109 号 2023年6月発行

 

 

憲法体制、最大の危機
                 
岡本厚(「世界」元編集長、岩波書店前社長)
 
 

◆政権の「躓きの石」から憲法無視ヘ
 今年は、戦後 年、そして日本国憲法制定 年に当たります。日本国憲法は、それこそ占領の終わった1950年代以来、幾度となく「改定」の危機に見舞われました。そのたびに、国民は抵抗し、その企てを阻止してきました。9条も含め、日本国憲法は制定時と一字も変わっていません。しかし、いま、この憲法体制は最大の危機にあると私は思います。
 なぜか。政権に、憲法を守る、あるいは施策に憲法を意識しようということがなくなっているからです。
 昨年 月に閣議決定された、いわゆる「安保関連3文書」は、驚くべきことに、まったく憲法との関わりに触れていません。憲法学者の蟻川恒正氏はこれを「憲法への不言及」と指摘しています。(2月5日、立憲デモクラシー講座)
 これまで歴代の政権は、苦しみながらも、そのときどきの施策について、憲法との関わりを説明してきたし、少なくとも説明しようとしてきました。それが、たとえまともな説明になっていなくてもです。それは、憲法だから当然のことです。
 たとえば、もう 年以上も前のことですが、いわゆるPKO(国連平和維持部隊)法案の審議のとき、派遣する車両に機関銃を据え付けるかどうかで国会で何時間も議論したことがありました。また小泉政権のとき、イラクへの自衛隊派遣をめぐって、「自衛隊の展開するところが非戦闘地域である」などという迷答弁もなされましたし、あの安倍政権のときでさえ、集団的自衛権容認の安保関連法制の国会審議で、子どもを抱いた母親が米軍艦に乗って避難する意味不明の絵を示しつつ説明していたことが記憶にあります。
 私は、これを政権の「躓きの石」と呼んできました。安保政策で何かしようとすると、必ず9条との整合を説明しなければならない、政権にとってはなんとも苦しい、嫌な時間だったのではないでしょうか。「交戦権を認めない」憲法の下では、軍事的な施策はどう考えても説明することができないからです。でも、それを政権が苦しみに苦しみ、悩みに悩んで国民に「説明しようとする」ところに、私は憲法の意味を見いだしてきました。説明しようとする中で「専守防衛」というギリギリの解釈も出てきたのです。
 しかしいまや憲法と軍事的施策の乖離が、あまりに甚だしくなり、もはや説明不能のところにまで来たということなのか、政権はついに「躓きの石」を飛び越え、説明を諦め、憲法を無視することになったのです。
 そうすると、国民は長年にわたって憲法の条文を守り、明文改憲を阻止してきたにもかかわらず、政権は憲法そのものを無視する挙に出たことになります。憲法にとってこれ以上の危機があるでしょうか。朝日新聞5月3日付け一面に「議論なき9条」とありましたが、この見出しはまさに核心を捉えていると思います。

◆歯止めを失った政権
 しかし、この危機の局面でのメディア、野党の感度の鈍さ、弱さはどうでしょう。これも、憲法体制危機の要因です。これでは、国民は「いつと同じような危機のことね」と考えてしまうのではないでしょうか。そしてウクライナ戦争を見て、「多少の軍備強化は仕方がないね」と思うのではないでしょうか。
 日本国憲法は、軍の存在を前提にしていません。このまま説明なき軍事化が進むことになると、すべての国民の人権や権利が脅かされることになります。9条だけが脅かされているのではないのです。軍の存在を前提にすれば、当然その運用の原則や規制(歯止め)がなければなりません。それらが何もないのです。シビリアン・コントロールの原則もない、軍の統制についての国会の規程もない、軍事費の制約も ありません。(国務大臣の「文民」規定=  条、特別裁判所の禁止= 条だけはあります)
 つまり、政権が憲法の無視を決め込むと、どこまでも野放図に、やりたい放題になります。
 「平和国家は変えない」とだけ嘯(うそぶ)いていればいいのなら、核武装や徴兵制度の導入もどうして出来ないことがあるでしょうか。
 「国防」がすべてに優先されるようになれば、たとえば「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」( 条)はすぐにも脅かされるでしょう。「学問の自由」(23条)は、すでに学術会議への人事介入として脅かされています。明らかに軍事研究への歯止めを外したいのです。「思想・良心の自由」(19条)も保障されないことは明らかです。ウクライナでは、成年の男性の出国が禁止されていますが、「居住、移転、職業選択の自由、外国移住・国籍離脱の自由」(22条)もなくなるだろうし、「人身の自由」(33条)や「拷問の禁止」(36 条)が保障されなくなっても不思議ではありません。つまり、日本社会全体が軍事優先になり、人材を含めたあらゆる資源が軍に配分されるようになります。9条の平和主義が無効化されれば、雪崩を打って憲法体制そのもの、基本的人権や民主主義が崩壊していくのです。

◆憲法を死なせないために
 阪田雅裕元内閣法制局長官は、「憲法9条の死」(「世界」2023年2月号)と言いましたが、死ぬのは9条だけではないと私は思います。
 そうさせないためにどうすればいいか。政権に、憲法との関わりについて、くり返し説明するよう追求していくことです。
 私たちは、国権の発動たる戦争はしない、国際紛争解決の手段として武力の威嚇、武力の行使はしない、永久に放棄したと宣言したのです。なのになぜ、戦争の準備にばかり奔走しているのか。相手から攻撃のない限りこちらから攻撃しないとしてきた「専守防衛」をなぜ投げ捨て、先制攻撃にもなりうる「敵基地攻撃能力」を持とうとしているのか。それは武力による威嚇そのものではないのか。
 国民には、政府にきちんとした説明を求める権利があります。そして義務があります。 条には、国民は国民に保障された自由、権利を守る「不断の努力」が求められていることを忘れてはなりません。
 安倍政権以来顕著になったのは、国会でまともな答弁をしなくなったことであり、それが許されていることです。「丁寧な説明」と言いながら、中身のない答弁を繰り返す。このところ目立つのは「手の内をさらす」から答弁しない、という言い方です。これこそまさに軍事優先の発想そのものです。戦争しない国がどうして軍事の秘密を持ち、それを国民に説明しなくていいのか。安倍・菅総理のように居丈高でなく、柔らかく慎重な言い回しではあるけれど、岸田総理の答弁も同じだと私は思います。
 こうした政権が、G7首脳会議では「法の支配」を宣言しています。憲法を守れない政権が、どの口で言っているのでしょうか。
 周辺諸国との関係が厳しくなり(それは外交的に解決できると私は思いますが)、安全保障の面で軍備強化すべきというのであれば、私は、政治家は「改憲」を堂々と訴え、国民の支持を受けてから行うべきと思います。それが政治の責任ではないでしょうか。また民主主義ではないでしょうか。(もちろん、私は改憲に反対し、運動するが)このままでは、憲法自体が無効になり、信じられなくなってしまうというとんでもなく恐ろしいことになるのではないでしょうか。
 私たちは、9条を守りつつ、その制約と思想の下に、どのような安全保障政策がありうるか、真剣に、またリアルに検討すべきときに来ていると思います。それがあってこそ、9条維持の国民支持が確固たるものになるだろうと思います。


「官制ワーキングプア
会計年度任用職員ー練馬区で4割
               山本 龍城(練馬区職員労働組合 会計年度任用職員評議会代表) 


 みなさまはご存じでしょうか?いま区役所の窓口で応対をする職員の多くが委託や派遣を含めて
「正規」公務員でないということを。私は練馬区介護保険課の会計年度任用職員という「非正規」公務員として働いています。
 会計年度任用職員制度は、2020年の4月、地方公務員の曖昧な位置づけだった非常勤職員の処遇改善、常勤職員との同一労働・同一賃金を期待して法改正され始まったのです。
 しかし実情は、練馬区では現在約4200人の常勤職員に対し、会計年度任用職員が2700人以上、うち女性が8割以上、全国的にも比率はほぼ同様で、その実情はボーナスは出るようになったものの、6割以上は年収200万円以下と、きわめて低賃金状態に置かれたままなのです。会計年度任用職員には最低賃金法は適用されないことをよいことに、昨年、茨城県のある自治体が、なんと実質最低賃金以下で募集をかけていたことが問題となりました。
 練馬区でもサポートスタッフ(アルバイト)などは、最低賃金の改定に合わせ、それを下回らないぎりぎりの賃金改定が行われます。悲惨極まる賃金水準と言っても過言ではありません。
 さらに、問題山積の会計年度任用職員の焦眉の課題として、5年間という任用上限撤廃、雇止め阻止の問題が立ちはだかっています。会計年度任用職員の任期は文字通り1年ですが、さらに練馬区では5年たつと公募を受けなくてはならないのです。「非正規」労働者のながいたたかいによって、わが国では、民間の有期労働者は、同じ職場に5年勤めれば、次の契約更新から無期雇用に転換できる「5年ルール」が出来ています。しかし、わたしたち練馬区の「非正規」の地方公務員は逆に、5年たつと一般の応募の方と同様に再応募して、選考というふるいにかけられてしまうのです。
 私の職場でも「歳だし、受かるの?」「どうせなら、もっと給料の良い区を受けようかしら」そんな声が高まってきています。私の先輩たちも制度導入以前は、極めて低処遇ではあれ、結果として毎年任用され続け、専門職として誇りを持って働いてきました。わたしたちは、公共サービスを長年支えてきましたが、いま、明日をも知れぬ雇用不安に苛まれているのです。
 「官製ワーキングプア」と呼ばれる所以の低処遇で、昇給制度や経験加算もなく、手当や休暇制度も、たとえば「正規」職員は有給の病気、介護休暇もわたしたちは無給、そんな差別、格差は枚挙にいとまなし。私も常勤職員と同じ仕事をしているのに、月 日勤務のパートタイムとされ、勤務日数の差どころではない格差待遇、そして使い捨て不安の日々なのです
 こうした状況を改善すべく、わたしは練馬区職労の会計年度任用職員評議会に結集しています。評議会は、それまでの練馬区非常勤職員労働組合を解散し一昨年8月、練馬区職労に合流しました。
 私の職場では違法なサービス残業が昨年まで常態化していましたが、区職労の粘り強い交渉により残業は減少、練馬区の全会計年度任用職員への未払残業代支給もかちとることができたのです。また、労働組合の全国組織でも要求してきた、ボーナスの勤勉手当相当分の支給も、今国会で、支給できるとの法改正をさせることができました。
 公務員の一員として、日本国憲法を遵守しながら、誇りを持って働いていきたいものです。地域のみな様にも、会計年度任用職員制度の問題性をお伝えし、公共サービスの質の維持改善のためにも、共に手を携えて進んで欲しいと願っております。ともにがんばりましょう。 

 

「入管法改悪」を許してはならない    
                       井上 陽子(ねりま九条の会)

 どうなるの?入管法「当事者が語る難民政策と人々のいのち」という学習会が5月8日ココネリホールで開催された。
 まず、上智大学名誉教授でビルマ近現代史研究者・根本敬さんのお話。ミャンマーにおけるロヒンギャ問題の歴史的背景として15世紀から1971年のインド・パキスタン戦争まで4度にわたり仏教国に流入してきた不法移民がムスリム(イスラム教徒)という認識で、土着民ではないから国籍を持たない外国人という扱いがされている。その後、2021年にミャンマーでは軍事クーデターが発生し、アウンサンスーチーさんが投獄された。国軍最高司令官ミンアウンフライン氏は、市民不服従運動に対して弾圧を加え、多くの国民が殺害され、170万人以上が国内避難民となる。この国軍による支配下で、皮肉なことに市民の間で、ロヒンギャへの「同情」が起き、公平な関係を構築し、ともに新しい「連邦」を作る方向に向かっているという情報もあるが、今も国土の60%を実効支配している国軍の姿勢は「反ロヒンギャ」で変わっていない。
 この後で、ドキュメンタリー作家の久保田徹さんのミャンマーで撮影された映像が流された。久保田さんはミャンマーで撮影したロヒンギャに関する映像で2016年国際平和映像祭でAFP賞を受賞。他にもギャラクシー賞など数々の賞を受賞している映像作家である。映像で、ミャンマーの現状が紹介されたことで、より現実が突き付けられた。

️ミョーチョ―チョーさんの話
 次に登壇したのが、ミャンマー出身ロヒンギャ族のミョーチョ―チョーさん。2006年に来日。 歳からアウンサンスーチーさんの民主化活動組織 に入り、民主化活動にかかわり、何度か刑務所に入れられ、父親が賄賂を払って出獄を助けてくれた。が、このまま国にいたらもっと危険な目に合うということで、海外に行くことを決意、東京に住む従弟を頼って来日した。すぐに難民申請をし、外国人登録証も作り、仕事もでき、自分で稼いだお金で日
本で楽しい生活が出来ていた。ところが、2010年から難民申請が却下され、異議申し立ても認められず「国に帰れ」と言われ、2012年に手錠を掛けられて収容された。
 それから品川入管、牛久入管と合計Ⅰ年収容されたが2013年に仮放免になった。2019年に再度収容され、2021年に仮放免になった時から、収容中のことを皆に伝えていかなければいけないと思うようになった。
 今は、反貧困ネットワークで働きながら、練馬のシェルターに住んでいるが、難民決定がされていないので、いつ帰国させられるかわからない状態でおびえながら暮らしている。
 この反貧困ネットワークの事務局長が練馬在住の瀬戸大作さん。仮放免者の生活と命を守るために必要なことをサポートしている。誰一人として取り残さない!国籍にかかわらず、在留資格にかかわらず、日本人でも、ナニジンでも、日本に生きている人として、貧困状態に置かないことを目指す。という信念の下、シェルターの提供、家賃補助、医療支援、食料提供(フードバンク、食料配送)などを行っている。
 現在国会で審議中の入管法は、難民申請者が3回目に却下された場合は強制送還を可能にする法律。そして仮放免者は仕事が出来ず、したがって社会保険にも加入できず、ホームレスになる仮放免者も多い。この入管制度の暴力で心身を病み、命まで落とす人がいる、こんな法律を許すことは出来ないと支援を行っている。

▪️なおみさんの場合
 次に登壇したのは、練馬在住のなおみさん。旦那様がスリランカ人で2005年に来日し、2012年に結婚したが、国籍がもらえない。旦那様は精神的、肉体的に苦しめられており、自殺も図り、薬漬けとなっている。在留ビザがもらえないと治らないだろう。帰国できない事情があるのに、在留資格を認めず、当事者と家族を苦しめている。
 なおみさんは現在裁判中で6月6日(火)の東京地裁703号法廷で裁判が開かれるが、恐怖で苦しい生活が続いている。入管法は誰のための何のための法律か!と怒りを込めて話された。「仮放免者等の在留資格を求める日本人配偶者の会」を立ち上げている。 
 最後に登壇されたのは杉山聖子さん。社会福祉士/精神保健福祉士で「入管収容問題を考えるソーシャルワーカーネットワーク」事務局として、入管に収容されている人の面会を担当。収容者からは入管は地獄だ、「ワタシタチハニンゲンダ」という映画で訴えられているように動物扱いされているとのこと。
 結婚していると日本を離れられないし、日本で育った子どもたちもいる。帰国忌避者には帰れない事情があるのに、当局は日本の治安のために帰国させないといけないという。日本はなんという酷い国なのだと怒りを込めて話された。

 私は、この会に参加してロヒンギャの方から直接話を聞き、旦那様の事で苦しめられているなおみさんの苦悩に接し、外国人に対する出入国管理政策による外国人差別には私も常に異を唱えて行かなければならないと、強く心に誓った意義深い学習会だった。
 その後、5月20日に平成つつじ公園で第3回難民・移民・フェスが開かれ、なおみさんもスリランカ料理で出店するとのことだったので、私も訪ねたが、非常に多くの人で公園は溢れかえり、たくさんの人々が行列して異国の料理を待っていたので、私は少しだけうれしい気分になれた。
 6月5日夜、入管法改悪反対を求める緊急集会が国会正門前で開催された。難民申請をしている当事者、支援者、弁護士、野党議員など5500人が集まり、「強行採決は絶対反対」「仲間を殺すな」と、力一杯の声を張り上げ訴えた。練馬からも大勢の人たちが参加した。


北町ピースウオーク
             2023.5.27 北橋出雲(北町9条の会)

天候は絶好のデモ日和、 時半ごろから人々が集まり始めました。場所は北町の電車の見える公園です。集会が始まる頃には 人ほどが集まり、横断幕やのぼり旗を手に、大変賑やかな集会となりました。
 集会ではベトナム反戦以来、反戦活動をなさってこられた和田春樹先生、中本弁護士、区長選で頑張ってくれた吉田健一さんの軍拡反対のアピールがあり、とても勇気付けられました。中村貞子さんの青森弁による「憲法9条」も大評判。そして全員でベートーベンの第九のメロディに乗せて、「羽ばたけ憲法9条」の大合唱でデモに移りました。
 北町には陸上自衛隊の駐屯地があります。岸田内閣は5年間で 兆円もの防衛費を目論んでいます。駐屯地が相手国の目標地になっていることは間違いありません。その周辺にいる私たち住民には、本当に恐ろしいことだというビラをまきながら、北町商店街を練り歩きました。隣町の田柄公園まで、ほぼ一時間、約 2・5キロほどでしたが、暑い中、一人の落伍者もなくできたことは嬉しい限りです。途中で手を振ってくれた家族連れや「頑張れ」の声に励まされました。
 終着地の田柄公園では「ここからが出発」という声を確認し合いました。最後のトランペットの伴奏で「ふるさと」の大合唱で解散となりました。


  

大盛況だった 九条の会 全国交流会    大柳武彦 (ねりま九条の会 )

 大江健三郎さんの志を受け継いで、九条の会全国交流集会が5月28日、教育会館で開催されました。 都道府県から292名の参加者があり、ZOOM参加者もいて大盛況でした。
 全国各地で活躍する 名の発言は、岸田政権の大軍拡、大増税、社会保障切り捨て、米・日軍需産業大儲け保障に対抗する、創意あふれる闘いの経験が詰まっていました。
秋田県 湯沢市元市長
 2008年、東北6県を回って、首長9条の会を発足、さらに全国に呼びかけて、2019年、全国首長9条の会に前進、現在251名が参加するまでになった。3月には岸田安保3文書の撤回を求める声明を発表。秋田県民集会の開催には首長が精神的支えになっている。
埼玉県 「渓流釣り九条の会」
自然を愛するロマンチストが100人、福島原発放射能の那須川、中川上流の定期検査で高濃度を確認、廃棄物処理場反対の声を上げている。リニア新幹線で水不足が起き、ヤマメが絶滅することに反対して、6000人がフェイスブックで拡散している。
神奈川県 9条 かながわの会
 企画段階から若者に参加してもらい、「金平さん、田中優子さんと、若者との対話集会」を2400人の県民ホールで成功させ、7月には環境問題で開催する。
東京 中野区九条の会 
 中野区非核平和憲法宣言の 周年記念ポスター募集に 人が応募、選ばれた「銃口に花を、9条には翼を」「憲法は戦争が残した羅針盤」のポスタ―1000枚を町に貼りだした。
東京 千住九条の会
 伊藤千尋さんから、九条の碑が日本にも か所あると聞き、足立区に作ろうと呼びかけ、800人の団体個人が出資して、2021年11月3日、球体のステンレス製の九条の碑を作り、医療法人の場所に設置した。
東京 九条の会東京連絡会
 以前は1000人規模の集会や2か月に1度の講演会開催、600の9条の会があったが今は半減している。コロナと高齢化が原因。しかし練馬や板橋が頑張っている。危機感を持った人が増えており、戦争はダメのポスター、のぼりを都内に張り出している。
長野 飯田市九条の会
 満蒙開拓団の村で、住民の半分8000人が移民した。国の戦争を支えたのは地方自治体だった。地方自治と九条は表裏一体。地方を平和の砦にする運動を起こす。ウクライナ戦争を利用した作為的宣伝に漠然とした不安、力に頼る危険性、平和の道筋を明らかにすべきだ。
滋賀県 米原市長
 人権、生命、福祉は平和であってこそ守られる。人々の暮らしの中から9条を守る運動を起こす。人口減少、高齢化で忠魂碑の遺族会から、忠魂碑の撤去を税金でやってほしいと求めてきた。非核平和委員会で相談し、沖縄の平和の礎のように、すべての戦没者を刻んだ平和のモニュメントを9月に建立することを決定した。憲法を守るという平和都市宣言の一環として、祈り、念ずる場にしていきたい。

 このほか貴重な報告があったが省略します。
 大江さんがなくなり、当初の九条の会呼びかけ人は澤地久枝さん一人になったが、その遺志を引き継ぐ新しい世話人から6人の決意の表明があった。最後に高田健さんが、改憲の動きについて、来年の3月までに採決する構えだが、戦争反対、岸田はダメだの宣伝を強めようと呼びかけました。

 

戦後沖縄で引き継がれてきた、
    非暴力の抵抗運動に徹した安和・塩川での直接行動

                         
西浦 昭英(名護在住)   

                

 米軍普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古の埋め立てが始まり、2022年12月で4年が経過した。4年間に投入された土砂の量は全体の約13%にすぎない。このペースが続いたとしてあと27年かかることになる。
 本部半島の山から削られた土砂は、名護市安和桟橋と本部町塩川港で、運搬船に積み替えられ、北端の辺戸岬を回り辺野古へ運ばれる。ダンプを1台でも減らすための抗議行動が連日行われている。
 安和桟橋では、朝7時から夜8時までの13時間の作業で、ダンプの1日の延べ台数は、抵抗運動がないと約1100台だが、出入り口でゆっくり歩くことで、800~9000台に抑えている。その差200~300台は、土砂運搬船1隻分に当たる。
 沖縄防衛局は無理な運行をしている。安和桟橋のダンプの入口は、国道449号線の信号のある交差点で、当初は右折の進入だけだったが、直進・左折の三方向からの進入を始めた。この影響で、一般車を巻き込んだ混雑が日常的に起きている。左折ダンプが歩行者を巻き込む危険性があると再三抗議をしており、2022年12月7日・8日と連日ダンプと歩行者の接触事故があったが、沖縄防衛局は何の改善も行わない。冬の日没は午後6時前である。その後、約2時間も、 時間労働の数十台のダンプが真っ暗な国道を走っている。異常としか思えない。
 私たちの先輩は、国頭村の実弾演習訓練施設(1970年)、読谷村の米軍不発弾処理場(1975年)、本部町のP3C対潜哨戒機用通信所(1987年)、恩納村の都市型実弾訓練施設(1989年)など、アメリカ・日本両政府が計画した新たな基地建設や訓練を、非暴力の精神と直接行動によって、断念をさせてきた。その精神は、安和桟橋・塩川港でも引き継がれている。
 ダンプが止まると、運転手に一礼し抗議者は歩き始める。急な飛び出しや危険な行為ではなく、ゆっくり歩く非暴力の抵抗運動に徹している。ある女性の抗議者は、写真のような手作りの風船を作った。当初は文句を言っていた運転者も、埋め立てを少しでも遅らせたいという私たちの気持ちを、次第に理解をしてくれるようになった。朝の7時から9時の時間帯は、反対車線を走る一般車が多く、1回の信号で右折ダンプが1台という状態が続いていた。すなわち、先頭の1台だけが青信号で停車線を越え、赤になって対向車が停まると1台だけが進入していた。 2021年9月のある朝、突然2台のダンプが停止線を越え、赤信号に変わると2台が入って来るようになった。多くのダンプが一斉に始めたことから、沖縄防衛局の強い指示であろうと思われた。抗議者の女性は、ダンプに対して抗議と合わせてお礼を続けた。2台目のダンプには抗議を示し、2台目が進入できるタイミングでも、停止線で待っていたダンプには、ダンプの近くまで行き、プラカードを下げ、大きな声で「ありがとう」と言った。少し離れたダンプには、声が届かなかったかもしれないが、お礼のポーズはハッキリと見えたようだ。
 小さな行動の積み重ねの結果、しばらく経つと、ほぼ以前と同様の信号で1台に戻った。
 抗議者を規制して、どちらの側に立っているのか? と疑問に思われる機動隊も、本心は基地反対で抗議者に理解を示す機動隊員も多い。ダンプの前をゆっくり歩いていると「上司が見ているので、申し訳ないですが背中を押しますね」と軽く背中を押されたことがあった。ある時、周りに誰もいなかったせいか、突然「うちの妻は今妊娠7ヶ月なんです」と言われた時は戸惑った。とっさに「出産の日は休暇を取って、立ち合うといいよ。何もできないけど、傍にいて奥さんの手を握ってあげなよ」と言った。立場は敵対関係だが、非暴力の平和行動で、理解を得てきたと思う。ささやかな楽しい会話をしながら、毎日ダンプの前を歩いている。


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