110 号 2023年8月発行

 

 

劣化が止まらない自衛隊
                大内要三
(日本ジャーナリスト会議会員)
 
 

◆続発する事故・事件
 今年は、戦後 年、そして日本国憲法制定 年に当たります。日本国憲法は、それこそ占領の終わった1950年代以来 4月、陸上自衛隊のヘリが宮古島付近の海上に墜落した。搭乗していた 人(熊本の第8師団長、宮古島駐屯地指令を含む)が犠牲になり、まだ行方不明者がある。自衛隊の事故調査委員会の報告は通常4か月以内だが延長され、事故原因はなお不明だ。行方不明の4名は氏名すら発表されていない。宮古島から橋でつながる下地島空港を活用して沖縄を前進基地とする想定の、台湾有事日米共同作戦のための現地視察のフライトであったと思われる。
 6月、岐阜市内の陸上自衛隊射撃場で、自衛官候補生が3人の隊員を死傷させた。死亡した教官は候補生の指導教官ではなかったので、厳しい候補生生活への反発からではなく、たんに小銃を強奪したかったためのようだ。自衛隊施設内での事件は自衛隊の警務隊に捜査権があるが、この件に関しては警察との合同捜査が行われている。
 自衛隊内でのセクハラに勇気ある告発をした五ノ井さんの裁判が続いている。加害者が反省しないための損害賠償請求民事訴訟と、検察が告発せず検察審議会の「不起訴不当」の判断でようやく成立した刑事訴訟の両方だ。加害者が自己の行為を矮小化しようとしているのが見苦しい。防衛大臣直轄の防衛監査本部は全自衛隊員を対象にハラスメント調査を行い、1414件の申告があったが、氷山の一角と思われる。
 防衛大学校の等松春夫教授が「危機に瀕する防衛大学校の教育」という論文を発表した。これによれば、研究業績も教育能力もない退職自衛官が、ろくに審査もなく防衛大教官となり、学生舎内で問題が発生しても見て見ぬふりをする。そのため校内ではパワハラ、セクハラ、いじめが蔓延し、保険金詐欺・補助金詐欺事件があり、機密漏洩事件があった。告発した等松教授は学内で威圧的な尋問を受けた。防衛大学校は自衛隊の幹部養成のための学校であり、卒業生はすぐに幹部となる超エリートだ。

◆自衛隊の内部事情
  なぜ、このように自衛隊は劣化したのか。自衛隊員といっても、身分は大きく分けて3段階ある。それぞれの事情を考える必要がありそうだ。
 いちばん下の「士」は、旧軍の「兵」にあたる。自ら自衛官候補生試験を受けて入隊し、陸上自衛隊は2年、海空自衛隊は3年の任期を勤める。要するに非正規労働者のようなものだ。再任によりさらに勤めることは可能だが、 代のうちに退任する者が多い。試験を受けて正規の職業自衛官になることは可能だが、若いうちに別の職業につく者が多いのは、それだけ自衛隊は魅力のない、誇りを持てない職場なのだろう。
 今春の自衛官候補生募集は9245名だったが達成率は約6割と過去最低だった。 そして年に5000名が辞めていく。とにかく人が足りない。 労働強化になり、休みがとれない。定員不足・教育不足のまま出動するので事故も増える。部隊内は荒れて不祥事が続発する。
 中間階級の「曹」は、旧軍の「軍曹」にあたる。職業自衛官として生活は安定するので、充足率はそれほど低くない。しかし幹部への昇級試験を受けず曹のまま歳を重ねる者が増えれば、精強さを欠く部隊になるだろう。
 そして尉官・佐官のような幹部は旧軍の少尉以上にあたる。昇級のためのかけひきでは、日米同盟のもとではとにかく英語ができることが重要だ。米軍の幹部学校に留学し、日米共同訓練の指揮をとり、海外派遣の経験を積んだ者に昇進が約束される。しかし、民間で働いた経験のない者が防衛大卒ですぐ幹部になれば、一般社会常識がどれだけ身についているだろうか。

◆日米同盟による貧困
 冷戦終結後に自衛隊の在り方が大きく変わったのは、最大の仮想敵・
ソ連がなくなったのに日米同盟が解消されるどころか強化されたことからだ。米軍は全面戦争に備えるのではなく、中東のテロ戦争に力を注ぐようになり、自衛隊もゲリコマ(ゲリラ・コマンダー)対応の訓練を始めた。米国が経済的に凋落し始めると、米軍の指導下で力をつけてきた自衛隊への助っ人としての期待が高まった。中国が経済・軍事で力をつけると、日米同盟の仮想敵は中国になった。
 安倍政権のもとで始まった急速な日本の軍拡は、米国の安全保障戦略の転換に対応している。2014年の憲法解釈変更の閣議決定、2015年の安保法制は、自衛隊が海外で米軍とともに戦うための法制度をつくった。2018年の防衛計画大綱は、専守防衛を名ばかりにする宣言となった。自衛隊は航空母艦を持ち、敵地攻撃能力を持つような防衛予算を組んだ。2022年1月の日米防衛外交協議の共同発表は、日米の安全保障戦略は「かつてないほど整合している」と自画自賛した。この延長線上に昨年の安保政策3文書がある。
 沖縄県の与那国島から鹿児島県の馬毛島にいたる南西地域に自衛隊の新基地が建設され、レーダーとミサイルが置かれつつある。これらの基地は米軍との共用になり、台湾有事の際の日米共同作戦の拠点となる。住民にとっては島からの全員避難は不可能なので、住民避難に責任を持つ各自治体ではシェルター建設の要望があるが、有事にどれだけ有効だろうか。
 わずか30年ばかりで自衛隊は、米軍の補助部隊としての性格を露わにし、東アジアの安全保障環境を自ら厳しいものにした。冷戦終結時に日米安保条約を廃棄し、軍縮を進めていれば、自衛隊は「自衛のための必要最小限の実力」だから日本国憲法9条と矛盾しない、という言い訳がまだ通用したかもしれない。現在なお、ロシア・朝鮮・中国に、日本に侵攻し占領する能力など全くないことは、軍事に詳しい者なら誰でも知っている。
 日本が身の丈に合わないほどの軍拡を進めることで米国に貢献する必要などあるのか。ドルと軍の力で世界覇権国となった、かつての米国の姿はすでにない。ともに凋落しようというのか。無理な軍拡が国民生活をさらに貧しくする中で、自衛隊は内部から劣化を進めている。


平和を望む若者、憲法を武器に 高野 普(民主青年同盟練馬地区委員長) 

◆大暴走を続ける政府

 これまでの民青同盟の活動を振り返ってほしいということで、このような形で文章化することになりました。まず、今の社会情勢並びに青年の変化についてですが、皆さんは岸田政権についてどのような評価をされているでしょうか。これは、民青同盟の評になりますが、岸田政権は、「戦争国家づくり」をすすめ、悪法を次々と成立させ、大暴走を続けています。 3月に成立した2023年度予算は、敵基地攻撃能力保有・大軍拡を含んだもので、平和主 義を掲げてきた戦後日本の歩みを踏みにじる、歴史的暴挙といえるものでした。
 その後の国 会でも、マイナンバー法改定案、軍拡財源法案、軍需産業支援法案、原発推進等5法案、入 管法改定案など、数々の悪法が可決されてきました。一連の悪政推進の特徴は、誤魔化しと 虚偽答弁、強行採決によってすすめられていることです。維新・国民民主は、自民・公明両党とともに、「悪政四党連合」となり、岸田政権の大暴走の担い手となっています。

◆青年の模索に寄り添い応える

 また、特に年度初めあたりから、街頭に出て対話を試みる機会が例年になく増え、青年と対話をしたことのなかった班員にとっても貴重な体験になりました。そして、街頭の青年と対話すると、どのような立場であれ現在の政治やこれからの日本社会に対する怒りや不満が見えてきます。例えば、「軍拡は必要だと思う」と主張する青年とよく対話すると、その根底にあるのは、自分や家族・友人の生活を大事にしたいという思いであり、 本当は平和を望んでいることが見えてきます。青年のこういった模索に寄り添い応えるなかで、民青は仲間を迎えてきました。 青年の巨大な政治的模索は、自民党政治を終わらせ新しい政治を切りひらく、巨大なうねりに変化し得るものです。
 青年の政治的模索に応えられたのは、日本の政治を「財界中心」「アメリカいいなり」という自民党政治の「二つの異常」から抜け出させようという展望を語ることができるからです。おおもとである「二つの異常」を取り除くことなくして、青年の要求を実現する新しい政治は生まれません。このきっかけになれたらということで3月8日の「この国を『戦争国家』にしていいのか」学習会、6月 日の若者憲法集会とそれに向かって行われた全国青年憲法運動、練馬でも、若者憲法集会のプレ企画という位置づけで、弁護士の野口景子さんをお招きして憲法が身近に感じてもらうための学習会を行いました。特にコロナ禍以降中止になっていた若者憲法集会は、練馬の石神井を含めた300以上の実行委員会が結成され、毎日街頭宣伝に踏み出す同盟員らの挑戦が生まれました。6月 日 の若者憲法集会メイン企画には約1000人が参加、その後のデモには約1500人が集まりました。これは、今後の取り組みの可能性を示す大きな意義のある成果でした。
今後は、つくられた実行委員会を土台に、「敵基地攻撃能力保有・大軍拡に反対する青年の草の根ネットワーク運動」がおこなわれようとしています。ひきつづき活動をしていこうと思います。
 

公害問題の原点「足尾鉱毒事件」と田中正造    
                      小沼 稜子(ねりま九条の会)

◆渡良瀬遊水地にて

 6月25日、大泉九条の会が主催したフィールドワーク「田中正造と足尾鉱毒事件」に参加した。
12人が車2台に分乗して朝7時に大泉学園を出発、9時前に渡良瀬遊水地に到着した。渡瀬遊水地は、明治34年に衆議院議員であった田中正造が明治天皇に直訴までして守ろうとした谷中村を廃村にして、栃木、群馬、埼玉、茨城の一部を堤防で囲む広大な鉱毒沈殿池として、また渡良瀬川や利根川の洪水を防ぐ役割を受け持つ、日本最大の「遊水池」として作られた。
現在は「遊水地」と名称を変え、ラムサール条約の登録湿地として、美しく整備された観光地になっている。私の乗った車に同乗しておられた足尾銅山に詳しい満川常弘さんは、遊水地の地下や、付近の田畑の地下には何度かの洪水によって今でも鉱毒の層があると教えてくださった。

◆佐野市郷土博物館を見学
 栃木県には田中正造に関する資料館がいくつも存在しているが、私たちは、明治天皇への直訴状を展示している郷土博物館を選択した。郷土博物館には田中正造コーナーがあり、学芸員の女性が展示物の一つ一つを指し示しながら、田中正造の思想と行動を、尊敬の気持ちを持って伝えてくれた。
 田中正造の言葉に「天の監督を仰がざれば、凡人堕落。国民、監督を怠れば、治者は盗を為す」があるが、「国民、監督を怠れば、治者は盗を為す」は今に通じる鋭い言葉だ。また「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし!」「陸海軍備全廃すべし」というものもある。この時代、日本は日露戦争に勝っていて、日本中が戦勝気分に酔っていた。そんな中、「国家より国民の生活が大事」「戦争反対」を宣言する田中正造の勇気に感動した。

◆国の決定を覆した住民運動 
 私にはもう一つ皆さんに伝えたい事がある。それはさりげなく学
芸員の女性が語った「当初、政府は加須地区を沈殿池にする予定だったが反対運動が起きたために、谷中村周辺に変更した」という言葉についてである。十数年前、婦人民主クラブ主催の学習会で、講師の奈良達雄氏は、「水没予定地の北川辺村(合併により現在は加須市)に向けて田中正造は熱心に新聞を発行した。その新聞を印刷屋が無償で印刷し、支援者たちが一軒一軒丁寧に配布、字の読めない人にはお寺の住職が丁寧に解説するといった、地道な住民運動が続けられた。その結果一人の落伍者も出さず、反対運動に成功した」と話された。私は悲惨な足尾鉱毒事件の中にも、このような住民運動の歴史があったことを誇りに思っている。
 田中正造記念館は館林や、藤岡などにも存在し、ボランティアで運営されている。その事実だけでも、田中正造の生き方が、当時の人々のみならず、現在の人々にも共感と尊敬の気持ちを与えていることが良くわかる。

◆命を軽く見る資本家と政府 

 足尾に着くと、満川さんの紹介で、足尾在住の藤井豊さん(元足尾町会議員)と、石川敏夫さん(陶芸家・画家)が参加してくださった。足尾銅山は、銅・鉛・亜鉛・ヒ素・カドミウムなどの金属成分が、鉱内から出る水や、選鉱場から出る水に含まれて、川に流れ込んで被害を起こしたことで知られているが、私はそれは富国強兵、殖産興業を謳った明治政府下の出来事であると思っていた。しかし古河鉱業による銅山経営は1973(昭和48)年に採鉱を停止し、閉山するまで続けられていたのだった。
 お二人はまず、いくつかの採掘坑跡と採掘に携わった労働者の住宅跡を案内しながら、今では植樹されてわかりにくいが、銅の精錬工程からの亜硫酸ガスで、周辺の山林が全てはげ山になったことを話してくれた。植樹は今でも続いていて、当日も中学生の一行が2台のバスで訪れて作業をしているのが見えた。
 明治16 年頃から煙害によって養蚕が壊滅し、草木が枯れ、馬が病気になるといった被害が出はじめる。明治30 年には、[鉱毒予防工事」と称して製錬所が移転し、煙突を高くするとともに規模を拡大したため、煙害がさらにひどくなった。住人は次々に離村し、松木村は廃村となってしまった。私達が訪れた松木村跡は、大量の廃鉱石(カラミ)の堆積場となっており、いくつかの墓石が、当時村があったことを教えてくれていた。
 次に太平洋戦争中に中国から強制連行されて死亡した109人を慰霊する「中国人殉難烈士慰霊塔」へ、続いて木の柱が1本立つだけの朝鮮人労働者の慰霊塔に案内された。13メートルもある石造りの中国人の慰霊塔との差に愕然としたが、朝鮮人慰霊碑には、まだ美しいままの花が供えられていた。私達も、強制労働で亡くなった人々への贖罪の気持ちを込めて手を合わせた。

◆鉱毒事件はまだ終わっていない

 銅山観光となっている通洞坑には時間の都合で入れなかったが、その近くにある 「伝説の赤い池」と呼ばれている簀子橋ダムについて話してくださった。このダムは、山間の谷を埋め尽くして作られており、今でも坑道から流れ出ている亜鉛やヒ素といった鉱毒をこの池に沈殿させているのだという。底辺は330メートル、高さは100メートル近い巨大なダムだが、明治35年の足尾台風では、山が崩れ、多くの家と人々が押し流され、今でも人骨がこのダムに埋まったままだという。
 昭和60 年に足尾町が、ダムの安全性の調査・研究を日本科学者会議に委託したところ、「古河鉱業側の資料によっても安全性に問題がある。使用を停止し安定化を図ることが望ましい」という提言を得て、住民による監視が続けられている。
 足尾は関東では三大豪雨地の一つと言われ、活断層もある。豪雨や地震でダムが決壊することを、お二人が心配され、運動を続けておられることを私は初めて知り、ショックを受けた。鉱毒事件はまだ終わってはいなかったのだ。

 最後に、車を出してくださった方、運転を引き受けてくださった大泉町九条の会の方々に感謝の気持ちをお伝えしたい。

 


 

衆議院の憲法審査会 危険で無意味な〈議員の任期延長〉
 
                     
憲法審査会傍聴者  西崎 典子                  

 憲法審査会は衆議院が50名、参議院が40名、それぞれ約4分の3が改憲5会派です。数で大きく勝る改憲5会派は衆院憲法審の毎週開催を要求し、改憲論議を加速させ、2024年9月の岸田首相の総裁任期に合わせて改正せよと主張、首相自身もその実現に向けて取り組むと明言しました(記者会見 6月21日)。
 今期の衆院憲法審は9条問題と並行し、《緊急事態条項》を構成する〈議員の任期延長〉改憲案を「国民の理解が得やすい」として議題にしてきました。
 これに加え既存の〈参議院の緊急集会〉については、参議院側の求めもあり、5月に参考人計4人の招致を行いました。うち長谷部恭男早大教授と土井真一京大教授は、緊急集会を擁護し、また〈議員の任期延長〉の危険性をはっきり指摘しました。
 この陳述なしでは、私たちは緊急集会の意義も知らず、改憲派の言葉に惑わされていたかもしれません。 私はこのことの重要性と、〈任期延長〉のお粗末さを皆様にお知らせし、また市民と法の専門家が協力して改憲阻止の行動をするよう訴えます。

■1)〈議員の任期延長〉
改憲派が力説する〈議員の任期延長〉とは

 国政選挙の直前に起きた緊急事態で、選挙が広範な地域で長期間実施困難となるという要件(選挙困難事態)をまず内閣が認定し、次に国会が出席議員の3分の2以上(自民党説では2分の1以上)で事前承認すると成り立つ。
 客観性の確保のため事後に『司法の事後統制(勧告)』を行う。
 任期延長期間の上限には6か月説と1年説があり「再延長可能」。
〇問題点
・緊急事態宣言はいつ発するのか
・《選挙困難事態》は何を要因(選挙区、有権者数?)とし、どう判定し、どう調査をするのか?
・司法の事後統制と言うが、会派により憲法裁判所、最高裁、客観訴訟と異なる管轄を挙げ、かつ具体的に何をするのか不明・維新は憲法裁判所の創設を主張するが、これは簡単にはできない
・事後とはいつか
・〈参議院の緊急集会〉との兼ね合いをどうするか
・任期延長の再延長とは、何のことか
・任期延長の上限期間の根拠が不明
・参議院側との意見の食い違いをどうするか 
・解散で本来予定されていた選挙をせず失職した議員の居座りを認めると、不祥事で問題ありとされる議員が延命できる。また目的をもって立候補しようとする有為の人物の機会を奪ってしまう
・任期延長が目的なのか?その国会で何をしようとするのか?
〇法律家6団体の反対声明(2022年4月6日)より
 日本全土にわたり広範にかつ長期間、選挙が実施できない場合といった(確率的には極めて低く想定し難い)事態に限って、国会機能の維持のために議員任期延長の改憲が必要だと主張している。改憲をするためだけの議論であり、国会機能の維持など本心では念頭にないことが明らかである。
■2)〈参議院の緊急集会〉(憲法  条1,2,3項に規定)
 衆院が解散された後に緊急の必要が生じたとき、内閣が参院の緊急集会を求め、臨時の対応を要請することができる(憲法54条2項)。衆院の解散後40日以内に総選挙を行うことと、総選挙後30日以内に新たな国会を召集することが求められる(同54条1項)。
 緊急集会がとれるのは、臨時の措置だけで、次の国会開会の後10日以内に衆議院の同意がない場合はその措置は効力を失う(憲法54条3条)。
2)①⦅説明⦆ 
 改憲派は、緊急集会で対応できる期間は40+30=70日以内に限られ措ると主張するが、2名の参考人は、70日には限定されないと言いました。もっとも長谷部参考人は「超えて継続することは、好ましいことではなく、あり得る話だとは考えている」「できるだけ短期でなければいけない」とも言いました。「70日を 超えて継続することは、好ましいことではなく、あり得る話だとは考えている」「できるだけ短期でなければいけない」とも言いました。
2)②緊急集会 参考人の発言より
 以下長谷部参考人)

 緊急事態は非常時であり、平常時とは区分されるべきであり、平時の状態が回復したときはできるだけ早く通常の制度へと復帰をすることが予定されている。
 国民の選挙権は国民の基本的権利として議会制民主主義の根幹をなす。
最高裁の判例も、選挙権に対する制限は、本当にやむを得ない場合でなければしてはいけない、と言っている。
 失職をした衆議院議員の任期を延長するなら、総選挙を経ない、ある種異常な国会が存在をして、そこで通常の一般的な法律が成立することになる。
 たとえ選挙の実施に困難が生ずるということがあっても、困難が解消され次第、順次やはり選挙は実施していくべきものと考える。 

2)③緊急事態での国会の在り方
土井参考人5・31 )

 歴史に照らせば、緊急事態は権力
の簒奪や濫用が行われる危険性の高い時期なのでこれを防止する仕組みを国会で慎重に検討されるべきと考えます。
 その際のお願いは、緊急事態から通常時へのレジリエンス、復元力の高い仕組みを検討するという点と、通常時に復帰した後、緊急事態において講じた措置について、その合憲性、合法性を審査する機会を適切に確保するという点です。
■3)参考人質問への審査会の反応
5月31日、参院審査会の委員は陳述を傾聴し、内容理解に努め「緊急集会が開かれたら、真摯な対応をしたい」と言う声もあり、こうした憲法論議への畏敬の念が感じられました。
一方、6月の3回にわたる衆院審査会で、改憲派の多くは長谷部教授に反発し見下すかつ粗雑な発言が目立ち、法理より何より改憲だという、権力欲しさが露わでした。

 特に、国民民主党の玉木委員には明らかで「学者は学説を組み立てるが、危機に備えるかどうかを決めるのは学者ではない、私たち国会議員が決めるしかない」を始め、色々と言い立てました。
■4)審査会が終わって    
 衆院憲法審の最終日、6月15日は衆院の改憲派のペースはダウン、衆院の立憲民主党も、任期延長には反対〈緊急集会〉で対応、と断言しました。参院では秋も〈参議院の緊急集会〉の議論が続くでしょう。
 その後テレビ番組が取り上げました。「選挙で選ばれていないのに、衆議院だけ議員の任期をいきなり延長するというのは厚かましすぎる」(橋下徹氏フジテレビТHE PRI МE 6月25日) 
長谷部教授は新聞でも同じ主張をしています(東京新聞7月5日夕刊)。
 秋の審査会の再開でどうなるか、憲法9条の2項削除という動きもあり、予断を許しません。でも力を合わせて国民には有害な〈議員の任期延長〉NО!の流れを作っていきましょう。         (完)


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