97号 2021年6月発行

 

新型コロナの今と憲法愚考       大泉生協病院 院長     齋藤文洋

 

  私がこの練馬九条の会にこのような拙文を寄せて良いものか。悩みましたが、多方面から書くようにとのことでしたので恥ずかしながら筆をとらせていただきました。 さて、2019年 月に中国武漢から起こった新型コロナウイルス感染症は2021年1月には日本に上陸、あれよあれよと言う間に日本を席巻し、第1波から第4波まで、未曾有(これを「みぞゆう」と読んだ人が依然副首相として日本の政治を担う日本ですから、政府の実力やおして知るべきですが…)の災害が起きている状況です。 そして、我々医療従事者は、目の前に立ちはだかる「感染症」という現実と否が応でも向き合わざるを得ない1年余りでした。これは政策云々以前の問題で、命と直結するような事態には我々は居ても立ってもいられない人種なのです。そして、この奉仕の性格が逆手に取られた、と言っても良い状況に陥りました。 昨年5月の頃には日本のほぼ全ての病院が経営的には破産寸前に追い込まれていたのです。そこで私は思い切って自院の状況を公表しました。その後多くの人たちの賛同もあり、社会全体の波となり、それなりの補償を導き出し、医療機関の多くがギリギリのところで首がつながった状態になりました。

  そうは言っても綱渡りは続いています。医療の報酬に関わる制度の本質的欠陥が明白になったのです。さらに新型コロナ患者を診る急性期病床の圧倒的不足も明白でした。ここでも日本の医療政策のつけを払わされたのが医療従事者です。働き方改革と銘打って、一昨年から進められている政策はこの矛盾をさらに大きくする方向に進んでおり、これだけ足りないことを目の当たりにしてなお、急性病床を削減し、さらには一定の条件下であるにしても過労死水準の2倍の労働時間を容認すると言う愚策が先日国会を通過しました。 医療従事者は人としてすら扱って貰えないのです。まさにチャップリンのモダン・タイムズが現実化しています。まあ中には「医者は労働者ではない」と馬鹿げた論理を真面目に言う識者たちもいるのでこんなものなのでしょうか。

  ■ワクチン接種も加わる! 

 新型コロナワクチン接種に至ってはさらに混乱の極みです。練馬区では医師会と区が一丸となって昨年 月から策を練ってきました。昨年 月、政府からは2ヶ月で 歳以上の方全員にワクチンを接種せよとの至上命令が発出されていました。練馬区の 歳以上人口は 万人、国内で承認されるワクチンは2回接種が必要ですから 万回の接種=注射回数になります。約 日で終わるには、単純計算で毎日毎日、1日5000人以上に接種をしないといけません。安全にそして感染対策もしながらこれだけの人数に接種するにはいったい何人のスタッフとどれだけの広さの会場が必要か?候補施設を見学したり医師会の先生方に協力の可能性を尋ねたりしましたが、当初から予定されていた集団接種だけではどうしても乗り切れないことがわかり生まれたのが、かの有名な「練馬区モデル」。勿論、誰も経験したこともない事業ですから完璧にはいきません。しかしこれに茶々を入れたのが国の主導する大規模集団接種。 そもそも今回のワクチンは国主導でと言う意見はあったにも関わらず、実施主体は市区町村で、都道府県や国は与りしらぬの一点張りであったものがいきなりでしゃばってきたのです。各自治体は、それぞれの状況に則した方法を考えてきたのがオジャン。練馬区も全くゼロではないにしろそこそこの被害を被りました。それでも半年かけて作り上げた練馬区モデルはこの混乱をなんとか乗り切れそうです。できるなら初めからやってほしい。後手後手の政策に振り回されるのはもう沢山です。

 ■オリンピックなんてとんでもない 

それにしてもこの混乱の中でどうやってオリンピックを行うのでしょう。もう2ヶ月前だと言うのに選手団は日本に来て調整することもできず、どのように安全に開催するのかと言う指針もだせず、各国メディアや有名医学雑誌からはその無謀を揶揄されている状況です。そんな中、毎日放映される聖火リレー。いつも予定を変更して地域を限定して、こじんまりと行われています。オリンピック開催が難しいことを訴えているようなその報道が痛々しく感じてしまいます。 さらに緊急事態宣言なるトボケタた政策も如何せんです。この宣言が既に形骸化しているのは周知の事実です。特に東京では誰も真に受けて いないでしょう。さらには各自治体が「宣言して!」と訴えると政府が「ならば許す」とばかりに宣言を出 す。一体何をしているのか 荒唐無稽。実を伴わぬ宣言 は有害でしかありません。 それでも日本人は真面目 で宣言下で出される行政の 指示に従います。この構図 と緊急事態宣言の本質には 警戒が必要です。 この混乱に乗じて憲法を 改正(?)に持っていこ うという動きが活発化して います。 日本国憲法は確かに原文は英語ですが、民主主義の根本と人類の叡智を極めた世界に冠たる憲法です。基 本的人権、国民主権、そして平和を追求した世界の頂点に立つ、謂わば 聖典です。ここに緊急事態条項という憲法の3原則を全てゼロにして専制君主性の復活を可能とする、まさに人類の歴史に逆行する変更を加えようと言うのです。そのようなことですから憲法九条の歪曲など言わずもがなです。それでも日本人は憲法がもしそのように変わっていれば、それに従ってしまう人が大半でしょう。 我々は弱いのです。だからこそ、憲法は我々国民を守るための要として、凛として存在しなければいけま せん。政府の意のままになるパンフレットの如き軽いものではないのです。 今の日本は時代の大きな分かれ目にいるように思います。これからの世代に、生きる価値のある時代を繋いでいけるのか?この重大な時代を眼を曇らせることなく、現実を凝視し、熟考し生き抜きたいものです。


自己負担2割化をねらう後期高齢者医療制度「改革」によせて 

                       全国老人福祉問題研究会練馬支部   新井幸恵

 ■高齢者の受診抑制を狙う自公政権

  高齢者をめぐる医療保険制度は、その誕生の国民皆保険制度(1961年)から、老人医療費無料化 (1973年、いわゆる福祉元年)を経て、再び「老人保健法」(1982年)による自己負担が導入されました。同様に今回の後期高齢者医療制度(2008年は 歳以上の高齢者を対象とした独立した医療制度としてスタートし、高い保険料を徴収されながら一部負担が導入されました。財源は公費5割、現役世代が負担する支援金4割、1割が 歳以上の保険料です。窓口負担は原則1割(「現役並み」所得者は3割)で、このたび負担割合を2割に引き上げました。これは更に介護保険利用料の2割負担化に道を開くものとして、反対の声が沸き起こっています。75 歳以上の高齢者は、主に年金に依存している世代で、2021年度平均月額は国民年金の6万5075円、厚生年金(夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額)22 万406円で低年金者も多い層です。にもかかわらず、老いる過程として当然ながら心身の不調を生み、多科に渡る医療費がかかる世代でこれ以上の負担は受診抑制につながり、命を奪う改悪でした。とりわけ低所得と孤立はこれらに拍車をかけています。

■支援が必要な高齢者のこころとからだ 

 高齢者は若年者と違い危険な状態にあっても症状が発現しにくく、かつ急速に重篤化します。受診抑制が高齢者を医療から遠ざけ、「風邪くらいなら」と売薬で我慢するうちに肺炎になり、急速な変化により命を奪われたり要介護状態に進行し、一層の医療費や介護費用の増加を招きます。 練馬の高齢者(65 歳以上人口16 万 1000人)ではひとり暮らしの方が5万4000人(高齢者の 33.3%)、高齢者夫婦世帯が5万8000人(同35.9 %)を占め、社会的孤立、フレイルなどによる要介護度の進行が懸念されています(「練馬区高齢者基礎調査」2020年)。ましてコロナ禍で、外出できない事や介護保険サービスを自粛させられていることなどから、高齢期者の心身の変化は命を奪う程に厳しい状態であることが、ケアマネジャーらによる調査でもわかっています。(「練馬区通所サービス調査報告書~新型コロナウイルス感染拡大による影響調査」2021年3月)

 ■菅原一秀もメンバーだった

 「全世代型社会保障改革」検討会議 私の若いころ1980年代、厚生省の研修会で驚いたことがありました。憲法 条がありながらも「これからは高齢者の分野は数兆円規模のシルバービジネスチャンスの到来、そのためには公的保障の削減が必要」と講義されました。第2次臨調行革による老人保健法制定(再び高齢者への自己負担導入)の時期でした。 政府は「全世代型社会保障改革」へ至る道を、財界の要求に添って半世紀以上をかけて準備し、高齢者の医療・保健・薬業や介護の分野を「シルバー産業」の草刈り場として道を開いてきました。 その延長線上にあるのがこのたびの「医療保険制度改革関連法案」(以下法案)です。若い世代の負担を減らすとした「全世代型社会保障改革」検討会議(2019年9月の第1回のみ、菅原一秀氏が失職前の経済産業大臣として出席)は昨年12 月に方針を出し閣議決定、法案の下地を作りました。菅原氏をはじめとして会議の構成メンバーを見ると、社会保障の議論は専門家を抱える厚労省を越えて、内閣・財務省・経産省・S0MP0ホールディングス社長など政財界の重要な関心事となっています。ここではキーワードとして、「持続可能性をめざし給付と負担の見直し」が挙げられています。こうして「全世代型社会保障改革の方針」では、菅内閣がかかげる「自助・共助・公助」「絆」を確認し、団塊の世代が後期高齢者になり始める2022 ・公助」「絆」を確認し、団塊の世代が後期高齢者になり始める2022年に向け、「負担能力に応じた拠出」を求めています。政府は現役世代の負担軽減と謳いますが、目的はここにあらず、市場化と負担増による給付抑制です。「自己負担が増えるにしたがって医療費が逓減する」(受診が抑制される)ことは政府自らの研究で明らかにされているところで、またしても憲法 条に反した公的責任の後退です。

 ■「医療保険制度改革関連法案」のねらい 

 こうして5月7日の衆議院厚生労働委員会において、 歳以上の医療費窓口負担に2割負担を導入する法案など「医療保険制度改革関連法」が、100万筆の反対署名にも関わらず、自民党、公明党、維新らの賛成多数で強行採決されました。改悪案は年収200万円以上世帯の2割負担を突破口に、保険給付範囲(特に薬剤)の見直し 、医療提供体制の効率化、「適切な」受診行動の促進などに道を開くものです。 「年収200万円以上世帯」と言っても、この水準は政令で変えることができるため、歯止めがかかりません。 4月 24日 衆議院厚生労働委員会参考人質疑で二木立氏(医療経済学)は「健康保険財政の困難の根本は医療保険への国庫負担割合の引き下げにあり、元に戻すべき」「現役世代と負担を公平化するというが、2割化による現役世代の負担軽減は数十円(二木試算 円/月、700円/年)したがって「若い世代の社会保障への不安・不満を、高齢者医療費負担が安いことにすり替えるペテン」と訴えました。

 ■コロナ禍にもかかわらず医療崩壊を加速する「病床削減法案」

  またコロナ禍で医療崩壊がおこり、多くの感染者が入院できずに自宅や高齢者施設で亡くなっているにもかかわらず、「病床削減法案」が5月22 日の参議院本会議で成立しました(2020年9月厚労省医政局地域医療計画課「新たな病床機能の再編支援について」参照)。消費税による補助金を出してまで病床をつぶす、地域医療を担う診療所や医療機関の統合を進めるなど驚くべき中 身です。医療崩壊が生じている日本の現状に背を向けるように、2021年度予算で削減される病床は1万床規模になります。医療崩壊はコロナで初めて起こった現象ではなく、もともと医師の超過勤務、看護師の慢性的不足、良心的な医療機関の赤字継続などによる医療やケアの質低下が深刻な問題でした。小池都政も同様に都立病院、公社病院の独立法人化計画を打ち出し、にもかかわらず外国人富裕層へ向けた医療観光の誘致までねらっています。

 ■岐路に立つ介護保険、これから 

 一方、練馬でも介護保険計画策定 に合わせ「練馬の介護保険を考える」組織を2016年から続け、2021年度から3年間の第8期計画策定では2019年12月より学習会や講演会などを積み上げ、意見書、パブコメなどを行政に提出しました。介護の社会化を謳った介護保険制度の崩壊の危機(保険料の上昇、給付削減、マイナス報酬改定による減収、致命的な人手不足とケアの質低下)を共有し声を上げようとしたものです。区民や当事者、事業者、市民団体などに加え日本共産党練馬区議団、練馬区議会立憲民主党、市民の声ねりま、生活者ネットワーク、市民ふくしフォーラムなどの区議会議員と共に緩やかな組織を作って活動してきました。 この稿を書いているうちに、財務省から介護保険利用料2割負担の対象範囲を拡大することなどを提起した「財政健全化に向けた建議(5月21 日)」が出されました。人殺しの兵器獲得より、命と暮らしを守る社会保障制度を拡充せよ、医療・福祉従事者の待遇改善、質を確保せよとの声が各地で広がるよう、訴え続けて行きましょう。  

 

5月3日「憲法記念日」私たちの行動 

国会前と練馬区内各所でリレートークやチラシ撒きをしました                     

  コロナ禍による会場制限のため、今年は有明公園が使えず、オンラインと国会前で集会が行われました。 国会前には270人が集まり、発言者のスピーチに耳を傾けました。9条の会事務局長の小森陽一さんをは じめ、スピーカーの皆さんは、具体的な事例を示しながら憲法の大切さを訴えると共に、市民と野党の共 闘によって政府を変えようと呼びかけました。中でも田中優子さんの「自民党は憲法を改正するのではな い。憲法を捨てて、天皇を元首とした別の国にしてしまおうとしているのだ」という話が印象的でした。

残念ながら各地で撮られた写真はインターネット上に出ることを危惧する声がありましたので掲載いたしません。 

 

憲法実践を地域から  

今の経済、政治は人類も地球も儲けの対象、生かさず、生かさず、地球も絞りつくす。これに対し、滅亡から免れるには最低日本国憲法を実現することではないかと実感しています。新型コロナウイルス対策では国は何にもしない。さらに病床削減法を可決し、 歳以上高齢者の医療費2倍化など、生産性のない年寄りへの福祉は無駄。命に格差をつける、これが新自由主義経 済理論。 教育とは、支えあって生きてゆくことの大切さを教えるもの。ところが今は、グローバル経済の担い手を作るため、過酷な競争、人を蹴落としてのし上がることを教える場となっている。競争は無力感を植え付け、いじめ、不登校、虐待を増やす源となっている。 日本の支配者は経団連だが。その経団連企業の生産の4割が国外、経団連企業の株の3割が主にアメリカ資本の手に、彼らは日本の労働者や国民のことは眼中になく株の利益だけを求め、株主資本主義となっている。政府は株の下落を防ぐため、日銀から金をださせ、年金積立までつぎ込んでいる。この 年間で大企業の資産は5倍に増えたが中小企業は2倍、労働者の賃金は上がらず200万円以下の労働者が増大、中間層が減って深刻な貧困・格差が広がっている。 財界は政治を支配し安定的な利益を上げようとする。政府の基本戦略を決める五つの諮問機関には竹中平蔵他財界が占めている。彼らは税制、金融、福祉、教育、外交、軍事などグローバル企業の利益追求の総合計画を考えている。同時に財界は国民の結束を恐れて国民を分断し官邸独裁、強権政治を目指す。それにマスコミが動員される。 総理大臣に権限を集中するために、それまで各省で決めてきた企画・立案・予算を内閣府が決めて各省におろす。その内閣府に大企業の社員が3割、彼らは送り出した企業、業界の利益のために働く。そういう職員が政策と法律を作っている。 さらに公務員制度改革で、内閣人事局が全省庁800人の高級官僚の人事権を握る、その過程で官房長官と総理大臣が介入し、大臣は辞令を渡すだけ。官僚が総理大臣に忖度するわけがここにある。 総理大臣は自民党の総裁で、小選挙区のため誰もあらがえず、国会も与党多数で押し切られ、国から独立性の強い日銀総裁、NHK会長、内閣法制局長官も総理大臣が決め、意のままにした。検察庁長官は失敗したが、学術会議人事に手を突っ込んできた。こうして官邸独裁体制を作ってきたが、馬鹿な総理大臣だと周りはおろおろするばかりで、まさに裸の王様である。今がその状態と言える。 新型コロナウイルスで自らの無策を棚に上げ、国民の権利を制限する非常事態条項の憲法明記を言い出した。旧陸軍、自衛隊OBが自衛隊の軍隊化と軍法会議設置、日米安保条約の改定を求めて 万人の署名を国会に提出している。さらに重要土地調査規制法が今国会の焦点になっている、米軍、自衛隊基地、原発周辺1キロメートルと、国境の島は国の重要土地として、住民を調査し監視下に置く、売買の際には国の許可が必要、報告しなければ罰則がある。明白な憲法違反である。 ではどうしたらよいか。9条を実践した中村哲さんに学ぶこと。中村さんは国会で「アフガンで暴力を抑えるには暴力は無駄」、平和は口先だけでなく実践してこそと、先頭に立って用水路を引き、アフガンの英雄になった。日本人の誇りである。 今求められているのは、憲法を生かす実践だと確信する。都議選、すぐ来る衆議院選挙、それにどう対応するか。九条の会は出番である、求められてもいる。                       大柳武彦(練馬9条の会事務局長)


 映画『生きろ 島田叡 ─戦中最後の沖縄県知事』を観ての感想

 ■真のリーダーシップ 

ねりま九条の会の中出さんにきっかけをいただき、島田叡と出会った。この映画は生徒たちにも見せたいと感じた。道徳の教材としても学ぶことが沢山あると感じた。 映画を観て、「リーダーシップ」という言葉が頭に浮かんだ。リーダーに必要な力は?と生徒に質問したら、なんと答えるだろうか?人前で話がうまいなどというのは、実は重要ではない。いかに、「仲間の立場に立ち行動できるか。」が重要だと島田叡を通して感じた。「下の者には優しく、上には厳しい」姿勢を貫き通すのも、自分の出世より、常に県民目線であるからだ。「本県には本県の事情がございます」という言葉に全てが集約されている。 都民ファーストという言葉をよく耳にするが、真の県民ファーストは島田叡のことである。島田就任前の沖縄県幹部職員が、出張や会議などの名目で本土に行ったきり帰ってこない状況と沖縄にゆかりのな いにもかかわらず県民に寄り添う島田の姿勢が対比されている。制空権が奪われている中、沖縄の人のために命がけで米を買いに行った。戦中、危険を冒してもガマから出て、自ら情報収集する姿勢には現代に生きる私たちも感じることがあると思う。 インタビューで、当時の部下の方が「この人となら運命を共にしてもいい」とあった。一貫して、島田は県民・部下想い。いざという時に守ってくれ、この人についていこうと思える上司がいたらなとは思わずにはいられない。

■沖縄の内情が詳しくわかる
 この話は、島田叡という軍人でも一般人でもない、「行政のリーダー」に目を向けたところが自分の中では新鮮だった。児童800人を乗せた「対馬丸」の悲劇は知っていたが、沖縄の疎開がそこまで難航していることは知らなかった。島田・荒井という人道的なリーダーにより、それまでうまくいっていなかった疎開が急速に進み、最終的な疎開の人数は、県外に7万3000人、北部に 万人とされていて、実質 万人以上の命が助けられたという。 また当時、日本軍が沖縄の民間人をスパイ視し、方言を使うことを禁止した。軍人は民間人のことを少しも考えていないという事例がいくつかでてきた。「戦いの邪魔になるから移動しろ」、「軍が使用するのでガマから出ていけ」、「泣きわめく赤ん坊を殺す」、「砂糖を奪われ取り返そうとした少年を銃殺」と散々日本軍に痛めつけられていた。また開戦後は、住民の南部の避難地が決まっているのにも関わらず連絡をせず、島田知事が軍に激怒するシーンも見られた。 沖縄県庁として使われた洞窟 「轟壕」では、当時は、捕虜になることが禁止されていたので、米軍からの救出の呼びかけがあっても、ガマから逃げ出さないように日本軍が入口を固めていた。県民達が救出された後、「日本軍は生かす?殺す?」と聞かれたとき、「殺す」と住民が口をそろえて言ったシーンは印象的だった。怖いのは米軍より日本軍。 

■「生きろ」というメッセージの意味 

「生きろ」というメッセージは当時、あたりまえではない。生きたいと思っても口にすることも願うことも許されなかった戦時中に、大声で「生きろ」と住民に言い続けた知事がいたことに衝撃を受けた。映画には、島田の周りで働いた人々が実際最後の別れの時、体を大切にしなさいと言われた人が出てきた。時代の流れに逆流して、生き延びるよう住民や部下に伝えていったその島田叡の哲学を形成していたのはなんだったのか?映画とともに「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」(ポプラ新書)を読むと理解が深まる。

                                                   都立高教員 T 

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東大泉在住M.K