105 号 2022年10月発行

 

 

映画「教育と愛国」は問いかける(JCJ大賞受賞)
                  
高嶋 道(教科書市民フォーラム所属)
 
 

 この作品は「教科書で、今何が起きているか」がテーマです。冒頭は、小学校2年生用の道徳教科書の挨拶の仕方が紹介され、どれが正しいかを問います。
①「おはようございます」といいながらおじぎをする ②「おはようございます」といったあとでおじぎをする ③おじぎのあと「おはようございます」という。
 みなさんは、どれを選ばれましたか。私は正解ではありませんでした。なぜ、子どもたちの挨拶を正解(②)に統一しなければならないのか、違和感を覚えます。教室の授業でこのように「統一」をするのは、誰のために、何のためにするのでしょうか。
 また、街を探検する子どもが立ち寄る「パン屋さん」は、検定で「郷土を愛する態度を養うのには不適切」とされました。教科書会社が「和菓子屋」に書き換えて合格した例も紹介されます。苦笑ではすまされない、実は、極めて深刻な問題なのだ、と映画は本質に迫る水面下の動きを次々と明らかにします。
 監督の斉加尚代さんは、大阪毎日放送のディレクターとして、長い間教育現場を見つめ続けて優れたドキュメンタリー作品を制作されてきました。国旗国歌法の制定・教育基本法の改訂後急速に進む政治の教育への介入は、戦前の轍を踏むのではないかと危惧。「なぜ教科書が標的にされるのか」と正面から向き合います。しなやかな感性と丁寧な対話で、核心に迫り、本音を引き出します。事実を追求するジャーナリストの使命感が伝わってきます。
 最も印象深かったのは、歴史学者のことばでした。「歴史から学ぶ必要はないんです」と。私は絶句しました。伊藤隆氏(東大名誉教授;歴史学)は、かつて高校教科書の執筆者でもあり、現在もある中学の教科書著作者ですから。斉加さんにとっても「想定を超えていた」ことばだったそうです。(近著『何が記者を殺すのか~大阪のドキュメンタリーの現場から』集英社新書p132)その後の会話も驚くことばかりでした。「ちゃんとした日本人を作る」「ちゃんとした日本人とは・・・」と持論が続きます。安倍元首相の映像や言質もあります。
 また、2016年『学び舎』教科書を採択した学校に、抗議のハガキを大量に送る動きがありました。文面は同じでしたが、自筆署名のあった松浦正人防府市長(教育再生首長会議議長)は、「尊敬する知り合いからの協力の依頼があったので」参加したと応えていました。公職にありながら、教科書を自分で読むこともせずに参加したことが明るみになりました。
 教育基本法の改訂で、学校現場では、教育の自由が狭められている傾向にあるなかで、教師の努力も取材されています。悩みながら、抗い、努力する姿です。慰安婦問題に取り組んで来た平井美津子さんもその一人です。
 2021年には、既に検定合格した教科書に対して、「従軍慰安婦」を「慰安婦」へ、「朝鮮人強制連行」を「朝鮮人連行」に、教科書会社は、事実上「「改訂」させられました。「閣議決定」を理由にした権力の暴挙です。
 映画を見ながら、何度もハッとしました。北村小夜さん(元小学校教師 歳)が、軍国少女だった自らの体験から「戦前の教育はすでに復活している」と警鐘を鳴らされていることを思い起こしたのです。(『増補版戦争は教室から始まる』(現代書館2020年)
 8月にはシンガポールで新しい歴史教科書(2021年度発行・現代史/小学4年生)を入手しました。 ページ分の約半分が「暗黒の日本時代」の学習です。例えば、学校では毎朝「ヒノマル」をかかげ「キミガヨ」を歌い、「キュウジョウヨウハイ」を強制されました。日本軍が占領地に押しつけた皇民化教育の忌まわしい事実は、決して消すことのできない歴史です。侵略した側は忘れています。
 『教育と愛国』は、政治の教育への介入を可視化し、憂うべき状況を明示しました。今こそ。かつて戦争の道具とされた教育の歴史を見つめ直すことも重要な課題ではないでしょうか。



安倍晋三の国葬反対の声     坂本幸子 (貫井・中村・富士見台九条の会)

 安倍元首相の国葬反対の声は日増しに強くなり、どの世論調査でも国葬反対が上回っています。連日の集会でも多くの人が怒りの声をあげ、北海道から沖縄まで全国各地で抗議の声が上がりました。
 代々木公園集会では1万3000人を集めました。そして国葬儀当日の9月 日には国会正門前集会に1万5000人の人が怒りを持って集まりました。
参加できなかった方も加えれば2万人を超えていたでしょう!
 黙とうの時間には武道館に向かって更に大きな声で「国葬許さない!」の声を上げました。
 今回は若い人も多く見られ、中には小さいお子さんを連れた方が、子供を抱き、ベビーカーの上に国葬反対のカラフルなプラカードを置いて参加していました。そして「もりかけさくら」のオブジェまで出て、会場を沸かせました。
 安倍元首相が亡くなった事に対して葬儀を否定するものではありません。それと国葬とは全く別物です。
 何故反対か、国葬は戦後民主主義とは相いれません。法的根拠もなく、閣議決定だけで国民の税金を使う事は許されません!
 数々の疑惑に蓋をし、美化し、神格化する事になります。最も評価に値しない人です。最初は2億5千万と言っていたものが 億数千万、その数倍はかかっている事でしょう!
 岸田首相は丁寧な説明をすると言いながら、やっと臨時国会を開いても同じ言葉の繰り返し。憲法違反の国葬の説明がつかないのです。しかも安倍元総理は8年8ヶ月で何をしてきたのでしょうか。
 国政を私物化し、もりかけ桜疑惑にも蓋をし、偉大な人とお墨付きを与えるなんてあり得ません!
 そして統一協会の広告塔として岸前首相から安倍さんのお父さん、そして安倍元総理と3代にわたって協会を利用し、ズブズブの関係にあり、多くの自民党員が関わって当選するという事態を作りました。
 民主主義を破壊した安倍元首相
を引き継ぐ岸田政権は国葬により、国威を示したかったのでしょうか。国葬が終わってもこれで終わりではありません。忘れやすい日本人と言われない様、これからも声をあげ、行動して行きましょう! 

講演『ウクライナ侵略戦争に乗じた軍拡・改憲策動を許さない』(大内要三氏)から
ウクライナと自分のありさまを考えた
 ―8月20日、下石神井九条の会の講演会―
                        立川 信夫(下石神井9条の会会員)       


 講演者への質疑の最後に、一人の女性会員が発言しました。
「ウクライナとロシアの戦争は、どのように終るのだろうか?プーチンの主張は論外だが、ゼレンスキーのテレビ演説も、私には何となく不愉快で信頼できない感じがします。『もっとドンドン武器援助を!』と言うだけでは、今後どこまで戦争犠牲者を出し続けるのかという人々の悲しみへの共感が少ないような気がするのです。」 私には、気が付かなかった視点でした。講師も、ゼレンスキーは、ロシアの侵略戦争をやめさせるため、国際世論の盛り上げを各国に強く呼びかけるべきだと応じました。
 2月24日のロシアのウクライナ「侵攻」以来、テレビと新聞報道、ねりま九条の会ニュースを追いかけるだけで精一杯の私にとって、大内さんの講演は、有意義なものでした。
 国連憲章違反とは2条4項と51条違反。国際人道法とは、1949年戦争犠牲者の保護のためのジュネーブ条約と1977年二つの議定書のことで、米・ロ・日本も批准し、原発攻撃・軍人以外の住民への攻撃・避難妨害を禁止していると。また、2014年以来、ドネツク州、ルハンシク州で行われてきたウクライナ政権と親ロシア武装勢力の軍事衝突では多くの犠牲者、避難者が出たが、住民虐殺の事実はなかったという話もあらためて知りました。
 ウクライナの歴史も、民族、宗教についても、私は、調べようともしていませんでした。
現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシを含む東スラブ民族の地に、キエフ大公国が中世に存在した。それを根拠にプーチンは、この3国は一体だと主張。ウクライナが統一国家になったのはソ連の下で1922年、ソ連解体により1991年独立宣言。その後、2004年には、親ロシアのヤヌーコビッチに対して、ゼネスト等の抗議行動がなされ、再選挙で親西欧のユシチェンコが当選(オレンジ革命)。2010年再び大統領選でヤヌーコビッチ当選。2014年、キエフでデモ過激化し、ヤヌーコビッチ逃亡。デモ隊の大統領府占拠、暫定政権発足(ユーロマイダン革命)。
 2014年、クリミア半島ではロシア系住民とクリミア・タタールが衝突。ロシア覆面部隊の行動、「住民投票」後、ロシアがクリミヤを併合。ドネツク・ルガンスク州では親ロシア派が独立宣言、内戦。ミンスク停戦合意、翌年再びミンスク2合意。しかし、合意は守られず戦闘継続。2014年、ポロシェンコ大統領当選。2019年ゼレンスキー大統領当選。2014年以降、米国の介入により泥沼化していた。
 民族はウクライナ人78 %、ロシア人17%、その他クリミア・タタール等色々、宗教もロシア正教72%、その他色々。
 改めて、国連と国際社会が認めた国境維持の大切さ、ロシアは国境まで撤兵すべきと考えます。
講師は、ウクライナの多民族構成を考え、ロシア系住民の声も認め、クリミア等には自治権を与えることが必要と言われました。ウクライナ問題を考える機会となった講師、当日集まった方々に感謝します。
 私は、ウクライナ難民救済に募金をまだしていません。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に毎月少額の募金をしているだけなのです。

 

ジェンダーの視点から見た統一協会問題    小沼 稜子(ねりま 条の会・ねりま九条の会会員)

◆安倍元首相主導のバックラッシュ(反動) 

 安倍元首相を座長として2005年に立ち上げられた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」をご存知でしょうか? それによって若年層に向けた避妊教育などの命を救う性教育が、「寝た子を起こすな」と潰されるなど、政治主導の「バックラッシュ」が始まりました。 
 日本は1985年に「女性差別撤廃条約」を批准します。その後、条約に基づいて1999年に「男女共同参画社会基本法」をつくり、各自治体では「基本法」を実施するための「行動計画」をつくります。この当時は、日本各地に女性センター(男女共同参画センター)が建てられて、女性の能力や意識を向上させる取り組みが行われ、女性たちが生き生きと活躍していました。私も一員でしたが、「男女共同参画条例づくり運動」も活発に行われていました。
 その動きに水を差したのが政治主導の「バックラッシュ」だったのです。「ジェンダーフリー」は「社会的性差の解消」、つまり男女平等を意味する用語であるにも関わらず、それを「男女の性差を無視するもの」と歪めて解釈し、「町の公衆浴場を混浴にする」、「学校の更衣室を男女共用にする」、あるいは「フリーセックスを奨励する制度」などとおおっぴらに宣伝して、徹底した「ジェンダーフリー叩き」がおこなわれたのです。練馬区議会にも「新しい教科書をつくる会」などの右翼団体から「ジェンダーフリー反対」の陳情が次々出されました。「条例づくり運動」に紛れ込んで「伝統的家族観」を中心に置く条例に作り変えてしまった地方の例なども報告されるようになりました。その動きの中で私たちの「条例づくり運動」も挫折せざるをえませんでした。
 国が自治体に、「ジェンダー」という用語の使用を禁止したのもこの頃で、男女共同参画懇談会(区長の諮問機関)が提出した「行動計画案」からも削除されました。「ジェンダー」は今では国際用語として一般的に使用されているにも関わらず、練馬区では現在でも使用せず、2022年から2025年までの「第5次練馬区男女共同参画行動計画」にもジェンダーという単語は見当たりません。

◆統一協会と自民党の共通点─個より家族を重視

 7月8日に、旧統一協会に家庭を崩壊されたことを恨む山上徹也容疑者によって、安倍元総理が殺害され、安倍元首相をはじめ、多くの自民党議員が旧統一協会に関係していたことが明らかになりました。と同時に、自民党の政策と旧統一協会の教義の共通点も明らかになりました。
 「国際勝共連合」は、共産党を潰すことを目的とする旧統一協会のもう一つの顔ですが、ここでも「個」を否定し、社会の最小単位は「家族」であるとしています。つまり「個より家族の尊重」は旧統一協会の教義そのものなのです。その中で女性性と男性性の違いを強調する協会の教義と、「家庭が壊れる」として「選択的夫婦別姓」に強固に反対し、「3歳までは、子どもはお母さんが育てるのがよい」と福祉を放棄するようなことを言ってきた安倍政権の「ジェンダー政策」は、同じ方向性を持つものとを言わざる得ません
 また、2004年の「憲法 条を個から家族尊重に見直す」等の安倍元首相発言や、LGBTQへの偏見、そして女性差別撤廃条約の実効性を高めるための「選択議定書」の批准拒否なども、旧統一協会との合致点と見るべきではないかと思います。
 日本の今年度のジェンダギャップ指数が146ヵ国中116位と、世界最低レベルであるのも、他国がジェンダー平等に取り組んできた時間を、安倍元首相などの圧力によって、実現できなかった結果と言えると思います 。
 旧統一協会の現代表である韓鶴子氏は、「宗教は政治と結びつかなくてはいけない」と述べていると聞きます。その言葉通り、旧統一協会と結びついて、広告塔の役割を果たしたり、選挙の支援を受けていた自民党国会議員は半数以上にのぼり、その癒着ぶりは底なしの様相を見せています。岸田首相は、「今後は縁を切っていきます」と述べていますが、長い間統一教会の方針を実施してきた自民党政権に、果たしてその関係を払拭することはできるのでしょうか。

◆家父長制と新自由主義

 また、明治以来の家父長制の考え方を利用して、社会に自己責任の風潮をはびこらせ、育児や介護を家族に押し付けて、社会保障を圧縮しながら、女性の賃金を削減する、そのことによってグローバルな競争力をつけることを狙ってきたのが自民党政権であり、安倍元首相はその考えを急速に進めた人物ではないかと思うのです。
 私たちは、古い家父長制と、新自由主義とが結びついていることも見逃してはならないと思います。
 統一協会による合同結婚式で韓国人男性と結婚した女性を追跡調査した中西尋子さんは、彼女たちには、「親の姿を見て育ったために現実の結婚に夢や希望を持てないでいた」という共通点がある。しかし、入信した彼女たちは、「世界平和を実現するために神の子を産む」という教義に希望を見出し、現実は悲惨な生活であるにもかかわらず、神の子を産むための結婚に意義を感じていると言います。
 家庭が崩壊するまで献金を続ける女性たちもまた、家父長制を引きずる社会や生活への絶望や、明日への希望の持てない不安に苦しむ人たちなのだと思います。そういった不安を利用して文鮮明夫妻を「真の父母様」と呼ばせつつ、金稼ぎをしてきたカルト集団である旧統一協会。それを利用しながら議席を増やしてきた自民党もまた、天皇を頂点に置く家父長制社会を憲法草案に書き込む。私には、旧統一協会と自民党は、根っこで繋がった双子の兄弟のように思えてならないのです。

 


「改憲NO!私たちの課題」山岸一生さんとの対話集会   
                   
大槻 孝一(大泉学園町九条の会会員)

 9月24日大泉北地域集会所で、山岸一生衆議院議員の国会報告と対話集会を開催しました。主催は大泉学園町九条の会で、区議2名を含む20名の参加でした。

◆山岸さんの話
◆安倍元首相に対する国葬について 
国葬は思想信条の自由を土足で踏みにじる憲法違反、私は参加しない。民間人数千人に招待状を送り付け、態度表明を求め、踏み絵にしているのが許せない。
◆憲法との関わり
 憲法とのかかわりは中学の時、横田基地のフィールドワークに行き、平和憲法の話をされた。その先生が定年退職の時「諸君に2つ言いたい、一つ多国籍企業を監視せよ、二つ日本国憲法を死守せよ」強いメッセージで、憲法の大切さを訴えられた。もう一つは沖縄での記者体験、翁長知事は、沖縄には憲法が適用されていない、平和主義も地方自治も適用されず、基地負担が多いのは、背に日本政府の影があると述べられたこと。安倍政権で政治劣化が進み、憲法生かす政治の実現のため、新聞記者をやめて参議院選挙に出た。その時、国民の目をそらすために改憲を強行するかもしれない。改憲の声を上げる必要がある。
◆改憲へ向かう憲法審査会
  今回の選挙の結果、改憲の動きが強まった。これまで年3、4回の憲法審査会が、半年間で 回も開き、立憲民主が負けたことで、野党がバラバラになり改憲審議に前向きになっている、議論はよいことと回を重ねると、条項の審議に入っていき、次のステージに向かう。要注意です。しかし、いま政治に求められているのは改憲ではない、物価高、円安、生活不安。3年間選挙はない、しかし、追い込まれると国会解散があるかもしれない。その時、国民の目をそらすために改憲を強行するかもしれない。改憲 の声を上げる必要がある。

◆質問に答えた山岸さんの話   
 ◆自衛隊の自殺、セクハラ、パワハラについて
 「自衛隊の自殺、セクハラ、パワハラと、ひどい実態だ、表に出ないが、明らかにしてもらいたい」。これに対し山岸さんは「若い女性のセクハラ事件を国会で聞いたが、聞くに堪えなかった。内部監察では握りつぶされる。駐屯地や、船の上は隔絶された空間で、秘密主義がはびこる。所得の低い中学、高校生を好条件で自衛隊に入れても、パワハラ、セクハラでは心身ともに良く働けない、オープンにすべきだ。」と批判。
◆重要土地調査規制法について
 重要土地調査規制法についての質問に、「所属する内閣委員会で対馬を調査した。立法原因説明では 年前に韓国人が自衛隊基地の周辺を買いあさり、四六時中監視してる、ということだったが、2.3軒の民宿があるだけで拍子抜け、自民党議員も「違うな」とこぼしていた。捻じ曲げた理由だった。練馬には朝霞、北町の自衛隊基地が2つあり、 月に監視対象かが決まる。私有地でのデモ活動は問題ないというが、それなら公有地はどうなるかの質問には答えない。何しろ住民に知らせないで進めることが問題、線引き対象をしっかりさせる必要がある。
◆憲法問題への姿勢
 「立憲は憲法問題への姿勢と行動が弱いのでは」との質問に、山岸さんは、市民運動で勇気づけてほしい、叱咤激励が必要と訴えました。
 参加者からは、リアルな国会の話が聞けて良かった。私たちの要求を知ってもらい、野党共闘を押し上げるためにも、こうした会は必要という意見が出されました。山岸さんからもこうした企画はうれしい、皆さんの要望や、ご意見、𠮟咤を力に、議会で活動できますとの話がありました。
 後半は、新座・埼玉で活躍する「沖縄バンド なんくるないさあず」の軽快な演奏で、元気に会を締めました。
   

私の叔父の戦争
    
―「平和のための戦争展 練馬」に参加してー 吉田 きみ子(桜台九条の会会員)

 叔父は1925年生まれで1944年の4月徴兵検査を受け第一乙種合格となり学徒動員、鋳物工場でのアルミニュウムの計器製作に従事し 月に召集された。
◆村瀬守保写真展
  月に転属命令が出て博多に向け出発、博多から輸送船で釜山に到着。中国北部への派遣命令が出る。臨汾県の城内に大隊本部が設置され部隊編成が行われる。「足に自信があり地理に詳しい者は申告せよ」と言われ、叔父は手をあげる。本部付連絡班に編入されると、最初の仕事が地図の作成であった。万歩計を持ち村の位置と数、一村の家数と家族構成など調べていた時、直属の上官である伍長と上等兵の軍紀違反が発覚し参謀主任に連帯責任だと叔父もなぐられ、前歯が2本折れ奥歯もグラグラになった。
 村瀬守保の写真に〈慰安所規定〉というのがある。説明には「軍直属の慰安所にあきたらない兵隊は、裏町の私設慰安所を訪れます。戦争で生きる術を失った女性たちが子どもたちや家族を養うために、日本軍の兵隊を相手にしていました」と書いてある。上官の伍長と上等兵は仕事中にそのような慰安所を訪れていたのである、仕事は叔父一人に押し付けて。その後、伍長は地雷で一瞬に姿が消え後には何も残らなかったそうだ。5mほど後を歩いていた叔父はその瞬間伏せ、足に軽傷で済んだ。
 〈若者の運命は〉「不敵な面構えの若者がスパイとして捕らえられたが、恐らく生きて帰れなかったでしょう」という写真も印象に残っている。
 叔父はその後、食料輸送中に地雷を避けようとして谷底にトラックごと転落、運転手は即死、叔父は近くの村まで歩き、顔見知りの村人に手当してもらう。大隊本部への連絡も頼み、亡くなった運転手の埋葬を頼むと、彼は丁寧に葬ってくれ墓標も立ててくれた。村人が親切なことに驚く。日本に侵略され、少しでも疑わしいと残酷にも殺されるような状況でも、叔父に好意を持って接してくれる人がいたのだ。叔父は連絡班に居て残酷な場に居合わすことを免れたことも幸いであった。仕事上、村の人々と接触することが多かったので村の人達も叔父を信頼してくれたようだ。
◆戦争は終わったけれど
 転落事故以降、叔父は頭痛に悩まされるが、ある時40℃の発熱を起こし右肺浸潤の診断で入院することになる。そして昭和20年8月15日終戦を迎える。叔父は無事に東京の家に帰ることができた。しかし、頭痛はその後ますますひどくなり、あちこちの病院で調べるが、最終的に多発性硬化症と診断される。発作が起きると3日で治まるが検査のため約1ヶ月の入院が度々であった。赤紙1枚で戦争に行き、貰ったものは一生続く病気だった。家族の一時の悲しみは別として死んでいた方が幸せだったか、生きてこの苦しみを続けて行く方が幸せか、神のみが知るだろうと記している。
 叔父は約一年間の戦争体験をこれからの人達に語り継がなければならない、苦しみを理解してもらえるかと迷いながらも70歳の時に、『山の彼方の空遠く』と題して、戦争を知らない私たちに、戦争体験とその後の人生を書いてくれた。そのことを、叔父が生きているうちに感謝したかったと、今になって申し訳なく思う。

 

植野妙実子さんの講演を聞いて      田中康二(谷原台九条の会会員) 

 9月18日谷原台九条の会で主催しましたが、出席者から好評を得て無事終了しました。憲法学者でもあり、女性の目線からわかりやすく具体的な話がきけたことが良かったと思います。
 まず、日本国憲法前文の恒久平和主義の確認があり、憲法九条に触れ、戦力の不保持、交戦権の否認から、抑止力論の否定を強調されていました。ロシアのウクライナ侵攻により、国は戦力増強を当然のごとく考えている昨今において、抑止力論の否定の意義は大きいと思います。
 次に立憲主義の尊重として、「憲法を尊重すべき大臣や議員が憲法改正の旗振りを熱心にしていることに対して、立憲主義の基本が忘れられている」と述べていました。また、憲法13条の個人の尊重の箇所では、過去30年の間、若者の「自己肯定観」を持つ人が %ということを聞き、驚きました。我々年配者として文字通り政治の貧困を痛切に感じてやみません。長い人生、将来に希望も夢も持てない若者たちの苦悩を思ったとき、何をなすべきかと思わざるを得ません。
 終わりに、この稿で特に話しておきたいことは、講演後に質問形式での討論会がおこなわれましたが、学校給食の無償化(葛飾区は来春より実施する)の問題、練馬区美術館再整備基本構想「素案」の問題、練馬区内における若者の生活苦を援助するフードバンクの問題等が話し合われましたが、ねりま九条の会のスタンスとして、より一層の討論と具体化することの必要性が不可欠と思います。今年は練馬区長選の惜敗がありましたが、最近では岸本総子杉並区長の出現を考えたとき、日本社会にも改革のための大きなうねりが来ていることを予感します。
 かって東西ドイツが統合したきっかけは、東ドイツのわずか数人の若者が立ち上がり、そして多くの市民が支援をして最終的に1989年、数十万人の市民がベルリンの壁を崩壊させたと言います。我々の責任の重さを感じます。
     

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