98号 2021年8月発行

 

五輪警備の名で進む治安監視体制の強化
 
 
池田五律(東京オリンピック・パラリンピックを問う・練馬の会)

 

  五輪警備は、過去最大の警察官6万人態勢で行われている。会場のある9都道県の警官に加え、全国から1万1800人の特別派遣部隊を東京と北海道に投入。都内の警備は、警視庁と特別派遣部隊を併せ3万6500人態勢だ。
 警察庁は2014年に「2020年オリンピック・パラリンピック競技大会準備室」を立ち上げ、2017年に「対策推進室」に格上げ。「セキュリティ情報センター」を設置して海外の治安機関との連携を強化し、「水際対策」を徹底。さらに「警察庁国際テロ対策強化要綱」としてまとめた施策を、開催までの五年を目途に推進してきた。
 対策強化の目玉の一つは、制服警官による巡回やパトカーの活用など「見せる警戒」。6月29日には職務質問専門警官50人で構成される「地域部特別支援班」が発足。7月9日から都内の「聖火リレー」を警備し、競技場周辺や繁華街をパトロール。コロナを理由に「外出自粛」を強要する職務質問と併せ職務質問の嵐が吹いている。
 重武装化もすさまじい。2015年4月に編成された「緊急時初動対応部隊」に加え、5月14日には「臨海部初動対応部隊」も発足させ、対テロ専門の特殊部隊「特殊急襲部隊」も待機態勢にある。ドローンによるテロへの対策を理由に、「無人航空機対処部隊」も機動隊内に編成した。妨害電波を出す「ジャミングガン」も導入された。
 「テロ対策」のもう一つの柱は、関係機関、民間事業者、地域住民等との連携。「テロを許さない社会づくり」をスローガンに、「テロ対策東京パートナーシップ推進会議」(2008年設立)の活動を活発化させるとともに、化学物質購入者、ネットカフェ宿泊者、レンタカー利用者の本人確認の徹底などの指導が強化されてきた。
 開催期間中、JR東日本、JR東海は、主要駅で警察と連携して手荷物検査を実施。危険物探知犬や不審者・不審物検知機能付き防犯カメラを活用し、不審人物を特定して警備員が声掛けして手荷物検査。7月1日に国土交通省は省令を変え、手荷物検査を拒否した乗客を車外や敷地外に退去させる権限を警備員に認めた。民間警備員は、1日あたり1万8100人。セコムなど首都圏の警備会社 社を中心に設立された共同企業体が警備を請け負っている。また、退職警察官のポリスサポーターに、交番での道案内などが委嘱されている。ボランティアの警備員9000人も予定されていた。治安の自己負担化・民営化・外部委嘱化・志願者組織化が進められているのだ。
 7月 日からは、国立競技場周辺に危険物・不審物検索ゲートを設置し、その先に入れなくする「ロックダウン」状態が作られた。自衛隊も警備に従事(支援団司令部は朝霞駐屯地)。7月
日からは大規模な交通規制。地域戒厳演習と言っても過言でない。観客利用想定駅と競技会場などの出入り口を結ぶルートとその周辺の状況をモニターに映し出し、一定期間記録する「ラストマイルカメラ」も設置。大会関係者約 万人を瞬時に見極める顔認証システム(NEC)も導入。ネット上の大会妨害情報を調べるサイバーパトロールも実施されている。
 政府は、デジタル監視社会化も含む治安強化を五輪後も継続しようとするだろう。警戒を怠ってはならない。

 

       中村・貫井・富士見台3地域九条の会学習会の報告

    「重要土地調査規制法」は希代の悪法

                                報告者 勝山

 中村・貫井・富士見台3地域九条の会では、7月11日、サンライフ練馬において、講師に種田和敏弁護士(城北法律事務所所属、自衛隊をウォッチする市民の会事務局長)と横山哲也さん(〈語らやびら沖縄〉もあい練馬)を講師に『重要土地調査規制法』(以下「土地規制法」)を学び、語る集い」を開催、主催者を含め44名が参加しました。

一、種田和敏弁護士講演

■米軍や自衛隊基地周辺の土地が外国資本に買い占められている?

冒頭、種田弁護士は「土地規制法」の骨子について、こう説明しました。

1、米軍や自衛隊、海上保安庁、生活関連施設などの敷地の周囲約1㌔と、国境離島などを個別に「注視区域」や「特別注視区域」に指定し、指定区域の土地の所有者の個人情報、および利用実態を不動産登記簿や住民基本台帳などを基に政府が調査する。
2、政府は必要に応じて所有者に報告を求め、利用実態が「施設の機能を妨害する」ものと判断すれば施設の利用中止を命令できる。
3、利用の中止命令に応じなければ、2年以下の懲役、または200万円以下の罰金に処す。

 そのうえで種田弁護士は、「土地規制法」の問題点として、次の8点を挙げました。
❶政府は立法事実(根拠)について、「外国資本(主として中国を想定)による不動産の購入を契機とする不安、リスク」を挙げているが、これまでに施設の機能の妨害につながるようなケースは確認できていない。
❷具体的に、どの施設や離島を「注視区域」や「特別注視区域」に指定するのか明らかにしていない。生活関連施設についても、水道施設、1日10万人以上が利用する駅、放送局、空港などが政令によって幅広く「注視施設」として指定されることがあり得る。
❸土地の利用状況の調査も、その対象者や調査の中身が明らかにされていない。
・調査が、職業や交友関係に及ぶ可能性がある。
・政府は、調査は内閣府に新設される組織が担当するというが、公安当局や自衛隊情報保全隊などと「必要な分析をすることはあり得る」とも説明している。
❹どのような行為が「施設の機能を妨害する」に該当し、中止勧告・命令の対象になるのか曖昧。
 政府は電波妨害など数例を挙げたが、「網羅的に示すのは困難」と詳しい説明を避けた。
❺「注視区域」、「特別注視区域」内の土地の売買という私権の制限や罰則を伴う法律にもかかわらず、規制される対象や行為も不明確。政府による 恣意的な運用への懸念や沖縄の基地や原発への抗議活動を排除するために使われる。言論・表現の自由を萎縮させるのが狙いという声が強い。
❻政府は5年後の見直しで、対象施設に対する機能阻害行為を理由とした土地の強制接収と収用手続きを含めた見直しを否定していない。現行の「土地収用法」は、軍事・国防ための収用を認めていないが、それが覆る恐れがある。
❼第三者が点検できる仕組みができていない。
・対象区域の指定、調査、規制の基準を明確にし、適正に運用されているかどうかをチェックする必要がある。
❽国会が政府に報告を求めると同時に、第三者が点検できる仕組みを設けることを検討すべき。国民の厳しい監視が必要である。

 ■憲法から考え行動する

 以上、種田弁護士は「土地規制法」が「稀代の悪法」である理由を8点指摘したうえで、「私たちは、何をすべきか?」について、次の4点を挙げました。
1.憲法から考え、行動する。
2.軽視しないが、恐れない。
3.地方自治体と懇談する。
4.基地反対運動を強める。
 種田弁護士は、「王様をしばる法 ~憲法のはじまり~」というスライドを上映、「土地規制法は憲法に違反する法律だ!」と、次の条文に違反すると指摘しました。
 前文の平和主義、平和的生存権、9条、プライバシー権(13条)、思想信条の自由(19条)、表現の自由(21条)、居住移転の自由(22条)、財産権(29条)。さらに「土地規制法」は、憲法31条が定める罪法定主義、「犯罪として処罰するためには、何を犯罪とし、これをいかに処罰するかをあらかじめ法律により明確に定ておかなければならない」という近代刑法上の基本原則にも違反する。
 このように、「憲法違反の疑いだらけの『土地規制法』は無効、廃止に追い込まなければならなりません」、種田弁護士はそう強調した後、では「私たちは、何をすべきなのか?」という課題について、次のように提起しました。
❶「土地規制法」を軽視しないが、恐れない。
・私たちの行動に対し、監視・規制があり得る」という事態を直視しなければならないが、一緒に行動する人と結束して、孤立せず、恐れず対応する。
❷地方自治体との懇談を図る。地方自治体を市民の味方につけて、ともに権利を守る。
・地方自治体は、多大なる事務負担と不本意な住民監視の役割を担わされる。
・地方自治体に対して、住民に情報を提供し、基地被害と監視から住民を守る立場に立つことを求める。
❸基地反対運動を強める好機とする。日米共同声明、新安保法制の下、政府は沖縄と全国の基地を、台湾有事の事態に備えるという名目で、特に沖縄を再び「本土防衛の盾」、「日米軍事同盟の前進基地」にしようとしている。
 最後に種田弁護士は、「憲法を武器に、運動を広げる。秋の総選挙、来年の一斉地方選挙において、『土地規制法』を争点にし、それを推進する憲法違反の議員に審判を下そう」と訴え、講演を締めくくりました。


二.横山哲也さんの講演


  続いて登壇した横山哲也さんは、「これって『要塞基地法』のよみがえりやんか、と直感した理由」と題した資料をもとに、講演しました。
 要塞地帯とは戦前、国防のため建設した様々な防禦営造物、例えば砲台、弾薬庫、観測所、電灯所等の周囲の地域を指し、「要塞地帯法」は要塞防備機関の秘密保持上と要塞防備の必要という名目で定められた法律です。
 横山さんは、1960年代の少年時代、「少年マガジン」、「少年サンデー」などの少年コミック文化の洗礼を受けるなかで、軍国少年=ミリタント・ボーイズとなり、小学生のとき、海上自衛隊の体験入学、戦艦三笠(大日本帝国海軍の戦艦。日露戦争の日本海海戦で連合艦隊旗艦を務めた)にも乗船したと切り出しました。しかし、「あんなに勇敢なヘータイや名将がおり、優秀な兵器を有した帝國陸海軍が無残に敗けたのか」という疑問がわき、日本の軍事史を勉強するようになった」と述べました。
 黒船の来航(1853年)によって高まった「国防」論は「海防」論中心で推進されたこと、日清戦争、日露戦争による恐清、恐露環境の中で、各地で港湾防衛・海上封鎖を目的に、国内外の要塞整備が進み、1899年(明治 年)要塞地帯法が制定されます。
 日露戦争の後、「海軍はアメリカ、陸軍はロシアを仮想敵」として、「北進論」、「南進論」と様々な「国防論」が交わされ、結局「南北併進」という戦略のもとに無謀なアジア・太平洋戦争に突入、日本は無惨な敗戦を迎えます。この間世界は航空機戦時代になり、大和、陸奥といった巨大戦艦は実は無用の長物であったのであり、要塞も 世紀の遺物となっていました。
 にもかかわらず、1922年(大正 年)締結されたワシントン海軍軍縮条約によって廃艦された戦艦の主砲のリサイクルも兼ねて、東京湾、三浦半島、房総半島、沖縄、台湾、朝鮮、虎頭(中国黒竜江省)、海拉爾(はいらる 中国内モンゴル自治区)などに数多の要塞が建設されました。しかし、防衛の役目を果たしたのは、ソ満国境に築かれた数か所の要塞だけということです。
 アニメ「この世界の片隅に」で主人公のすずが呉の海を写生していて憲兵にスパイの容疑をかけられるシーンがありますが、この基になった法律が「要塞地帯法」です。同法の7条には、「要塞地帯内水陸の形状を測量、撮影、摸写録取することを得ず」と規定しています。例えば『函館市史』には、函館山の要塞は勿論、市内を往来する人物や駅頭を撮影した人が検挙されたり、罰金を科されたという事実が載っています。
一昨年、日本における安全保障政策の基本的指針として策定された「防衛計画大綱」、「中期防衛力整備計画」によって、中国を「仮想敵」として、大軍拡路線が進められている今日、「土地規制法」は、この路線のもとで、「要塞地帯法」に通じる危険な法律であることに注目しなければならない、横山さんはそう強調して、講演を締めくくりました。  

戦争を経験したことはないけれど 

秋元 咲(国際基督教大学4年)                   

 「戦争」という非日常的にして体験したことのない事柄は、安穏として毎日を過ごしていると意識の下層に追いやられてしまう。戦争の悲惨さを常に思うのはしんどいので、それはそれで仕方のないことである。しかし定期的にその言葉が意味する世界を想像しないと、「戦争は起きてはならない」という台詞が、自分の中でいつしか実体のない空虚な言葉に変化していってしまう。そもそも平和な時代に生きてきた私が「戦争はいけない」という言葉を真に受け止めて心の底から共感できたことがあったかどうかもあやしい。今まで戦争の惨事を何度も見聞きしその度に衝撃を受けてきたが、そこに自分の生の経験が伴わないからかその衝撃を抱いた時の感情は次第に薄れていってしまっていた。
 そもそも自分にとって、「戦う」ということは非現実的でわかりにくいことだった。あれは小学生の時だったか、初めて「人と人が戦う」ということがどういうことなのかに気がついた。6つ上の兄が大河ドラマを見ていて、私がのぞき込んだのはちょうど合戦のシーンだった。地響きと雄叫びがないまぜになった腹に響く音とともに、画面の左右から米粒サイズの人々が中央に駆けて行き交わっていく。そして次の瞬間、刀と刀がぶつかり合い人の肉体を貫く様子が映し出される。それまでの「戦う」という言葉のイメージは戦記モノアニメの中でヒーロー、ヒロインが活躍する場で、誰かがとどめをさされるシーンは不思議な光と音でうまくぼやかされた実感の伴わないものだった。だからこそ、その時目にした大河ドラマの映像は、生身の人間同士が刃物でもってその肉体を傷つけあうことに対する自分の痛みと恐怖心を刺激するものだった。戦うことの身体感覚を初めて想像できた気がした瞬間だった。
 暴力的なシーンや殺人を題材とした映像を見るのが苦手で、普段そうした映像に触れる機会がほぼないのだが、つい最近人が傷つくとはどういうことか実感したことがあった。香港やイスラエル、福島など対立のある地域を取材したドキュメンタリー映画『わたしは分断を許さない』の香港の民主化デモのワンシーンだった。カメラには、私と同じように大学生活を送り普通に街中を歩いていそうな青年たちが映し出されていた。目の前で彼らに催涙弾が浴びせかけられ、煙が立ち上がる。そして、名前を持つ1人の男性が生きて動いていた次の瞬間、その腹に銃を打ち込まれ地面に倒れる。とても見ていられなくて、目を覆い声をあげて泣き叫びたい衝動に襲われた。
 幸せなことに、今までの人生で、人間同士が武力で傷つけあう瞬間をリアルに自分の目で見たことはないし、ましてや経験したことはない。自分にとってそうしたシーンは、映像や本を通して体験するものである。擬似体験でしかないけれど、「戦争」という言葉を少しずつ肉のついた実体の伴った言葉にするためには、時折ふっと平安な日常から離れて、その怖さを追体験し生々しい悲しみや憤りに自分の心を触れさせる必要がある。
 そこにいる人々の感情を完全にわかることはあり得ない。断片的な情報を繋ぎ合わせて、その場の得も言われぬ恐怖や悲しみ、憤りの感情を必死に想像力でもってとらえていくしかない。けれどもそうやって、「2度と戦争は起きてはならない」という先人の思いにできる限り寄り添って継承する努力が私たちの世代に求められているのだと思う。
 祖父母宅がある広島に行った時は時間がある限り原爆資料館に足を運ぶ。見学後はいつも気持ちが沈むし、その後に食べるご飯は美味しくなくなってしまうけれど、自分の感じる心を鈍化させないために必要な時間だと感じている。

 

平和 

        平和
        それは空気のように
        あたりまえのものだ
        それを願う必要はない
        ただそれを呼吸していればいい

        平和
        それは今日のように
        退屈なものだ
        それを歌う必要はない
        ただそれに耐えればいい

        平和
        それは散文のように
        素気ないものだ
        それを祈ることはできない
        祈るべき神がいないから

        平和
        それは花ではなく
        花を育てる土
        平和
        それは歌ではなく
        生きた唇

        平和
        それは旗ではなく
        汚れた下着
        平和
        それは絵ではなく
        古い額縁

        平和を踏んづけ
        平和を使いこなし
        手に入れねばならぬ希望がある
        平和と戦い
        平和に打ち勝って
        手に入れねばならぬ喜びがある

                 谷川俊太郎「うつむく青年」(山梨シルクセンター出版部)

 谷川俊太郎の「平和」は、一見すると平和讃歌には見えない詩かもしれない。しかしこの詩には、平和に対する深い思いが表現されているように感じる。
 私は平成生まれの大学生だ。生まれた時から今まで、「平和」の中で育ってきた。遠い昔の、あるいは遠く離れたところの戦争の凄惨さを知るたび、胸を痛め、「戦争はしたくない」とごく自然に思うようになった。戦争で人が人を殺すことのおぞましさ、ひどい状況のなかで命を奪われることの悔しさ。そういうものを知り、学び、考えるとき、「平和はありがたい」ことを頭では分かっても、「平和はありがたい」と心から感謝できているかと問われれば、きっとそんなことはないだろう。私にとっては、平和はありがたがるものではなく、「空気のようにあたりまえなもの」であった。
 平和は、戦争に先行していると私は思う。戦争がない期間が平和と呼ばれるのではなく、平和の中に戦争が侵入してくるのだ。平和は、私たちがそれぞれに生きることの、大きな前提だ。一人ひとりがあたりまえのように、ただ生きている。そのことを成立させるのが、平和というものなのだ。平和は、それぞれが人生の中で夢を叶えることを支える土であり、それぞれが生きているということを証明する動く唇であり、それぞれの存在という絵を美しく飾る枠組みだ。平和は、花や歌や絵のようにつくりあげられた成果そのものではない。花や歌や絵をつくりあげるという人間のいとなみがあたりまえに続く日々のことである。そういう生活を破壊する戦争というものを、私は決して望まない。生活を守るために、平和であるべきなのだ。そして、生活を大切に守ること、この日々を続けていくことが、平和につながっていく。そう信じて、「空気のようにあたりまえな」平和の中の生活を、私はこれからもしっかりと送り続けたい。
                                     湯川 友愛(慶応大学4年)


                        この日何の日?
                                   
                 6月23日 … 沖縄戦「慰霊の日」
                 7月 7日 … 盧溝橋事件(昭和12年)⇒日中戦争へ    
                 8月 6日 ・9日 … 原爆投下
                 8月14日 … 日本、ポツダム宣言の受諾を通知
                 8月15日 … 天皇による玉音放送・終戦記念日
                 9月 2日 … 日本、降伏文書に調印
                 9月 9日 … 日本、中国に対して、南京で降伏文書に調印 
                 9月18日 … 満州事変(昭和6年) 
        

 

       沖縄戦「慰霊の日」新宿西口のアピール
    沖縄戦犠牲者の遺骨の尊厳を守る具志堅隆松さんのハンストに心を寄せて

 江古田にお住いの松井菜穂さんが制作してくださった横断幕を使って、6月23日慰霊の日まで摩文仁の丘で遺骨の眠る土を使うな!とハンストを実行されていた具志堅隆松さんに連帯し、新宿西口でサイレントデモを行いました。
 この行動を行ったのは、国会前で毎週金曜日の反原発デモに参加していた仲間で、中心は商社9条の会の人達です。展示してある軍靴と鉄兜は具志堅さんから送っていただいたものです。
新宿西口は人通りも多く、道行く人々の目がすべてこちらに向いているのが感じられました。
 やはり横断幕のインパクトはすごく大きかったです。その後ろには沖縄の布も広げました。
 それと沖縄から送ってもらった沖縄戦に関する写真パネルを展示し、このように視覚に訴える機会を持つことができました。
 足を止めた沖縄の方がウチナンチュー(沖縄人)ですか?と声をかけてくださったり、僕ウチナンチューなんですと言って20代の男性が署名をしてくださったり、沖縄の方々にエールを送ることができました。
 人通りの多い新宿で行ったので、署名もたくさんいただけました       井上 陽子

ページトップに