりホールで第18回総会を開催、 名が参加し活発な討論を交わしました。記念講演は「ねりま9区みんなで選挙」通称「ねり9」の共同代表の小原隆治さん。今回の総選挙で練馬から2人の立憲野党の国会議員を送り出せたのは初めて。その力の根源はこの地域で市民が野党の接着剤の役割を果たし、しっかり共闘を組めたからと、選挙結果に確信を持とうと訴えられました(詳細は別掲)。
 ねりま九条の会も、統一候補、山岸一生、鈴木庸介さん支持を決定し、 駅頭で宣伝、チラシを配り、市民と野党の政策協定を宣伝してきましたが、いくらか投票率と若者の支持のアップに貢献出来たと思います。
 討論では、選挙活動は個人でやるべきで、ねりま九条の会としてはやるべきではないという意見が出ました。これに対して、九条の会の政党支持は自由であり、政権交代を目指し、市民と野党が政策協定を結び統一して候補者を立て、九条の会が支持することは、改憲阻止の立場から切迫しており、世話人会にも図り慎重に対応してきたこと、また「ねり9」に結集しながら、ねりま9条の会独自のチラシを配り、公職選挙法に抵触しないように、独自の行動を展開してきたことを説明し了解を得ました。
 コロナ禍でも、九条の会は志田陽子氏をお呼びして、100人以上の参加で、「希望は憲法 歌と映像とお話」で、憲法についてわかりやすく学ぶことができました。
 また地域の九条の会も、デモや中村哲さんのDVD「荒野に希望の灯をともす」の上映、入管法問題学習、「重要土地調査規制法」学習会、沖縄現地報告会など、上映会や講演会を活発に行動してきました。
 政治を地域から変えていくために、ねりま九条の会は練馬区議会開催に合わせて、コロナ対策、オリンピックへの小中学生動員反対、辺野古埋め立て土砂問題、重要土地調査規制法廃止、練馬区の自衛隊募集反対などの陳情と練馬区要請を行ってきました。
 総選挙の結果、岸田内閣は任期中の改憲を掲げ、公明、維新、国民民主も同調するなど3分の2以上が改憲勢力、安倍、菅以上に危険な状況になっています。これに対し、9条改憲  !全国市民アクションは新たな署名を呼びかけました。ねりま9条の会は「戦争法 ねりま集会実行委員会」の再開を呼びかけるなど、署名活動の先頭に立って学習、宣伝、地域に入って署名行動を行う方針を確認しました。
 来年は4月 日に練馬区長選挙と区議会補充選挙が行われます。前川区政は国や東京都の言いなり、しかも議員も職員も区民も見下した、独善的なトップダウンの行政を行っています。この区長選も市民と野党の統一を実現し、戦争は絶対にダメ、区民の声を聴き、一人一人が尊重される区政を実現するために勝利を目指します。さらに7月の参議院選挙も改憲勢力を3分の2以下にするために大切な選挙です。
 ねりま9条の会は、6月 日に練馬文化センターで大規模集会の開催を予定しています。講師は皆様の意見を聞きながら検討していきます。
 政治は眺めるものではなく、つくっていくもの。戦争だけは絶対にダメの声を広げ、九条の会員を千人に増やし、若者に引き継いでいくために、魂は燃やし続けることを確認しあいました。
 「戦争法 ねりま集会実行委員会」の再開を呼びかけるなど、署名活動の先頭に立って学習、宣伝、地域に入って署名行動を行う方針を確認しました。

参加者の感想から
・九条の会として、選挙に携わることについての質疑ですが、憲法を守る意味で、政権交代が必須。そのためには積極的な策が必要と思います。
・野党共闘に対するバッシングがひどいですが「この道しかない」と確信を持つことができました。


―西浦昭英さんの現地報告―
「沖縄の米軍基地 本土では知られていないこと」
                        小沢 秀子(向山九条の会会員)


  月 日、練馬から沖縄に移住して辺野古新基地の反対運動をしている西浦昭英(あきひで)さんの講演会が行なわれた。ドローンの映像と、パワーポイントを使って現在の基地反対運動の様子を紹介していただいた。
 プロフィールによると、西浦さんは、一般企業に就職後、教員免許を取得、都内の私立中高などで教員生活を 年送る。その間に学生・教職員を対象とした「沖縄平和の旅」を企画、 回で約250人を案内する。2019年、 歳で早期退職、その年の4月から沖縄県名護市に移住して、土砂投入が進む辺野古で基地反対運動に参加している。
 お話は、とても静かで淡々とした誇張のない、事実をありのままに伝えるという語り口だった。中で印象に残った二つの点を報告する。

■その1 非暴力の抵抗運動
 西浦さんが尊敬されている阿波根 昌鴻(あわごんしょうこう)さんという平和運動家を紹介された。
 すでに故人となられた阿波根昌鴻さんの家は、現在「反戦平和の家」という名の資料館となっていて、入口に「伊江島土地を守る会」の名前で掲示板が出ている。そこには「米軍と話をする時はなるべく大勢の中で何も手にもたないで座って話をすること、耳より上に手をあげないこと」で始まる6条の陳情規定が書かれている。
 また聖書の言葉に合わせて「すべて剣をとるものは剣で滅ぶ。基地を持つものは基地で滅ぶ」と説く。キング牧師やガンジーにも通じる非暴力の精神が、陳情の具体的な行動の仕方として示されている。
 沖縄で行われている抵抗の方法はまさに非暴力である。
 かつては貴重な動植物の宝庫で美しい海だった辺野古の海、そこに今は毎日土砂が投げ込まれる。土砂は、山を削って4,5隻の船と1500台のダンプで運ばれ、投げ込まれる。
 船の通路にはフロートが設けてあり、船が通るときにそれを開けるが、その時にロープにしがみついて開けさせないようにする。陸では、ダンプの通り路をビートルズの「アビーロード」よろしくのろのろ歩きで邪魔をする。徹底した非暴力の抵抗で、基地ができるのを少しでも遅らせようとしているのだ。

■その2 沖縄差別の歴史
 ご存知のように、日本全体の 
%の狭い沖縄の島に、米軍基地の  4%が置かれている。沖縄に住む人の基地負担は、本土のそれと比べて231倍になる、と西浦さんは計算する。これは明らかに差別ではないかと西浦さんはいう。
平良修牧師は、これを「嫌なものは、より弱く、小さく、人の少ない場所に押し付ける、差別の構造がある」と言っている。核廃棄物、原子力発電所などを地方に置くのと同じ差別行為ではないか、という。
背後には歴史がある。
 1947年9月に出された昭和天皇のメッセージは、「米国が沖縄を軍事占領し続けることを希望し、日本に主権を残存させた形で、長期( 年― 年)に渡って貸与(租借)すべき」というものであった。また1953年 月 日に昭和天皇に拝謁した宮内庁長官の記録には、「全体のためにこれがいいとわかれば、一部の犠牲は止むを得ぬと考えること」といわれたとある。
 辺野古には活断層があり、軟弱地盤で基地はできないという専門家の調査がある。それでも安倍政権以降「辺野古が唯一」という考えで統一されている。差別意識が、受け継がれていると言わざるを得ない。

■沖縄の運動を応援したい
 講演会には 名の方が参加され、アンケートには「沖縄に対する歴史的いじめを打破するために日本国民全部でがんばらなければならない。」「マスコミももっと伝えるべき」「沖縄に行って運動に参加したい」などという声があった。 向山九条の会ではこうした声にこたえて、西浦さんから学ぶ会を継続したいと考えている。西浦さんというまたとない先達に恵まれた機会を活かして沖縄の運動を応援したい。

 

学習会「入管法改悪案とは何か?」の講座に参加して    
                     かまた百合子(谷原台9条の会)


  月 日、講師に高橋済弁護士を迎えて男女共同参画センター・えーるで開催された〈入管法を一から学ぶ〉集いに参加しました。入管は、なぜ外国人にひどい仕打ちをするのか? 知らなければ学ぼう、知ったら声を上げ伝えていこうと思い、報告としてまとめました。
■入管法(出入国管理及び難民認定法)ってどんな法律?
3月6日に名古屋の収容施設でスリランカ女性が医療を受けられず死亡した事件が起き、それを機に入管組織の問題性が表面化しました。入管の外国人収容施設では2007年以降 人が死亡しており、国連から何度も是正勧告を受けるなど、非人道的な対応が行われています。
戦前、入管は特高警察が実務を担っていました。この特高警察的な入管制度が戦後から今日に至ってい
ます。入管収容施設は刑務所と同じつくりで、狭い部屋に言葉も文化も全然違う人が団体生活を強いられています。拘束が長期にわたる人も多く無期限の人もいます。
入管法は、外国人の入国(上陸)・在留・出国の「管理法」「支配法」の側面があり、外国人の人権・尊厳を守る「権利法(権利基本法)」でも「共生法」でもありません。
■「外国人」とは?
日本の戸籍があるかないかが判断基準。日本に住んでいても外国籍だと外国人扱いになる。
※私たちには、「外国人」「日本人」の「人」を個としてではなく「集団・属性」で判断する傾向があり、見た目や民族、生活地域などへの偏見・差別が心の中深くに存在するのではないか。
※私たちには、「外国人」「日本人」の「人」を個としてではなく「集団・属性」で判断する傾向があり、見た目や民族、生活地域などへの偏見・差別が心の中深くに存在するのではないか。

■在留資格とは何か?
在留資格を表す「在留カード」があり、大きく2つに分類される。
① 日本人の配偶者等がいる、あるいは永住者や定住者。
② 就労系ビザ(技術・人文知識・
国際業務などの在留資格がある)や留学ビザを有す。
※両親に在留資格がないと、日本で生まれ生後 日でオーバーステイになってしまう。教育無償化も受けられない。子どもでも大人でも病気になった場合に診療してくれる病院がない。
 犯罪者でもなく帰国できない事情があるのにビザの失効などでオーバーステイ(不法滞在)となった外国人は裁判を受けることなく収容される。判断は入管が行う。「全件収容主義」が根本に。
 バイデン大統領が、「文書」がないことで在留資格がないとされる人を「違法・不法」とせず、「Undocumented(文書がない人)」
と表現し、国連でこの表現を使用することになった。
※家族などの関係から「在留特別許可」の取得で救われるケースがある。ごく少数。
■「難民」とは?
 帰国すれば命の危機がある人を人道上保護しなくてはならない。しかし日本は、難民条約を批准していながら、難民をほとんど受け入れていない。ミャンマーからの難民は保護されていなかった。飛行機で日本に来た、ぼろを着ていない身なりだ、などの偏見が強く、難民申請中に働かないと暮らせないのに、「偽装難民」と報道するメディアもある。難民申請を複数回せざるを得ない場合も濫用と決めつる。け

参加者からの発言の一部をご紹介します。
・入管の運用は、日本国憲法 条や 条に照らして違憲ではないか。人種が違っても適用されると思う。

・肌の色、言葉が違う人と接することがある場合、差別意識はないか?と自分に問いかける。国籍・ルーツが多様になっていて、差別が子どもたちにもある。まず大人が直していかなければと思う。

・根底にあるのは、政府・財界が
外国人労働者を「安上がり」な「雇用調整」の存在として扱い、外国人の人権を尊重するという考えがないこと。外国人受け入れのあり方を含め、入館制度を抜本的に正していくことが必要。

 

 

 


◆統一協会と自民党の共通点─個より家族を重視

 7月8日に、旧統一協会に家庭を崩壊されたことを恨む山上徹也容疑者によって、安倍元総理が殺害され、安倍元首相をはじめ、多くの自民党議員が旧統一協会に関係していたことが明らかになりました。と同時に、自民党の政策と旧統一協会の教義の共通点も明らかになりました。
 「国際勝共連合」は、共産党を潰すことを目的とする旧統一協会のもう一つの顔ですが、ここでも「個」を否定し、社会の最小単位は「家族」であるとしています。つまり「個より家族の尊重」は旧統一協会の教義そのものなのです。その中で女性性と男性性の違いを強調する協会の教義と、「家庭が壊れる」として「選択的夫婦別姓」に強固に反対し、「3歳までは、子どもはお母さんが育てるのがよい」と福祉を放棄するようなことを言ってきた安倍政権の「ジェンダー政策」は、同じ方向性を持つものとを言わざる得ません
 また、2004年の「憲法 条を個から家族尊重に見直す」等の安倍元首相発言や、LGBTQへの偏見、そして女性差別撤廃条約の実効性を高めるための「選択議定書」の批准拒否なども、旧統一協会との合致点と見るべきではないかと思います。
 日本の今年度のジェンダギャップ指数が146ヵ国中116位と、世界最低レベルであるのも、他国がジェンダー平等に取り組んできた時間を、安倍元首相などの圧力によって、実現できなかった結果と言えると思います 。
 旧統一協会の現代表である韓鶴子氏は、「宗教は政治と結びつかなくてはいけない」と述べていると聞きます。その言葉通り、旧統一協会と結びついて、広告塔の役割を果たしたり、選挙の支援を受けていた自民党国会議員は半数以上にのぼり、その癒着ぶりは底なしの様相を見せています。岸田首相は、「今後は縁を切っていきます」と述べていますが、長い間統一教会の方針を実施してきた自民党政権に、果たしてその関係を払拭することはできるのでしょうか。

◆家父長制と新自由主義

 また、明治以来の家父長制の考え方を利用して、社会に自己責任の風潮をはびこらせ、育児や介護を家族に押し付けて、社会保障を圧縮しながら、女性の賃金を削減する、そのことによってグローバルな競争力をつけることを狙ってきたのが自民党政権であり、安倍元首相はその考えを急速に進めた人物ではないかと思うのです。
 私たちは、古い家父長制と、新自由主義とが結びついていることも見逃してはならないと思います。
 統一協会による合同結婚式で韓国人男性と結婚した女性を追跡調査した中西尋子さんは、彼女たちには、「親の姿を見て育ったために現実の結婚に夢や希望を持てないでいた」という共通点がある。しかし、入信した彼女たちは、「世界平和を実現するために神の子を産む」という教義に希望を見出し、現実は悲惨な生活であるにもかかわらず、神の子を産むための結婚に意義を感じていると言います。
 家庭が崩壊するまで献金を続ける女性たちもまた、家父長制を引きずる社会や生活への絶望や、明日への希望の持てない不安に苦しむ人たちなのだと思います。そういった不安を利用して文鮮明夫妻を「真の父母様」と呼ばせつつ、金稼ぎをしてきたカルト集団である旧統一協会。それを利用しながら議席を増やしてきた自民党もまた、天皇を頂点に置く家父長制社会を憲法草案に書き込む。私には、旧統一協会と自民党は、根っこで繋がった双子の兄弟のように思えてならないのです。

 

 


「改憲NO!私たちの課題」山岸一生さんとの対話集会   
                   
大槻 孝一(大泉学園町九条の会会員)

 9月24日大泉北地域集会所で、山岸一生衆議院議員の国会報告と対話集会を開催しました。主催は大泉学園町九条の会で、区議2名を含む20名の参加でした。

◆山岸さんの話
◆安倍元首相に対する国葬について 
国葬は思想信条の自由を土足で踏みにじる憲法違反、私は参加しない。民間人数千人に招待状を送り付け、態度表明を求め、踏み絵にしているのが許せない。
◆憲法との関わり
 憲法とのかかわりは中学の時、横田基地のフィールドワークに行き、平和憲法の話をされた。その先生が定年退職の時「諸君に2つ言いたい、一つ多国籍企業を監視せよ、二つ日本国憲法を死守せよ」強いメッセージで、憲法の大切さを訴えられた。もう一つは沖縄での記者体験、翁長知事は、沖縄には憲法が適用されていない、平和主義も地方自治も適用されず、基地負担が多いのは、背に日本政府の影があると述べられたこと。安倍政権で政治劣化が進み、憲法生かす政治の実現のため、新聞記者をやめて参議院選挙に出た。その時、国民の目をそらすために改憲を強行するかもしれない。改憲の声を上げる必要がある。
◆改憲へ向かう憲法審査会
  今回の選挙の結果、改憲の動きが強まった。これまで年3、4回の憲法審査会が、半年間で 回も開き、立憲民主が負けたことで、野党がバラバラになり改憲審議に前向きになっている、議論はよいことと回を重ねると、条項の審議に入っていき、次のステージに向かう。要注意です。しかし、いま政治に求められているのは改憲ではない、物価高、円安、生活不安。3年間選挙はない、しかし、追い込まれると国会解散があるかもしれない。その時、国民の目をそらすために改憲を強行するかもしれない。改憲 の声を上げる必要がある。

◆質問に答えた山岸さんの話   
 ◆自衛隊の自殺、セクハラ、パワハラについて
 「自衛隊の自殺、セクハラ、パワハラと、ひどい実態だ、表に出ないが、明らかにしてもらいたい」。これに対し山岸さんは「若い女性のセクハラ事件を国会で聞いたが、聞くに堪えなかった。内部監察では握りつぶされる。駐屯地や、船の上は隔絶された空間で、秘密主義がはびこる。所得の低い中学、高校生を好条件で自衛隊に入れても、パワハラ、セクハラでは心身ともに良く働けない、オープンにすべきだ。」と批判。
◆重要土地調査規制法について
 重要土地調査規制法についての質問に、「所属する内閣委員会で対馬を調査した。立法原因説明では 年前に韓国人が自衛隊基地の周辺を買いあさり、四六時中監視してる、ということだったが、2.3軒の民宿があるだけで拍子抜け、自民党議員も「違うな」とこぼしていた。捻じ曲げた理由だった。練馬には朝霞、北町の自衛隊基地が2つあり、 月に監視対象かが決まる。私有地でのデモ活動は問題ないというが、それなら公有地はどうなるかの質問には答えない。何しろ住民に知らせないで進めることが問題、線引き対象をしっかりさせる必要がある。
◆憲法問題への姿勢
 「立憲は憲法問題への姿勢と行動が弱いのでは」との質問に、山岸さんは、市民運動で勇気づけてほしい、叱咤激励が必要と訴えました。
 参加者からは、リアルな国会の話が聞けて良かった。私たちの要求を知ってもらい、野党共闘を押し上げるためにも、こうした会は必要という意見が出されました。山岸さんからもこうした企画はうれしい、皆さんの要望や、ご意見、𠮟咤を力に、議会で活動できますとの話がありました。
 後半は、新座・埼玉で活躍する「沖縄バンド なんくるないさあず」の軽快な演奏で、元気に会を締めました。
   

私の叔父の戦争
    
―「平和のための戦争展 練馬」に参加してー 吉田 きみ子(桜台九条の会会員)

 叔父は1925年生まれで1944年の4月徴兵検査を受け第一乙種合格となり学徒動員、鋳物工場でのアルミニュウムの計器製作に従事し 月に召集された。
◆村瀬守保写真展
  月に転属命令が出て博多に向け出発、博多から輸送船で釜山に到着。中国北部への派遣命令が出る。臨汾県の城内に大隊本部が設置され部隊編成が行われる。「足に自信があり地理に詳しい者は申告せよ」と言われ、叔父は手をあげる。本部付連絡班に編入されると、最初の仕事が地図の作成であった。万歩計を持ち村の位置と数、一村の家数と家族構成など調べていた時、直属の上官である伍長と上等兵の軍紀違反が発覚し参謀主任に連帯責任だと叔父もなぐられ、前歯が2本折れ奥歯もグラグラになった。
 村瀬守保の写真に〈慰安所規定〉というのがある。説明には「軍直属の慰安所にあきたらない兵隊は、裏町の私設慰安所を訪れます。戦争で生きる術を失った女性たちが子どもたちや家族を養うために、日本軍の兵隊を相手にしていました」と書いてある。上官の伍長と上等兵は仕事中にそのような慰安所を訪れていたのである、仕事は叔父一人に押し付けて。その後、伍長は地雷で一瞬に姿が消え後には何も残らなかったそうだ。5mほど後を歩いていた叔父はその瞬間伏せ、足に軽傷で済んだ。
 〈若者の運命は〉「不敵な面構えの若者がスパイとして捕らえられたが、恐らく生きて帰れなかったでしょう」という写真も印象に残っている。
 叔父はその後、食料輸送中に地雷を避けようとして谷底にトラックごと転落、運転手は即死、叔父は近くの村まで歩き、顔見知りの村人に手当してもらう。大隊本部への連絡も頼み、亡くなった運転手の埋葬を頼むと、彼は丁寧に葬ってくれ墓標も立ててくれた。村人が親切なことに驚く。日本に侵略され、少しでも疑わしいと残酷にも殺されるような状況でも、叔父に好意を持って接してくれる人がいたのだ。叔父は連絡班に居て残酷な場に居合わすことを免れたことも幸いであった。仕事上、村の人々と接触することが多かったので村の人達も叔父を信頼してくれたようだ。
◆戦争は終わったけれど
 転落事故以降、叔父は頭痛に悩まされるが、ある時40℃の発熱を起こし右肺浸潤の診断で入院することになる。そして昭和20年8月15日終戦を迎える。叔父は無事に東京の家に帰ることができた。しかし、頭痛はその後ますますひどくなり、あちこちの病院で調べるが、最終的に多発性硬化症と診断される。発作が起きると3日で治まるが検査のため約1ヶ月の入院が度々であった。赤紙1枚で戦争に行き、貰ったものは一生続く病気だった。家族の一時の悲しみは別として死んでいた方が幸せだったか、生きてこの苦しみを続けて行く方が幸せか、神のみが知るだろうと記している。
 叔父は約一年間の戦争体験をこれからの人達に語り継がなければならない、苦しみを理解してもらえるかと迷いながらも70歳の時に、『山の彼方の空遠く』と題して、戦争を知らない私たちに、戦争体験とその後の人生を書いてくれた。そのことを、叔父が生きているうちに感謝したかったと、今になって申し訳なく思う。

 

植野妙実子さんの講演を聞いて      田中康二(谷原台九条の会会員) 

 9月18日谷原台九条の会で主催しましたが、出席者から好評を得て無事終了しました。憲法学者でもあり、女性の目線からわかりやすく具体的な話がきけたことが良かったと思います。
 まず、日本国憲法前文の恒久平和主義の確認があり、憲法九条に触れ、戦力の不保持、交戦権の否認から、抑止力論の否定を強調されていました。ロシアのウクライナ侵攻により、国は戦力増強を当然のごとく考えている昨今において、抑止力論の否定の意義は大きいと思います。
 次に立憲主義の尊重として、「憲法を尊重すべき大臣や議員が憲法改正の旗振りを熱心にしていることに対して、立憲主義の基本が忘れられている」と述べていました。また、憲法13条の個人の尊重の箇所では、過去30年の間、若者の「自己肯定観」を持つ人が %ということを聞き、驚きました。我々年配者として文字通り政治の貧困を痛切に感じてやみません。長い人生、将来に希望も夢も持てない若者たちの苦悩を思ったとき、何をなすべきかと思わざるを得ません。
 終わりに、この稿で特に話しておきたいことは、講演後に質問形式での討論会がおこなわれましたが、学校給食の無償化(葛飾区は来春より実施する)の問題、練馬区美術館再整備基本構想「素案」の問題、練馬区内における若者の生活苦を援助するフードバンクの問題等が話し合われましたが、ねりま九条の会のスタンスとして、より一層の討論と具体化することの必要性が不可欠と思います。今年は練馬区長選の惜敗がありましたが、最近では岸本総子杉並区長の出現を考えたとき、日本社会にも改革のための大きなうねりが来ていることを予感します。
 かって東西ドイツが統合したきっかけは、東ドイツのわずか数人の若者が立ち上がり、そして多くの市民が支援をして最終的に1989年、数十万人の市民がベルリンの壁を崩壊させたと言います。我々の責任の重さを感じます。
     

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