118 号 2024年12月発行
2024教師の働き方が平和へのカギ ~幸せに働くための扉をひらこう~
都教組練馬支部書記次長 薮内恵
◆幸せに働く教師を増やすために
「一日やり切るので必死の日々でした。前の仕事量だったら、私は辞めていたかもしれません。」 月に入ったころ、今年度新卒で私の職場に採用された教師が伝えてくれました。練馬区は今年度、組合の働きかけの中で「年に一回の通知表の所見」「勤務時間外の留守電対応」「土曜授業の回数削減」を公表し実施しました。
「#このままでは学校がもたない」を合言葉に、未だ解決していない学校現場の危機的状況に、未来をどう描けばいいのか。ともに平和へ歩むための視点を、是非ここで共有させてください。
◆長時間労働を根本から減らすために
私には、小学校に通う2人の子どもがいます。夫も同業のため、子どもたちの見送りをせずに先に家を出るのが我が家の日常です。
帰宅してから、我が子が「○○を持って行くのを忘れた。」と言うことも少なくありません。学童のお迎えが遅くなることも考えて毎月の「延長申請」は欠かせません。「仕事をするためにお金を払う」という自己矛盾を抱えながら、今も教師を続けています。
長時間労働になる、一番の原因は「教師の専門性が担保できる仕組み」ができていないことです。多くの教員は、一週間で ~ コマの授業を受けもちます。休み時間には、子どもたち同士の人間関係の調整、提出物や課題の整理で終わります。例えば5時間目まで授業をし、子どもたちの下校後に業務をするとしたら、約1時間とれることになります。これは、休憩時間 分を含めません。6時間目まであるとしたら、単純に 分の学級事務作業となります。
みなさんは、この時間を「長い」とみますか?「短い」とみますか?
もし、ノートにスタンプだけを押すだけにして、テストの丸つけをタスク的に終わらせて、次の日の授業も指導書に書いてある通りに一斉授業でする準備をして、同僚と何も会話をしなければ、退勤時刻には職場を出られるかもしれません。
つまり、長時間労働は、勤務時間内に「子どもたちのための教師が本来するべき仕事」ができない設計により起きています。例えば、子どもたちのノートやプリントを見ながら、誤認識や理解への課題を見付けること、同僚たちとの情報共有で子どもへの見識を上げること、授業のねらいや目標を確認しながら子どもたちの実態に応じた教材の情報収集や教材の再構築をすることです。これを、勤務時間内にする働き方の設計にしてほしいのです。
「教師の専門性」とは、児童理解への追求と、教科(学問)とその子をつなぎ、子どもたち自身が人生を切り開いていける願いや行動を支え・高めることだからです。私たち教師は、そのために、 人学級をすすめたり、全国一斉の学力テストやスポーツテスト、人事考課制度などに反対しているのです。
◆いい政策と見せる風潮を見極めるために
このまま、退勤時間だけを守らせるだけの、安易に早く帰らせられてこどもや教師は幸せになるのでしょうか。学校は、笑顔で魅力のある場になるのでしょうか。答えは、「NO!」です。
例えば、2020年からの政策をふり返ってみても、GIGAスクール構想による、一人一台端末の導入、不登校児童の増加による居場所づくりや諸対応、個別最適化に向けた教育の推進、など、あれやこれやの「学校を変えるための導入」は、勤務時間内に「子どもたちのために本来教師がするべき仕事」ではなく、むしろ長時間過密労働に直結する新たな労働そのものです。
シンプルに、教材や給食会計の仕事は経理をつけ、端末への対応にはエンジニアをつけ、校内の居場所づくりにはカウンセラーを配置すればいいのです。教師が何役も背負っている業務に人的予算をつければいいだけです。「教員免許がなくてもできる業務」には、教育予算をしっかり使って信頼できる人員を確保して業務する。先生を増やすことで、子どもたちにも目が行き届き、「教師の専門性」が磨くことができます。
◆教師が「教師」でいられる世の中に
これまで教師は、「教師」という本来の仕事さえさせてもらえていないのですから、離職や退職が増え、人気のない職業になるのは必然的です。
「やりがいのもてる仕事」には、いくつかの条件があると言われています。
教職員組合では、
①余裕がある(休憩時間・心理的安全性など)
②仲間がいる(同僚性・社会的つながりなど)
③自己決定ができる(自立性)
の3つの条件を満たすことがウェルビーイング(well-being)を高め、働き続ける職場環境として機能すると考えています この土台となる文化が「願い」を聞く・「待つ」ことの豊さをつくり出すことです。
そしてなにより、教師が真に働きやすくなることで、子どもたちが安心して学び、自己実現を達成する学校になります。子どもたちの学びの質を高めることは、地域全体の成長にもつながります。私たち一人一人が子どもや教師、学校のファンとなり、小さなアクションを集めれば、大きな変化を生み出すことができます。ぜひ一緒に「#幸せに働く先生ふやそう」で発信しませんか。。
2014年12月6日 ねりま九条の会第21回総会報告
ねりま九条の会事務局長 大柳武彦
ねりま九条の会は12月6日ここねりホールで 回目の総会を開催しました。参加者は 名で、各九条の会から、地域の特徴ある活発な活動報告がなされました。記念講演はねりま九条の会創立 年の節目として、清水雅彦さん(日体大憲法学教授・九条の会世話人)に講演していただきました 経過報告と方針案の提案は大柳事務局長から、この一年間は大変忙しく、8月まで毎月講演会を開催し、都知事選、総選挙にあたって、ねりま九条の会独自のチラシの全戸配布や、独自の駅頭宣伝を実施し、市民と野党の共闘に力を注ぎ、9区では山岸一生さんを当選させ、28区では候補者調整は残念ながらできなかったものの、高松さとしさんの当選を果たし、練馬区小選挙区は自民党がいなくなりました。自民党の裏金問題と、2000万円の選挙交付金が大きく影響しましたが、私たちの努力が実ったと思います。
総選挙の結果、自民・公明の与党は過半数を割り込み、改憲勢力は3分の2を切り、各委員会の委員長ポストは10対7となって強行採決はできなくなり、悪法の閣議決定もできなくなり、新たな政治の転換のチャンスが到来しました。しかし野党も、日米同盟を基軸とする勢力が多く、与党にすり寄り、改憲を叫ぶ維新や、国民民主党など、安易に喜べない状況です。しかもトランプ大統領の再現で、無理難題を押し付けられ、軍拡のために、国民の暮らし、福祉、教育が犠牲になるのは目に見えています。6月の都議会議員選挙や7月の参議院選挙で引き続き与野党逆転と、改憲勢力が3分の2を切ることが求められます。その力で1年4か月後の練馬区長選に勝利するために、ねりま九条の会は総力を挙げます。具体的には、総選挙向けた新たなポスターの制作のために、1000名を目標に賛同金を集めます。また独自のちらしを作成し全戸配布を行います。会員の拡大では一人が一人を拡大し1000名にすることを呼びかけます(別紙)。
憲法の話をすると、よくお前は共産党かと問われますが、憲法は左翼の専売特許ではありません、すべての国民の傘のようなもので、戦争や飢餓から国民を守り、教育、人権などを保障するものです。そのために清水雅彦さんの人権問題を中心にした憲法講座を1月から4回にわたって開催します。これには自民党支持者にも声をかけていきます。学習を武器に、モノ申す市民をつくっていきます。まさしく九条の会の出番となりました。決算は井上さん(会計)から、収入が163万円と前年より減額となり、会員の減少が影響している、何としても会員の拡大が必要ですと訴えられました。またSNSの活用についてねりま九条の会としての講座をココネリ(午前9時より)開催することにしました(12月21日ここねり9時より)。
各九条の会の報告では、上石神井九条の会から、多彩な学習会や上映会、新宿の平和祈念館見学会について、下石神井九条の会からはニュース発行が60回を超え、会員も増えて60人を超え、直近では「原発を止めた裁判官」を上映したこと、田柄九条の会から、光ヶ丘団地のできるまでの戦前からの歴史について学習し、春日町九条の会からは春日町図書館ギャラリーでの原爆写真展、春日町町会主催の現職自衛官の講和に参加して、戦争の準備より平和外交の大切さを訴えて、自衛官から同意と、個人としては戦争反対という言質を引き出した。大泉町九条の会から、能登半島地震と洪水被害の三度にわたる救援活動に参加して、現地の人から「東京にも必ず地震は来る、能登地震を教訓にして」と忠告を受けた報告など、さまざまな活躍ぶりが胸を打ちました。
記念講演の清水雅彦さんのお話は、20年を迎える九条の会の意義と課題について語られました。非常に精緻な分析で、日本の市民運動の現状、とりわけ労働組合の組織率の低さ(16 %)、影響力の希薄さ、職住の分離から、地域活動への無関心、これが他国と比べて大きな問題と指摘。それに対して主婦、退職者、学生、特殊な職業人、高学歴、無党派を強調する市民が中心となり、最近は原発事故後の20万人集会や、戦争法反対の16万人が結集した。しかし韓国の非常戒厳に、即座に結集する市民と比べると、日本はまだまだ弱い。 九条の会は2004年6月、9人の呼びかけで結成されたが、存命は澤地久枝さん1人となり、一時は7500か所にできた九条の会も、コロナや、高齢化で減少している。新たに12人の世話人を新設して、清水雅彦さんたちも加わった。この九条の会の草の根の活動によって、改憲策動を押しとどめてきたことは間違いなく、2004年の改憲反対22・7%が2010には42・2%に跳ね上がった(読売新聞)
また労組と市民と野党の共闘組織「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会(2014年)」は、3つの団体が共同して発足、これに九条の会が加わり「安倍9条改憲NО!全国市民アクション」に発展した。その結果、連合と全労連の所属組合の統一行動が実現し、5月3日の憲法集会が統一して開催されるようになった。
さらに立憲民主党、共産党、社民党、生活の党の連携が実現した。労組と市民の運動の土台ができたことで野党共闘が実現できた。大きな共同をつくるうえで必要なのは、平和憲法の理念の実現であると語られました。九条の会のまさしく出番だということです。
地域9条の会の活動から
9条は死んでいない! 上石神井九条の会 太田芳夫
2024年1月2日、DVD「岸田軍拡・改憲への道、こうすれば止められる」を視聴しました。
5月1日、渡辺治氏(一橋大学名誉教授)に「緊急時における国会議員の任期延長問題」、稲正樹氏(国際キリスト教大学平和研究顧問)を講師に招いて「日本の安全保障を巡る軍事的対応問題について」という学習会を行いました。
9月1日、第2東京弁護士会主催・シンポジウムのDVD「閣議決定1年、それでも安保法制は違憲だ」を視聴しました。浜田邦夫元最高裁判事、小林節(慶応大学名誉教授)、宮崎礼壹(内閣法制局長官)、青井未帆(学習院大学教授)、山岸良太(元日弁連副会長)の5名が「どんな困難な状況でも諦めないで、改憲阻止を続けることが大事です」と話された。
月1日、「平和祈念展示資料館を見学してきました。豊田美加 「週刊金曜日 7月 日号 『虎に翼』特集」 「赤旗日曜版 8月4日号 原爆裁判」
憲法勉強会のこと 桜台九条の会 松下光雄
私たちは2022年1月から毎月1回憲法の勉強会を開催してきました。毎回8〜9名が集まりました。 札幌弁護士会所属の中島光孝弁護士が作成した「大日本帝国憲法・日本国憲法・自民党憲法改正案比較表」を用いて、現行憲法の条文と自民党改正案の条文を音読した後、気が付いたことや感想・意見を話し合うという素朴な方法です。 これだけですと単なる読み合わせになりかねませんので、進行役が現代書館『前夜 日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』を用いて理解を深めて来ました。告文と前文から始めて、2年ほどかけて天皇、戦争の放棄、国民の権利及び義務まで学習し、続けて緊急事態、最高法規 補則と学んできました。今後暫くは統治機構について学んでいきます。継続は力なり。ささやかな勉強会ですが、現行憲法の素晴らしさを知るとともに、改正案の胡散臭さを知ることが出来てきていると思います。 ね
憲法や平和について学ぶ取り組みを ねりま春日町九条の会 大津悦夫
第1回 原爆・戦争写真展は大成功でした。今後も第2回原爆・戦争写真展に取り組みますが、その期間中にも憲法や平和についての学ぶ取り組みを行いたいと思っています。
①憲法や平和への住民の関心を高めるために写真展・映画会や講演会。憲法カフェ、憲法学習会などの開催を検討します
②独自にアニメ映画や憲法に関する映画の上映会を検討します。
③例会の中で、平和や憲法。民主主義等に関する学習を実施していきます。
④自衛隊練馬駐屯地。朝霞駐屯地、横田米軍基地、キャンプ座間、厚木米軍基地、横須賀米軍基地など関東周辺の基地問題についての学習を深め、現地見学や現地の平和団体との交流を検討します。
⑤練馬区在住の戦争体験者から戦争体験を、被爆者から被爆体験を聞く会を計画します。
・語り部を各自から推薦していただき、具体化していきます。
⑥親睦を深める取り組み
・新年会、忘年会、レクレーション企画などを行い会員の親睦を深めていきます。
講演と映画上映会で学んだ 谷原台9条の会
谷原台9条の会は、昨年はねりま九条の会と共催で、西倉勝さんの講演「シベリア抑留者 真実を語る『語らずに死ねるか!』」を開催させていただき、大変好評を博しました。 歳とはとても思えぬエネルギッシュな方で、2回にわたっての講演は多くの聴衆に感動を与えてくれました。
今年はアメリカ映画「渚にて」の上映会を開催しました。ロシアのウクライナ侵攻はまだ収束する気配はありません。
またイスラエルによるガザ攻撃も終戦の兆しは見えません。 このような戦火の絶えぬ国際状況の最中、核戦争で人類が滅亡するこの映画は、時宜にかなうものと思われます。
地域9条の会が、それぞれの持ち味を出して、地元で活動することは、非常に大切であることを痛感します。
能登のボランティア 大泉町九条の会 金森孝子
地震と豪雨で悲惨な被害に遭われた能登半島に4人で3回ボランティアに行きました。
羽咋市に共産党が立ち上げた支援センターで救援物資の手分け作業をしました。お米5キロ、じゃがいも900、野菜ボトル、トイレットペーパー、ろうそく、カップ麺、おむつ、生理用品などを、車で、地震で廃校になった小学校に建てられたの仮設住宅で、マイクで呼びかけてお配りしました。
仮設の中を見せていただいた。風呂、トイレ、3畳間3部屋に、祖母と小・中高校生の4人住まい。お気の毒でご両親のことは聞けませんでした。皆さん「物資をありがとう。お店も遠く助かる。この惨状を広く拡散してほしい。そして備えてください」とおっしゃいます。
いちばん貧しい漁村の密集地の泥運びはきつかった。未だに、堤防に布団や流木、家財が引っかかったまま。自衛隊は早々に引き上げ、未熟なボランティア頼りの復興支援。政府は、自治体は、未だに関連死が続いているこの惨状をどう感じているのか、怒りがおさまりません。。
11月23日光が丘で講演会 田柄九条の会 田中克治
11月23日、練馬光が丘の戦後を知る講演会を行いました。語り手は今年 歳になる方で、戦前の飛行場建設従事、GHQ勤務、アメリカ軍基地返還運動、そして練馬の平和運動参加、ジャーナリストとして告発・啓蒙を続けてきた語り部です。
ゆりの木通り赤塚新町九条の会のご協力も頂き、多くの方の参加を得ました。成増飛行場・グラントハイツ・光が丘公園・そして練馬基地の強化へ繋がる歴史を語って頂きました。皆さん本当に熱心に聞いておられました。
基地の歴史と今を描いたDVDも上映しました。また、広島の高校生が、被爆者への聞き取りに基づいて描いた絵画も展示されました。参加者の胸を打つものです。
今後も引き続き輪を広げる運動を進めたいと思います。
市民運動紹介コーナー
住民無視の「稲荷山公園整備計画」
練馬区が策定した「稲荷山公園基本計画」の根源は昭和 (1957)年の建設省による「告示第1689号」で、基本計画にはその告示に則り「都市計画が決定された」と記されている。
稲荷山公園基本計画の土地( ヘクタール)のうち、現在の大泉町1丁目及び土支田4丁目の一部の平坦部は、当時田んぼであったが、7年後の1964年の東京オリンピック開催の年に、目白通りの比丘尼交差点側から、およそ ヘクタールが埋め立てられて宅地となり、 年後の現在、430棟500世帯の約1000名が暮らす土地となっている。練馬区はカタクリなど希少動植物の保全を理由に、「稲荷山公園整備計画」によって1000名の住民に移住を迫っている。
埋め立てに際して、将来の生活状況を予見しないのは行政の不作為では?
令和6年版「国土交通省都市計画運用指針」には、「計画決定当時と状況が著しく変わった場合や厳しい財政的な制約(稲荷山公園の整備には200億円は必要とも言われている)が生じた場合は計画の見直しも」とあるが、今のところ練馬区にはその兆しはまったくない。
総合公園(広さは東京ドーム ヘクタールの2個分に相当)について、基本計画書である『武蔵野の面影』より関連事項を拾いあげると、以下のとおりである。
1、右岸の樹林傾斜地(カタクリ 草及び湧水池)の保全 2、白子川右岸の一部に指定され ている。「土砂災害危険区域」 3、白子川護岸整備(練馬区所管 ではなく、東京都建設局河川部 所管) 4、左岸平坦地はレストランや オープンカフェ施設の設置を検 討し、右岸樹林傾斜地を眺め、 賑わいの創出など
年超におよぶ「外環の2」地上部道路計画反対の運動
栗原 保夫 前中里の会 共同代表
50年超におよぶ「外環の2」地上部道路計画反対の運動」
外観の2とは? 当初の計画は一旦凍結
◆東京都市計画道路幹線街路外郭環状線の2、略称「外環の2」とは、世田谷区北烏山5丁目を起点、練馬区東大泉2丁目を終点とする全長約
9.0kmの都市計画道路です。自動車専用道路である都市高速道路外郭環状線(外環道)と同時に決定され、1966年の計画決定当初は、高架で片側2車線の外環道の地上部道として建設される予定でした。しかし、住宅地を通ることから地元の反対が強く、1970年に外環本線とともに計画は凍結されました。
◆地下化から地上化 地下化から地上化 都・練馬区が示し合わせて
2001年、当時の石原慎太郎都知事が沿線を視察し「地下化」による解決を示唆、2003年に国交省と東京都が「有識者会議」の提言を受け、「インターチェンジなし地下化案」という基本方針を発表。石原慎太郎都知事が外環道を大深度地下に移す方針を表明し、2007年、都は外環道を大深度地下構造に変更する計画変更を行いました。
ところが2008年、都が『外環の地上部の街路について―検討の進め方―』を独断で公表。地上部街路の必要性やあり方について広く意見を聴きながら、計画方針を決定していくことを示しました。これに呼応して2012年、練馬区が「『外環の2』に関する今後の取組方針(素案)』を公表。片側1車線の車道、歩道、自転車道、緑地空間から構成される地域幹線道路の整備を東京都へ要望、道路整備を前提としたまちづくりを推進することを明らかにしました。
2012年7月、東京都建設局が、外環道大泉JCТ予定地1区間について、「外環の2一部事業化」の認可を国交省に申請、同省は9月に認可、これに対し住民は認可取消を求めて訴訟を起こしましたが、却下されました。
◆60年前の都市計画を強行
その後の推移は、おおよそ次のとおりです。
・2014年「外環の2」練馬区間(約3 )の都市計画変更案(幅員 m→ m)が、東京都都市計画審議会で審議・承認され、原案通り都市計画決定される。
・2018年「外環の2」新青梅街道~千川通り間および上石神井駅交通広場が事業認可。
・2021年「外環の2」の整備にあわせて上石神井駅周辺の土地利用方針が変更、西武新宿線との連続立体交差化計画が決定される。
このような経過から、富士街道を挟んだ両側の「外環の2」予定地の地権者の一部が「『外環の2』ねりま真ん中地権者の会」を結成、 年 月から「とめよう『外環の2』ねりまの会」 と協力して共同ニュースを発行し、地権者戸別訪問活動を行っています。
これまでの東京都、練馬区のやり方を見ていると、住民の意見を取り入れることなく、 年近く前に
できた都市計画を強引に実行しようとしています。
私たちは、ここで生活しながら、
①石神井の住環境、三宝寺池を中心とする豊かな自然環境を守り、人と人とのつながりを育て、老人や子どもたちの居場所を作る。
②多様な年代、個性の人々がのびのびと生活できるまちを作る。
③温暖化を防ぎ、防災拠点となる生産緑地や小公園を増やしていく。④ビルの中の同じような店ではなく、地元の商店街で買い物がしたい、と考えています。まちづくりの主人公は住民であり、住民と行政の対話を粘り強く行っていく決意です。